第22話 家族として
「おっ。これが例のクッキーか。コーヒー味?」
「この前、コーヒー豆を間違えて大量に発注しちゃってて、持ち帰り用にするのもいいかなって」
「豆を小売りしてたんじゃ間に合わないし、冷凍とか冷蔵保存もスペース取るしな」
煉は、依月に出勤してすぐ、花音から持ち帰り用の菓子について話を聞かされた。一袋四枚入りで、レジの横に置いて会計時に勧めるというものだ。
クッキーとは別に、以前から焙煎前の豆も販売しているが、それで間に合わないとはどれだけ入荷したのか。煉は呆れ半ばにぼやいた。
「へぇー。そんなヘマしたの誰だよ」
「悪かったな」
「げっ」
従業員何名かを思い浮かべていた煉は、まさかの申告に表情をひきつらせた。
発注はパソコンから行っているが、茜はパソコンの操作に疎い。よく謎のエラー音を響かせており、そのたびに花音か他の従業員が呼ばれている。最も、誤発注については疎い以前の問題でもあるのだが。
三人の間に微妙な空気が流れていると、カラン、と乾いたベルの音が響いた。
出入り口へと視線を向けた茜は、普段どおりの軽い口調で挨拶をする。
「いらっしゃいませー……って、アンタは……」
「こんにちは。失礼しますよ」
「どうもー。こないだはそっちの若いのにバタバタさせてすまんかったなぁ」
入って来たのは、特務自警機関の誠司と斎だった。仕事中なのか、二人とも黒いスーツ姿だ。斎は着崩しているが、誠司はきっちりと着ている。
へらりと笑みを浮かべた斎を見て、茜は真顔で二人を見たまま隣の花音に言う。
「花音、岩塩」
「岩塩!?」
「今、切らしてるよ」
「普段からあるんか!?」
「二人の私物でな」
斎の突っ込みに、煉は欠伸を零しながら返した。
だが、誠司はさして慌てる様子も驚く様子もなく、普段と変わりない余裕のある態度で話を進める。
「今日はお話があって参りました」
「こっちにはねーよ。……あ。あれか? 町中での一件の始末書についてか? なら、局に行ってくれ。紫苑はそっちにいるし」
店内には一般の客が数名いるため、茜は出来る限り組織名を伏せた。聞かれれば記憶を操作するが、手間はなるべく省きたい。
先日、ラグナロクが町中に現れた件は、お互いの処理状況を報告しあっている。ただ、始末書の一部には適当に書いた部分があり、茜はてっきりそれを指摘するためにここへ来たのかと思った。
しかし、誠司はそれをやんわりと半分だけ否定した。
「いいえ。話は我々ではなく、百澄のご当主様です。始末書に関しては、雲英を局へ向かわせていますからご心配なく」
(くっそ、気づいてやがった)
一瞬、墓穴を掘ったかと思ったが、やはり、特務も忙しいからと書類の確認に手を抜くことはなかったようだ。
茜は内心で舌打ちをして、誠司に向き合う姿勢を変えた。
「都季はまだ学園だ」
「ええ。ですから、この時間を選ばれたみたいですよ」
同じ学園に通う煉が早く来ているのは、単に彼が本来の勤務時間よりも早めに来ているだけだ。
しかし、それさえも気にした様子のない誠司は、目線で斎に扉を開けるよう促す。
開かれた扉から入って来たのは、着物の上に羽織りを着た宗一郎だ。
「お久しぶりです。亥野殿」
「ええ。お元気そうで何よりです。奥に行きます?」
「いえ、すぐに終わります」
杖をつく宗一郎に、花音が近くの待合い用の椅子に座るよう促す。誠司と斎は宗一郎の近くで待機する姿勢だ。
煉が店内の客に出る気配はないか視線を送るが、本や新聞を読んだり、参考書とノートを開いているので、今のところは邪魔にはならないだろう。入店してくる客には気をつけなければならないが。
礼を言って座った宗一郎は、一息吐いてから正面の茜を見た。
「先日、都季と話をさせていただきました。百澄に戻って来ないか、と」
「本人と月神から聞いていますよ。それで、その日の賑やかな中でお断りしたって」
「はい。やはり、都季も結奈の子だ。私を真っ直ぐに見て言う姿はそっくりでしたよ」
嫌味ではない。結奈と都季を重ねる宗一郎は、懐かしみながらも喜んでいるようにも見えた。
そして、穏やかな表情のままで茜に訊ねる。
「あの委託書はお持ちですか?」
「……もう捨てました」
「捨てたて……」
「桜庭」
「……分かっとる」
茜の発言に抗議しかけた斎を誠司が静かに止めた。
今回、特務はあくまでも宗一郎の護衛で来ているだけだ。護衛はそう簡単に横槍を入れられない。それは斎も十分に理解しているため、不満は残るがすぐに引き下がった。
