第4話 忍び寄る影


「――するだけしといたほうがいいんじゃないか? ちょうど、そこにいるんだし」

「でも、店長の負担になるようなことは……」


 依月の事務室内には、重い空気が満ちていた。

 ソファーに座る従業員の少女、藤沢千穂の隣に立つのは、店長の茜だ。茜は深刻な顔で千穂を見下ろしており、千穂は千穂でテーブルに視線を落としていた。

 そんな空気を切り裂いたのは、いつもと変わりない挨拶をして入ってきた都季と月神だ。


「おはようございまーす」

「邪魔をするぞ」

「なんだ、お前らか」

「何かあったんですか?」

「あー……藤沢が、ちょっとな」


 首を傾げる都季と目を瞬かせる月神に、茜はばつが悪そうに視線を泳がせた。

 見たほうが早いと思った都季は、茜の隣で座っている千穂を見る。彼女も都季からは視線を外したままで、左腕には軽く手が添えられていた。


「何が……って! その腕、どうしたんですか!?」


 手でよく見えなかったものの、千穂の左袖は大きく切られており、血が滲んでいた。また、手で隠しきれていない部分からは包帯が覗き、見るからに痛々しい状態だった。

 愕然とする都季に反して、一つ息を吐いた千穂は、普段と変わりない落ちついた様子のまま都季を宥める。


「そんな騒がないの。さっき、ここに来る途中で、後ろからナイフみたいな物で襲われたの」

「ええ!? それ、警察に言ったほうがいいんじゃないんですか?」


 今日の夕方からのシフトに千穂も入ってはいるが、事件に巻き込まれたなら仕事をしている場合ではない。まして、彼女は被害者だ。

 何故、通報していないのかと視線を向ければ、茜はさして慌てた様子もなく淡々と言う。


「問題ない。今、表にそれに近い組織の奴らがいるから」

「それに近い組織って……もしかして」

「ああ。たまたま、現場に居合わせた特務の二人だ。眼鏡と犬っぽい後輩」


 特徴だけを述べたとなると、居合わせたという特務の二人は都季も知っている者……七海と慶太のことだと分かった。

 二人は襲われたのが茜の所で働く従業員だと知ると、距離が近く、手当てができるからと特務には行かずに依月にやって来た。また、通常であればそのまま特務が捜査に当たるが、茜の関係者ということで局が当たるかもしれないと見て。

 経緯を聞いた都季は、特務がその気なら、と茜に向き直った。


「なら、俺も犯人探し手伝います!」

「馬鹿。まだ局で請け負うとは決まってねーよ」

「えっ? そうなんですか?」

「相手が一般人かもしれないからな」


 茜からの返答に、都季は肩透かしを食らった気分だ。

 相手が一般人なら問題があるのか、と言い掛けて、都季は口元を押さえた。


「理由は察したな? あたしらは、基本的に一般人に手を出せない。記憶操作はともかく」

「……歯痒いですね」

「だろ。ただ、相手がそうでない可能性も、勿論ある」


 何せ、犯人は依人である千穂に気づかれることなく、奇襲を仕掛けている。依人になったばかりの者であればともかく、産まれたときから依人として生きている千穂は、周囲の気配……特に、自分に向けられる敵意や殺意に敏感だ。気配を完全に消せるとなると、相手は依人である可能性も十分にある。

