第4話 異変の種


「そうか。確か、帰って来たんだった」

「帰って来た……?」


 突如現れた女性を見た蒼夜は、ある事を思い出して口早に呟くと、構えを解いて女性へと体を向けた。

 疑問符を浮かべていたのは都季だけだ。茜や才知、蒼姫は驚いてはいるものの、彼女が誰であるかを知っている様子だった。

 そんな中、都季は堂々と聞くのも憚られる気がして、肩にいる月神にこっそりと訊ねる。


「ど、どちら様……?」

「おや。見覚えはないか?」

「見覚え? ……うーん。ない、ことも、ない……のかな……」


 腰近くまである長い銀髪。やや切れ長の赤い瞳が印象的な整った顔立ち。すらりと長い手足は日焼けを知らない程に白い。全体的に細身ではあるが、女性らしい膨らみは控えめながらもある。

 言われてみれば何処かで見た気はするが、果たしてそれが何処であったか。

 記憶を探る都季を余所に、彼女は都季を見据えると剣呑に目を細めた。


「えっ?」


 まだお互いがお互いを認識して数分と経っていない状況で、そんな顔をされるようなことをしたかと別の疑問が浮かぶ。

 彼女は険しい表情で魁から手を離し、真っ直ぐに都季へと歩み寄る。それによって支えを失った魁が床に背中を打ち付け、「いてっ!」と短い悲鳴を上げたが、彼女に心配する様子は微塵もない。代わりにシエラが駆け寄って心配しているのが救いか。

 戸惑う周囲さえ気にせず、彼女は無造作に都季の左腕を掴んで袖を捲った。


「ちょっ……!」


 抵抗も空しく露わにされた肌に、都季は一瞬だけ焦りを覚えた。着替えのときに感じた痛みとすぐに消えた傷跡を思い出したからだ。

 しかし、都季の焦りに反して腕には何もなく、女性越しに見えた蒼夜が驚いている顔が見えた。

 彼女は都季の腕を見た後、何故かさらに顔を歪める。睨みとも言えるその表情は、美人であるせいかさらに迫力があった。


「あんたね」

「麗さん! その方は――」

「こいつでしょ? 巫女の子供って」


 一足先に我に返った蒼姫が慌てて二人のもとへ駆け寄った。彼女に都季が何者であるかを説明するために。

 だが、「麗」と呼ばれた女性はあっさりと返し、「花音ちゃんに写真貰ったから知ってる」と付け足した。そして、都季の腕を離すと、どこか不遜な姿勢を崩さずに言葉を続ける。


「挨拶が遅れて悪かったわね。私は、十二生肖の巳を担う巳神みかみれいよ」


 悪かった、と言いながらも口調と態度は少しも悪びれた様子がない。

 むしろ、謝るのは挨拶が遅れたことなのか、と内心でぼやいた都季は、彼女の名前を聞いて記憶が蘇った。彼女を何処で見たかを。


「あ!」

「なに?」

「……あ。い、いえ。何処で見かけたか思い出して……」

(意気地がないのぅ……)


 すっと目を細めた麗に怯んだ都季に、月神は小さく溜め息を吐く。最も、気の強い彼女と平然とやり取りが出来るのは、局の中でもごく一部に限られるのだが。

 その一人である才知が、普段と変わりない調子で近づいてきた。


「ははっ! 『メディア』で見たときと生で印象違うからびっくりするだろ」

「どういう意味よ」

「メディア?」


 都季が麗を見たのは、一夜が起こした騒動の際に見た夢だ。実際には都季のいない過去の出来事であるため、夢を知らない才知達にとってはそれが麗を知る切っ掛けと思うはずもない。

 現に、才知は予想外の都季の反応にきょとんとして目を瞬かせている。


「あれ? 見たのそういう意味じゃなかった? 麗ちゃん、モデルやってるんだよ。表向きとしては」

「……あー、そう。そうですね。はい。言われてみれば、テレビでも見たことあります」


 何とも歯切れの悪い返事になってしまった。

 だが、テレビで麗を見たのは事実だ。思い出したのが後になっただけで。

 確かに、麗はいくつかのコマーシャルやバラエティ番組に出ていた。ただ、コマーシャルはともかく、バラエティ番組で他の出演者達と楽しげに話している姿は、目の前の彼女と一致しない。「悪女に見えて実は良い先輩だったという役が似合いそう」という凝った設定の話は見たが。