宗一郎は、軽く息を吐いて肩の力を抜いた。まるで、茜の行為に安心したかのように。
「そうですか。なら、安心しました」
「彼を連れて行くんですか?」
茜が保護者としていられるのは書面があるからだ。それがないとなれば、百澄は自由に都季を連れて行ける。
だが、宗一郎は茜の問いに首を左右に振った。
「いいえ。好きなようにさせてあげてください」
「…………」
「私達は、あの子に何もしてあげられなかった。匿うだけでは、ただあの子を苦しめるだけだった」
「それは、どちらに対するお言葉ですか?」
結奈にも都季にも当てはまる言い方だ。
確認するように、また、宗一郎の真意を読み取ろうとするような茜に、彼は小さく微笑んで返す。
「さぁ? どちらでしょうか。ただ、彼に関しては、今のままのほうがずっといいと思いましたので」
では、都季によろしくお伝えください。と言って、宗一郎は席を立った。都季と直接話をしたからか、宗一郎の表情はすっきりしている。
だが、まだ心残りがあるようにも見え、茜は一瞬だけ迷ってから宗一郎を呼び止めた。
「ご当主」
「……なんでしょう?」
「あー……」
呼び止めたはいいものの、一体、何を言えばいいものかと逡巡する。
茜の考えを読みきれず、誠司や斎も顔を見合わせて首を傾げた。二人より付き合いの長い花音と煉でも同様だ。
やがて、茜はレジ横にある販売用のコーヒー豆と茶葉を見て閃く。
「コーヒーか紅茶は飲めますか?」
「飲む頻度はあまり多くはありませんが、どちらも飲めますよ」
「じゃあ、また気が向いたら、更――都季が淹れた物、飲みに来てやってください」
いつものように苗字を呼びかけて、それでは結奈達とも被るかと瞬時に思い直して名前に言い変えた。
驚きで固まる宗一郎を見てか、花音は茜の袖を引っ張り、少し屈んでもらって小声で言う。
「あ、茜ちゃん? 都季君に聞かなくて大丈夫?」
「花音さん」
都季は最近、茜から学んでコーヒーや紅茶を淹れているが、相手がまだ蟠りの解けたばかりの宗一郎ではやり辛いのではないか。
心配した花音だったが、茜が答える前に煉が制した。
「指導は私がしているので、味の保証はしますよ。ぜひ、飲んでやってください」
「よろしいのですか?」
「もちろん。うちは、例外を除いてほとんどの客を大歓迎しているんで」
ちら、と誠司達を一瞥すれば、視線の合った斎が自身を指さしながら目を瞬かせる。
誠司はそんな斎の反応に頭痛を感じつつ、溜め息を零しながらその指を掴んで下ろさせた。
店主の許可を得た宗一郎は、今までで一番の穏やかな表情を浮かべる。
それを見て、茜は彼に感じていた違和感の正体に気づいた。
「では、お言葉に甘えて。また近くに来た際には、必ず寄らせていただきます」
「ええ。またのご来店、お待ちしてます」
百澄の本邸は隣町だ。都季も学園とバイト、局での活動があれば、早々、帰ることはないだろう。
都季と漸く話が出来たとは言え、まだまだ積もる話は山程ある。それが出来ないまま帰るとなれば、宗一郎にとっては寂しくもあった。
ならば、その場を作ればいいだけのこと。依月は特務でも局でもない、ただの喫茶店だ。
そのため、茜は宗一郎に店へ来る理由を作った。常に誰か親しい人がいるここならば、都季も話しやすいだろう。
「さすが茜ちゃん」
「……や、言ってから気づいた」
「おいおい。適当なのは報告書だけに――いって」
素直に褒める花音だが、茜としては違和感に対してなんとなく言った言葉が偶然、当たっただけだ。
茜は店を出て行く宗一郎を見たまま、揶揄してきた煉の足を踏んでやった。
誠司と斎以外にも護衛はいるのか、二人は宗一郎を追って店を出ることはなく、まだ話があるのか残っている。
そこへ、事務室へと繋がる扉が開いて都季と月神が入って来た。
「あれ? 店長達、そんなところで……って、え?」
「なぜ、お主らがここにおる」
「ははっ。やっぱりおった」
誠司と斎を見てきょとんとする都季と嫌そうな顔をする月神。
そんな別々の反応をする二人に、斎は笑みを零しながら話しやすいように歩み寄った。
「さっき、都季ちゃんっぽい気配がしたけん待ってたんよー」
「俺っぽい気配って」
「都季ちゃん、『何か』で力を隠しとるけど、俺らからしたらその異様さで逆に分かりやすいんよ。んで、ついでに慶ちゃんのことも伝えとこうかと思ってな」
都季は、形見である水晶のペンダントを普段から身に着けて月神の力を抑えている。周りの依人や幻妖にバレないようにするためだが、どうやら斎達にとっては逆効果のようだ。
