第13話 足りなかったもの
「お前も適当に寛いでいいからな」
「……ありがとうございます」
特務自警機関の仮眠室に移動した梓は、連れてきた琴音にも休むよう促すと、腰に差していた刀を取り外して片手で持つ。立ったまま困った様子の琴音を一瞥し、小さく息を吐いてベッドの端に座った。
室内には、入口から見て右側の壁際に二段ベッドが一つと、反対側にソファーとテーブルがある。
梓には寛いでいいと言われたが、かといってすぐに気を抜けるほど琴音の肝は据わっていない。これが悠なら、「じゃあ、遠慮なく」とソファーにでも座るのだろうが。
(このまま、立っているわけにもいかないし……)
こっそりと梓の様子を窺えば、琴音が座るのを待っているのか、口を閉ざしたままやや視線を逸らしている。
琴音は仕方なく、思い浮かべた悠の行動に倣ってソファーの端に腰掛けることにした。
「そういえば、お前、神使が扱えないんだったか」
「っ!」
唐突な質問……それも、琴音があまり指摘されたくない話に、反射的に琴音の肩が大きく跳ねた。
神獣であった十二生肖の、かつての姿をしている神使。人と交わることで神獣の姿を失った十二生肖は、機動性の確保や幻妖達との対話のために神使を創ったともされている。十二生肖であれば誰もが出せるはずの存在であり、琴音以外の十二生肖は全員使役しているものだ。
明らかに動揺する琴音を見て、梓は話題選びを失敗したか、と後悔した。
「悪い。嫌味で言ったわけじゃない。ただ、どうして扱えないのか気になっただけだ」
「…………」
「……無理に聞く気はない。すまなかった」
肩を落として俯いた琴音に謝れば、彼女はゆっくりと首を左右に振った。気にしないでください、という意味に捉えるには空気は重い。
すると、今までまともに話す気配のなかった琴音が、初めて質問に対する答えを出した。
「――じゃ、ないから」
「え?」
「私が……『本物』じゃないから、です」
琴音は背中を向けたままのため、どんな顔をしているかは分からない。ただ、微かに震えた声音が、彼女が抱える強い劣等感を表しているようだった。
特務自警機関の一員である梓は、十二生肖の個々の力は知っていても継承時の事までは詳しく知らない。辰宮家の出である誠司か、彼と親しい斎辺りならば知っているかもしれないが、今は二人ともがそれぞれの仕事に取り掛かっている。
さらに、琴音のことを任せてくれと言った手前、ここで他の者を連れてくるわけにもいかない。
「どういうことだ? お前は支証を持っているだろう」
「……本当は――」
「ちと邪魔するぞ」
琴音が何かを言いかけると同時に、彼女と梓の間で小さく光が弾けた。
聞き慣れた声と親しんだ気配。
すぐに誰の者か分かった琴音は驚いて振り向く。
一瞬で収まったその光から姿を現したのは、都季と共にいるはずの月神だった。
「結界があるかと思うたが……案外、警備は手薄だのぅ」
「何用だ。事と次第によっては然るべき措置を取らせてもらうぞ」
傍らに立て掛けていた刀に手を伸ばしたまま、梓は険しい表情で月神を見据えた。
ここは特務自警機関内の一室だ。いくら幻妖の長ともされる月神とはいえ、他の組織に無断で入ることは許されない。
すると、月神は梓の態度ではなく、口調に対して深い溜め息を吐いた。
「最近、どうも我相手に口の悪い者が多すぎる。ここは威厳と言うものをひとつ見せて――」
「どうして、ここに来たんですか」
遮ったのは梓ではなく琴音だった。驚きを含んではいるが、大半は拒絶に近い声音だ。恐らく、彼女が隠している事に由来するのだろう。
琴音に向き直った月神は、彼女の顔色を慎重に窺いながら言う。
「なに、簡単なこと。お主の事を都季らが案じておるぞ」
「…………」
都季達とは少し前に別れたばかりだ。それも、非常に説明のし難い状況で。
ばつが悪そうに視線を落とした琴音は、ソファーの背凭れの上に置いた手を握り締めた。
この状態では琴音は口を開かない。
数多ある未来の中でも色濃い光景を見た月神は、琴音に再び背を向けて梓に言葉を投げかけた。
「お主、琴音が何故、神使が出せぬか聞いておったな?」
「あ、ああ……。彼女は、自分が本物ではないからと」
十二生肖は月神によって選出される。一部の家では親族が競い合っているところもあるが、結果的には月神が選んでいるのであまり意味を成していない。それでも止めないのは、選ばれるに相応しい力があると周囲に誇示するためだ。
