第10話 恐れるものは


「――はい。終わりましたよ。念のため、他に異常がないか看てもらったほうがいいと思うのですが……」

「ありがとう。けど、そんな暇なんてないでしょう?」

「……まあ、そうなんですけど」


 麗の手当てを簡単に済ませた龍司は、不安げに麗の額に貼ったガーゼを見る。

 飛来した本が当たって軽く擦り剥けた程度だが、内側のケガまではさすがの龍司にも分からない。当たったことによる青痣が出来る可能性が高いが、彼女の表の仕事に支障はないのか。

 しかし、仕事道具ともいえる顔の傷にも、麗は困った顔ひとつせずにあっさりと返して作業に移る。龍司は珍しく歯切れの悪いままで黙ってしまったが、かといって取り合っている場合ではないのだ。

 麗がひっそりと溜め息を吐けば、沈黙が流れようとした場に単調な電子音が鳴り響いた。


「……すみません、一葉さんからです。はい、辰宮です」


 音源は龍司のポケットだ。

 その源……携帯電話を取り出した龍司は、ディスプレイに表示された名前を見ると誰かを麗にも伝えてから電話に出た。

 大方、ここでの騒ぎが警邏にまで伝わり、応援がいるか、それとも別の件に当たればいいかの確認だろう。

 状況を目撃している才知は都季に付きっきりになっている上、月神も都季の力を抑えるために器に戻っている。分神であれば月神の意思は告げられるが、現状確認は当事者に直接聞いたほうが早い。特に、麗が解呪方法を見つけたかの確認も兼ねるのであれば。

 龍司だけでなく、十二生肖は基本的に通信は支証を使うが、今は外界と遮断された禁書庫にいる。ここにいる間は、支証は勿論、携帯電話での通話も不可能だ。

 ただ、現在は外に出る呪詛を防ぐために結界を張っているのみで、まだ隔離が出来ていない。そのため、電波のみ辛うじて通じるのだ。雑音は多いだろうが。


「ええ、こちらは今のところ問題はありません。今、動かせる警邏隊員は、全てルーインの捜索に充ててください」


 都季の呪詛を仕込んだのはルーインだ。実行は佐藤だが、今日この日まで隠していたのはルーインの力が大きく影響している。

 それからいくつかの指示を出した後、龍司は電話を切ると本の片付けをしようと、近くに開いて落ちていた本を拾い上げた。

 羅列する文字は龍司も目にしたことのない、恐らく幻妖が使っているであろう文字だ。


「……すごいですね」

「え? ……あ、こら。中は見ないで」

「大丈夫です。才知さんの守獣の加護のおかげか、少しぞくりとしますが問題ありません」

「それ、完全に安心しきれないのだけど。中身は同じで、言語違いだけっていうのもあるから、拾ったらテーブルに重ねておいて」


 本に触れ、視界に入った文面に少し目を通しただけで、背筋を氷塊が滑り落ちたかのように冷えた。もし、才知の守獣の加護がなければ、龍司は霊力を食らいにきた呪詛に呑まれていたかもしれない。

 どこか楽しげに笑みを浮かべて答えた龍司だが、麗は眉を顰めて複雑そうな顔をした。

 龍司は、そんな彼女を安心させようともう一度繰り返す。


「いえ、そういうわけにはいきません。この量ですよ? 本当に、問題ありませんから」

「…………」

「それに、私の能力があれば、冒頭部分だけでも同じ本かどうかは分かりますから。あ、戻す場所が決まっているのなら、真白をお借りできればお手伝いできますよ」


 断る理由を事前に潰され、麗は言い掛けた言葉を飲み込んだ。矢継ぎ早に言う辺り、これ以上は時間の無駄になるだけだろう。

 龍司の能力である「解析」は、幻妖の使う言葉や、複雑に組まれた術の構成を視るためなどに使われる。内容によって掛かる時間や使用する霊力は変わってくるが、ここにある本の読解にどれほどの時間と霊力が掛かるかは未知数だ。

 それでも、一人でやるより早いのは確かなことを考えると、今は麗が妥協したほうがいい。


「……読んで覚えたりしないでよね」

「はい。見たものは、解呪が終わったら忘れます」

(もし、覚えてたら物理的手段で忘れてもらおうかしら……)


 本来であれば、記憶については悠に任せれば消すことが可能だ。ただ、消す際に悠が記憶に触れてしまうため、今回は彼に頼むことはできない。となると、記憶を消す手段は物理的なものになる。こういうとき、治療がすぐにできるのはありがたい。

