第2話 成長途中


 目を閉じた都季は、呼吸を整えて精神を研ぎ澄ます。前方に突き出した手に集中し、霊力を集めていく。

 霊力の流れを見ていた魁は、頃合いか、と口を開いた。


「そのまま、炎が蝋燭に灯るのをイメージするんだ。で、イメージがはっきりして固まった瞬間に唱える!」

「――火玉かぎょく!」


 唱えた瞬間、手のひらの先でオレンジ色の炎が小さく渦を巻きながら発生し、一気に膨張する。

 そのまま消す予定だったのだが、炎は四方八方に弾け、傍らで様子を見ていた魁にも襲いかかった。


「あっち!!」

「わあぁぁ! ごめん、魁!」


 魁の頬を掠めた炎は跡形もなく消え、他の方向に散った炎も同様になくなっていた。魁以外の誰かにも当たったり、火事が起きなかったのは不幸中の幸いだ。

 反射的に短く悲鳴を上げた魁に都季が駆け寄れば、彼は両頬を押さえながら言う。


「だ、大丈夫、大丈夫。なんてったって、俺も火の属性は持ってるからな!」

「でも、悲鳴……」

「びっくりしただけだっつの」


 掠めた箇所は少し赤くなっており、笑顔を無理矢理作る魁が嘘をついているのは明らかだ。それでも頷かないのは彼なりの気遣いだろう。もはや意地にも見えるが。

 都季は今、局の東側にあるグラウンドにて、魁や琴音、悠と共に術の使い方を練習していた。ちなみに、炎が散った際、悠と琴音はすぐさま避けたので、魁のように被害を被っていない。

 肩にいる月神は、最初こそアドバイスをしていたのだが、一週間以上も経った今となっては退屈そうに欠伸をするほどだ。

 そんな月神と同じく退屈そうな顔の悠はといえば、空中に水で作った数匹の魚を泳がせていた。


「扱い方に関しては、まだまだ実戦向きではありませんが、最初に比べたら随分とマシになったんじゃないですか? 蒼姫さんも、合間合間で見てくれていましたし」

「はあ……。そうだよな。今のままだと、魁だけじゃ済まないかも」


 自分の身くらいは自分で守れるようになりたいが、そこに至るまでに何人に危害を加えるのかと、考えただけでも嫌になってきた。

 肩を落とす都季の前に水の魚が泳ぎ出る。都季がいじけながらも指でつつけば、魚は軽やかに一回転して姿を消した。

 また溜め息を吐いた都季を見て、被害を受けた本人である魁が励ます。


「まぁ、そう落ち込むなって。月神が身体に宿ってからで考えると、一ヶ月ちょっとでここまで上達してんだから、十分すごいって」

「最初は蝋燭くらいの火が一瞬灯る程度でしたし、それに、昨日まで中間テストで特訓禁止されていて、数日はブランクがあるんですから」


 百澄の件のあと、すぐに都季は特訓に取り掛かろうとしたものの、数日も経たない内に学生の壁である「中間テスト」がやって来た。その間、茜からバイトと特訓は禁止、と言われ、月神の監視付きの中で勉強に励んでいたのだ。

 それも昨日で終わり、土曜日の今日は朝から局で特訓を再開していた。

 魁は「中間テスト」という単語に渋い顔をしていたが、すぐにそれを振り払って都季にフォローを入れる。


「俺らだって、物心ついたときくらいから訓練してるけど、『まだまだ詰めが甘い』って言われるしな。なっ、琴音」

「……う、うん」


 やや俯いていた琴音だったが、魁に呼び掛けられるとすぐに顔を上げて頷いた。しかし、その顔はまたもや下へと向いていった。

 都季はそんな琴音の様子に気づきながらも、指摘するわけにはいかないと話を進める。


「うーん。やっぱり、あれはまぐれだったのかなぁ」


 月神の力を、子犬の姿とはいえ具現化したり、千早の宝月から紗智の記憶を引き出して姿を作れたというのに、最近は炎一つまともに出せない。

 状況が状況だっただけに自身の中で意識が違っていたのだろうが、その状況を今も同じように再現するのは至難の技だ。


「つっきーを具現化したときとか、紗智さんのときみたいな状況になれば別かな?」

「普段できないと練習もできませんが……まぁ、切迫した状況で本領が発揮されるなら、実戦でもやってみます? 魁先輩だと手加減しがちですし、僕でよければお相手しますよ」

