第18話 急く想い


 ――早く、更科君達に話したい。


 琴音は一刻も早く依月に着こうと町中を走っていた。

 土曜日の今日は、町の中心を通る大通りも賑やかだ。買い物を楽しむ人や仕事で移動をしている人、散歩をする人と平日よりも多くの人が行き交っている。

 全力疾走をするのは琴音くらいで、時折、すれ違う人から不思議そうな視線を向けられた。能力を制限するのも億劫で、行き交う人々の『声』が耳に入るが、今はそれさえも気にならなかった。

 見慣れた屋根が視界に入り、足が徐々にスピードを落とす。肩にしがみついていた桜花が一安心したのが伝わってきて、「ごめんね」と小声で謝る。乱れた髪を手櫛で整え、念のため服も変になっていないかと軽く叩いた。


(お店、ちゃんと直ってて良かった)


 一昨日の晩、依月の側で繰り広げられた戦闘。周辺の物は勿論、依月も窓ガラスが割られたり、一部の壁が壊されていた。だが、それも局が手配したことによって、昨日一日で修復されている。一般人の記憶からも消されたり、都合良く書き換えられているとも聞いた。

 昨日の依月の営業は、修復作業のために臨時休業となっていた。表向きの理由としては、「店舗正面で起こった交通事故の影響による、建物の一部損壊」としている。

 修復作業の際は花音の能力で空間を隔離し、時間経過の早さを変えて行ったため、一日で完了となっているのだ。


「イノ姐、怒ってたからな……」


 大事な店を壊された茜は、琴音が倒れたあと、幻妖や破綻者がすべて戦闘不能になるまで暴れていたと悠から聞いた。

 容易に想像できるその光景に笑みが零れる。

 「OPEN」と書かれた札のかかる扉に手をかけ、ゆっくりと開いた。カラン、とドアの内側についたベルの乾いた音が鳴り、少し冷やされた店内の空気が熱を持ったままの肌に触れる。

 何人かの店員の「いらっしゃいませ」という声が聞こえた後、ちょうどレジで会計を終わらせた都季と目が合った。


「いらっしゃ――あ。卯京さん!」

「こ、こんにちは」


 都季は新しい客が琴音だと分かると、嬉しそうに笑顔を浮かべた。昨日、一日休んでいた琴音のことを彼は心配していたのだろう。

 一方の琴音は、その表情に心臓が鷲掴みにされたような感覚がしたが、初めての感覚に小さく首を傾げる。

 先に琴音の様子を訊いたのは、都季の肩にいた月神だ。


「おお。もう身体は大丈夫かのぅ?」

「はい」

「桜花もご苦労だったな」


 琴音の肩にいる桜花を労えば、謙遜するかのように頭がふるふると左右に振られる。

 立ち話もあれだから、と都季は琴音をカウンター席に案内した。

 厨房に立っていた茜は琴音の姿に驚いていたが、周りには一般人も多いため、あまり深い話はできない。一先ず、「大丈夫そうで良かった」とだけ言っておいた。


「家の人、びっくりしなかった?」

「あ、そのことなんだけど……。私と両親で、なんだか誤解があったみたいで……」

「小春も祥吾も、卯の家系だからか言葉が足りぬからのぅ」

「そうなんだ? ……でも、そっか。考えてることが聞こえたら、逆に話すほうが混乱するか」


 黙っていて通じるのであれば、わざわざ声に出す必要はない。むしろ、心が読めているのに声としても聞いてしまえば、表現に差異があったときが厄介だ。

 しかし、月神は都季の推測を一部否定した。


「『声』としてはっきりと聞こえるようになるのは十二生肖になってからだが、それまでは色や形などである程度は視えるのだ」


 茜は事情を知っているが、今は口にはできない。だが、月神ならば声に出しても一般人には聞こえないため、説明は彼に任せたほうが都合がいい。

 琴音は周りを気にしつつも、それでも、昨日あったことを聞いて欲しいという思いから続きを話した。


「さっきね、お父さんとお母さんと、ちゃんと話をして、それで、本当に喜んでくれたの。もちろん、兄さんも」


 読まなくても分かった温かい気持ち。今もまだ余韻の残るそれを抱くように胸元に手を当てる。


「更科君のおかげで、私は桜花と会えた。更科君のおかげで、私はちゃんと戦えた。最後は倒れちゃったけど、でも、更科君は守れた」


 いつも、励ましてくれたり気遣ってくれたのは都季だった。魁や悠も気遣ってはくれるが、やはり、同じ十二生肖という立場でどこまでが心配する範囲かある程度分かっているせいか、度合いはまったく違う。