 千穂は、都季の肩にいる月神を見上げて訊ねた。


「あの……月神なら、どちらかってのは分かりますか?」

「ふむ。……どれ、腕を出してみよ」

「はい」


 顎に手を当てて思案していた月神は、都季の肩から離れてテーブルに降り立った。そして、近づけられた腕に巻かれた包帯にそっと触れる。

 沈黙が場を満たし、誰もが月神の言葉を待つ。


「…………」

「…………」

「……ふぅ。なるほど」

「分かった? 何が視えたんだ?」


 しばらく包帯に触れたまま目を閉じていた月神が、何かを視たのか納得した様子で包帯から手を離した。

 都季が答えを急かせば、小さく頷いた月神はすっぱりと言う。


「何も視えないことは分かった」

「言うと思った」


 堂々とした月神の回答に、都季は落胆することなく平然と返した。

 答えに溜め息を吐いたのは千穂だ。最も、その溜め息は自身の不甲斐なさに対するものだが。


「あたしがもっと強い力を持っていたら、相手が一般人かそうでないかくらい分かるのに……」

「幻妖世界のものかどうかは、誰にでも分かるものじゃないんだ?」


 都季は以前、月神達に千穂達を依人だと気づくかどうか試されたことを思い出した。依人であれば誰もが同族に気づくものだと解釈していたが、どうやらそうでもないようだ。

 月神はまたしてもあっさりと言ってのける。


「当人の力によるのだ。相応の力ある者ならば自ずと分かってくるが、今回は相手が一般人か、もしくは、力を隠すのが上手い依人かのどちらかだろう」

「力ある者って……血統組の人とか?」

「そうだ。他の組でも分かる者は多いがの。あと、お主も我の力を持っているがゆえ、周りの依人に気づかれることは勿論、お主が他の依人に気づいてもいいのだがのぅ」

「はいはい。どうせ、藤沢さん達が依人だって気づきませんでしたよー」


 都季をちらりと見上げる月神は、嫌みを交えてくる辺り、先ほどの発言を根に持っている。

 嫌みも事実なので返すこともできず、拗ねたように返した都季に、傍で聞いていた千穂が「慣れてくればすぐだよ」とフォローを入れた。

 そんなやり取りを黙って見ていた茜は、大きな溜め息をひとつ吐くと、眉間に皺を寄せながら表にいる人物を思い浮かべる。


「しょうがない。アイツらに任せるか」

「いいんですか?」

「癪だが、現場に居合わせたのはアイツらだし、一般人の可能性があるならあたしらが手を出せる相手じゃない。ただ、一般人じゃないなら警察じゃ無理だけどな」

「なんと言うか、めんどくさいですね」


 もっと融通が利けばいいのに、と思ってしまう。一般人や幻妖、依人の垣根がなくなれば、通報ひとつにわざわざ悩む必要もない。ただ、そうするには裏の世界を公にしなければならないのが大きな壁だが。

 茜は溜め息混じりで都季に「同感だ」と返すと、店舗に続く扉へと向かいながら都季を振り返って言った。


「お前は気にせず仕事に出ろ。千穂はもうちょい待っててくれ」

「……はい」

「ご迷惑をお掛けしてすみません」

「いや、これもあたしらの仕事だ。気にすんな」


 茜は肩を落とした千穂の頭を優しく叩くように撫で、一旦、店舗へと出て行く。

 都季も茜に言われたとおり仕事をこなすため、千穂に断りを入れてから更衣室に入った。そして、手早く着替えを終えて更衣室を出ると、早速、ホールにいたという七海と慶太が千穂の前に座って聞き取りを行っていた。

 更衣室から出た音に気づいた茜は、無言のまま、視線だけですぐに店舗に出るように指示を出す。

 今日のホール担当は都季と千穂、皐月の三人。状況を鑑みれば、皐月は既にホールに出ているとは分かる。いくらまだ前のシフトの人がいるとはいえ、一人のままでは交代もできない。

 うっかり話を聞きそうになった都季は、慌てて扉に向かった。途中、目があった慶太には会釈をして。


「そうだ。あたしもまだ出れそうにないし、花音も手伝ってやれ」

「はーい」

「都季。我が代わりに聞いておこう」


 月神は普段、都季の肩にいることが多いが、彼がバイトに励む間は暇を持て余している。一度、仕事を手伝おうとテーブルを拭こうとしたが、一般人からすれば布巾が勝手に動くのは怪奇現象であり、実行に移す前に都季に止められた。

