第21話 守りたいもの、守りたかったもの


 屋敷からの脱出を目指していた都季は、自身を担ぐセーラと道を切り開く七海によって門の直前まで辿り着いていた。

 だが、問題はそこからだった。

 数を減らしていたはずの幻妖が、予想を遥かに上回るスピードで集まっていたおかげで、今や玄関から門までは幻妖で埋め尽くされていた。破綻組がルーインの方に集中しているのが、不幸中の幸いだ。

 出方を窺う幻妖を目の前にして、セーラは片手を頬に当ててぼやいた。


「困ったわぁ。歪みが起こっちゃうじゃないの」

「もう起こっておる。蒼姫が塞いでいるようだが……ふむ。これはキリがないのぅ」

「あらやだ。じゃあ、急がなくっちゃ」

「……私が一掃して道を作りますから、山寺さんは更科様を連れて走ってください」


 都季と違ってセーラにすっかり慣れた様子の月神は、さすが長生きをしているだけはある。多少、変わった人を前にしても困惑は一瞬だ。

 セーラと同じ特務の七海はそれを感じ、やや戸惑いながらも一歩前に出た。

 そんな七海の発言の一部に、セーラは唇を尖らせて声を上げる。


「んもう! 『セーラちゃん』って呼びなさい! 百歩譲って『セーラさん』!」

「……セーラさん。今は任務中であることを忘れないでください」

「あらいやだ。忘れちゃいないわよぉ」

「え?」

「ふんっ!」


 セーラは都季を肩から降ろすと、右手で作った拳で力強く地面を殴った。野太い声には、先ほどまでの女性らしさはない。

 直後、門まで続く地面がうねり、幻妖を左右に割いて道を作り上げた。さらに、地面についた拳を高く突き上げれば、出来上がった道の両端から岩が隆起して壁となった。高く聳えたその岩壁を乗り越えられるのは、羽を持つ幻妖か跳躍力のあるものくらいだ。

 ゆっくりと立ち上がったセーラが七海に向き直る。

 その顔つきは、厳つい一人の男性のものだった。


「お前は慶太が心配なんだろう?」

「…………」

「何だかんだ言ってはいるが、自分で育てた後輩だからな。思い入れが人一倍強いのは分かる」


 図星だったのか言葉に詰まる七海を見て、セーラは「しかも、あんな事を思われているとなれば尚更な」と付け足して苦笑した。

 どうやら、都季が誠司に向かって言った言葉は彼の耳にも届いていたようだ。


「行け。こっちはもう大丈夫だ。不知火も十二生肖もいる」

「都季! 無事か!?」

「魁……!」


 セーラが言い終えたと同時に、道の先の門から魁が走ってきた。その後ろには飛来する幻妖を撃退する琴音と悠もいる。

 七海は未だ躊躇いつつも、セーラに頭を下げてから駆け出した。


「迎えに来たぜ! って、うわ!? 特務のオカ――」

「んふっ。可愛いから許してあげるけど、次に同じ言葉を口に出してみなさい。――ミンチにするぞ」

「ひっ……」


 ドスの利いた声に魁が小さく悲鳴を上げた。

 そんな彼の後ろからやって来た悠は半ば呆れ気味だ。


「なに怯んでるんですか、オネエ相手に」

「そうよぉ。普通にしてたら怖くないわよ」

「オネエはいいんだ」

「『オネエ』は漢字変換しても『姉』という漢字が当てはまるとかでいいみたいですよ。魁先輩が言おうとしたものと大して変わりませんが」


 片手を頬に当てて微笑むセーラだが、都季はもはや疲れを覚えた。

 悠は「芸能界」という多様な人がいる世界を幼い頃から知っているせいか、魁や都季と違って慣れた様子だ。


「それじゃあ、都季ちゃんはあなた達に確かに返したわよ」

「はい。ありがとうございます」

「私はここを足止めしててあげる。さ、行きなさい」

「外はどうなっておる?」

「門の外は蒼姫さん達がほとんど片付けています。歪みも問題ありません」


 月神の問いに悠がすぐに答える。安全を確認したならば動くのは早いほうがいい。

 都季はセーラに礼を言ってから、先陣を切るという魁に続けて走りだそうとした。

 だが、踏み出した足は、微かに聞き取った声で止まった。


「待って!」

「う、お!? ぐえっ!」


 突然の制止でつんのめった魁の背中を悠が掴み、転倒を阻止した。

 蛙を潰したような声が魁から上がったことなど気にせず、悠は都季を見て訊ねる。


「なんですか? 忘れ物とかなしですよ」

「一言だけで済むから!」

「あ、ちょっと!」


 都季はセーラの脇をすり抜けて屋敷の奥に走り出した。

 向かう先にある人の声を聞き取った琴音は、なぜ都季が魁を止めたのかを理解したと同時に、怪訝な顔をした二人に言う。


「……百澄の、おじいさん。奥が危ないから、近くまで避難してきたみたい」

「なるほど……って! それって、都季は自分で危ない方に行ったってことだろ!?」

「あらまあ、大変」

「月神が一緒だからって油断しすぎなんですよ、あの人は。まったく、こっちの身にもなってほしいです」

「お、おい!」


 悠がすぐに床を蹴って走り出すと、魁も後に続いた。

 残された琴音を見て、セーラは「あなたはいいの?」と問うた。


「ここで、この場所を守っておきます。一緒に。一人より、二人がいいって、前に聞きましたから……」

「あらぁ、ありがとう。不知火ちゃんは来ないし、ちょうど良かった。じゃあ、落石に注意してね」

「が、頑張ります……」


 口調は穏やかだが眼光は鋭く、どれだけ激しいのだろうかと不安が過った。

 だが、残ったからには全力を尽くそうと、琴音は短刀を構え直した。




 最初は、嫌で嫌で仕方がなかった。義務教育さえ終えたら家を出ると決めて、中学生の間は耐えた。

 だが、まだ未成年の自分には、保護者なくしてはできないことだと分かってもいた。


(ダメ元で言った我が侭が通ったときは、やっぱり、俺はここにいないほうがいいんだって思った。……確かに、俺を見れば思い出すからいないほうがいい。でも、それだけの理由で許してくれたんじゃなかった)


