第9話 発芽
局に着き、月神は昨日と同じく麗に都季を託すと自らは分神のもとに向かった。近くには調律師達もいるので退屈はしないようだ。
そして、都季は麗と共に禁書庫に入ると、麗は何も言わずに部屋の中央にある机に向かう。
机には昨日、麗曰く放置されていたという本はなかったが、都季が続きを読むために置いていた本が片隅に置かれていた。また、机の真ん中辺りには、昨日はなかった白い布とそこに転がる大小様々な小石があった。
布の上部の中央には黒く四角い石、反対側の端には楕円形の赤い石、右端の中央には青い長方形の石、その反対の端には白く丸い石が布を留めるように置かれていた。布の中央には丸みを帯びた黒い石、その周囲に散っているのは灰色の混じる白い石だ。この白い石はどれも鋭利な物で切られたか、砕けたかのような断面がある。
何かのまじない的なものに見え、都季が退室してから麗が何かを行っていたのだと明らかだ。
「これ、何かしてたんですか?」
「あー……気にしないで。あなたの中の違和感を探るためじゃなくて、相手の居場所の特定に使えるかと思っただけよ。何でもないように見えて、術の一つなの」
「ちなみに、どういう結果なんですか?」
「……分からない。やろうとした瞬間、小石が弾けたから」
「え」
つまり、鋭利な物で切られたような状態の小石は、元からその形だったのではなく、割れたことによって今の形になったということだ。
言葉を失った都季に麗は軽く溜め息を吐くと、布を広げて術を使った当時について話す。
「あなたの中に霊力が残っているかもって話してたでしょ? でも、傷をつけた破綻者はもういない。ただ、破綻を止めていた上の者はいるから、その力が残っているんじゃないかって。それなら、そいつの居場所を突き止めることができたら手っ取り早いんじゃないかと思ったの」
破綻を止めていた上の者となるとルーインのことだ。確かに、ルーインを捕まえることが出来れば、色々なことが一気に収まるだろう。
だが、残念なことに、居場所を特定しようとした瞬間、小石は火花を散らせて砕けたのだ。
麗は、割れて散った灰色の混じる白い小石に手を近づけ、「もう大丈夫ね」と呟くと、小石を拾い上げて机の端に寄せた。四方と中央に置かれていた五つの石は、傍らに置いていた陶器製の白い箱に仕舞う。
中で半分が幾つかのマスに区切られている箱には、他にも小石が入っており、形や色、大きさはそれぞれ異なっている。
「それって、全部術に使う石なんですか?」
「ええ。一度に使うのは数個で、終わったら力を抜いて繰り返し使うけれど……これみたく割れたのはさすがに処分ね」
麗が昨日、片付けをせずに帰ったのは、石に込めた力を抜くためだ。決して、誰かのように片付けを無精したわけではない。
白い布も丁寧に畳むと、麗は布と陶器を部屋の片隅にある棚へと戻した。割れた小石については机に置いたままだが、後で然るべき方法で処分をするようだ。
そして、様子を見ていた都季に気づくと「自分のことしてて良いわよ」と言って自らも近くの本棚へと歩み寄った。
都季は、読みかけの本を読もうと椅子に座り、端に寄せられていた本を手に取る。
二人の間に会話がなくなったことで、禁書庫内はしんと静まり返った。麗の術と花音の隔離により、外界とは完全に分けられているせいで、外がどうなっているのかも分からない。唯一、聞こえる音といえば、都季と麗がそれぞれ本を捲る音くらいだ。
しかし、時折、集中力が切れかけた都季の耳はそれ以外の音を……何かが囁き合うような声を拾う。声のする方向……奥にある棚を見れば、封じられた呪術に関する物が収められている。瓶に入った乳白色の物体、古びた札が乱雑に貼られた木箱、一見すると骨董品のような白地に青で文様の描かれた壷など。収めた年代はバラバラのようで、真新しく見える物から、一体、いつからあるのかと思わせるほど古そうな物まである。
声の主はどれかと見ていた都季だったが、その内の木箱がかたりと動いた気がして、慌てて本へと視線を落とした。
暫く本を読んでいたものの、突き刺さるような視線を感じてまた顔を上げる。
(……麗さんじゃ、ない)
初めは麗かと思ったが、彼女は本棚の前に立ったままで、一冊の分厚い本を読んでいる。視線が都季に向けられた様子はない。