 そのため、月神は話を聞く余裕があるのだ。

 状況を知りたい都季にとって、月神の申し出はとても助かった。


「ありがとう。よろしくね」

「ああ」


 月神を残して店に出れば、皐月が複雑な表情で扉の向こうに立っていた。

 千穂と同じ大学に通っている彼は、彼女に起きた事について知っている。また、彼も同じく依人であるため、事情を聞くなりすぐに犯人探しに移ろうとしたようだ。


「志條さん」

「あーあ、こんなときに助けてやれないなんてな」

「今日は藤沢さんとは別々に来たんですね」

「そう。取ってた講義が違うかったんだ。で、帰ろうとしたとき、教授に荷物運んでーって頼まれて、軽い気持ちで請け負ったんだよ」


 バイトには一緒に行こうと話していた千穂に連絡だけして、後から依月に向かっていた。ルートは時間短縮のため、千穂とは別の道を通って。

 それが、まさかこんな事件に巻き込まれるとは思わなかった。

 都季に背を向け、ホールとキッチンの出入り口に立った皐月は、どこか遠い目をしながら言葉を続ける。


「けど、俺なんかじゃ、まともに守ってやれないんだろうな。局の警邏とかに入れたら、まだ対抗手段があるんだろうけど」


 皐月と千穂は、片方の親がそれぞれ継承組だという、所謂『混血組』だ。高校を卒業して局に入るという選択肢もあったものの、迷っていた皐月に千穂は「迷うくらいなら入るのは後でもいいんじゃない」と進学の道を示してくれた。

 局では、戦闘の多い警邏や調律師は勿論、非戦闘員である事務員でも大半が依人や幻妖への対抗手段を身につけている。世間に紛れて過ごしている依人よりは戦えるのだ。

 隣にやって来た都季を一瞥してから、皐月は今まで話したことのなかった千穂との関係を口にする。


「俺と千穂が幼馴染だって話はしただろ? でも、俺って千穂より小さいし、頭も良くないし、運動だって平凡で、千穂にはいろいろと面倒見てもらったとこもあってさ」


 お互いの両親はとても仲が良く、家族ぐるみでの付き合いが多かった。だからこそ、皐月も千穂も兄妹同然に育ち、幼稚園から今の大学まで同じというほどだ。高校や大学も話をして決めたわけではないため、周囲もかなり驚いていた。

 何かと面倒をかけている分、今度は自分が千穂を助ける番だと思っていたのにこの有様だ。

 あのとき、思い切って千穂から離れて局に入っていれば……と、今さら後悔がこみ上げてくる。


「ホント、不甲斐ないな」

「…………」


 自嘲気味に笑う皐月を見て、以前、千穂から聞いた話を思い出した。皐月が無理やり浮かべる笑みは、泣きそうになるのを堪えているときだ、と。そのとき、千穂は、いつもそばにいてくれる皐月に感謝しているとも言っていた。

