第20話 理想と現実
風を巻き起こした烏に向かって雷鳥が電撃を放った。風にかき消されることのない雷撃は、激しい音を立てながら的確に烏を狙う。
烏は最初こそ電撃を避けていたが、反対側から迫った電撃に打たれて地に落ちた。
「大丈夫かい? 都季ちゃん」
「は、はい。ありがとうございます」
「もうちょいで出口やから案内したげたいんやけど……」
助けに入ってくれた斎に礼を言うも、彼の表情はいつもより険しい。
斎は都季と宗一郎の間をすり抜けて前に立つ。
彼の視線を追えば、険しい表情の理由も察しがついた。
「破綻組……!」
「おっ。都季ちゃん、ちょっとは分かるようになったん?」
「なんとなく、雰囲気で……」
「上出来や」
斎の軽い口調は相変わらずだ。
屋敷の門扉がある方向からは、一体どこから集まったのかと思わせるほどの人が歩いてきていた。それぞれに外見の変化の差はあるが、破綻しているのは醸し出す異様な雰囲気で分かった。
都季を褒めた斎が再び、今度は二羽の雷鳥を創り出した。前は見据えたまま、少し声を張り上げて訊ねる。
「総長。ここは暴れてええんやったかな?」
「構いません。そのための人払いです」
「ほな、皆さん、ここで大人しくしといてくださいよ?」
都季達の後ろには、いつの間にか誠司が立っていた。
誠司は冷静な表情で目の前の破綻組を見ており、自らが動く気配はなかった。
斎が床を蹴った瞬間、破綻組の先頭にいた三人も斎に向かって駆け出す。
正面から襲いかかった破綻者が、手にしていたナイフを振り降ろした。その一撃を躱しつつ背後に回り込み、懐から取り出した拳銃で両足を撃ち抜く。他の二人は雷鳥が放った雷で地に倒れた。
休む暇を与えず破綻者が斎に襲いかかるも、彼は涼しい顔のままで次々と破綻者を地に伏していく。
「すごい……」
「感心しておる場合か」
「あ、ごめん」
無駄のない動きに、思わず感嘆の声を漏らしてしまった都季を月神が窘めた。
斎が倒しているとはいえ、破綻者の数は多いままだ。しかも、急所に入らなかった者はまた立ち上がっている。
それを見た誠司は冷ややかに言う。
「桜庭。処分しきれていませんが?」
「はいはい。分かっとるけん、ちょお待っといてやー」
斎は、指摘しつつも手を出すつもりのない誠司に、「人使い荒いなあ」とぼやきつつもどこか楽しげに破綻者を撃ち抜いた。
着弾した頭から噴き出た血が生々しく、都季は思わず視線を逸らしてしまった。魁達も破綻組と戦闘を繰り広げていたが、あのときは自身も戦闘の最中にいたため、傍観するほどの余裕がなかったのだ。
すると、斎の背後で地に伏していた女性が、腕を突いて立ち上がろうとしていることに気づいた。
「い、たい……! もう、嫌だ! こんな、ちから……」
「おや。初期も混ざっているとは」
「え?」
感心したような誠司の言葉が耳に入ったかと思えば、彼は苦しむ女性に向かって拳銃を取り出して構えた。
誠司がやろうとしていることを察した都季は、咄嗟に彼の前に立った。
「何をするんですか!? もういいでしょう!」
「仰っている意味が分かりませんが」
「あの人は破綻してますが、まだ自我が残っているんですよ!? これ以上、傷つけてどうするんですか!」
誠司がやろうとしていることが最良の選択であると都季にも分かる。破綻をすれば助ける術がほぼないからこそ、一秒でも早く楽にしてやったほうがいい。
逃げてしまえば破綻が進行し、再び目の前に立ちはだかるだろう。新たな事件を起こす可能性も十分にある。
だが、常人と変わらぬ自我があるという破綻初期を見ると、どうしても良心が許さなかった。
誠司は深い溜め息を吐くと、拳銃は手に持ったまま都季を見据える。
「甘いですね。ならば、これを放置して、絶命するまで苦しめと? もし、生き延びてしまった場合、あなたはその後の責任を取れますか?」
「っ!」
最良の選択であると気づいているからこそ、言葉にされると言い返せなかった。
月神が口を挟まないのは、彼も誠司の意見に賛成だからだ。
女性の痛みに苦しむ声が後ろから聞こえる。「助けて」と懇願する声が。
「……つっきー。初期は助けられるんだよな?」