 短い面会だったが、宗一郎の想いはよく伝わってきた。

 彼らはただ、どうすれば娘のように都季を失わないかを模索し、また自らのそばから離すという繰り返しをしただけだった。

 都季は見えた姿を追って角を曲がり、声が聞こえた部屋の障子を開ける。


「あ、あの!」

「都季……」

「おいおい、どないしたん? ここは危ないで?」

「宗一郎に忘れ物だそうだ」

「私に?」


 困惑する三人に月神が手短に説明した。

 都季は宗一郎に歩み寄ると、真っ直ぐに彼を見据える。昔はもう少し高い位置にあるように思えた目線は、今は少し低く感じた。


「やっぱり、俺は今のままで頑張ります」

「…………」

「返事は後日やなかったかい?」

「すみません。でも、どうしてもすぐに伝えたくて……」


 慌ただしい、危険なときに言うことではないのは重々承知している。

 だが、伝えに来たのはそれだけではない。


「あの日、迎えに来てくれたり、俺や母さんの我が侭を許してくれて……ありがとうございます。あと、事故現場に花を供えてくれたの……あなたですよね?」

「……ああ」

「そうですか……」


 以前、事故現場を訪れた都季は、事件から数年が経った今でも花が供えられているのを見た。確信はなかったものの、今日の様子を見ていて、あれは宗一郎によるものではないかと思ったのだ。

 少しの間を置いて頷いた宗一郎だったが、都季にとってはその答えが聞けただけでも十分だった。


「ありがとうございました。そしたら俺は、やっぱり、皆と一緒に頑張りたいです」

「死ぬかもしれへんのに?」

「そうならないように努力します。それに、自分の命が惜しくて帰って、後々、百澄当主を嫌いになりたくないので」


 宗一郎さえ出てこなければ、都季は戻らなかったのに……と、魁達が言うことはないだろうが、一瞬でも思われるのは都季としても辛い。

 また、漸く出来た友人だ。今すぐは離れたくない上、彼らと苦難を乗り越えていくのも悪くない。

 答えを聞いた宗一郎は、何か思案しているのか視線を少し落としている。

 そこへ、追ってきた魁と悠が部屋に飛び込んできた。


「都季!」

「新しく歪みが発生していますから、すぐに移動しますよ!」

「あちゃー。これは一旦、俺らも退避やな」

「じゃ、お先にー」

「共闘する気ないんかい!」


 悠はあっさりと、都季の腕を掴んで部屋を出ようとした。斎の突っ込みは完全スルーだ。

 そんな中、宗一郎は慌てた様子もなく都季を呼び止めた。


「都季」

「は、はい」

「お前は、私達のことを呼ばないのだな」

「え?」


 何のことか理解できずに目を瞬かせた都季だが、宗一郎はそれについての説明はせずに言葉を続ける。


「何かあれば、気兼ねなく頼ると良い」

「…………」

「私達は、、お前の味方だ」


 現在進行形であり、以前から続いていた言い方。

 宗一郎が「私達のことを呼ばない」と言っていた意味が分かった。


「……さん」

「?」


 小さく呟かれた言葉は宗一郎には届かなかった。だが、都季の肩にいた月神には聞こえており、驚いて都季を見た。

 都季は気恥ずかしそうに宗一郎からは目を逸らしつつ、もう一度言う。


「ありがとう。お爺さん」

「……!」


 まだ他人行儀な言い方だが、それでも宗一郎を指したことには変わりない。

 悠も驚きからやや固まっていたが、すぐに我に返ると「失礼します」とだけ言って都季を連れて行った。

 宗一郎は言い表し様のない感情が胸に込み上げ、目頭が熱くなるのを感じた。


(なぁ、結奈よ。私達はただ、お前を失いたくなかった。だが、その結果がこれだ)


 結婚を反対したのは、幻妖と関わりが少ない中で育ってきた一般の男に大事な娘を託すことができないからだ。彼には幻妖世界のことを理解し、受け入れることはできないと、まともに話をする前から無理だと決めつけて。

 ただ、それを伝えるには言葉が足りず、結果、結奈は家を出た。

 うまく伝わらない苛立ちや、少し時間が経てば和解のきっかけが見つかるだろうと、連絡も取らなかった。近況については局の関係者が伝えてくれたため、大きな心配もほとんどなかったのだ。

 だが、時が経てば経つほど、今さら何と言えばいいのだと、ただ自分の首を絞めているだけだったと気づいた。

 そうして十三年が経とうとした頃、使用人から告げられたのは、最悪の結末だった。


 ――お嬢様が、交通事故に巻き込まれ……お亡くなりに、なりました。


 聞いた当初は誰のことを言っているのか理解できず、頭の中で「別の者だ」と否定の言葉ばかりが巡っていた。

 葬儀に向かって、茫然とする都季を見ても夢を見ているようだった。

 棺の中で眠る娘を見てから、漸くこれは現実なのだと理解し、激しく後悔した。あの場で泣き崩れなかったのは、そうする資格が自分にはないと思ったからだ。


「不甲斐ない父を、許してくれ……」


 あの日から、何度も謝ろうとしても出なかった言葉が、涙で震えながらもやっと声となって出た。




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