六章 因果を絶つ者
第1話 帰還
電車に揺られながら、彼女は流れてゆく窓の外の景色から手元の携帯電話に目を落とす。
つばの広い帽子を被り、色の濃い大きなサングラスは彼女の小顔を強調している。帽子の下から流れる美しく長い銀髪が周りの目を引き、中には「もしかして、あの人って――」と彼女を噂する声も混じっていた。
銀髪だけを見れば年配の女性かと思わせるが、濃紺に白や黄色の小花が散りばめられたワンピースから覗く足や携帯電話を持つ手に老いはなく、むしろ滑らかな陶磁器のような肌をしている。さらに、顔にも皺どころか肌荒れさえ一切ない。
「久しぶりに帰って来たら『これ』なんだから……」
心の中に留めておこうと思った言葉は、溜め息と共につい口から零れてしまった。幸い、電車の音に紛れて誰にも届かなかったが。
彼女は携帯電話の画面のロックを外し、新しく届いていたメッセージを見る。
近況を知らせる文章の下に表示されていたのは、とある少年の写真だ。彼の周りには女性が見慣れた姿もある。
(コイツが、ねぇ……)
仕事中の写真なのだろう。少年は白いシャツに黒いエプロンをしており、遠慮がちな笑みを浮かべていた。紅茶を淹れているところなのか、片手にはティーポットを持っている。
本来であれば、彼女ももっと早い時期に彼と会う予定ではあった。だが、彼女には本来の仕事とは別の仕事があり、その関係で他県に出ることになったのだ。当初は一週間程で帰ってくる筈だったのだが、本来の仕事での関係者……部下にはセクハラ発言を問題視されているお調子者の部署の長から、「県外行くの? だったら、ついでにコレとコレと、あと追加で送るから解決してきてくれ」とまで言われた。結果、長期間に渡って町に戻れなくなってしまった。
(帰ったら、まずはアイツから即行でシメてやる)
つい、町を出る前のことを思い出し、薄れかけていた苛立ちが再びこみ上げてきたが、今はまだぐっと堪えておく。
また写真に目を向けてから、メッセージアプリを閉じた。返信内容を考えるついでに車窓の外へと視線を移す。
田園風景ばかりだった景色には徐々に建物が増えてきた。
「巫女の子供だか何だか知らないけど、頼りなさそうな子ねぇ」
脳裏に浮かんだのは少年の両親の姿だ。二人を知る身としては、少年の背負うものを知る身としては、あまりにも幼く頼りない印象しかない。
彼は今後、うまく成長してくれるのだろうか。自身の主は何を思って彼に宿ったのか。本当にただの不可抗力だったのか。
仲間から報告を聞いたときは何の間違いかと思ったものだ。
(アレならもっとうまく立ち回れたはずだけど、そんなに切羽詰まった状況だったのかしら?)
