第17話 和解


「――……ここ、は……?」

「あ、琴音。起きたか」


 目が覚めると、見覚えのある天井が視界に入った。

 ぼんやりとした意識の中、ここが局の治療室であると認識したのと魁の声がしたのは同時だった。

 意識を失ってから、琴音の傍にいてくれたのだろう。また、魁の隣には椅子に座っている悠もいた。


「良かったー……。倒れたときはどうなることかと思った」

「更科君……?」


 魁達の向こうからやって来たのは、額に絆創膏を貼られた都季だ。魁が怪我をしているのは戦闘に積極的に参加していたからだが、前線に立っていないはずの都季はいつの間に怪我をしたのか。

 疑問が顔に出ていたのか、答えてくれたのは呆れた様子の悠だった。


「都季先輩のソレは、琴音先輩が倒れたときに支えようと動いた結果、残っていた残党が作り出した木の根に躓いて、さらに、普通は顔には当たらないような高さで飛んできた小石がクリーンヒットしただけですからお気になさらず」

「全部言うなよ……!」


 余程恥ずかしかったのか、丁寧に説明をされた都季は両手で顔を覆って蹲ってしまった。

 琴音はその現場を見たかった気もしつつ、気を遣ってくれた都季に「ありがとう」と礼を言うだけにしておいた。恐らく、何も反応せずに流してしまうのが彼にとっては救いだろう。

 上体を起こそうと肘をつけば、魁が「まだ寝とけ」と少し慌てたように言ったが、いつまでも寝ているわけにはいかない。

 だが、上体を少し起こしたとき、胸元の辺りから転がり落ちる白い塊があった。


「……?」

「ああ、そいつな。普通、主が意識なくしたら解現するはずなんだけど、なんでかずっと出たままでさ」

「相当、霊力を蓄えてたんでしょうね。……兎って、リスとかハムスターみたいに頬袋ありましたっけ?」

「えっ。あれと同じ原理で貯め込めるもんなの?」


 白い塊の正体は桜花だ。琴音の上で寝ていたらしい桜花は、今は転がり落ちてベッドの端にちょこんと座っている。

 悠と都季の会話はともかく、桜花は琴音の霊力を蓄えていたことで今まで姿を維持していたのは間違いない。今もまだ、琴音が霊力を供給している感覚はないからだ。


「桜花を見た蒼姫さんが嬉々として『ぜひ、調べたいです』と仰っていたので、起きたと知ったら飛んできそうですね」

「で、できる限り頑張る……」


 幻妖などの調査に関しては、彼女は途端に好奇心旺盛になる。無理なことは言わないのだが、待たされている間はずっとそわそわしていると才知が言っていた。

 起きてすぐに彼女のペースに付き合えるだろうか、と少し不安になっていると、悠は桜花の頭を指で軽く撫でながら言う。


「まぁ、僕と才知さんから上手いこと言っておきますから、今日はこのままここで休んでください」

「で、でも……」

「おじさんとおばさんには俺から言っておくから」

「それに、俺達も今日はここに泊まろうって話になってて。つっきーも、それなら話し込めるなとか言って、今は朝陽達の所に行ってるんだ」


 ルーインは退けたものの、まだ残党を全て片づけたとは言い難い状況だった。

 茜と花音は、一部破壊された依月の修繕に急ぐとのことで、都季のことまで手が回せないと言い、さらに千早も重傷、煉と紫苑は残党を追って他の警邏と動いているところだ。また、龍司は局で情報を統括し、新しい指揮を出している。

 魁と悠も戦闘の疲れが残るため、都季を最善で守れるとは言えなかった結果、今日は局に滞在するとなったのだ。

 自分が倒れている間のことを聞いた琴音は、どうりで月神がいないわけだ、と都季の肩を見て合点がいった。


「あ。けど、どうします?」

「何が?」


 何かに気づいた悠だが、都季は彼が示すものが分からずに首を傾げる。

 すると、悠は携帯電話を取り出し、ディスプレイを点灯させて画面を都季に見せた。真っ黒な中に惑星が浮かぶロック画面には、デジタル時計と日付が表示されている。勿論、曜日も。


