第14話 攻め入る者
話を終えた朔は、「琴音をよろしくお願いします」と言い残して店を出た。迎えに来た家事手伝いの女性と一緒に。
都季は月神が帰ってくるまでは依月にいようと、店の片付けを手伝っていた時だった。
「っ!?」
突然、全身に襲いかかった不穏な圧力に身震いした。手にしていたカップが滑り落ち、大きな音を立てて割れる。
「大丈夫か? 都季」
「なにか、いる」
怪我がないか心配する魁は気づいていないようだ。
そんな彼にも感じたものを知らせるために、都季は外を見ながら呟いた。
一足先に気づいたのは、正面にいた茜と事務所から出てきた花音だ。少し遅れて悠や煉も気づき、警戒を一気に強めた。
「花音、『外の奴』を隔離しろ!」
「了解!」
慌ただしくフロアに出た花音が能力を使い、外にいた複数の気配を包み込む。
漸く気づいた魁も、応戦するべくカウンター席から立った。
「ここじゃ戦えねぇけど、どうすんだ?」
「あたしの店を壊させやしないさ。――千早、来れるか?」
支証を通して千早に連絡を取れば、返事は彼の出現によって返された。
僅かな炎の渦を発生させて姿を現した千早は、状況を聞くよりも先に、花音が隔離したものを別の場所に移すべく動く。
「局でいいですか?」
「おう。一網打尽にしてやろう」
「分かりました。では――え?」
「っ、千早!」
能力を発動させようとした千早の体に、窓を突き破って侵入してきた黒い塊が激突した。
愕然とした茜だったがすぐに切り替え、崩れ落ちる千早を床に倒れ込む直前で支える。
千早にぶつかった物は背後のカウンター席にいた都季を狙うも、それより早く動いた魁が炎の壁を出現させて防いだ。
「なんだぁ? これ」
「物質自体は、幻妖や依人が生み出したものではないようですよ」
ごろ、と魁の足元に転がった拳大の黒い塊は、炎のせいで炭になったわけではない。アスファルトを固めて丸めたような物体に、不気味なものを感じる。
外の敵の正体は未だ掴めていない。この塊を放った主は花音の結界を破壊したのか、それとも結界で覆いきる直前に放ったのか、はたまた結界で覆っていない所からなのか。様々な可能性が浮かび上がる。
一方、都季はそんなことなど考える余裕もなく、茜が抱える千早に駆け寄った。
「千早さん!」
「だ、いじょ、ぶ……。掠めた、だけ、だ」
「喋るな」
貫通したように見えたが、どうやら直撃は避けていたようだ。しかし、避ける際に腹部の中心辺りから脇腹にかけて表面を掠めた塊は、千早に大きな傷を残している。
煉は外を警戒したまま、庇うように都季達の前に立って訊ねた。
「璃空呼ぶか?」
「あいつ、今どこにいんだよ。場所が絞れなきゃ、千早が遠隔地から呼び寄せるのは難しいだろ」
「確かに」
茜はハンカチを千早の傷に当てながら顔を顰め、煉も一つ上の先輩でもある璃空の問題点に溜め息を吐いた。
十二生肖の未、羊鳴璃空は「治癒」の能力を持つ。前線で戦う十二生肖の中でも非常に重宝される存在ではあるが、本人の仕事や性格上、居場所を掴みづらいのだ。
千早も深手を負っていなければ彼の支証から位置を把握できるが、今そこまでの集中力はない。
「魁、治療班を呼べ。ついでに、警邏にも召集かけろ。全部隊だ」
「分かった」
このまま、相手が攻め入ってくるのをただ待っているわけにはいかない。
茜が黒い塊を片手にしていた魁に指示を出せば、彼はひとつ頷いてから塊をいとも容易く握り潰した。
「うわ。魁先輩、まさかの馬鹿力」
「うるせぇ」
簡単に潰れてしまったことには魁自身も驚き、目を瞬かせて手のひらからこぼれ落ちる欠片を見る。しかし、理由を探るよりも先に今は指示をこなすことが先だ。
悠は支証で通信を取ろうとする魁を見て言う。
「えっと、今は虎兄が局にいるんでしたっけ?」
「そうそう。え、あ、おい!」
支証が紫苑と繋がった感覚がした直後、悠が自身の方に魁の腕を引っ張った。
非難の視線を気にもせず、悠はやけにのんきな声音で言う。
「虎兄、聞こえますー? イノ姐がピンチなんで、今すぐ、警邏の全隊引き連れて来てください」
「誰がピンチだコラ」
「あ、あと治療班も」
「千早先輩の治療はついでか」
悠の発言に茜と魁が相次いでツッコミを入れる。
そのまま、悠は満足したように通信を切った。