「え」


 気怠そうに言った悠に、都季の表情が強張った。魁との手合わせを「手加減している」と指摘する辺り、彼は手加減しないようだ。

 悠は、都季の返事も聞かずに軽く右腕を上げて唱える。


「――宝月、制限解除。形態、神使」

「本気か!?」

「おーい。手加減はしてやれよー」

「悠が一番、手加減知らないのに」


 魁や琴音はもはや止められないと分かったのか、数歩引いた場所から見ているだけだった。

 御黒と茶胡を出した悠は、にっこりと無邪気に笑う。


「都季先輩。楽しく遊びましょうか?」

「……はは。俺、人生詰んだかな」

「諦めろ」


 悠と違って表情を引きつらせた都季の肩を、傍観していた月神が軽く叩いた。

 数分後、グラウンドに都季の悲鳴が木霊した。



   * * *



「……ただいま」


 ゆっくりと引き戸を開けた琴音は、中に向かって小さな声で言う。帰宅の挨拶は広い玄関に留まり、左右に伸びた廊下の先に届くことはなかった。

 静かな屋内は、どこからも生活音がしてこない。まるで、琴音以外に人がいないかのように。

 だが、琴音は誰もいないことに不安ではなく、安堵の息を吐いた。靴を脱いで上がり、廊下をやや早歩きで進む。誰にも会いませんように、と願いながら。

 その願いは早くも打ち砕かれたが。


「……っ」


 前方から歩いてきた一人の男性に、琴音は一瞬だけ足を止めた。

 すぐに横へと避け、視線を合わせないよう俯きながら通り過ぎようとする。極力感情を押し殺し、何も考えないように思考に蓋をして。


「まだ使えないのか」

「!」


 すれ違い様にかけられた言葉は、押し殺していた琴音の心を抉るには十分だった。

 いつもなら過ぎ去るはずの男性は足を止めており、かち合った視線は特に感情を映さない。


「……ごめんなさい」


 視線を逸らし、何か返さなくては、と必死に考えた末に漸く口から出た言葉は、自分でも情けないほどにか細く震えていた。

 男性からの返答を待たずに、琴音は頭を下げてから、逃げるようにその場を去った。

 向かう先はいつもと同じだ。自分の部屋ではなく、毎日訪れている「ある人」の部屋。

 廊下と部屋を遮る障子の前に立つと、影で分かったのか中から「入っていいよ」という、落ちついた青年の声がした。

 優しい声に小さく息を吐いた琴音は、障子に手をかけてゆっくりと開く。


「お帰り、琴音」

「……ただいま、――」


 中にいた人を見た琴音の表情が和らぐ。

 そこは、琴音にとってどんな場所よりも安らげる、唯一の場所だった。





「ただいまー……」

「お疲れだったのぅ」


 気怠い体を引きずるようにして帰宅した都季は、普段ならなんとも思わない鍵ですら重たく感じた。

 当然ながら、部屋には誰もいないために中からの返答はないが、代わりに月神が労いの言葉をかける。

 月神と出会ってからというもの、帰宅の挨拶も寂しくなくなった。


「最初に比べるとマシなんだけど、やっぱり、体が重いなぁ」

「霊力を扱うには、膨大な精神力を必要とするからの。いくらお主が結奈の子とは言え、今まで使ったことのないものを使っているのだ。体が驚くのは当然のことだ」


 都季は靴を脱ぐ動作すら億劫になり、一度、玄関の段差に座った。

 目の前に浮く月神の表情や言葉はあっさりとしたもので、こうなると分かっていたようだ。

 靴を脱いで上がり、短い廊下の先にある部屋に向かう。テーブルにカバンを置き、傍らのベッドに倒れ込んだ。こんなときばかりは、狭い部屋で良かったと思う。


「これこれ。疲れているのは分かるが、そのまま寝ると制服が皺になるぞ」

「大丈夫。すぐ起きるから、ちょっと待ってお母さん」

「誰がお母さんだ。笑えんぞ」


 服を心配する月神を茶化しながら軽く宥め、都季は言葉どおり上体を起こした。疲れの残る体は重く、つい溜め息が零れる。

 特訓は同じことの繰り返しではあるが、その中にも変化は確実にあった。都季自身の霊力の扱い方だけではなく、周囲にも。

 やがて、口をついて出たのは、この場にはいない者への心配の言葉だった。


「卯京さん、大丈夫かなぁ」

「琴音? なぜ、琴音なのだ?」


 脈絡のない発言に月神は首を傾げる。

 都季は自分の成長に不安を感じてはいたが、琴音達には何の不安も抱いていないはずだ。それがなぜ出てきたのか理由が分からない。

 しかし、理由は都季にも曖昧なものだった。


「いや、なんか……不安そうだったから」

「不安?」

「うん。ただの思い過ごしならいいんだけどな」


 原因が分からないことで不安は大きくもなる。杞憂に終わればいいが、それだけでは収まらない気がするのだ。

 月神は琴音の宝月へと意識を傾け、彼女の状態を探る。景色を視るのはさすがに憚られたため、視たのは彼女の霊力や精神状態のみだ。


「ふむ。宝月はやや散漫気味だが、必ずしも悪い状況ではない。元々、卯京はちと繊細な家だからのぅ。多少の揺らぎは出やすいのだ」

「大丈夫、なのか? それ」

「分からん。だが、今回に関しては本人に任せたほうがいいだろう。まだ首を突っ込むな」

「……じゃあ、そうしとく」


 月神は先をも視たのだろう。曖昧な未来だったのか、難しい顔はせず淡々と言った。

 よく分からない状況で動くことは得策ではないと都季も自身に言い聞かせ、それ以上考えることを止めた。



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