「明日のこと。もうギリギリですけど、今日って木曜日なので、明日は学校がありますよ?」

「……あ」


 荷物は当然ながら自宅だ。かといって、今はもう日付を跨ごうかという時間帯。外に出れば、下手をすると補導されてしまう。

 誰かに送ってもらおうかとも考えたが、局にいろと言われた以上、許可が出るとも思えない。

 だが、固まる都季とは違い、魁はさらりと言ってのけた。


「俺は教科書とかは全部置いてるから問題ないぜ」

「いや、持って帰ろうよ」

「え?」


 彼は予習や復習というものを知らないのだろうか。都季も毎回するわけではないが、教科書などは持って帰るタイプのため、思わず溜め息が出た。


「うーん……。明日、早起きして、すぐ帰ったら間に合うかな……」

「あ。さすがに、制服は俺も家だな」


 時間を計算し始めた都季を見て、魁も学生にとっては重要な物を思い出した。さすがに、私服で登校はできない。

 今さら基本的なところに気づいた魁の神経を逆撫でしたのは悠だ。


「あははっ。僕、制服の話込みで言ったんですけどね?」

「悠、俺のこと馬鹿にしてないか?」

「はい」

「せめて否定しろ!」

「……ふっ」

「「「えっ?」」」


 突然、琴音が口元を押さえて俯いた。先ほどまではぽかんとして三人のやり取りを見ていた琴音だが、何か気に障ることでもあったのか。

 三人が驚いて彼女を見れば、小さく肩が揺れていた。


「ふふっ。……あ。ご、ごめん」


 気に障ったのではなく、単に可笑しくなったようだ。


「い、いつもの様子に戻ってたから……なんか、その……少し、安心して……」


 慌てて弁解する琴音は、申し訳なくなってきたのか、視線が徐々に下がっていく。

 ルーインに脅迫され、特務にも連行された彼女にとって、ようやく安堵できる日常が戻ってきたのだ。それも、引っかかっていた神使が顕現できた上で。


「全然、怒ってないから大丈夫。むしろ、こういうときは笑ってていいんだし」

「そうですよ。魁先輩ですから」

「おい待て。それはちょっと語弊があるぞ」

「語弊って言葉知ってたんですね」


 またか、と都季は片手を額に当てて溜め息を吐いた。

 悠も逆撫でせずに流せばいいものを、魁が怒ると知りながら、都度取り上げて茶化すのだ。


「よーし、悠。お前の御黒と茶胡も蒼姫さんは調べたいって言ってたし、表出るか」

「えええ……。待ってくださいよ。よい子は寝る時間ですよ」

「大人の階段上るつもりで頑張れ」

「きゃー。魁先輩のへんた、うぐっ」


 力ずくで黙らせるのが魁のやり方だ。

 悠は襟首を掴まれて声を詰まらせていたが、これも自業自得だと、都季達も助け船は出さなかった。

 半ば引きずられる形で出て行った悠と魁を見て、都季は琴音に向き直ると困ったように笑みを浮かべる。


「じゃ、じゃあ、俺も明日のこと相談してくるから、ゆっくり休んでてね? 何かあったら呼んで。近くにいるから」

「あ、ありがとう」


 魁を宥めようと思っているのが、心を読まずとも雰囲気で伝わってきた。

 夜が遅いこともあって、琴音は引き留めずに彼を見送った。

 一人になったことで、ずっと構えていなかった桜花へと視線を移す。

 桜花は体こそ出入り口の方を向いてはいたが、琴音の視線を感じたからかじっと琴音を見上げていた。


「そういえば、解現って、どうすればいいんだろう……?」

「?」


 命じればいいのだろうが、宝月に戻るように念じても桜花が消えることはない。

 それから暫く、思いつく限りのやり方を試したものの、桜花は退屈になったのか琴音の膝に乗っただけで戻る気配はなかった。


「あ、明日……誰かに、聞こうかな……」


 時間が遅いこと、疲労感もあって集中力はすぐに途切れてしまう。

 琴音は小さく息を吐くと、そのまま寝てしまおうとまたベッドに横になった。

 枕元に移動して丸まった桜花を見て小さく笑みを零し、「おやすみ」と言ってから目を閉じた。



   * * *



 翌朝、蒼姫に身体の調子を見てもらい、問題ないとの結果を貰った琴音だが、念のため今日は学校を休むように言われてしまった。

 都季達は陽が昇る頃に局を出たとのことで、「『無理はするな』と伝言を預かっていますよ」と蒼姫が微笑ましそうに言っていた。