返す言葉もなく唖然としていた都季は、斎の出したあだ名で我に返った。
「そうだ。岸原さん、大丈夫ですか?」
「おお、大丈夫やで。つっても、ケガはしてて治療中やけど、途中でなっちゃんも加勢してくれたみたいやから、死にはしてへんよ」
「そうですか……。良かった」
百澄の別荘での面談から三日が経つ。その間、都季の身代わりとしてラグナロクに立ち向かった慶太が心配だった。かといって連絡を取っていいのか分からない上、そもそも連絡先を知らない都季には確認もできなかったのだ。
胸を撫で下ろした都季を見て、斎の後ろからやって来た誠司は疑問に思いながら言う。
「あなたは不思議な人ですね。知り合ったばかりの他の組織の者を心配するとは」
「知り合ったばかりですけど、会話しましたし、心配くらいはしますよ」
「まぁ、いいですが。彼のお陰で、ラグナロクのデータも多少は取れました。今回はあれだけで十分です」
「……?」
一瞬、目を細めた誠司はすぐに話を終わらせた。
その仕草に既視感を覚えた都季だが、誰かは思い出せなかった。もとい、キッチン側に戻ってきた茜が二人を追い出すようなことを言ったため、思考が遮られた。
「お前ら、保護の依頼は終わったんだから、もう帰れ」
「そうやね。そうする?」
「ええ。ただ、更科さんに関しては保護の依頼がない頃から興味はありますから、できれば、またお話ししたいところですね」
都季の呼び方を「様」から「さん」へと変えた誠司は、仕事の対象かそうでないかを分けているようだ。
小さく微笑む彼に、都季は遮られた思考を再び巡らせる。
(この人、やっぱり誰かに似てる?)
「彼に何か用ですか? 『兄さん』」
「おや。君も来たのか」
カラン、と再びドアベルが鳴り、入って来たのは普段の柔和さがない龍司だった。
誠司はあっさりと返しており、周囲も動じる気配はない。都季を除いて。
「今、『兄さん』って……」
「そうか。お主は知らんのだったな。そこの誠司は、事情があって今でこそ『九条』と名乗るが、元は『辰宮』の長男だ」
「え!? あ。でも、どうりで誰かに似てると思った……」
驚きはしたが、二人を見ればすぐに納得はできた。ほんの僅かな仕草に似た部分があったからだ。
だが、龍司は似ていると言われたくなかったのか、表情を険しくさせた。
「彼と私は違います」
「す、すみません」
「あなたは『彼女』とその家を利用して捨てただけでは飽き足らず、今度は更科さんですか?」
「龍司、やめろ。公共の場で言う事じゃねーだろ」
責める龍司をすかさず茜が止めに入るも、彼は釈然としないままで、気を抜けばまた何か言い出しかねない。
しかし、それは龍司に限ったことではなかった。
「おいおい。誤解してんで、君」
「誤解?」
「あれは彼女も同意の上や。誠司がやりたい事を優先してくれって言うたんやで。外野がとやかく言うことやないやろ」
「知っています。ですが、彼女は――いえ、もういいです。あなたに何を言ったところで、彼女の傷が消えるわけでもありません」
最初、「彼女」が誰のことを指しているのか都季には分からなかった。だが、すぐに百澄の別荘で知ったことを思い出す。
(まさか……)
誠司と関わりの深い女性となれば、今のところ一人しか出てこない。
ただ、確認のために口に出せる空気ではなく、肩にいた月神も無言で頷いたため、心の中に留めておくことにした。
誠司は顔色一つ変えずに弟を見ている。何を考えているかは読めない。
「傷はいつか癒えますよ。私やあなたが案ずることでもない」
「あなたが案ずる? そんなことがあった日には、天変地異でも起こりそうですね」
「ははっ。確かに」
「桜庭」
「……はいはい」
誠司をフォローしていたはずの斎も龍司の例えに頷いた。
そんな彼を一言で黙らせてから、誠司は「では、また」と出入り口へと向かおうと踵を返す。
だが、すぐに何かを思い出して都季を振り返って見た。
「そうだ。あなたに一つ忠告をしておかなければ」
「忠告?」
「ええ。どうやら、妖狐に好かれているようですから」
妖狐、と聞いて都季の脳裏を過った姿があった。
しかし、間を空けてしまったことで、都季は「しまった」と後悔した。刻裏と親しいことを特務は知らないはず。これでは肯定しているも同然だ。
誠司を見れば、口元に笑みを浮かべていた。
一体、どこまで調べられているのかと、恐怖すら覚えてしまった。
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