 本人以外からそれを告げてもいいものか、と悩みつつ、このままではいけないと思った都季は恐る恐る口を開く。


「そんなこと、ないと思います」

「え?」


 予想していなかった否定の言葉に、皐月は目を瞬かせた。

 都季はどう言えばいいかと考えながらのため、ゆっくりと言葉を続ける。


「確かに、男としては好きな人くらい守りたいですけど……女性からすると、案外、守るために離れるくらいなら、そばにいてほしいんじゃないですか?」

「…………」


 女性側に立った意見が、すんなりと心の中に入ってきた。

 言ったのが都季とはいえ、彼は彼で自分を守るために両親が命を捨てている。そのせいか、「そばにいてほしい」という言葉はやけに説得力があった。

 さらに、都季に同意する声がキッチンの方から上がる。


「都季君の言うとおりだと思うよー?」

「花音さん」


 洗いたての食器を拭いていた花音は、手を休めることなく、過去を思い返すように言う。


「今まで一緒にいた人が急に遠くに行っちゃうのって、残される側としてはとても寂しいことだもの」


 これも実体験なのだろう。花音の言葉は現実味を帯びていた。

 拭き終わった皿を棚に戻しながら、やや優しくなった声音で続ける。


「それなら、例え自分が危ない目に遭ったとしても、今のまま、一緒にいてほしいかな」

「そう、ですか……」

「うん。千穂ちゃんに聞いてみてもいいかもね。きっと、『寝言は寝てからにして』って言われるよ」

「……ははっ。あり得る」


 言われた場面を想像したのか、皐月はいつもと同じように無邪気に笑った。

 その直後、よし、と自身の頬を弱く叩いて気持ちを改めた。


「ありがとう、都季。花音さんも、助かりました。俺、もっと頑張ります」

「その意気その意気。局に入らなくたって、大事な人は守れるんだから」

「はい」


 気持ちが楽になったと表情から分かる彼に都季が安堵したのも束の間。

 都季の脇腹に皐月の肘による小突きが入った。


「いてっ。な、何ですか?」

「あのな、何も言ってないのに千穂のこと『好きな人』とか言うなよ」

「えっ。違いましたか?」


 皐月の日頃の言動を見ていて、何となくだがそう感じたのだ。

 照れ隠しなのか、皐月は目を瞬かせる都季から視線を逸らし、「違わないけど」と返してから一つ息を吐く。


「お前、恋愛経験皆無なくせに、そういうの鋭い上に女心にも詳しいのな」


 都季は小突かれた脇腹を擦りつつ、「そういう先輩は、もうちょっと相手を見てもいいと思いますよ」という言葉を飲み込む。千穂は千穂で分かりやすいのだと言いたかったが、これも本人から言うべきことだ。

 その代わり、詳しくなった原因についてを説明する。


「最近、つっき……月神がそういうドラマ観るんで、リアルでもそうなのかと思ったんです」

「神様がドラマ観んの!?」

「はい。それも、昼ドラ的なものからミステリーまで幅広く」


 あだ名で呼んでしまったのを訂正しつつさらりと言えば、案の定、皐月はあんぐりと口を開けて固まっていた。

 やがて、自身の中でドラマに夢中になる月神を想像した彼は、堪らず失笑する。


「ははっ! すっげぇな! まさか――」

「悪かったのぅ」

「うわあぁぁ!?」


 突然、肩から聞こえてきた嫌みを含んだような声に心臓が跳ね上がった。店内の客の視線が集まり、都季は「失礼しました」と謝る。

 一方の皐月は、数歩横によろめきつつ声のした方を見れば、腕を組んでじとっと睨みつけてくる月神がいた。

 事務室に続く扉が開き、中から茜が出てきた辺り、話が終わって都季のもとに戻ってきたようだ。


「もう終わったんですか?」

「ああ。結果は後日だ」

「あやつらは裏から出て行ったぞ」


 七海と慶太の姿が出てこないのは、店内の客に不要な不安を与えないためだ。普通のスーツ姿だが、店の制服ではない。何事かと噂になっても困る。

 茜はホール側に出ている都季と皐月を手招きすると、キッチンの片隅に集めて忠告をした。


「お前達も気をつけとけ。特に都季」

「え?」


 突然の忠告に、都季はぽかんと茜を見返す。

 普段なら理解が遅ければ怒鳴るか苛立つ茜だが、ホールに客の姿があるため、ぐっと喉の奥に押し止めた。


「『え?』じゃねぇよ。『身内』が襲われてんだ。相手が一般人ならまだしも、裏側の奴ならお前狙いの可能性もあるんだ」

「あ、そうか」

「今気づくな」


 まるで他人事のように右手の拳で左手のひらを軽く叩いた都季を見て、茜は不安を感じて小突いた。そして、都季の肩にいる月神に視線を移し、小さく息を吐く。それは呆れや疲れからではなく、安堵に似たものだった。


「ま、直接手は出せないが月神はいるし、最近のお前は特訓の甲斐あってか、ある程度は成長した」

「ある程度……」


 やや気になる言葉はあるものの、以前に比べて成長しているという自覚はある。こうして面と向かって茜に言われるのは初めてで、どこか気恥ずかしさを感じた。

 床に視線を落とした都季の頭に茜の手が乗せられ、軽く叩くように二、三度撫でられる。心地よさに浸りつつも顔を上げれば、普段より随分と優しい表情の茜と目が合った。

 母か姉のようなその眼差しに、都季は一瞬、呼吸を忘れて魅入ってしまう。


「成長したからといって油断はするな。犯人が分かるまで、必ず誰かと行動すること。いいな? 志條も」

「はーい」

「…………」

「都季」

「あ。は、はい!」


 茜と自分との関係性を知ったからだろうか。やけに優しく聞こえた言葉に胸を打たれていると、月神が返事を促した。

 慌てて頷きつつも、都季はほぼ肩にいる小さな神様の存在を思い出す。


「つっきーはカウントしていいんですか?」

「ノーカンだ」

「はーい……」


 月神は基本的に手を出せない。時と場合によっては対応をするが、その数は少ないほうがいい。

 分かってはいたが、やや被せ気味な回答に、力なく返事をした都季だった。



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