 そんな彼女に桜花の解現の仕方を訪ねてみたが、さすがに神使のことは彼女にも分からないとのことだ。茜か龍司、花音辺りに聞いた方が分かりやすいだろうと。

 身体を気遣い、「送ろうか?」と言ってくれた才知には丁寧に断りを入れ、琴音は桜花を抱えて局を後にした。

 局から自宅まではそう遠くはない。元々、十二生肖の家は局の近辺に固まっているため、魁や悠も実家暮らしだったならば、日の出という時間に出る必要はなかっただろう。


「た、ただいま……」


 しん、と静まり返ったいつもの玄関。

 声をかけても返ってくる言葉はなく、桜花だけが不思議そうに首を傾げた。


「いつも、こんな感じだから、大丈夫」


 腕の中で鼻をひくつかせていた桜花の頭を撫でてやれば、気持ち良さそうに目が細められた。

 いつもなら一人だけの空間に、今は神使が一緒にいる。それだけで寂しさは幾分か和らいだ。

 そんな桜花を紹介するためにも、兄のもとへと進む足もいつもより少し速くなる。


「兄さん。入っていい?」

「どうぞ」


 どんなときも優しい声音の兄の声が中から返ってくる。

 桜花を見せたら、喜んでくれるだろうか。ようやく扱えるようになったことを、褒めてもらえるだろうか。

 緊張から心臓の鼓動が速くなり、桜花を抱く腕にも力が入った。

 ひとつ深呼吸をしてから、障子をゆっくりと開いた。


「あ、あのね、私――え?」


 障子を開いてすぐ、感情が抑えきれずに桜花を紹介しようと口が開いた。

 だが、その言葉は最後まで紡ぐことができず、目の前の人物を見て別の緊張が走った。


「お父、さん……お母さん……」

「琴音……?」


 せめて、兄に話してから会いたかった両親の姿に、琴音は思わず数歩下がった。

 両親の向こうには、事情を知るはずの兄が上体を起こして琴音を見ていた。その眼差しが困ったように笑んだ。


「ごめ、なさ……私、あとで――」

「琴音。待ちなさい」

「っ!」


 踵を返そうとした琴音を止めたのは、両親ではなくその向こうにいた兄、朔だった。

 何故、止めるのかと非難の目を向けるも、彼はやはり困ったように笑むだけだ。

 すると、口を閉ざしていた母が琴音の抱いた桜花に気づいて首を傾げた。


「琴音、そのコは……?」

「……お、桜花。私の……神使、です」

「神使……。そう、やっと……」


 ゆったりとした話し方の母は、待ちに待った神使の姿に嬉しそうに目を細めた。琴音の話し方は彼女譲りだ。悠からは「会話にすっごい時間かかりそう」と言われたこともあるが、事実なので否定する気もしなかった。

 ようやく、十二生肖らしい姿を見ることができた、と安心したのだろうか、と琴音は複雑な気持ちのまま無言で頷いた。

 だが、母が続けた言葉は予想とは違っていた。


「あなたなら、できるって信じてた」

「え……?」

「皆は、なんだか酷いことを言っていたけれど……でも、私達は、あなたならきっと、って思ってた」

「…………」


 今まで、両親は朔こそが十二生肖に相応しいと思っていたのではなかったのか。あれほど、自分に対して落胆していたではないか、と様々な思いが交錯する。


「でも、二人とも、兄さんが、本当は良かったんじゃ……」

「……ああ、最初の頃の心を読んだのか」

「っ!」


 一瞬、何のことか分からなかった様子の父が、少しの間を置いてから納得したように頷いた。

 やはり、最初の頃は朔のほうが良かったのか、と肩を跳ねさせた琴音を見て、朔が叱るように父を見て眉を顰める。


「ほら、また」

「あ」


 琴音と桜花以外は話をしていたこともあってか、既に何か通じるものがあるようだ。

 しかし、それが何か、今の琴音には心を読む勇気はなかった。


「最初の頃は、確かに、朔のほうが選ばれると思っていたわ」

「……ごめんなさい」

「謝らなくて大丈夫。月神と同じく、私達も、あなたの『本当の姿』が見えていなかったのだから」

「……?」


 どういう意味か分からずに首を傾げれば、母はゆっくりと立ち上がり、琴音に歩み寄った。

 琴音と同じ赤い瞳が桜花を映す。


「初めまして、でいいのかしら……? 琴音の母の、卯京うきょう小春こはるです。琴音は、根は優しい子なのだけれど、どうも、自分に自信がなくって……。今まで、お待たせしてすみません」