「あたしを何処で見たかなんて、今はどうだっていいわ。それより、こいつの霊力おかしいでしょ?」

「つっきー。この人、初対面でも遠慮しないタイプ?」

「左様。精神の弱い者は、会話五分で心を折られることがある」

「あれ? おかしいな。精神面はそんなに弱くないはずなんだけどな」


 歯に衣着せぬ物言いとはまさにこの事か。

 都季は気遣いの素振りもなくストレートに言う麗に、早くも苦手意識が芽生えそうだった。同じく気の強い茜ですら、初対面ではここまでキツくは言わない。

 すると、才知はほんの少しだけ真面目な口調で返した。


「今、そいつは霊力が不安定なんだ。だから、蒼姫が直に見ているんだよ」

「本当にそれだけかしら?」

「っ!」


 鋭い一言に、都季の心臓が跳ねた。周りの空気も幾分か冷えたように感じる。

 月神は都季の心の揺れを感じて一瞥するが、その原因は突き止められず、すぐに麗へと視線を移した。そして、彼女の……巳の能力を指して問いかける。


「麗。『何』を視た?」

「……いいえ。今は分からないわ。けど、もっとよく調べたいの」

「視たって、どういうこと?」


 都季は声を絞り出して訊ねた。気を抜けば震えてしまいそうで、両手をぐっと握りしめて。


「巳の能力は『透視』だ」

「透視?」

「ああ。ただ、視えるのは『霊力の宿った物』だ。障害物に隠れた幻妖や依人、呪詛などのな」

「そうそう。だから、俺の下着が何色とか、その下とかってそんな話じゃないから安心していいぞ」


 透視と聞いて思い浮かぶのは「障害物の向こうにある物が見える」などだが、麗が視えるのはまた別のものだ。

 突然、横から説明を付け加えて場の空気を完全に壊してみせた才知に、麗は侮蔑の視線を向けた。


「例え視えたとしても、あんたのだけは絶対に視ないわよ変態」

「え。それってどういう意味?」


 さすがの都季も才知の発言はアウトだと分かった。同時に、彼が「セクハラ」と言われ続けても治らない原因が。


「そのままの意味よ変態」

「傷ついたー! 才知さんは深く傷つきましたー! 癒して蒼姫ちゃん!」

「近づかないでください変態師長」

「酷くない? 俺、何かした?」

「えっ」


 途中で空気を壊したのはわざとではなかったのか、と助けを求められた蒼夜は対処に困った。

 そんな才知は放っておくことにした麗は、都季の肩にいる月神へと視線を移した。

 剣呑さは少しばかり和らいだものの、月神に緊張が走ったのが都季にも伝わった。


「視えないのが何もないからなのか、それとも原因があるからか、連れて行って調べる許可を頂戴」

「やや性急すぎぬか? 都季の力の乱れは、本人の力が出てきているのが原因やもしれぬのに?」

「あんた、それでもあたし達の主なの? 異変があるなら可能性は片っ端から潰すべきでしょう? 逆に気が緩んでいるわ」


 月神相手でも言葉遣いを変えないのは珍しい。最近では茜達も砕けているが、月神が顕現した当初はそれなりに畏まっていた。

 先程の月神の緊張はそのせいか、と都季は合点がいった。

 言い返す言葉が見つからない月神は、やや怯んだ様子で「すまぬ……」と小さく謝っている始末だ。

 そんな月神に助け船を出したのは蒼姫だった。


「あの、月神が悪いわけではないのです。私達も慎重になり過ぎていましたから……」

「慎重になる気持ちは分かるわ。だって、器を宿した人なんて今までにいなかったもの」

「はい。器がどれほどの影響を与えているのか、日々のデータを見て判断するしか私達には測りようがありません」


 蒼姫は持ったままのタブレットに視線を落とす。都季の霊力のデータは出来る限り取ってはいるが、変動が分かるのは当然ながらデータに出てからだ。

 後手に回っているのは重々承知しているが、蒼姫達には他に対処のしようがなかった。


「しかし、あれこれと原因を一気に潰そうとして更科さんに負担を掛けてしまえば、破綻の可能性が高まってしま――あ」

「破、綻……?」

「蒼姫」

「……申し訳ありません」


 自身の失言に気づいて言葉を止めるも時既に遅し。出た言葉が戻るはずもない。

 先程まで沈んでいた才知が咎めるように呼んだ声音は、いつになく堅いものだった。


「俺、破綻するかもしれないの?」

「……依人として登録はしておるが、お主の体の作りは一般人とさして変わらぬからの。相応に霊力への耐性があるおかげで、すぐに破綻とはなっていないだけだ」


 確かに、都季の両親は依人ではないため、体の作りはこの場にいる誰よりも一般人に近い。あくまでも特体者として、他よりも霊力を有していただけだ。

 月神は都季の感情の揺れがあまり良くない方へと向かいそうなのを感じ、本人に気づかれないよう小さく息を吐く。不要な力を抜き、緊張を生まないために。


「だが、今日明日などで破綻するわけでもない」


 余程の事が起きなければ、が後につくが、それは口には出さなかった。その一言が彼の心境にどう左右するか分からないからだ。

 二人の会話を聞いた麗は、都季には何の説明もしていないと再認識して深い溜め息を吐く。一体、どれほど慎重になっていたのかと、手際の悪さにもどかしささえ覚えた。結局は、対象が前例のない器の保有者だからという結論に至るのだが。


「慎重になりたい気持ちは分かった。けど、本当にこいつの霊力だけが原因なのか、それだけでも調べさせて。明日まででいいから」

「帰って来たばかりなのにか? 相当な数の仕事を渡した気もするが……」

「仕事を大量に渡した自覚があって何よりよ。それについては後でじっくり話させてもらうとして、帰って来たのは昨日だし、何かあってからじゃ遅いの」


 才知は麗に渡した仕事の数を思い返す。一人で行うには多すぎる数を。そして、麗の言葉に刺があると感じて、暫くの間は彼女に仕事を回さないでおこうと心に決めた。師長の座はともかく、命はまだ惜しい。事が収まってからが恐ろしいが、その時は全力で逃げるまでだ。すぐに捕まる未来も見えた気がしたが。

 すると、失言で気を落としていた蒼姫が挽回しようと名乗り出た。


「それなら、私も手伝います。シエラやアッシュがいれば、更科さんの力も多少は抑えられますから」

「ありがとう。気持ちだけ頂いておくわ」

「え……?」


 ここにきて、漸く麗の表情が和らいだ。蒼姫の申し出は麗としても嬉しいのは本心だった。原因を探すにしろ、人手は多いほうが早く済むからだ。

 しかし、受け入れられない理由は、調べるために向かう場所にある。


「『禁書庫きんしょこ』に、あなたやあのコ達を入れるわけにはいかないから」



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