第8話 二つの仕事


「はぁ……」

「なんだ、朝から溜め息なんぞ吐きおって」


 翌朝、着替え終えてすぐ溜め息を吐いた都季に、テレビを観ていた月神が怪訝な瞳を向ける。起きてから朝食の準備をしたり、支度をしていたときはいつもどおりだったはずだが、着替えで何か溜め息を吐くようなことはあっただろうかと。テレビでは番組の終わりに流れる占いコーナーが始まっているが、月神は誕生月などがないため、いつもはただ眺めているだけだ。こっそり確認した都季の誕生月である九月は順位的には中間だった。


(所詮はただの占いだしのぅ。それに、溜め息を吐いたのも結果が出る前だったし……)


 都季は占いを気にする質ではない。何となくで見て、家を出る頃には忘れるような程度だ。

 他に原因は、と月神が思案するより早く、都季は気まずそうに溜め息の理由を明かした。


「いや、今日も麗さんとあの部屋で過ごすのかと思って……あっ。別に、麗さんが嫌なわけじゃないんだけど……」

「ふむ」


 言い澱む都季は、麗のことは嫌ではないが苦手意識が芽生えていると分かった。

 月神は都季と合流して、中でのことを記憶から読んで知っている。いくら器が都季にあるとは言っても、隔離された空間内でのことは途切れてしまって視えないのだ。そのため、器に中での出来事を記録させておき、戻ったときに視られるように細工していた。

 都季は再び溜め息を吐くと、うまく言葉が見つからないもどかしさに顔を歪める。


「うー……悪い人じゃないとは分かってるんだけど、何て言うか……」

「まぁ、中で何があったかは聞かぬ。前にも言うたが、麗は少々不器用なだけだ。気楽に付き合うのがよいぞ」

「それ、知ってて言ってるだろ……」

「我は今日も入れんからの。頑張ってこい」


 都季の断定とも質問とも取れる言葉には返さず、気合いを入れるように肩を軽く叩いた。

 朝から調べるとなると、昨日、読んでいた図録も読み終わってしまうかもしれない。ここは勉強道具も持って行くべきか、と通学用の鞄を開こうとしたときだ。

 来客を告げるインターホンの音が鳴った。


「誰だろ?」

「この気配は……」


 来客が誰であるか月神が言うより早く、都季は玄関のドアを開ける。用心しないその姿勢を後ろで見ていた月神は、一度注意をするべきかとそっと息を吐いた。

 アパートには都季に害をなす者は入れないよう結界を張ってはいるものの、相手がどんな手を使ってくるかは分からない。用心するに越したことはないのだが、彼はいつも来客を確認せずにドアを開けるのだ。

 ただ、今回については警戒する者ではないため、月神は注意は後回しにしてそちらへと向かった。


「あれ? 麗さん?」


 ドアの向こうに立っていたのは、近所では見ることのない美女……麗だった。

 きょとんとする都季を見るなり腕を組んだ麗は、彼の頭から爪先までを確認して淡々と言う。


「おはよう。準備は終わってるわね?」

「えっ? あ、おはようございます……準備、は、終わってます。一応」

「そう。じゃあ、行くわよ」


 都季の返事を聞くなり、麗は身を返して階段へと向かった。持って行くか悩んでいた勉強用の道具を準備する暇はなさそうだ。

 書庫から何か借りようと決めた都季は、必要最低限の物だけを取りに一度室内に戻ると、すぐに麗の後を追った。勿論、部屋の鍵は閉めて。

 階段前で待っていた彼女は、都季が出てきて駆け寄ってくるのを見ると表情を変えることなく階段を下りていく。


(玄関を開けたら芸能人が立ってるなんて、どんなシチュエーション……)


 前を行く麗の後ろ姿を見ながら、一般人では早々経験しない状況だと気づいて少しばかり緊張した。だが、すぐに悠も芸能人であると思い出し、緊張の糸はぷつりと切れたが。


(今のは絶対、悠には言えないな。うん)


 笑顔で「酷いなぁ、都季先輩」と迫ってくる悠の姿が容易に想像でき、その後を考えると恐ろしさで震えた。それが伝わった月神も、都季の肩で嫌そうな顔をしている。

 三人の間に流れる沈黙を破ったのは、頭を振って悠の姿を振り払った月神だ。


「お主がわざわざ迎えに来るとは珍しいの。あの三人はどうした?」

「紫苑に鍛えてもらってるところよ。悠辺りは適当なこと言って逃げてそうだけど」

「あー……」


 分かる、と内心で頷きながら、また笑顔の悠が浮かんだ。体力は都季よりもある悠だが、紫苑の体格と比べるとどうしてもか弱く見える。いつの日だったか、物理的な力のみでは、紫苑や魁、煉のほうが上だと言っていたのを思い出した。

