第3話 不在の理由


「はよーっす」

「おはようございます。都季先輩……と、月神」

「我はおまけか」


 月曜日の朝、都季のアパートまで迎えに来た魁と悠はいつもと同じ挨拶をする。

 付け足された自身の名に不満そうな声を上げた月神に苦笑を零しつつ、階段を下りていた都季はふと、姿が一つ足りないことに気づいた。


「あれ? 卯京さんはいないんだ?」


 いつもなら一緒にいるはずの琴音が見当たらなかった。俳優業もしている悠がいないことは何度かあったが、琴音がいないのは珍しい。それも朝からだ。また、何か幻妖や依人絡みの仕事が入ったにしては、魁達の様子は普段と変わりない。

 昨日の違和感のあとに姿が見えないとなると、一抹の不安が過る。

 そんな不安を一蹴したのは、あっさりと伝言を口にした悠だった。


「琴音先輩は、何か用事があるとかで、別で行くって言ってました。始業までには行くとのことでしたので、お家のことかもしれません」

「そうなんだ……」

「朝から琴音先輩に会えなくて残念でしたねー」

「いっ、いや! そうじゃなくって!」


 視線を落とした都季を見た悠は、ニヤニヤとした笑みを浮かべた。

 都季は彼がひやかす意味を即座に理解し、慌てて否定してから言葉を続ける。耳まで熱くなったのは、あくまでも図星だったからではなく、悠が変なことを言ったからだと自分に言い聞かせながら。


「その……やっぱり、無理してるなら迎えは大丈夫だよ。魁もつっきーもいるし」

「いえ、そこは気にしないでください。それに、僕は普段から早起きしているので、起きる時間はいつもと同じですから」


 悠と琴音は、一人暮らしをしている魁と違って実家から学園に通っている。その実家は学園と都季のアパートの中間辺りにあるため、都季のアパートに寄れば遠回りになるのだ。

 以前も気になって謝ってはいるが、二人はさして負担を感じていない様子だったため、そのまま甘えていた。

 すると、話を聞いていた魁が大きな溜め息を吐いて言う。


「そのことなんだけど、こいつに関しては、本当にもう気にしなくていいぞ」

「なんで?」

「実は僕、最近は魁先輩の所に転がり込んでまして。ここに来るのが前より楽になったので、サボらずに来ているだけです」

((サボってたんだな……))


 悠が魁のマンションにいるのは、自身が起こした事件の影響も大きい。月神の一言もあり不問に終わったが、周囲から向けられる白い目は心地良いものではないだろう。

 悠の発言の一部に内心でツッコミを入れたのは月神と魁だけで、都季はさして気に留めていないようだ。


「家の人と大丈夫なのか?」

「多少は。元々、『家族』という意識は薄いので、家を出るほどではなかったんですけどね」


 お互いがお互いのことに必要以上の干渉をしない。そのため、悠が起こした件についても、『大変な事をしでかした』ということを知っている程度だ。

 都季はそこまでを考えて、ふと、悠が魁のマンションにいる理由がない気がしてきた。


「じゃあ、どうして魁のマンションに?」

「勿論、楽しそうだからですよ」

「そんな理由で!?」

「悠らしいといえば悠らしいのぅ」

「こっちははた迷惑な話っすけどねー」


 魁はもはや諦めた様子で、やや疲れさえも滲んでいる。大方、悠が夜遅くまで話していたか部屋を探索しようとしたのだろう。

 魁に「お疲れ様」と労いの言葉をかけてやりつつ、いつもの学園へと向かう道を歩いた。




 私用でいなかった琴音が教室に現れたのは、予鈴が鳴る数分前だった。

 急いだのか、珍しく息を切らせながら入ってきた琴音は、僅かな疲労を滲ませつつも席に着く。

 その様子を見ていた月神は、感心と驚きの混じる目を琴音に向けて呟いた。


「朝から随分と動いたようだのぅ」

「アイツが疲れてるなんて、早々ないしな」

「そりゃあ、走って来たみたいだし、ちょっとは……あ」

「都季?」


 予鈴はまだ鳴っていない。

 琴音を見てあることに気づいた都季は、カバンから何かを取り出して琴音のもとに向かった。

 魁も首を傾げつつ、都季のあとについて行く。


「おはよう、卯京さん」

「……おはよう」


 琴音はいつもと同じく淡々と挨拶を返したが、すぐに今朝、迎えに行かなかったことを思い出し、気まずそうに都季から視線を逸らした。

 そんな彼女の様子に苦笑を浮かべた都季は、自らの左頬を指しつつ反対の手で一枚の絆創膏を差し出す。


「ここ、ケガしてるよ。良かったら、これ使って」

「ホントだ。よく気づいたな」

「? ……あ」


 不思議に思いつつ左頬にそっと触れれば、小さな痛みが走った。指を見れば、乾いた血が剥がれたのか、僅かな欠片がついている。

 呆然としたまま絆創膏を受け取った琴音だったが、すぐに自身がなぜケガをしているか話したほうがいいのかと戸惑った。


「あ、あの――」


 しかし、切り出した言葉は鳴り響いたチャイムによってかき消されてしまった。

 うまく聞き取れず目を瞬かせた都季だったが、聞き返そうとしたタイミングで教師が入ってきた。


「はーい。席に着けー」

「やばっ。じゃ、また後で。お疲れ様」

「…………」


 琴音が礼を言う暇すらなく、都季達は自分の席に戻った。

 数人のクラスメイト越しに都季を見たあと、握ったままの絆創膏に目をやる。


「…………」


 傷の治りが一般人よりも早い琴音にとって、絆創膏は久しぶりに手にした物だった。

 最後に使ったのはいつだったか、と記憶を辿った琴音は、やがて浮かんだ人の姿に胸が締めつけられた。


(だから、かな)


 ――更科君を見て、他人に思えないのは。


 もう一度都季を見れば、彼は机に乗った月神に何かを言われたのか、やや驚いた顔をしている。対する月神はニヤリと不適に笑んでいるが。

 周りの目もあるため、すぐに平静を取り繕っていたが、その様子を見ていた琴音は小さく笑みを零した。


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