卯がどのように選ばれたか知らない梓にとって、琴音の発言は月神の心眼を否定するものであり、下手をすれば大きな怒りを買いかねない。
琴音の身を案じ、月神の様子に気を配りながらそう言えば、彼は思いの外すんなりとそれを受け入れた。
「なるほど。それも一因やもしれぬ」
「彼女が本物ではないことがか?」
「ああ」
「…………」
「お前、もう少し言い方はないのか」
まさか選出した月神自身が認めるとは思わず、明らかに気を落とした琴音を見た梓は窘めるように言った。
だが、月神は首を左右に振って否定した。
「ないのぅ。なにせ、『本物ではない』と思うその意思が原因だからの」
配慮に欠けた月神に苛立ちを募らせていた梓だったが、それは本人の言葉によって怪訝へと変わった。
どういう事だ、と視線だけで問うてくる梓に、月神は淡々と説明する。
「周りからもよく言われるように、今の卯は十二生肖としては他の者よりも未熟だ」
「っ!」
「だが、人とは皆、未熟なものだ。完璧な人などおりはせん」
例えば、琴音がよく頼りにする茜や花音でも、一人で何でも出来るわけではない。しかし、力が足りないからと誰かに見離されることもなく、彼女達は周りの力も借りつつ自身が出来る最善を模索しながらやっているのだ。当然、それが誤っていることもある。
「人とは常に成長するもの。それは完璧ではないからこそだ。お主らの長でさえ、予想外はあるだろう?」
「……嫌味か」
都季の一件は、ある意味、誠司達にとっては予想外の出来事だ。だが、分かっているからこそ、改めて……しかも、どこか得意げに言われると腹が立つ。
そんな梓に月神は「そう聞こえたならそうなのだろうな」と曖昧に返した後、琴音の前に回りこんで真っ直ぐに見据えた。その表情はどこか悲しさを帯び、反省と後悔の念が窺える。
「すまなかったな、琴音。我が『特例』などと言ってしもうたが故に、お主には辛い思いをさせてしまった」
「特例だと?」
聞いたことのない事例を耳にした梓は、特例が何かを知る琴音が返事をするより先に疑問を投げかけた。
隠すつもりもないのか、月神は平然と『特例』について説明する。
「ああ。本来、今代の卯は琴音ではなかった」
「なんだと?」
「卯京朔。あやつが、我が最初に選んだ今代の卯だ」
彼は、選ばれれば断れないはずの十二生肖を拒んだ。今までにないそれは、確かに『特例』と呼ぶに相応しい。
だが、未来を視ることのできる月神が、わざわざ断る可能性のある者を選ぶ必要はあるのだろうか? 断られたときの手間を考えれば、その可能性が視えた時点で変えるべきだ。
疑問はいくつも浮かぶが、それよりも月神が出した名前はどこかで聞いたことがある。琴音と苗字が同じだが、血統組である十二生肖はほぼ世襲であるため、苗字が同じなのはよくあることだ。
「確か、そいつは……」
「私の、兄、です」
「やっぱり……!」
梓が言い終えるよりも先に琴音が答えた。
十二生肖の家系はある程度頭に入っている梓は、記憶と合致した人物に思わず声を上げ、驚きと困惑の混じる表情で月神を見る。
「朔は非常に身体が弱い。しかし、その芯の強さは十二生肖に相応しい。だからこそ、選定の際に名を視たのだが、同時にあやつの影も視た」
「影?」
「前任の午に関して、特務には情報はなかったか?」
「あ……」
影の意味が分からずに首を傾げた梓だったが、月神が出した言葉ですぐに理解した。
前任の午であった紗智は十二生肖で最初に出た犠牲者だ。彼女にも、月神は影を視ていた。
「我はどこぞの幻妖のように可能性の高い未来は視えぬ。数多ある可能性の未来はどれも多少なりとも異なる。だが、卯と午に関しては、今までのように素直に選出してもいいものかと悩んだ」
紗智に視た未来は、どれも彼女の死とそれを受け入れて成長する弟の千早の姿。周りに騒動の影はあったが、彼らならば乗り越えられると思った。
だが、朔に視た未来は、結末は紗智と似てはいたが、その後に大きな波乱が待っていた。どんなものかは定かではないが、下手をすれば他の十二生肖までも巻き込んだ多大な被害を出す可能性もあった。
それでも朔が相応しいと出たのは、現在の卯の家系に彼を越える精神力の持ち主がいなかったからだ。
「不穏な影は気になったが、我は朔に決定する気ではおった。だからこそ、紗智に話したように、本人に先のことも伝えた。するとな、あやつ、いつものように笑って言いおった」
――月神ともあろうお方が、光に隠れた『別の光』を見逃しておられる。見えている光は、別の光が重なっているからこそ、強く輝いているだけかもしれませんよ?