 都季は麗の少し後ろを歩きながら、彼女はどれほどの力を持っているのだろうかと疑問を抱いた。日焼けを知らない白い腕は華奢だが、昨日は魁を引きずっていたので相応に力はありそうだ。

 目立つ銀髪を露わにしているせいか、すれ違う人の中には麗を見て「あの人、モデルの巳神麗じゃ……」や、口にこそしていないがちらちらと見てくる人もいる。近づきがたいオーラを纏っているせいか、麗に直接声を掛けてくる人はいなかった。だが、麗は「モデルの巳神麗だ」と気づいた人には小さく笑みを浮かべて手を振っていた。


(ファンサービスはするんだ……)


 てっきり、何もせずに通り過ぎるのかと思っていたため、その対応は意外だった。

 同じく芸能人の悠も町中を歩けば時折、同様に囁く人はいる。だが、彼はその声が耳に届いていても聞こえていない振りをするのが常だ。


「なに? 不思議そうな顔して」

「すみません。悠はいっつも受け流してるので、ちゃんと対応するんだなってちょっと感心してました」


 言ってから、都季は上から目線だったと気づいて後悔する。麗も足を止めて驚いた表情で都季を振り返った。また何か言われるだろうかと体が少し強張る。

 だが、いつまで経っても彼女から何かが返ってくる気配はなく、都季は恐る恐る麗を見た。

 ばちりと目が合い、反射的に麗は顔を勢いよく逸らす。銀髪から覗き見えた耳は真っ赤に染まっていた。


「あっ、当たり前でしょう? あたしは知られてこそモデルの仕事が出来ているの。知ってくれている人を大事にするのは当然よ」


 背を向けてそう言う麗を見て、月神が「ここだけの話だが、麗は表の仕事を減らしておらん。ああ言うだけはあって、受けた物は最後までやり抜くと言ってな」と都季にこっそりと教えた。

 麗はプロ意識が高いのだろう。だからこそ、多忙であるはずのモデルの仕事を続けたまま十二生肖の役を担っている。


「すごい……。ちゃんと両立できているんですね」


 本心で出た感心の言葉だったが、麗はまた足を止めた。だが、振り返った麗はすぐに足下に視線を落とし、苦しげに眉を顰める。


「いえ。両立なんてできてないわ」

「え? でも、表の仕事もやって、こっちの仕事もやってるじゃないですか」

「両立できていたら、もっと早くにあんたに会っていたわ」


 才知から追加で仕事を貰ったからこそ、今回は町に帰ってくるのが遅くなってしまった。だが、モデルの仕事が忙しく、才知が渡してきた仕事に着手するまで予定より遅れてしまったのだ。些細な遅れではあるが、その些細な遅れが手遅れになることもある。

 再び歩き出した麗の後ろを歩きながら、都季は重くなった空気をどうにかしようと訊ねた。


「その……麗さんは、どうしてモデルの仕事をやろうと思ったんですか?」


 特に深い意味はなく、ほんの軽い気持ちで生まれた疑問だった。しかし、聞きようによっては気分を害する内容でもある。言葉選びが不器用なのは麗だけでなく都季もだ。

 麗は足を止めないまま、斜め後ろにいる都季に理由を話すために口を開いた。


「十二生肖の巳は忌避されていると言ったでしょ?」

「はい」

「役を背負った人だけでなく、巳の血筋であるだけの人相手でも多少はその様子があったの」

「血筋だけで……」


 確かに、役に選ばれるのは各家の血統組からだ。呪詛の知識については、代替わりの儀式にて先代から受け継がれるものだが、巳の血統者は総じて呪詛に耐性を持つ。何らかの方法で呪詛を知ればすぐに扱えるのだ。

 その耐性ですら、呪詛を知らない周囲の者にとっては脅威だった。


「勿論、あたし達だって人間らしく感情はあるから、嬉しいことがあれば笑うし、嫌なことがあれば怒るわ。でも、昨日も言ったけど、呪詛で誰かを傷つけようなんて考えはさらさらないの」


 呪詛で誰かを傷つけるにしても、相応の代償が必要とされる。リスクを背負ってまで呪詛を使う必要性はない。


「最近になって忌避も敬遠に変わりつつあるけれど、まだ完全ではない。近づかれすぎても困るんだけど、嫌われすぎるのも問題なのよ。いざって言うときに連携が取れないから」