では、誰が視線を向けてきたのか。
都季は、ゆっくりと辺りを見渡す。まだ何処かから視線を向けられている気がする。
「……?」
麗が背を向けている側の本棚。そこから視線を感じ、都季は誘われるかのようにそちらへと歩み寄る。
麗は難しい顔で本を読んでおり、都季が動いたことに気づいていない。
彼女から下手に本に触らないほうがいいと言われていた都季だが、視線の主には身の危険を感じる気配はなく、むしろ、自分の求める答えを持っていると言っているようだ。
ちょうど、都季の肩の高さ辺りの段。みっちりと詰められた本の中の一冊。くすんだ紺色の背表紙は、長い年月を経ているせいか、それともここに収められる前の保管状態が悪かったのか、両隣の本よりもやや傷が目立つ。よく指が掛かるであろう背表紙の上の部分は角が破けて捲れていた。
(これ、もしかして、俺の腕の傷跡に何か関わりがあるんじゃ……)
直感にも似た感覚が、「本に触れろ」と語りかけてくる。
もはや、都季の中に「一旦、麗に声を掛ける」という選択肢はなかった。
すっと本に手を伸ばし、捲れた箇所がこれ以上酷くならないように、なるべくページ側に指を掛けようと触れた瞬間。
「っ!?」
バチッと大きな音を立てて火花が散り、本が棚から飛び出して都季の額に勢いよくぶつかって落ちた。
だが、都季は額に走った痛みより、左腕が大きく斬られたかのような痛みに小さく呻き声を上げる。
「うっ……!」
「何事!?」
異変に気づいた麗が振り返れば、都季が左腕を押さえて痛みを堪える姿が目に入った。
押さえられた左腕には電流に似た筋が幾重も走り、同時に火花が弾ける音がする。
何が起こっているのかと愕然とする麗の目の前で、都季の左腕からポンッと何かが芽生えた。
「え?」
それは、小さな双葉だった。
都季の腕に生えた双葉は瞬く間に大きく伸びていく。生えた箇所から二本に分かれ、さらに分かれて四本、また分かれてを繰り返す。複数の蔦となったそれは、都季の左腕に巻き付き、苦しむ都季を包み込まんとさらに伸びていく。
このままではいけない、と都季に近づこうとした麗だったが、彼から沸き起こる大きな霊力の波に息を飲んだ。
「ちょっ、嘘でしょ!?」
「っ、あああああああぁぁぁぁぁぁ!!」
何が起こるか察知した麗が術で壁を形成したのと、都季から霊力の波が迸ったのはほぼ同時だった。
だが、麗が形成した壁は見えない力の圧を受けると一瞬で砕け散り、力に押された麗は後ろの本棚に全身を打ちつけた。
「がっ!?」
本棚に体を預けたまま床に座り込む。打ちつけた衝撃と強い霊力に当てられたことで思考が、手足が麻痺している。
頭がくらくらとするが、今はそれどころではないと頭を振って意識を引き戻し、都季へと視線を移した。
先の霊力の圧により、禁書庫内は足の踏み場もないほどに本や物が散らばっている。幸い、棚に収めている呪詛を封じた物は落ちていないが、それらが落ちていれば、十二生肖である麗とてただでは済まなかった。
「あの子、なんてモノを飼ってたのよ……!」
ここまで姿を現されては、さすがに都季の左腕にあったものが何かは判別がつく。
彼は、破綻者によって『呪詛の種』を埋め込まれていたのだと。
種だったからこそ、才知や蒼姫は勿論、月神でさえ気づけなかったのだ。
しかし、姿が見えたところでどうやって解呪するかはまだ分からない。麗の記憶の中にこの手の呪詛は複数あるものの、完全に気づかれないタイプのものはないのだ。
ひとまず、都季をどうにかして部屋から連れ出す必要がある。ここに収められている呪詛関連のものが呼応する可能性もある上、麗一人でどうにかできる状況ではない。
だが、正体の分からない呪詛が発動している今、隔離されたこの部屋から出していいのか。もし、外に出たとして、仕掛けた者が発動に気づき、追い討ちをかけてくる可能性もある。
手出しが出来ず、歯噛みした麗はどうするかと逡巡した。
とにかく、呪詛の進行を抑えなければ、と都季ににじり寄ったときだ。
麗の術に干渉する気配がした。
「あ……」
気配はよく知ったものだ。禁書庫に入れるのは、麗ともう一人しかいない。
騒々しく開けられた扉から入ってきたのは、いつもの軽い調子の雰囲気が一切ない才知だった。
「無事か!? っと、おわっ!?」