「別の、光……」
「朔はな、お主こそが十二生肖に相応しいと言うておった」
「兄さんが?」
琴音は、心底信じられないといった様子で瞠目した。兄が最も優れた卯の者であり、自分は仮の存在であるはずだと。
月神はそこに琴音の抱える問題の根本を見出す。
「兄に引け目を感じることはない。また、我が最初に選ばなかったからと負い目を負う必要もない。目が眩んでいたのは我らだ」
「そんなことない……! 私が、いつまでも神使を出せないのは、私に力がないからで……魁や悠、それに、更科君はどんどん進んでいるのに、私は……」
「これこれ。先に言うたことをもう忘れたか? 成長を焦るでない」
感情が高ぶり、声が詰まる琴音を月神が優しく諫める。
顔を歪めたまま俯く彼女は、今にも泣き出しそうだ。
一夜との戦いの中で都季を守ると、逃げないと決めたのに、どれほど鍛錬を重ねても神使は出ない。どれほど鍛錬を重ねても力は成長の兆しを見せない。
自分が留まっている中、都季や魁、悠は進んでいて、一人だけ取り残されている。
『十二生肖』という役目が、今まで以上に酷く重く感じた。
そんな琴音にかける言葉を探していた月神は、ゆっくりと諭すように言う。
「のぅ、琴音」
「……はい」
「植物は、育てていれば必ず花を咲かす。それが百年や千年に一度の花であろうとも、人は諦めずに育て、その時を待っておる」
一度でも手を抜けば枯れてしまう。自分は見れないかもしれない花のために、人は時間を尽くして育てる。枯れてしまえば、今までの苦労が水の泡となってしまうからだ。
「力も同じだ。成長の仕方は人それぞれ。表れ方もそれぞれだ。都季は今まで力こそあれど使い方を知らなかっただけで、ようやく種が芽吹いたところ。元々、芽吹いていたお主は、これまでの中で茎を伸ばし、葉を伸ばし、ようやく蕾をつけた。あとは、お主次第だ」
「…………」
「花が開かぬからと、与える水を絶やしてはならん」
その植物は目に見えないからこそ成長を実感しにくいが、それでも、月神には琴音の成長をしっかりと感じることができる。
都季と出会う前の彼女と今の彼女を比べると、成長の停滞を嘆いていることからも圧倒的に自信に差があるのだ。
「現状への不満や焦りは成長の証。以前のお主が、自分ならここまで、と線引きをしていた部分を、今は乗り越えようとしているのだ。そう容易いものではない」
数年に渡って心に作った大きく厚い壁は、ちょっとやそっとで崩れるようなものではない。
だが、琴音はその壁を壊す直前まできている。あとは、琴音が自分の力を諦めなければ大丈夫だ。
「十二生肖として学んだことはあるだろう? 神使はその者の心を映す鏡のようなものだと。心が不安定であれば、出てこられる神使も出てこれぬ」
強い心こそが、神使を扱う上では重要になる。
魁や悠は神使を扱えるが、まだ神使の力が完全ではなかったり、自身の意思に反して出てきたりするのは、彼らの心が強くとも力は未熟であるからだ。
ふと、琴音の視界に数日前の景色が広がった。録画映像の早送りのように一瞬で流れていった景色に唖然としていれば、すぐに収まって元の部屋に戻る。
月神は少し悲しい顔をして琴音を労った。
「――そうか。一人でよう頑張ったな」
「今の、悠と同じ……」
対象者の記憶を読み取る力。十二生肖の子である悠が持つ能力であり、数時間前、琴音は彼のその力を拒んだばかりだ。
油断していたとはいえ、あっさりと使われたことに愕然とする琴音に、月神は得意げに笑んで言う。
「お主らの力は誰から得たと思うておる」
「……あ」
十二生肖の継承は月神を介する。血統組である琴音達だが、十二生肖に選ばれるまでは大きな力を持たない。それでも、継承組などからすれば十分な力だが、本来の力とは呼べないのだ。
月神に選ばれ、神器と神使を得て初めて十二生肖としての本来の力を発揮できる。
「やれやれ。半神であるが故にこのような姿だが、力の親を忘れるでないぞ」
「……すみません」
「さて、我は戻る。我が視たこと、どうやら『知られてしまった』ようだからの」
「え?」
月神の表情が険しくなった。
それの意味するものを琴音が理解するより早く、月神は彼女に向き直った。
「琴音」
「は、はい」
「お主が今、守りたいものはなんだ?」
月神の真摯な問いで、琴音の脳裏にいくつかの姿が浮かんでは消える。
少し前の自分なら、迷わず兄である朔と答えただろう。彼が十二生肖として相応しいからだ。
だが、今回、最後まで浮かんでいたのは兄ではなかった。
「更科君、です」
不思議と、その名前を出したことに驚きや戸惑いはなかった。
まだ知り合って間もないと言えば間もないが、彼の与える影響力は大きい。紗智の一件以降、どことなく流れていたぎこちない十二生肖同士の空気を変え、局を離れた一夜、そして、悠の意識を正反対に変えてしまった。
いくら巫女の子孫とはいえ、元々は一般人として生きていた彼からすれば、幻妖世界は未知の世界と言っていい。そんな中で、彼は見事に状況に順応している。
「いっぱい、助けてもらった。今度は、私達が返していきたい」
「ならば、もう迷うておる暇はない。決めたならば、最後までそれを突き通すがよい」
「……はい!」
穏やかに笑んで言った月神に、琴音は漸く元気よく頷いた。
そこで、今まで口を閉ざしていた梓がやっと声を発する。
「気持ちの整理はついたか?」
「はい。ありがとうございます」
「では、さっそくで悪いが、私達にも説明してもらえるな?」
「分かりました」
はっきりと頷く琴音は先ほどまでとはまるで別人だ。
そんな彼女に驚きつつ、梓は琴音と共に仮眠室をあとにした。
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