「これなら速攻で来ますよ、あの人」
「はぁ? いくらなんでも、局からここまで車で十分は――」
「茜ぇぇぇぇぇぇ!!」
「はえーよ!」
茜の言葉を遮ったのは、店内の片隅に出現した光の陣とそこから飛び出した紫苑だった。
叫びながら茜のもとへ飛びつかんばかりに駆け寄った紫苑だったが、彼女はその額を片手で掴んで押し止めた。
紫苑は茜の手を掴んで引き剥がすと、時間がかからずに辿り着いたわけを話す。
「近くに蒼姫がいたから飛ばしてもらった!」
「は? 治療班と警邏はどうした」
「…………」
「馬鹿虎!」
「いたたたたたたた!!」
どうしようもない紫苑に、茜は強烈なアイアンクローをお見舞いしてやった。
局には調律部の側に転送用の部屋がある。神降りの木がある部屋にいた紫苑は、通信を聞くなりすぐに動いたようだ。
だが、彼にとっては「茜のピンチ」が最優先事項として脳に刻まれたため、肝心の他二つの指示はすっぽりと抜け落ちていた。
怒り心頭の茜を宥めに入ったのは、紫苑が高速で駆けつける切っ掛けとなった悠だ。
「まあまあ、蒼姫さんの機転に賭けましょうよ。今は夫婦漫才の時間じゃないですから」
「テメェも食らわすぞ」
「だから、後で……いや、後でも嫌ですけど、ってわぁ!?」
前触れもなく爆音が外で響いた。爆風で店の窓はすべて割れ、外では通行人の悲鳴が飛び交う。
襲撃者と店の周辺は花音が隔離していた。一般人を巻き込まないための対処だというのに、一般人の悲鳴が聞こえるのは何故か。答えは簡単だ。
全員が花音を見やれば、彼女は爆音と同時に自身の能力が切れたことに愕然としていた。
「そんな……! っ、すぐに張り直すから!」
「いや、よく耐えてくれた。先に千早を頼む」
「……ごめん」
「気にするな。応援呼んだら、もう一度隔離を頼む。破られてても、やらないよりはマシだ」
動けない千早を花音に渡すと、彼女は申し訳なさそうに俯いた。
茜はその頭を軽く叩くように撫でた後、店を出て爆発の主を睨んだ。
「貴様、よくもあたしの店を壊してくれたな」
「あれ? 千早さんは……」
茜に続いて店を出た都季は、彼女の怒りの主となる原因が別にあると知って目を瞬かせた。千早のケガは酷いものだが、十二生肖からすればさほど心配するまでもないのだろうか。
そんなことを考える都季の耳朶を叩いたのは、嘲笑う男の声だった。
「クハッ! お前ら、そんな余裕な構えでいーわけェ? この前みたく――あ?」
「うぐっ!?」
真横から男の声がしたかと思えば、煉によって遠ざけるように腕を引かれた。
声の主――ルーインは、以前とは違う展開に虚を突かれたものの、すぐに楽しそうに笑んだ。
「へぇ? ちょっとは成長したか」
「そう何度も触らせてたまるかっての」
「ふーん? でも、ピンチには変わりねぇだろ」
「…………」
都季を自身の背後に隠しながら、煉は周りを見渡す。
花音が隔離していたのは、目の前のルーインを含んだ複数の幻妖。そして、破綻者だ。
隔離のための壁が壊された今、それらは店の前に広がり、飛びかかるタイミングを窺っている。
「さすが破綻者の集まりってとこか。よくもこんなに集ったもんだ」
「そりゃあどうも。敵わないって思ったら素直にそいつを寄越しなァ」
「やだね。――宝月、制限解除。形態、神使」
煉の宝月が橙色の光を放つ。収束した光は一つの玉となり、それが弾けて現れたのは一匹の白いリスザルだ。
身のこなしも軽く煉の肩に飛び乗ったリスザルは、背後にいた都季に小さく頭を下げて挨拶をする。
「ど、どうも」
「ハッ。子ザルが」
「
リスザル、七夏は煉に応えるように肩を蹴って宙に舞った。
ルーインの頭上で小さな口を開いたかと思えば、そこから生み出されたのは小さな体には見合わない、火炎放射器から放たれたかのような炎の渦だ。
「っと!?」
「戦う前から負けるとか誰が思うかよ」
「……なら、実力の差ってのを見せてやろうじゃねぇかァ!」
ルーインの怒号を合図に、幻妖や破綻者が一斉に飛びかかってきた。
茜や魁、悠、紫苑も神器を出すと、飛びかかってきたそれらを迎え撃つ。その間に花音の結界が再形成され、一般人の喧騒が遠退いた。