「不可能ではないが、可能性は低い。近くに蒼姫もいるだろうが、この喧噪の中でやるとなると……」
「ゼロじゃないなら十分だ。救える可能性があるなら、俺は救いたい」
そう言い切った都季には、もはや迷いはなかった。
黙って都季を見ていた誠司は、ふと、彼の姿にある人物が重なって見えた。
――初期ならまだ救えます。救ってみせます。
あの時も、今と似た状況だった。
誠司は内心で「馬鹿馬鹿しい」と呟き、脳裏に浮かんだ人物と都季に向けて言う。
「その場凌ぎの安い正義心で救えるほど、この世界は甘くはありません。また、初期であろうとも、破綻組の救済措置はただ一つ――」
拳銃を下ろした誠司が左手を軽く挙げた瞬間、空気を叩いたような乾いた音が響く。
それとほぼ同時に振り返ると、破綻者の左胸から血が噴き出した。
離れた位置には、ルーインと対峙していたはずの伊吹がいる。その手にはショットガンが。
「――『消滅』のみです」
「あ……」
倒れて動かなくなった女性は、やがて体の端から崩れて風化していく。
誠司は月神に向き直ると、表情を険しくさせて言う。
「月神様。今一度、お訊ねします」
「なんだ」
「“ソレ”は、あなたの望んだ形ですか?」
「…………」
誠司が指すのは都季のことだ。
月神は自身の所有者である都季を自由にさせている。その結果、都季は知識が少ないにも関わらず、誠司が予想していたよりもずっと幻妖界に浸り、両世界の共存やできうる限りの平穏を願うようになっているのだ。
それが、自らの命の危険を伴うとは知らずに。
「違うならば、今すぐに器を移していただきたい。半端に関わらせるには危険すぎる」
「半端かどうかは、お主らが決めるのではない。お主らは『途中』しか見ておらんだろう?」
「『最悪の結果』しか見えないから申し上げたまでです」
「…………」
誠司と月神が話す隣で愕然とする都季を見た宗一郎は、咎めるような視線を誠司に向ける。戦いに馴染みのない者に見せる光景ではない、と。
その視線に気づいた誠司は、姿勢を正して宗一郎に小さく頭を下げた。
「失礼いたしました。ですが、理想ばかりを追いかけていては、いつかぶつかる『現実』という壁に挫けてしまいそうでしたので」
「理想を壊すのが現実であれば、現実を壊すのもまた理想だ」
「……本当に、お変わりになりましたね」
淡々と述べる宗一郎の言葉に、誠司はやや目を細めて小さく呟いた。
考えを受けつけないともとれる台詞だが、宗一郎は言及しなかった。
「総長! ご無事ですか!?」
「おケガは……!?」
「なっちゃん、あっちゃん。俺はともかく、ご当主様や都季ちゃんもおるんやで? 総長大好きなんはええけど、状況を見いや」
粗方片付いた入口の方向からは七海が、反対からは梓が血相を変えて走ってきた。
二人が口に出したのはあくまで誠司の心配だけだ。
不謹慎ではないかと斎が遠回しに言えば、二人は揃って固まった。
「失礼いたしました。以後、気をつけます」
「総長。門の周辺は一掃しましたが、一つ問題と言いますか……」
謝罪した梓に続けて、七海は早く報告をしようとしたのか話を切り替えた。周辺の幻妖や破綻組は減っているが、あまり長い話はできない。
七海は、誠司が視線で先を促したのを見て口を開く。
「十二生肖が数名、門の前で破綻組の侵入を防いでいます。同時に、更科様の返還を求めていますが、いかがいたしましょう?」
「もう来ましたか。まぁ、今日は面会だけの予定ですからね。ご当主様、よろしいでしょうか?」
「ああ。都季さえ無事に逃げられるなら」
誠司の反応からして、十二生肖の到着は予想の範囲内だったようだ。
宗一郎も、都季が一旦、十二生肖のもとに帰ることに異論はなかった。
屋敷の門までは五十メートルもないくらいだが、間に幻妖や破綻組もいると考えれば、短いようで長い距離だ。
「後ろは特務が抑えています。前だけを見て走ってください」
「でも……」
都季はまだ走れるが、足の悪い宗一郎はそうはいかない。
すると、心配した都季の視線に気づいた誠司はすぐに対策を出した。
「ご当主様には別の場所に隠れてもらいます。滝宮、ご当主様を連れて屋敷の奥に。雲英。岸原はまだ外ですか?」
「すぐに呼びます」
誠司はてきぱきと指示を出し、宗一郎を梓に任せて先に移動させた。