 そんな琴音の言葉を聞きながら、都季も一安心する。だが、気を抜くと同時に走った左腕に一瞬だけ眉を顰めた。

 はっとして琴音を見るも、彼女はテーブルに乗った桜花を見ており、都季の様子には気づいていない。茜からは訝るような視線を向けられたが、反射的に首を左右に振って何でもないことを示す。

 仕事に戻った茜を見て内心で胸を撫で下ろしてから、都季は先ほどの彼女の言葉に対しての返事をしようと笑顔を浮かべた。


「こちらこそ、卯京さんにはいつも力を貰ってるからね。ありがとう」

「……ううん」


 その笑顔に、琴音は再び、先ほどと同じ心臓が掴まれたような感覚がした。

 原因の分からないそれに首を傾げていると、茜が都季に「琴音と談笑中で悪いが、ちょっと話したいこともあるし、お前は休憩行ってこい」と言った。

 少し残念な気持ちもしたが、茜はどこか気を張っている様子があり、都季も仕事中なので引き止めるわけにもいかない。


「ごめんね、卯京さん。せっかく来てくれたのに……」

「ううん。大丈夫。まだいるから」


 せっかく依月に来ているのだ。注文くらいはするつもりでいた。休憩が終わるまではいるはずだ。

 そこで、都季はあることを閃いた。


「そうだ。休憩が終わったら、俺が淹れた紅茶の試飲してみてくれるかな?」

「う、うん!」


 最近は都季も淹れることのある紅茶だが、茶葉が変わると淹れ方も変わることがある。そのため、数をこなすことが大事だと茜からは常々言われているのだ。

 すると、茜からは聞き捨てならない言葉がかけられた。


「おい。毒味に琴音を使うな」

「茶葉はここのですからね。自分で営業妨害してどうすんですか」


 確かに、淹れ方によって風味が変わってはくるが、当然ながら毒と言うほどではない。

 都季は、下手に聞かれれば誤解を招きかねないという意味を込めて指摘をした。

 すると、茜は面倒になったのか、溜め息を吐くと指を鳴らしながら都季へと歩み寄った。


「いーから、行ってこい。休憩回せ」

「うわああ! わ、分かりました! それじゃあ、卯京さん。また後で」


 身の危険を感じた都季は、咄嗟に両手を突き出して茜の接近を食い止める。ただし、彼女が本気を出せば、突き出した手が危ないのだが。

 月神は琴音達の元に残るためか、それとも危険を感じたのか、都季の方からカウンターへと移動していた。


「うん。いってらっしゃい」

「あ、つっきーは桜花いじめるなよ?」

「誰がいじめるか!」


 かつて、些細なことでシエラと争っていた月神に釘を刺しておく。最も、前科のある月神でも今回はさすがにしないようだ。あくまでも本人からの視点であるため、あまり信用はできないが。

 かと言って、休憩に月神を連れて行く気にはなれず、都季はそのままフロアを離れた。

 事務室にはパソコンの操作をする花音がいる。帳簿と画面を交互に見ていた彼女に「お疲れさまです」とだけ声をかけ、更衣室に入った。花音も自分の仕事で手一杯だったため、「お疲れさまー」と上の空で返してきただけだ。

 今はそれがありがたかった。


「……はぁ。卯京さんに悪いことしちゃったな」


 更衣室の扉を閉め、そのままずるずるとしゃがみこむ。外開きの扉のため、誰かが入ってくれば後ろに倒れるが、今の時間から出勤してくる人はいない。

 痛んだ左腕を見ようと袖を捲る。

 以前にも似たような痛みが出たことはあったが、そのときは右腕だった。夢で管狐に会い、それにつけられた傷が浮かんできたときだ。

 しかし、今回は左腕。何度か戦闘の中で怪我はしているが、局で治療を受ければ一瞬で治っていた。一昨日の傷も同様に。


「なのに――」


 一瞬だけ浮かんで消えた大きめの傷跡。

 この傷跡には見覚えがある。


「なんで、今になって『これ』が出るんだよ……」


 幻妖世界を知って、初めて出会った破綻者……佐藤につけられた傷が、最近になって再び浮かび上がってくるのだ。今のような小さな痛みが出る度に。

 大したことはない、気のせいだと言い聞かせていたが、局で手当てを受けている際にこっそりと蒼姫に言われたことが原因だろうか。


 ――ペンダントの効力が弱まっているのか、霊力が乱れがちです。お時間のある時で構いませんので、一度、力を整えておきましょう。


 気のせいだと思っていたため、治った傷が浮かぶことがあるとは言わなかった。だが、もし、彼女が言っていた自身の霊力の乱れが関わっているのなら、調律によって収まる可能性はある。


「うーん……。一度、相談してみるのもありだろうけど、変に心配させるのも気が引けるしなぁ……」


 どうしたものか、と都季はまた溜め息を吐いた。






五章 終

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