彼女は左手首に着けた、三つの丸い石が並ぶブレスレットにそっと触れた。中央の水晶玉の中には十二枚の花弁を持つ花が浮かび、一回り小さな白い石が左右を挟んでいる。空調によって冷やされた丸玉はひんやりとしていた。
このブレスレットはある者の証でもあり、彼女とその仲間を縛る枷でもあった。
(……まぁ、いいわ。今のあたしに、どうこう言える資格なんてないもの)
軽く息を吐き、彼女はそれ以上の推考を止めた。
車掌が次の停車駅を告げる。聞き慣れた町の名を冠した駅の名を。
《間もなく、恵月駅。恵月駅。降り口は――》
* * *
「お疲れ様でーす」
「あ、都季。ちょっと待て」
「え? は、はい」
バイトを終え、帰宅しようとした都季を茜は呼び止めた。
いつからか苗字から名前呼びへと変わって定着しており、茜のことになると細かい紫苑が理由を尋ねていたが、「更科より都季のほうが短いだろ」とのことだった。
都季は何かあっただろうかと小首を傾げ、歩み寄ってくる茜の言葉を待つ。
すると、彼女は都季の顔色を窺うと少し眉間に皺を寄せた。
「お前、大丈夫か? バイト中、顔色が悪かったぞ」
「えっ。そうなんですか?」
「確かに。言われてみれば、青白かったようにも思えるのぅ」
「いや、月神はもっと早くに気づいても良かったと思うけどな」
月神は誰よりも長く都季と一緒にいる上、都季に器を宿しているので異変には気づきやすいはず。その月神が指摘されるまで気づかないとなると、茜の心配のしすぎかもしれない。
まさかそんな顔色だったとは知らない都季は、仕事中を振り返りながら困ったように笑みを浮かべる。
「今日、ちょっとお客さんが多かったじゃないですか。だから、疲れただけだと思います」
「あー……まぁ、気持ち多かった気もするな」
「もしかして、新メニュー出したのが効いたかな? それに、今日は金曜日だし」
都季に言われて、茜も店内がいつもより賑やかだったと思い出す。
メニューの切り替えは週の始めに行ったが、数日経って口コミで広まったのかもしれない。花音が嬉しそうなのは、今回の新メニューは彼女が考えたからだ。
また、金曜日は比較的遅くまで客が残っていることもある。特に、今は日没が遅くなってきているため、時間感覚が狂いやすいのだ。
ソファーで携帯電話を操作していた煉は、画面から目を離さずに花音の言葉に同意した。
「そうそう。明日、休みだからって奴が閉店近くまで残ってたしな」
「あれは煉君狙いの子達でしょ?」
「だから、出待ち避けで時間潰してるんだって。ただ、これ以上遅くなると彼女達が危ないし、出来れば素直に帰ってほしいんだけど」
「人気者は大変だね」
煉は顔立ちが整っている上、気さくな性格が学校内外を問わず人気を呼んでいる。現に、バイト中も隙あらば煉に話しかけようとする者もいるくらいだ。
「好かれるのはいいんだけど、限度ってものがある」とやや疲れ気味の煉を見ていると、都季は自分より気遣われるべきなのでは? と思ってしまった。
ぼんやりと考えていたせいか、煉の視線が向けられていることに気づいて慌てて意識を引き戻した。
「都季。もう出るなら、あの子達がまだ外にいるか教えてくれると助かる」
「あはは……。分かりました。確認しておきますね」
「ありがとな」
「じゃあ、お先に失礼します」
「茜。都季のことは任せておけ」
「……ああ、分かった」
やや引っかかるものはあるが、月神が言うのであれば引き下がるしかない。
二人が出て行った後、花音はまだ物言いたげな茜を見て小さく息を吐いた。
「茜ちゃん。気持ちは分かるけど、ちょっと心配しすぎじゃないかな?」
「んー……」
「月神がああ言ってくれてるんだし、あいつももう高校生なら、自分の体調管理くらいできるようにならないと後々困るだろ」
「それはそうなんだけど、いや、アイツの場合は……」
茜の言わんとしていることが何かが掴めず、花音と煉は互いの顔を見合わせて首を傾げた。
普段、他人の心配をしても長く引きずらない彼女にしては珍しいことだ。
自席に戻っても考え込んでいた茜は、ふと、机上に置いたままの携帯電話に新しいメッセージが入っていると気づいて画面を開く。メッセージは才知からの今日の報告だが、読みながらあることを決めた。
「花音。明日、ちょっと局に行ってくる」
「え? 突然だね。何かあったの?」
「いや、才知に相談しておこうと思ってな」
「分かった。……あ、そうだ」
花音は茜の心配ぶりに思わず笑みを零しつつ、彼女が出した名前からあることを思い出し、携帯電話のメッセージアプリを開いた。
メッセージの相手は、長期間に渡って県外に出ていた仲間の一人だ。本来であればもっと早くに帰ってくる予定だったが、色々と仕事が増えてしまったために遅れてしまった。ちなみに、仕事が増えたのは主に才知のせいだ。
「確か、今日帰ってきてるから、明日、局で会うかもしれないよ」
「誰が?」
「『麗』ちゃん」
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