 まさか、そんな物騒なことを考えられているとは知らず、龍司は本を拾っては中央のテーブルに置いていく。麗はそれを本棚の元の位置に戻す。

 暫くその作業を繰り返していると、ふと、龍司があることを訊ねた。


「あの……ひとつ、お訊きしたいのですが」

「なに?」

「どうして、更科さんをここに入れたのですか?」


 禁書庫は代々、十二生肖の巳と調律師師長しか入れなかった。その決まりを、麗は自ら破って都季を連れてきた。

 危険が多いことなど容易に予想できていたはずなのに、それでも都季の入室を許したのは何故か。

 麗は本を一冊元に戻すと、軽く息を吐いてから言う。


「第一に、私の浅慮よ。呪詛かもしれないと睨んではいたけれど、その大きさがあたし一人の手に負えないものだとは思わなかった」

「…………」

「勿論、禁書庫の外に待たせておくことも出来た。でも、それをしてしまうと、新しい可能性が出るたびに出入りを繰り返す必要があった」


 禁書庫にある本は、当然ながら部屋から出すことはできない。つまり、麗が出入りを繰り返し、解呪できるかを探っていかなければならないのだ。何かが分からないからこそ、外にいられては非常に効率が悪くなる。


「それに、調べている間は、彼の些細な異変には気づけないでしょう? 巫女の子供だからこそ、呪詛だとしたら何が起こるか分からないもの」


 現に、都季には呪詛が仕込まれていて、それが彼自身の霊力によって覆い隠されていた。

 結果、ここにある禁書の霊力と発芽した呪詛、抑え込もうとした都季の霊力が重なって混じり合って暴発したのだ。


「ここなら、隔離されている分、暴発してもある程度は抑え込めると思ったの。……まぁ、見事に壊されたのはびっくりしたけど」

「確かに、あれほどまでの霊力が暴れていたというのに、外にはほとんど影響は出ていませんからね。隔離と結界が壊されたことで、ある程度の霊力の乱れがあったくらいで」

「だから来たんでしょう」


 これがもし、隔離も何もされていない場所だったなら。

 発芽の切っ掛けは呪詛の本に触れたからだが、切っ掛けがそれ以外だったとしても、同様の事は起きていただろう。

 麗はまた本を拾い上げ、棚に戻しながら溜め息を吐いて言う。


「小さなものなら、あたしでも対処できた。けど……あれは格が違いすぎる」

「それは……」

「もし、解呪方法が見つかったとしても、あたしでは無理よ」


 絞り出した言葉は、十二生肖にあるまじき台詞だとは麗自身も分かっている。だが、脳裏にちらつく過去の映像が、麗の恐怖心を煽るのだ。

 解呪をするためには、恐怖心を抱いては解けるものも解けない。

 麗が恐怖心を抱く理由を知る龍司は、しかし、自身もそれに関わっている……むしろ、自身がそれを引き起こしたからこそ、掛ける言葉が見つからなかった。

 しかし、このまま解呪できません、で終わっては都季は勿論、月神も危ない。

 何か別の方法は、と龍司は本を拾いながら中に書かれている内容をこっそりと解析する。


「……あの、麗さん」

「何よ」

「解呪が無理なら、跳ね返すことはできませんか?」

「…………はい?」


 突然、何を言い出すのかと、麗は素っ頓狂な声を上げてしまった。

 対する龍司は至って真面目で、落ちている本を踏まないよう麗のもとへ歩み寄ると、勢いに怖じ気付いたのか少し下がった彼女に持っている本を見せた。

 並んでいる文字は筆で流れるように書かれており、かなり古い物だと分かる。

 だが、読み慣れている麗には問題なく、すぐに文字を読むと怪訝に顔を顰めた。


「確かに、返すことは可能よ。けど、今回のは……あ」

「そうです。実行者はいませんが、それに混ざっていたもう一つの力の主はいます」


 跳ね返す際に必要なものは、それに見合った霊力を自身が保有しているか、呪詛を掛けた本人がいるかだ。

 一見、跳ね返しの条件を満たしていないようだが、呪詛を掛けた本人に力を貸した人物も該当するのではないのか。前例はないものの、解呪するよりはずっと安全に行えるかもしれない。

 片手を口元に当てて考えた後、麗は頷いて龍司から本を受け取った。


「分かったわ。その方向で探しましょう」


 まだ不安は拭えない。けれど、解呪ではなく跳ね返しなら、都季に宿っている呪詛を引き剥がして術者に送り返す形のため、難易度が高いのは変わりないが手段はいくつかある。都季の霊力が呪詛を消そうとしている力も、引き剥がしの助力になるかもしれない。

 方向性が定まったことで、龍司もそっと胸を撫で下ろした。解呪に対する恐怖心が拭えていないのは、追々で解決すればいい。


「あと、ひとつ先に言っておくけど」

「はい?」

「ここでの記憶、ちゃんと忘れてもらうから。物理的に」

「物理的に」


 ここにあるどの本よりも恐ろしいものが龍司を待ち受けていることに、本に触れたときとは違うぞっとしたものが背筋に走った。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る