第3話 調律師の見解


「都季のことなんだが、バイト中も少し疲れが見えててな。そりゃあ、学校とバイトに加えて鍛錬までしてたら疲れも出るだろうが、それとは違うように見えるんだ」


 昨日、依月では少し疲れてるだけだと言っていたが、それにしては様子がおかしく感じた。過保護になりすぎているならまだしも、本当に何らかの異常が起きているのだとしたら。

 才知はある事を思い浮かべながら、蒼姫が何故、都季の鍛錬に付き合っているかを話した。


「疲れねぇ。確かに、俺達もおかしいとは見てたさ。だから、今日の鍛錬は蒼姫も行っているんだ」

「なるほど。忙しいのに自ら赴いているのはそういうことか」

「そ。鍛錬だけなら蒼夜一人に任せてもいい。今はペアでやってる任務もないしな」


 警邏と調律師はペアを組むこともある。それは任務を効率的にこなすためであり、危険度の高いものについてはお互いの弱点を補填する意味も兼ねているのだ。

 特に、ペアを組むとなると蒼姫は蒼夜を、蒼夜は蒼姫を指定している。気心の知れた姉弟だからこそだ。

 しかし、鍛錬についてはペアを組む必要はない。

 それでも蒼姫が鍛錬に付き合うと決めたのは、データでは測りきれないものを見るためだ。


「直接見ないと分からないことだってあるしな。調律のついでだとも言ってたし」


 そう付け足した才知は、「ちょっと待っててくれ」と一度ミーティングルームを出て、数分と経たない内に戻ってきた。手に数枚の書類を持って。

 何の書類かと茜が視線で問えば、「とりあえず見てほしい」と差し出されたので素直に受け取って目を通す。

 書類には都季の簡単な身体測定の結果と霊力の変動を示すグラフが載っていた。

 グラフは下の列に日付が記されており、線は右肩上がりとなっている。それも、ただの上がり方ではない。


「……急に上がってるな」

「だろ? 緩やかな上昇なら、元々の霊力の高さを鑑みれば当然の流れなんだろうが、ここ一ヶ月くらいで一気に上がっているんだ。『抑え』があるって言うのに」


 都季がまだ幻妖世界に触れてから一ヶ月と少し。データを取り始めたのも、都季が局に登録をして数日後からのため、ほぼ最初から取れていると言っていい。

 基本的に霊力は後から増えることは滅多にないが、都季の場合は結奈が抑えていた分もある。今でも彼女の抑止力は水晶玉のペンダントに残っているくらいだ。

 だが、抑えているならば、上がり方は緩やかになる。

 グラフの上昇が著しくなっているのは、ちょうど一夜の一件が起こった頃から。

 紗智の想いを具現化した都季は、相当霊力を消費していた。その弾みで、抑制されている霊力も出ようとしているのか。


「月神の器はあるが、あれは抑止力にはならない。あくまでも月神がこの世界に留まるための媒介に過ぎないからな」

「むしろ、月神の霊力に触発されて元の霊力が出ようとしている、か」

「そうだ。このままじゃ破綻の可能性だってある。それを月神も危惧しているからこそ、都季の霊力を見ておいてくれって言ってきたんだ」


 一部の十二生肖もそれに気づいている。口に出したり、改善策を取らないのは、月神の器を保有した者に対してどうすればいいか対応がはっきりしないからだ。

 茜は月神の力を思い浮かべながらぽつりと呟く。


「月神の器を保有しての破綻か……。どうなるんだろうな」

「俺が聞きたいくらいだ。何せ、月神の器を保有できていること自体があり得ないんだから」


 才知は手近の椅子に座りながら、「ホント、巫女の血筋ってのは未知数だな」と好奇心を滲ませた。

 いくら力が本来の半分とは言え、神格の高い者の媒介だ。普通なら器を体に取り込んだ時点で自身の肉体が耐えきれない。都季が今まで普通に暮らせてきたのが不思議なほどだ。

 月神曰く、結奈によって都季の本来の霊力が抑えられた『穴』があるからこそ入れているとのことだが、そもそも人間の体にそこまでの『穴』が出来るはずもない。

 一体、どうやって受け入れているのか。本来の霊力はどれ程のものなのか。

 非常に興味深いものではあるが、下手に触れるのが恐ろしいため、才知や蒼姫は好奇心を抑えてまだ調査していない。


「せめて、月神の器が入る前の都季の状態が分かればなぁ……。今は時間が経って色んな耐性がついてきてるから、正確には出せないし」

「器が入る前は、霊力は完全に封じられていたわけだし、『穴』があるかなんて分かるものか?」

「んー。実際、どんな方法で封じてるかによるけど、分かる場合もある」


 茜は十二生肖として戦闘能力は非常に高い。保有する力も。しかし、霊力や術に関する知識量については才知達には劣るため、彼がどうやって調べるかの検討はつかない。これが龍司ならば話は別だったのだろうが。