次いで七海に問えば、彼は数歩下がって近くの塀に向かって声を張り上げる。
「岸原! 来い!」
「はい!」
塀の向こうにいたのか、慶太の元気な声が返ってきた。
直後、塀の上に現れた慶太は、軽々と地に着地して駆け寄ってくる。その様はまるで飼い主に呼ばれた犬のようで、都季の肩にいた月神は「魁が猟犬ならば、あやつは忠犬だな」と例えた。
回廊には上がらず庭にいるまま見上げてくる慶太に、誠司は新しい任務を言う。
「お願いしますよ」
「はい」
「何をする気なんですか?」
慶太は自らの役割を既に知っているようだ。
都季の問いに、慶太はどこか誇らしげに言う。
「僭越ながら、更科様の代理を勤めさせていただきます」
「代理?」
「更科様、失礼します」
「いたっ」
都季に一歩近寄った誠司は、都季の髪を一本抜いた。
なぜ抜かれたのか分からないまま誠司を見ていると、彼は一枚の小さな和紙を取り出して都季の髪を包んだ。それを慶太に渡しながら、「写し身、
「『更科様』、どうかご無事で」
「え?」
誠司は都季ではなく慶太にそう言って、ルーイン達のいる方向へと向かわせた。
都季には何が起こったか分からず、ただ困惑したように慶太が去った方と誠司を交互に見る。
「更科様の身代わりです。今、岸原の姿は、ラグナロクには更科様に見えています」
「なっ!?」
誠司は予測していた。ラグナロクの奇襲があることを。
予め面会の場を別荘にしたのも、襲撃に対して存分に暴れられるようにするためだ。そして、襲撃が起これば、都季を逃がすために慶太を身代わりにすることまでを用意していた。
「城木はこのまま屋敷内の破綻組および幻妖制圧に。雲英は屋敷外の制圧を不知火と共に行ってください。桜庭は滝宮と共にご当主様の護衛をお願いします」
「そういや、総長はどないすんの?」
「私はラグナロクの力を見極めてきます。岸原ならうまく引き出してくれるでしょう。更科様は――」
都季を外まで導く者の名を出すより先に、誠司の腕が何者かに掴まれた。
誰だと視線を向ければ、それは怒りを必死に押し殺している様子の都季だった。
「それって、岸原さんはただ力を見るためだけの囮ってことですか?」
「……そうです。あなたを確実に外まで逃がすだけでなく、未だ不明なラグナロクの力を出させるための餌にもなる。彼は快く引き受けていましたよ」
淡々と言う誠司には躊躇いも戸惑いもない。
無邪気に笑う慶太の姿が都季の脳裏に浮かんだ。そして、慶太と七海を部屋に上げたときの会話が。
――俺、依人になったのは、親友を助けるためなんです。
何気なく慶太に訊いた依人になったきっかけ。そして、特務にいる理由を。
――でも、結局は救えなくて、すっごく後悔したんです。そしたら、今度は俺が破綻しかけちゃって。
元は慶太も一般人であり、幻妖世界のことは少しも知らなかった上、心霊関係は苦手で近づこうともしなかった。
だが、親友が都市伝説的な幻妖の噂に興味を持ち、一緒に探した結果、自身も幻妖世界に触れた。
その時、偶然にも居合わせたのが特務の誠司達だった。
――あれを落ちつかせてくれたのは、他でもないあの総長なんです。それに、七海先輩はいつも説教してばかりですが、きちんと面倒は見てくれますし、副長や他の先輩方も……個性は強いですけど、すごく優しいんです。だから――
「『特務は家族みたいなもの』って岸原さんは言っていたのに……。なのに、あなたは、大事な仲間を道具みたいに使えるんですか? 大事な人が傷つくのを、黙って見ていられるんですか!?」
「岸原が……?」
あの日、部屋にいた七海は、一部しか聞いていなかった会話の全貌を理解したと同時に驚いた。
だが、誠司は顔色一つ変えなかった。腕を掴む都季の手を外させ、彼に背を向けて言う。
「今は任務中ですから、自らの為すべきことを優先するまでです。例え、今のように組織の者が囮になるとしても、それは変わりません」
「っ!」
「都季ちゃん」
激昂しかけた都季を間に入った斎が止めた。
誠司は特に気にした様子もなく、慶太の向かった方へと足を進める。
これ以上、話す時間がないためだが、納得のいかない都季はこのまま引き下がることもできなかった。