「それがモデルに?」


 麗は都季に、自分に近づくときは気をつけろと言っていた。ただ、近づくなとは言っていない。それは巳という存在を遠いものにはしたくないという表れだ。

 ただ、その話だけではモデルに繋がる流れが掴めず難しい顔をする都季に、麗は「これはタイミングの問題でもあったけど……」と当時を思い返した。まだ麗が十二生肖に選ばれる前……モデルになる切っ掛けを。


「町でスカウトを受けたの」

「この町で?」

「意外とあるのよ。ほら、ここって若い子は多いでしょ。学園都市って言われるだけはあって」

「確かに、学生は多いですけど……」


 都季はまだスカウトは見たことがないため、町でスカウトされたと言っても現実味が沸かない。

 麗の言うとおり、大きな学園があるだけはあって若い人は多いほうだが、町全体を見ると都会より遙かに小さな町だ。学園から離れれば離れるほど、建物は少なくなる。


「それに、自分で言うのも何だけど、人目を引く姿はしているでしょう?」

「そうですね」


 純日本人ではまず見られない銀髪に赤い目。すらりとした白い手足。身長も都季より低いものの、女性にしては長身だ。町に立っていれば、何もしなくても自然と注目を浴びることは間違いない。

 麗はそれが分かっていたからこそ、利用しようと思ったのだ。


「モデルになれば……人気が得られれば、自然と大衆の目を浴びることになる。それこそ、この町の人だけじゃなくて、もっと広い世界の人から」


 勿論、モデルになるとしても相応の苦難はある。それを乗り越えていけるのかと当時の麗は悩んだこともあった。今でも壁にぶつかることはあるが、それでもやって来れているのは支えてくれるファンが出来たことだ。


「モデルになって、ファンが出来て、初めて向こうから関わってくれて。幻妖世界を知らない人は、『十二生肖の巳』ではなく、『巳神麗』としてのあたしを評価してくれる」


 局ではあり得ないことが、モデルとして活躍するようになってからいくつもあった。それは麗に人と接する自信を与えることになり、局での自身の動き方も変わってきたのだ。


「局の人も、あたしがモデルになってからはあからさまに避けることは少なくなったわ。勿論、イノ姐さんや花音ちゃん達が、局内で人目につく所で話しかけてくれたのもあるけど」

「言われてみれば、月日の流れと共に巳の印象はかなり変わってきたのぅ。とはいえ、先代まではお主ほどではなかったが」


 先代まではあまり他人とは関わろうとはせず、必要最低限しか姿を見せなかった。本物の蛇のように、日陰にひっそりと隠れていた。


「あたし達に足りなかったのは、こっちから歩み寄る勇気よ。踏み出せば、陽の下はとっくに暖かくなっていた。勿論、日陰は今でも冷たいけれど」

「長い冬眠だったのぅ」

「お陰様でね」


 月神の記憶の中でも、ここまで他人に関わった巳は他にいない。これも時世の問題か、と月神は月日の流れを感じてそっと息を吐く。

 ひとつ改善に繋がったモデル業だが、麗は嬉しい反面、ある不安も感じていた。


「けど、モデルの仕事をしているときは、たまに怖くなるときもあるの。自分が呪詛に精通しているなんて誰も思いやしない。もし、あたしに何かがついていたら、ここの人達はどうなるんだろうって」

「…………」

「そう考えたら、『無知』って幸せなことでもあるけど、同時にとても恐ろしいものでもあるわね」


 今でも麗は必ず、自身に何もついていないことをしつこいくらいに確認してから仕事に向かっている。しかし、もし、世間に幻妖世界のことが知られていたとしたら。麗は表舞台に立つことはできないままだっただろう。現状が良いのか悪いのか、表舞台から去るべきか。麗はたまに悩んでしまうのだ。

 都季は、何か彼女にかける良い言葉はあるかと視線を落とす。だが、呪詛を知らない都季が言ってもいいものかと、思いついた言葉は声にならずに消えていく。


「それでも、印象を変えるためには仕方なかったのよね。あのままじゃ、いつか何かが起きるわ」

「何か?」

「悠や一夜がしたような事を、いつかの巳が」


 二人が起こした事を知る都季は、ひゅっと息を飲んだ。大多数の者が知らない呪詛の対抗手段。それを知る巳が牙を剥けば、局は忽ち瓦解するだろう。何せ、月神ですら呪詛に掛かって解けなかった過去があるくらいだ。

 固まる都季を見た麗は、決意の籠もった瞳ではっきりと言う。


「あたしはそうしたくないし、今後の巳にもそういうことはさせたくない。だから、巳の立場を変えるために、あたしはモデルを続けているのよ」




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