五章 桎梏を外す者

第1話 極秘調査


 こんな数値は初めてだった。


「うーん……」


 蒼姫は紙面に印字されたグラフを見て眉を顰めた。

 およそ一週間前……ラグナロクのリーダーであるルーインが百澄の別荘に現れた翌日、蒼姫のもとにやって来た月神が、「『ある人物』の霊力の状態を調べてほしい」と言ってきたのが事の始まりだ。

 本人にバレては元も子もないため、悟られないようこっそりと霊力の動きを集計した結果、折れ線グラフは著しい変化を表していた。


「これはまた、珍しい変動の仕方ですね」


 霊力の強さは、先天性であれ後天性であれ、一定の期間を過ぎれば安定して変わることはほぼない。本人の体調や周囲の変化によって多少の変動はあれども、それは気にしなくてもいいほどの些細なものだ。

 しかし、折れ線グラフは一定の数値を刻んでいるかと思えば、突然、大きく上下にブレている。

 良い流れなのか、それとも悪い流れなのか。グラフが示す意味を考えていた蒼姫の耳に、悩みなど皆無のような陽気な声が届く。


「蒼姫ー。シエラがアッシュに乗って……って、どうしたんだ? そんな難しそうな顔して。綺麗な顔が台無しじゃん」

「五十嵐師長、これを」

「無視か。……はいはい。どれかな?」


 やって来た才知の言葉は軽く流し、蒼姫はプリントを才知に渡した。

 せめて顔色くらいは変えてくれ、と肩を落とした才知だったが、すぐに気持ちを切り替えてプリントに目を通す。途端に顔つきががらりと変わったのは、普段の彼の性格が軽くとも部下が離れない理由の一つだ。仕事となれば、忽ち、彼の姿勢は大きく変わってくる。

 よほど興味深かったのか、普段の仕事よりも真剣な顔の才知は、すっかり自身の世界に浸っていた。


「安定しているのは例の件の直前か。で、力が不安定なのは戦闘中と戦闘後。……うん? この戦闘後に関しては特に変化が大きいな。不安定であってはならないはずが、こうしてブレが生じるのは何か引っ掛かりがあるからか、単に力に馴染めていない可能性もある……だが、この子は受け入れたはずだろう? 仕方がない状況だったとはいえ、本人が頷いたことには変わりない。ならば――あ。おい、蒼姫」


 自問自答を繰り返し、グラフの分析をする彼を放置しておくわけにはいかない。場合によっては本人のもとへ直接、押しかける可能性があるからだ。

 才知の手からプリントを取り上げた蒼姫は、他の書類とまとめながら大きな溜め息を吐いてから言う。


「これだけで結論を出すのはまだ早いです。もう少しだけ様子を見ます」

「治せる見込みはあるのか?」

「いいえ。私達調律師が動くより、本人の気持ちの整理をつけさせるほうがいいでしょう」

「あ、そう。……まぁ、ほどほどにしとけよ? お前、まだ他にも仕事あんだろ」

「大したことはありませんよ」


 仕事が多いのは自身に限ったことではない。目の前で暢気にしている才知も、毎日膨大な数の仕事をこなしているのだ。サボることはあれど、基本的に仕事は早いので大きな問題は起こっていない。少なくとも、今のところは。

 蒼姫は小さく笑みを零し、たまには雑談もいいか、と先ほど彼が言いかけていた言葉を聞き直す。


「ところで、シエラがアッシュに何をしているんですか?」

「ああ、そうそう。シエラがアッシュの背中に乗って、『ブレーメンの音楽隊』ごっこしてたんだけどさ、メンバー足りないなって言ったら急にごねだしたんだよ。で、落ちた」

「何をしているんですか……」


 アッシュはシエラに付き合って背中に乗せていただけだろうが、才知とシエラに至っては完全に遊んでいる。

 余計な疲労感が増した蒼姫は、聞くんじゃなかった、と深く息を吐いた。


「まあまあ。休憩がてら、シエラを見てきてやれよ。泣きじゃくりながら蒼姫のこと呼んでたぞ」

「……そうします。サボらないでくださいね?」


 蒼姫は苦笑する才知に頷き、書類を一旦、自身のデスクに置く。

 今、調律部には蒼姫と才知以外に誰もいない。人目がないからこそ、堂々とサボる可能性は大きい。

 才知は、自分のデスクに向かいながら「サボらねーよ」と軽く返してパソコンを開く。


「こっちはこっちで、やる事があるんでね。御上からの直々のお達しとなりゃ、下手にサボれないし」

「上からでなくともすぐに取り掛かってください。……えっ? 『御上』? もしや……」

「そう。その『御上』」


 溜め息混じりにぼやいた蒼姫だったが、才知の言葉を反芻してある人物が浮かんで目を瞬かせる。

 彼女の言わんとしている者が誰か伝わった才知は、名前は出さずにパソコンを操作し、目的のデータを表示した。一ページ目は顔写真と名前や年齢、経歴などが記載されており、右下には「各数値」と別ページへのリンクが載っている。

 シエラのもとへ向かおうとした蒼姫も、データを確認しようと才知のデスクに歩み寄る。


「俺だってな、ただフラフラしてたんじゃないんですよ」

「……いつからですか?」

「んーと……先月の中旬過ぎくらいから?」

「随分と最近ですが、その前は違うと言うことですね」

「よーし、成果を見るぞー」


 さらりとサボり認定をされたが、ここで取り合っては本題が逸れる。

 才知は無理矢理話を流し、「各数値」のリンクをクリックした。

 すぐに画面が切り替わり、新しく表示されたのは、先ほどプリントで見たグラフと同じ霊力の動きを表した折れ線グラフだ。ただし、折れ方は異なるが。

 時折、下がってはいるものの、全体的に右肩上がりだ。それも、かなり急激な。

 予想を上回る変化に、才知も思わず表情を険しくさせた。


「これはこれで、良いんだか悪いんだか」

「調律しますか?」

「……いや、まだ介入しないほうがいい。血筋を信じて、破綻はしないと思いたい」


 もし、この上昇が本人の努力による良い結果なのだとすれば、調律で下方修正してしまうのは勿体ない。

 蒼姫は本日何度目かの溜め息を小さく吐いて言う。


「やはり、月神の周囲は何かしら事が起きますね」



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