 そこまでを言って背凭れに体を預けた才知は、「早い話、結奈ちゃんが生きてたらなぁ……。いや、生きてたら、そもそもこんなことにはなってないか」と一人でぼやいている。

 ミーティングルームに沈黙が流れ、二人はそれぞれの中でこれからの事を考えていた。

 月神の器を離す方法は才知達も探してはいる。だが、前例がないせいか手掛かりは一つも見つからない。

 ふと、茜はデータを見ていてある疑問を覚えた。


「待て。そもそも、この霊力の急上昇は、『月神の器が入った影響』と見ていいのか?」

「ああ。今のところ、それ以外に原因はなさそうだし、時期的に見ても有力なのはそれかって話してるとこ」


 都季に影響を及ぼしているものは今のところ月神くらいだ。周りに霊力の高い魁達はいるが、幻妖である月神と違い、人間である魁達の霊力が周りに及ぼす影響はたかが知れている。もし、魁達の存在も影響を及ぼすというのなら、クラスメイトや依人が多い

依月の客にも何かしら症状が現れているはずだ。

 となれば、都季自身に起こっている変化は何か。


(月神の影響で元の霊力が出てこようとしているのなら、確かにこのグラフにも説明がつく。けど、どうにも腑に落ちないんだよなぁ……)


 器を都季に宿した以上、月神は彼の変化に気づきやすいはず。現に、霊力の変化は気にしていたからこそ、才知に調べさせていたのだ。

 しかし、体調が優れない点については、茜が指摘して初めて知った様子だった。

 引っ掛かりはそこだろうな、と茜は軽く息を吐いてから思考を切り替える。


「こうなったら、下手に黙っておくのも悪化するだけだし、都季を呼んで話すか」

「あ、それはちょっと待ってくれ」

「何でだ?」

「言っただろ。今、都季は蒼姫達と一緒にいるって」

「ああ」


 東館で鍛錬をしているはずだ。ならば、呼び出すのは容易い。

 才知は椅子から立ち上がると、書類を持ってミーティングルームの出入り口に向かった。


「蒼姫にも言ったけどな、俺だってちゃんと仕事してるんだよ」

「は?」


 普段、サボることもあると言外に認めているようなものだが、才知は気にせずに茜を見たままドアに手を掛ける。


「ただの鍛錬をさせてるんじゃない。『これが本当に月神の影響か見定めるために』鍛錬をさせているんだ」


 先程、「今のところは」と言ったのは、まだ月神の影響だと断定していなかったからだ。

 断定してしまえば、もし、別の要因があったときに見落としてしまう。また、最有力候補ではある「月神の影響」が確たるものだという証拠を得るためにも、今回の鍛錬は重要なものだった。

 さすがは霊力の解析に秀でた調律師だ、と茜が内心で感心した矢先。


「相手が女の子だったら、もっとやる気出るんだけどなー」

「そういうところだぞ……」


 これではまた近日中に「セクハラだ!」と訴えが起きそうだと頭を抱えた。



   * * *



「…………」

「はっ!」

「ひいっ!?」

『あー!』


 鍛錬を初めておよそ三十分。

 都季は蒼夜から繰り出される一閃を避けつつ、札で術を発動する練習を行っていた。今のところ、まともに発動は出来ていないが。

 蒼夜は始まる直前に「様子を見てペースを上げていくから」と告げた通り、時間が経つに連れて木刀を振るう速度を速めたり、かと思えば間を空けて別の角度から攻めてきた。

 速さに慣れそうな具合で緩められるため、都季も感覚を掴みきれずにいる。

 また、いくら木刀とは言え、当たれば相応の痛みを伴う。開始早々に手首に軽く当たった痛みが脳に刻まれているえいか、恐怖心が先走って術に集中できない。


『いけー! そこだ! あっ! ああ!! あー……』

『シエラ、喧しいぞ』


 蒼姫の隣に座るアッシュの頭上で、シエラはまるでプロレス観戦でもしているかのような野次を飛ばす。耳元で叫ばれるアッシュにすれば堪ったものではない。

 主である蒼姫はというと、都季の観察に集中しているのかシエラを注意する素振りもなく、真剣な表情で時折タブレットへと視線を落として何かを打ち込んでいる。


『都季、霊力うまく出せてないね。おやつまだ?』

『蒼夜も手加減をしていないからな。あと、正確にはおやつではないぞ』

『……ごはん?』

『……今朝食べただろう』


 こてん、と小首を傾げて言い直したシエラだが、アッシュは『そうじゃない』とがっくりと項垂れた。

 アッシュやシエラは霊力を糧に成長する。それは他の幻妖が自らの力の糧にする意味とは異なり、例えるなら「子供」から「大人」へと成長するということだ。

 今でこそ狼と変わらぬ姿をしたアッシュも、元はシエラと同じような姿をしていた。だが、蒼姫と契約をする前は周りの自然界などから、契約をしてからは蒼姫から霊力を分けてもらってこの姿へと成長したのだ。