「これは……」
飛び込んできた才知に、都季の腕に巻きついた蔦の一本が鞭の如く大きくしなって襲いかかる。
間一髪で避けた才知は、先ほどまで自分が立っていた場所の床板が割れているのを見て、「勘弁してくれよ」と若干、情けない声を上げた。
そんな才知の後に続いて入ってきたのは、入室を許されていない龍司だ。
「ばっ……! 才知はともかく、あなたは――」
「規律を守っている状況ではないでしょう」
「っ!」
入室を止めようとした麗に、龍司はぴしゃりと言い返す。麗は最もな言葉に反論できず、ぐっと堪えた。
才知は都季から……正確には、その腕に巻きついた蔦から目を離さずに麗に歩み寄ると、怪訝な顔のままで訊ねる。
「どういう状態だ? ありゃあ」
「呪詛の種を植えられていたのよ。それが、あの子がここの本に触れた瞬間に反応して発芽したの」
「種……あ。あれか? 一晩で巨大な木を生やす森の精霊にでも好かれたか?」
「そんなわけないでしょう。怒られますよ……」
才知が脳裏に浮かべたのは、有名なアニメーション映画のキャラクターだ。勿論、実在はしていないが、似たようなものなら幾つかいる。
遅れてやって来た龍司は、まさかの例えに呆れ気味だった。
「まぁ、冗談は置いといて。種があったって言っても、麗ちゃんは視えてなかったんだろ?」
「ええ。普通、種みたく植えられたタイプのものは、その殻か中の胚が視えるわ」
これまでも、麗は能力を使って表面化していない呪詛などを見抜いたことはあるが、都季の腕にそれらしきものはなかった。
顎に片手を添えて考えていた麗は、都季から聞いた彼の感じていた違和感、蒼姫達の取っていた都季の霊力の変動などをまとめつつ、ひとつの推測を立てる。
「これはあくまでも推測だけれど……体内に残る異物をあの子の霊力が潰そうと覆っていて、それを利用して呪詛が霊力を養分として蓄えていたら、同化して視えないと思う」
「なるほど。内と外が都季の霊力なら、確かに視えないか。今までにこの手の奴は?」
「いたけど、ここまで視えないのは初めてね」
以前、麗が遭遇した呪詛は宿った本人の霊力を餌として育ち、大きく成長していた。だが、それは麗の透視でも微かに視えていた上、本人の異常な衰弱もあってすぐに見抜けたのだ。今回とまったく同じとは言えない。
いつの間にか神器を出していた龍司は、襲いかかってきた蔦を霊力で形成した壁で阻みつつ、麗と才知に対処を訊ねる。
「どうしますか?」
「あの子の霊力を抑える方法はない?」
「抑える……」
「呪詛が反発する霊力を餌にして育つなら、呪詛を追い出そうとする霊力を抑えれば少しはマシになるはずよ。他者の霊力に干渉するのは調律師の十八番でしょ?」
溢れ出る都季の霊力は、自然と呪詛を育てることになる。ならば、それを断つことが今の優先事項だ。
調律師である才知だけでなく、龍司も自身の持つ術の知識を探る。だが、果たして今の都季に有効なのかと実行に移せなかった。
呪詛が姿を現した今、都季の霊力は呪詛と混じって複雑になっている。また、都季の霊力を抑えようと動いたとき、呪詛に触れればこちらもどうなるか分からない。
そう考えたところで、才知はハッとした。何を甘えたことを考えているのかと。
「……いや、こっちが呪詛にかかる心配してもしょうがない。やるか」
「才知さん!?」
「お前は引っ込んでな。切り札は最後だ」
ニッと不敵な笑みを浮かべた才知は、防御壁を展開する龍司からさらに前に出た。
突き刺さんばかりの勢いで迫ってきた蔦を避け、動きを止めようと蔦を掴む。その瞬間、熱した鉄パイプを握ったかのような熱が手のひらを襲った。
「あっつっ! ってぇな、この野郎!」
「見た目は植物でも、中身は呪詛よ!? 素手で触れていいはずないでしょ!」
「けど、近づかないとあいつの霊力を抑えられないぞ?」
反射的にがなる才知だが、麗は彼の無謀な行動を注意した。都季の霊力を抑えるように言った麗も、さすがに呪詛を素手で掴むという愚行を彼がやるとは思わなかったのだ。
都季に近づかずに抑えるには、と考えた麗と龍司がある姿を思い浮かべたのと、新たな気配が禁書庫に降り立ったのはほぼ同時だった。
「ならば我がやろう」
「月神!?」
現れたのは、麗と龍司が思い浮かべた姿……今の状況でも落ち着いた姿勢を崩さない月神だ。