そんな都季を諭すように、斎は落ちついた声音で続ける。
「慶ちゃんも俺らも、例え囮になったとしても総長を信じとるけん、こうやって敵さん方にたった一人でも立ち向かえるんや。囮になっても助けはある。上手くやってくれるってな」
確かに、信頼の成せる技だろう。だが、それで局は紗智を失っているのだ。最も、あれは破綻組側の能力に予想外のものがあったためだが、それは当時だけでなく今でも当てはまる。
失ってからでは遅いと身に染みているからこそ、都季は自身も口にする気はなかった言葉を出す。
「特務も局も、やり方は大して変わりないんですね」
「…………」
小さく放たれた都季の言葉を耳聡く聞き取った誠司が足を止める。
言うねぇ、と苦笑を零した斎は、近くに現れた気配に気づいて軽く流すことにした。
「どこもそんなもんやで。セーラちゃん、あと頼んだわ」
「承知いたしました」
「うわ、ちょっ!?」
宗一郎達が入って行った部屋の方から現れたのは、今まで見たどの特務の人よりもがっしりとした男性だ。
スキンヘッドに強面、幅の広い体格に怯んだ都季は、あっという間に肩に担ぎ上げられた。
一気に襲ってきた浮遊感に恐怖を覚えて体を強張らせると、それは彼の発言によって別の感情へと変わった。
「あらぁ、軽い。ボク、そのままじっとしてなさい」
「は!?」
「セーラちゃん……本名は『
「何をですか!?」
先ほどの低い声と違った、女性らしい言葉遣いとややトーンの上がった声。
激しいギャップに恐怖も吹き飛び、困惑する都季に斎は軽く笑っていた。
破綻組や幻妖に対する危機感とは別の危機感に焦っていると、都季を担いだ清太郎が顔つきに似合わない言葉遣いで斎を窘める。
「やだぁ。副長ったら、本名言わないでよ!」
「あははー。堪忍な」
「アタシのことは、『セーラちゃん』か『セーラさん』って呼んでね」
「……濃いのぅ」
「つっきー。下手なこと言うな」
語尾に星を飛ばしそうな清太郎もといセーラにぼやいた月神だが、体を掴まれている都季は彼の行動ひとつで身の安全が大きく変わる。あまり逆撫でるような発言は控えたいのが今の本音だ。
そんな都季をよそに、斎は表情を引き締め、担がれた都季に一歩近づく。
「あとな、都季ちゃん」
「はい」
「俺も総長も、アンタの一回り近く上やねん。このセーラちゃんに至っては倍かな。酸いも甘いも辛いも苦いも、さらに上の人には敵わんけど、アンタよりは知っとるはずやで。特に、組織をまとめる人はな」
「…………」
先ほどの誠司への言葉を言及しているのだとはすぐに分かった。
頭に血が昇っていたとはいえ、浅はかだったと少しばかり反省する。
そんな都季を見てか、斎はまたにっこりと笑んで都季の頭を軽く叩くように撫でた。
「総長はああ見えてナイーブやさかい、比較はよしたげてな?」
「……じゃあ、そっちも改善をお願いします」
「ははっ。それは堪忍やで」
言い過ぎたと反省はしたが、それはあくまでも特務のやり方に納得したからではない。
もっといい方法はあるはずだ、と都季なりに最後まで反発した。
「副長」
「おお、すまんすまん。はよ行き」
「はっ!」
急かすセーラに謝り、その背を軽く叩いた。
セーラの返事は打って変わって野太く、都季はまたもや寿命が縮まる思いをした。
去り行くセーラと都季と月神を見ながら、斎は背を向けて足を止めたままの誠司に言う。
「あの子、『彼女』とよう似たこと言うなぁ。しかも、『大事な人が傷つくのを、黙って見ていられるんですか』やって。痛いとこ突かれたなぁ?」
「私語は慎みなさい」
「はいはい。でも、一言だけ許したってな」
茶化すような斎を窘めるも、彼は懲りずに言葉を続けるために表情を変える。
「『大事な人』がこれ以上傷つかないよう、突き放すことも必要だ」
「……無駄な時間を費やすな。さっさと行け」
「おー、怖。ほんなら、いっちょやったりますかー」
それは、誠司が何度も自身に言い聞かせてきた言葉だった。
今さら言われるまでもない、と再び足を進める誠司を見て、斎は軽く肩を竦めて自らも宗一郎の元へと向かうことにした。
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