 今でこそ天真爛漫なシエラだが、自分のような姿になる頃には落ち着いてくれるのだろうか、とアッシュはまるで子を持つ親の気分だった。

 そこへ、新たな人がやって来た。


「蒼姫ー。鍛錬の様子はどうだ?」

「五十嵐師長。茜さん」

「お疲れ」


 道場に入ってきたのは才知と茜だ。

 蒼夜は一瞥しただけですぐに都季へと視線を戻した。

 鍛錬中であれ、蒼夜は相手から目を逸らすことは滅多にない。一瞬の余所見が命取りになるからだ。

 しかし、今、余所見をしたのは都季に対して油断している証であり、蒼夜は自身の失態に内心で舌打ちをした。


(油断していると足元掬われるのはこっちだって言うのに……)


 都季の霊力は強大だ。上手く扱い切れていないからこそ、本人が想像するより大きな力を使ってしまう可能性があり、その場合、蒼夜だけでなく下手をすれば都季自身も危ない。

 戦闘に慣れていない、力に慣れていない者ほど危ないのは身に染みて分かっているというのに。

 蒼夜は少し距離を置いてから小さく息を吐き、気持ちを切り替える。床を再度蹴った蒼夜の目は、戦闘時さながらの緊迫さを醸し出していた。

 そんな双子の弟の様子を、蒼姫は二人の邪魔にならないよう才知達に歩み寄って距離を離す。シエラとアッシュも蒼姫について行くために立ち上がった。


「調子はどうだ?」

「ええと……」

「ああ、大丈夫だ。アレなら見せたから」


 茜を気にした蒼姫に才知は軽くそう言った。何を見せたかはその言葉だけで十分だ。

 それならば、と蒼姫は持っていたタブレットを茜に差し出した。

 黒い背景に表示されたグラフは、ゆっくりとだが上昇と下降を繰り返している。全体的に見れば、やや上昇気味ではあるが。


「……相変わらず、どんなシステム使ってるかさっぱりだな」

「茜さんと言えども、これは秘密です」

「そもそも、普通のタブレットとは違うしな。けど、茜ちゃん、機械苦手だし余計に難しいだろ」

「腹立つけど事実だな」


 霊力で機械で視認するなど、どうやって認識して表示しているのか、茜には皆目見当もつかない。

 蒼姫からタブレットを受け取った茜は、データが誰の者であるかは聞かずに話を進める。


「蒼姫はアイツにどこまで言った?」

「調律を行う前に軽く話しているだけです。少し霊力が乱れがちだと」

「詳しくは聞かれなかったのか? なんで乱れてるとか」

「そこまでは……。原因が確定していない以上、下手に不安を煽るわけにもいきませんから、私からも深く説明はしていません」


 都季が訊いてこなかったのが幸いだ。最も、彼の中ではさほど大きな問題と捉えていない可能性が高いが。

 鍛錬前に蒼姫が調律をしたことで、急激だった霊力の上昇もやや抑えられている。鍛錬で多少なりとも使っているからでもあるが。

 才知は調律をしたなら、とアッシュとシエラへと目を落とした。


「アッシュとシエラは都季の霊力食ったんだろ? 何か感じなかったか?」

『お腹いっぱいになったよ!』

「おー……。それは良かったな」


 シエラから返ってきたのは、求めていた答えとはやや異なるものだった。機嫌を損ねさせるのも可哀想なので、才知は軽く返しておいた。

 小さく溜め息を吐いたアッシュが、代わりに本来の答えを出す。


『申し訳ない。特に、霊力には何も含まれていなかった』

「そうか。んー、じゃあ、器が原因で確定か?」


 都季自身の霊力に異常があるなら、シエラはともかく、アッシュが気づいている。

 特に異常を感じていないのであれば、やはり器が関わっているのか。

 断定しようとした才知に「待った」を掛けたのは蒼姫だ。


「いえ。元々霊力が高い方ではありますが、この上がり方は異常です。月神が影響しているにしても」

「他に原因が何かあるのか?」

「何かはまだ掴めていませんが……もし、器が原因なのであれば、正直、調律をしてもすぐに元に戻ると思うのです」


 器は今も都季にある。調律で一時的に落ち着いたとしても、鍛錬で霊力を使おうと都季が意識すれば、忽ち元に戻るだろうと見ていた。

 だが、今の上昇は緩やかで、蒼夜が術の発動を遮れば下降もしている。

 これは器以外に何か他に関与するものがあるはず、と三人が黙って思案し始めた矢先のことだった。

 閉ざされていた道場のドアが勢いよく開かれ、室内に音が反響する。

 三人と二匹の視線だけでなく、鍛錬をしていた蒼夜と都季、その肩にいた月神もドアの方を向いた。


「変な気配纏ってんの誰よ」

「くっ、首っ! 首、絞まっ……!」


 道場の出入り口に立つのは、腰近くまである見事な銀髪を持つ美しい女性と、彼女に襟首を掴まれている魁だった。




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