月神も入室を許可されていないため、普段は隔離による壁と結界で室内には入れない。それが何故、平然と入ってこられたのか。
その理由はとても単純なものだった。
「お主、扉を開けたままだぞ」
「あ、いっけね。龍司が入った後、閉め忘れてた」
「馬鹿!」
月神がつい、と指を差した先には、禁書庫の出入り口が全開の状態のままだった。
扉を開けて入れるのは麗や才知だけだが、同じく閉めることができるのもこの二人だ。龍司が最後に入ってきたなら、才知が閉める必要があった。
いくら呪詛が出ないように術が施されているとはいえ、出入り口の扉が開いていれば結界や隔離の壁は通常よりも薄くなる。力の強い呪詛であればあっさりと外に出ることも可能なくらいに。
慌てて閉めに走ろうとした麗の眼前を蔦が走り、本棚に突き刺さる。
「っ!」
「案ずるな。外に蒼姫達も待機しておる。……かなり頭にきておるから、覚悟はしておいたほうがいいぞ」
「「…………」」
外にいる蒼姫の様子を思い出したのか、月神はそう言って気まずそうに視線を才知から逸らした。余程怖かったようだ。
麗と龍司は怒ったときの蒼姫を思い浮かべ、才知にほんの少しだけ同情した。扉を閉めなかった彼も悪いので、完全には庇えないが。
しかし、才知はあっけらかんとしており、火傷のように赤く腫れた右手のひらを月神に向けて軽く振りながら言う。
「これって免罪符にならないですかね?」
「火に油だろうな」
「ひえっ」
とても三十を超えた男性から上がったとは思えない情けない悲鳴が漏れたが、三人は取り合うことはせず、都季へと視線を移した。
「我はあやつの霊力を抑える。ここに長居もできまい。地下に移せ」
「畏まりました」
「麗はあの蔦を一時的にでも覆えるように用意を」
「はい」
月神に指示を出された二人は、それぞれの役割を果たすために動く。
龍司は都季の霊力が落ち着いた瞬間、彼の周りに張る結界の準備を。麗は蔦に触れないようにするための、呪詛を封じる布を取りに向かう。
「ゆくぞ」
月神の姿が燐光を残して消え、苦しんでいた都季の片耳に着いたピアスの水晶が僅かに輝いた。
蔦は反抗するかのように暴れる勢いを増したものの、都季から吸収する霊力が減ったのか徐々に落ち着いていく。伸びていた蔦はするすると引っ込んでいき、やがて腕に巻き付くだけになった。
頃合いを見ていた龍司がすぐさま都季の周りに……なるべく彼の体のラインに沿って最低限の結界を張る。
霊力が完全に落ち着いたのか、都季はふらりとよろめくと、そのまま後ろに倒れた。
頭が床にぶつかる直前、俊敏に動いた才知が都季を支える。
「っぶねー……」
「これ巻くから、下まで運んでちょうだい」
「へいへい」
都季を左腕だけで抱える才知に言えば、彼はぶっきらぼうに答えて体を少しずらす。
麗が持ってきたのは、白地に赤い墨で呪文と陣を描いた一枚の大きな布。呪詛を包み込んで一時的に封じたり、勢いを弱めるための物だ。
都季の腕を覆っていた蔦が、布によって完全に姿を隠される。
苦しげに顔を歪める都季を才知は片腕で器用に向きを変えさせると、そのまま軽々と肩に担いだ。
「よっと。じゃあ、俺はこのまま連れて行くから、解呪方法を探すのは任せた」
「え」
いけしゃあしゃあと言ってのけた才知だが、今はまだ呪詛の姿が見れただけで、正体までは掴めていない状態だ。ある程度の範囲は絞れるだろうが、それでも虱潰しになることは間違いない。
固まる麗をよそに、才知は散らばった本を拾い集める龍司を一瞥した後、麗に視線を戻して言葉を続ける。
「それと、龍司に俺の守獣の加護つけてるから、多少はここにいられるぜ。片付けよろしくぅ」
「はぁ!?」
右手の人差し指と中指だけを立てた手を額の横に軽く当て、ウィンクまでしてみせた才知に殺気が芽生えた。
禁書庫に入った上に本に触れていても平然としているのも、すべて才知が事前に仕込んでいたからだった。彼の守獣も、「龍司に勢いのまま突入されるくらいなら……」と協力したのだろう。
颯爽と去っていく彼を絶対に庇うものか、と麗は心に決めて出入り口の結界を強固に張り直した。
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