都季はどうするべきかと辺りを見回す。下手に戦闘に混じったところで邪魔になるだけだ。月神や魁達と特訓はしたが、実戦で使うには仲間を巻き込む危険があると言われている。だが、ここで使わなければ、いくら力を増幅するとはいえ足手まといのままだ。
都季はポケットに入れていた札を確認し、気持ちを落ちつかせるために一度息を吐く。
「――よし」
「月神を寄越せぇぇぇぇ!!」
「火玉!」
札に描かれた模様が赤く光る。次の瞬間、札から飛び出したのは複数の火の玉だ。
宙に浮いたそれらは、飛びかかる敵に向かって散った。
「ぐあっ!?」
「ぎゃあっ!」
「よかった。うまく――」
「ちょこざいな……!」
対象となる敵が向かっていたおかげか、練習の時よりも的を絞りやすかった。
だが、火の玉はすぐに消されてしまい、大したダメージにはなっていない。
まずは基本から、と練習していたのは初歩的な術だ。怯みを与えるには十分だが、戦意を喪失させたり倒すほどのものでもない。むしろ、相手の戦意を助長させただけのようだ。
「え、嘘」
「死ねぇぇぇぇ!!」
「っ!」
眼前に迫る破綻者が振り上げたのは、道路と歩道を区切る鉄製の柵の一部だ。
引き抜かれたそれを防ぐ術は覚えていない。
都季は頭を覆うように両腕を翳し、両目をきつく握りしめる。
そのとき、都季と柵の間に何かがふわりと舞い降りた。
「お主、誰の保有者に向かって言うておるのだ?」
声がしたのと、ガキン、と硬質な物同士がぶつかり合う音がしたのはほぼ同時だった。
目を開ければ、琴音のもとに向かっていた月神が都季の前で宙に浮いていた。その身は光の膜で覆われており、振り下ろされた柵をくい止めている。
「つ、つっきー! タイミング良すぎ!」
「すまんのぅ。危ないと知ってはおったが、お主なら多少は耐えるかと思うてな」
「その自信はどこから出てきたんだよ」
いくら鍛錬を見てくれていたとはいえ、実戦で使うにはまだ足りないと言ったのは月神本人だ。
だが、月神は不服そうな都季を見て目を瞬かせた。
「お主は誰から手解きを受けているのだ。こと戦闘においては能力の高い魁や悠、術に秀でた調律師の蒼姫だぞ? 何を案ずることがあろう
か」
「実戦にはまだ使えないって言ったの誰だっけ?」
「知らぬ」
「おい」
あっさりと言ってのけた月神だが、「あそこで満足しているようでは、お主の成長が止まってしまう可能性もある。まぁ、それはないのだが、喝を入れたと思え」と過去の発言についての弁解をする辺り、理不尽だと気づいてはいるようだ。
都季は溜め息を吐くと、月神によって攻撃をくい止められ、一旦距離を取った破綻者を見る。周りの幻妖や破綻組も月神の動向を窺っているのが分かった。
「卯京さんは?」
「案ずるな。じきに来る」
「もう大丈夫なんだ?」
「ああ。特務のあの『梓』とか言う少女が話の分かる者で良かった」
特務の精鋭部隊を取りまとめている彼女は、茜に対しては厳しい態度を取るが、琴音にまで敵意を剥き出しにする様子はなかった。
相手によるのかもしれないが、月神は彼女の根底にある優しさを見た気がした。
いつもと同じく都季の肩に乗ってのんびりと話す月神だったが、その雰囲気は近づいた気配によって一気に引き締められた。
「やぁっと帰ってきた。月神サンよォ」
「ほんに、お主も懲りぬのぅ」
「本来の力を出せない今が狙い目だからな。今日こそ、その首をいただくぜェ!」
ルーインに道を譲るため、都季を囲っていた幻妖や破綻組が左右に避けた。
言い終えると同時に地を蹴ったルーインに、月神は警戒こそすれども、都季の肩から動くことはせずにただ真っ直ぐに見据えて言う。
「そうか。ならば――」
先ほど、都季と破綻者の間に月神が現れたときと同じく、ルーインとの間に今度は赤い円陣が出現し、そこから炎の渦が湧き起こった。
中心で人影が揺らめく。
ルーインは渦ごとそれを切り裂くように、鋭い爪を備えた腕を横に薙いだ。
だが、その腕は硬い何かに当たって振り抜けなかった。
炎の渦が消え去り、ルーインの腕を抑えた人影の主がはっきりと姿を現した。
「私を倒してからにして」
それは、特務に連行されていた琴音だった。
彼女は自身の神器でもって、ルーインの腕を止めていた。
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