 母、小春は先代の卯のときにも桜花と会っている。だが、代が新しくなれば神使は生まれ変わる。記憶を引き継ぐとしても、小春は挨拶をしておこうと思ったのだ。

 そんな小春の隣に、朔のもとにいた父が立った。


「父の卯京うきょう祥吾しょうごです。……娘を、よろしくお願いします」

「やだ。それじゃあ、琴音がお嫁に行くみたいよ?」

「いや、そういうわけでは……」


 恭しく兎に向かって頭を下げる様は、神使と分かっている小春からしてもどこか可笑しく思えた。

 くすくすと笑う小春に、祥吾は咳払いをひとつしてから琴音に向き直った。


「朔に叱られていた。私達は、言葉数が少ないから、お前に誤解を与えていたと」

「誤解……? 誤解じゃ、ないです……。本当に、私は……いたっ」


 また弱音を吐こうとした琴音の頬を、肩に駆け上がった桜花が軽く耳で叩いた。

 地味に痛いそれを手で押さえて困惑すれば、意味を理解した小春が小さく笑みを零して言う。


「あなたには、力がある。朔に隠れていて、誰も気づかなかった」


 だからこそ、周りはどうして琴音が選ばれたのかと不思議に思っていた。

 しかし、最初に気づいた朔に言われて琴音を見ている内に、両親も琴音の力に気づいたのだ。

 周りの声のせいもあり、自信の持てない琴音をどう励ませばいいのか、どう声をかければプレッシャーを感じないかと考えながら琴音に掛けていた言葉は、どんどん誤解を与えていた。


「力があるから、桜花は出てきたの。それを、否定してはいけないわ」

「ご、ごめんなさい……」

「いいえ。私達のほうこそ、あなたに余計な誤解を与えてしまっていた……。だから、あなたが昨日、神使を出して、倒れたって聞いたときも、とても心配していたの。もしかして、私達の与えた誤解のせいで、何かあったんじゃないかって」


 神使を出せたとしても、うまく扱えずに命を落とす例も過去にはある。琴音もその手前まではいったが、茜が止めてくれたおかげで助かったのだ。

 局からある程度の状況は聞いたものの、やはり、実際に目にするまで心は落ち着かない。かといって、局まで行って琴音に会うのも、最悪の事態になっていれば正気を保てる自信がなく、恐怖から足が竦んで家から出られなかった。


「でも、少し前に調律師の方から、『大丈夫です』という連絡を貰って、そして、こうしてあなたの無事な姿を見ることができて、本当に安心した」

「お母さん……」

「ありがとう。帰ってきてくれて」


 ぎゅう、と小春に抱きしめられる。久しぶりの感覚に、胸の奥が熱くなった。

 だが、どう返していいのか分からず、視線は泳いでしまう。


「琴音」

「……兄さん」


 今まで黙っていた朔が漸く口を開いた。

 見れば、困った様子はなく、優しい笑みを浮かべている朔の姿があった。


「おめでとう。琴音なら、大丈夫だと信じていたよ」

「…………」


 読まなくても、心の底から喜んでくれていると分かった。

 目頭が熱くなる。視界が滲んだ。

 すると、頭に何かが置かれた。


「琴音は、よく頑張っている。けど、無茶はするな」

「っ、はい……!」


 頭に置かれたのが父の手だと気づいた。優しく撫でられ、返事が詰まった。

 こんなにも家族が愛おしいと感じたのはいつぶりだろうか。

 視界を滲ませていた涙が、頬を流れた。

 肩にいた桜花が、宥めるように琴音の頬にすり寄った。




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