第19話 襲撃


 宗一郎が何を言うのか分からず、怯んでいた都季の目の前で、彼は徐に頭を下げた。

 予想の斜め上をいく行動に、都季は一瞬、何が起きているのか理解できなかった。


「え……?」

「すまなかった」


 悲痛な声は、連れ戻すための演技などではない。

 宗一郎はゆっくりと頭を上げると、申し訳なさそうに視線を畳の上に落としたまま言葉を続ける。


「謝って済む問題でないことは重々承知している。あの日、結奈と和樹の申し出を受け入れていれば、こんなことにはならなかった」

「…………」


 両親からは、百澄が結婚に反対していたことは聞いていない。言えるはずもなかったのだろう。

 ただ、幼い頃、周りからは祖父母の話が出るのに、都季は会ったこともないのが不思議で何度か訊ねたことはあった。父方の祖父母は亡くなっており、母方は「お母さんが大きな喧嘩をしているから、仲直りしたらね」と言われるだけだったが。

 だからこそ、突然、現れた宗一郎達にはかなり驚いた。そして、百澄で過ごす内に、両親の結婚は反対されていたのだと知った。


「何と言おうと、言い訳にしかならないことは分かっている。だが、あの時、堅い風習や和樹の出自に囚われずに迎えてやればと思うと、後悔してばかりだ」


 その念から、二人が亡くなったと聞いてすぐに都季を迎えに行った。

 彼は巫女の子供であり、霊力があろうとなかろうと、幻妖に狙われる可能性は大いにある。ただの一時も都季を一人にすべきではないと……これ以上、後悔を重ねないようにと思って。


「だが、結奈はやはり、最期まで私達にお前を引き取ることを許してはくれなかった」

「委託書か」

「はい」


 委託書の存在を知ったのは、茜が紙を持って目の前に立ちはだかったからだ。

 「結奈から託されたからには、私は全力で彼を守ります。それが、十二生肖として……彼女の友人として、最期に彼女にしてやれることなんです」と言った茜の目尻は赤くなっていた。

 毅然とした姿勢を崩さない、涙を一つも見せない屈強な女性だという印象の彼女でも、やはり友人の死は辛かったのだ。


「ですが、私達は結奈の忘れ形見である都季を手離したくなかった。もう二度と、失いたくはなかった」

「茜が融通の利く娘で良かったのぅ」

「彼女には感謝しています。憎いはずの私達に、それでも都季が少しでも安全な生活を送れるのならと託してくれた」


 茜も、決して安易に決断を下していない。まだ年若い彼女の、表に見せない不安を突いて心を揺さぶり、百澄のほうがより安全であると言いくるめられたようなものだ。

 そして、都季は警備が厳重な百澄に引き取られた。


「だが、都季を引き取ったはいいが、お主らは怖がりすぎたのぅ」

「どういうこと?」

「都季を見れば、嫌でも結奈を思い出す。そして、自身の行為を悔やむ」


 月神はすべてを見透かすかのように言った。

 事実なのか、宗一郎は否定せずに目を閉じて眉間に皺を寄せていた。


「『後悔』という言葉があるように、人はいつも後になってから気づくのだ。そして、失ったものや失敗が大きければ大きいほど、『次』を恐れる」

「お恥ずかしい話です。私も妻も、都季を失いたくないと思いながら、彼に会えば結奈を思い出し、都季に向き合うことすらしていなかった」


 都季が二人の態度を冷たいと感じたのは、喪失感や罪悪感が込み上げるために遠ざかっていたからだ。

 周囲はそんな当主や奥方の態度を、「駆け落ちした娘の子供だから認めたくないのだろう」と取り、都季を敬遠していた。


「あの日、お前が家を出たいと言ったとき、引き留めたかった反面……少しばかり安堵もした」

「俺を見なくて済むからですか」

「……そうだな。亥野殿も後見の件を了承してくれた。お前を『百澄』という檻から出せるならと思ったが、やはり、また後悔した」


 本心だけを述べるつもりの宗一郎は、躊躇いつつも頷いた。ここで取り繕ったところで意味はない。

 茜に都季が百澄を出て一人暮らしをすると伝えたとき、電話越しでも怒りが伝わってきた。怒鳴られたわけではないが、返事をする声には押し殺しきれていない感情の端が滲んでいたのだ。これで顔を合わせていたら、一発くらいは殴られていただろう。

 宗一郎が都季を真っ直ぐに見据える。


「もう迷わん。次こそ、私も妻もお前を受け入れ、共に暮らしたい」

「でも、俺には月神もいますし、局のことも……」

「それに関しては好きにしてくれて構わない。縛っておいてはいけないとよく分かった。あやつらの目を遠ざけようにも、もう手遅れだ。対応手段を局で学んでいたほうが安全だろう」

「『あやつら』?」


 百澄と局の仲はあまり良好ではないかと思いきや、宗一郎はあっさりと了承した。

 ただ、都季は彼が出した「あやつら」が何を指しているかが分からずに首を傾げる。

 その時、外で爆竹が爆ぜたかのような音がした。


「っ!?」

「答えは後日。今は――」


 宗一郎が言い終えるよりも早く、障子が人影と共に中に飛ばされてくる。

 ぶつかる、と都季は腕を翳して目を瞑った。宗一郎が都季を庇おうと腕を伸ばしてきたのが、閉じかけた視界の端に映る。

 だが、障子と都季達の間に風の塊が発生し、衝突は免れた。すぐそばで、物が倒れる激しい音はしたが。

 風が収まった後、翳していた腕を下ろして見れば、障子を倒した人物――伊吹が畳の上に転がっていた。近くには彼が持っていたのであろうショットガンが落ちている。

 素早く体を起こした彼は、口の端に滲んだ血を手の甲で拭いながら忌々しげに吐き捨てた。


「くそっ!」

「し、城木さん!?」

「俺の風はクッションじゃねぇっつの!」


 粗々しく吐き捨てて銃を構え、対象を狙う。その目つきや口調は、ハンドルを握ったときと同じだ。

 銃口の先を追えば、先日、宣戦布告だと姿を現したルーインが庭に立っていた。その周囲には無数の烏や猩々、角や翼を持つ異形の獣が、今にも暴れださんと目を輝かせている。


「調律師が屋敷の周りをうろついてんなと思ったら、罠なんか仕掛けてくれちゃってさァ。おかげで、俺の駒が何個かイッちゃったんだけど」

(……蒼姫か)


 月神は、ちら、と屋敷の周囲に張られている結界を視る。ガラスを割ったのと同じように、数カ所がひび割れて穴が開いていた。

 結界自体は元々張られていたが、蒼姫は巡回ついでにその上に罠を仕掛けていたようだ。簡単に打ち破れないように、また、破ろうとすれば相応の代償が掛かるように。


「ハッ! さすが、局ご自慢の調律師は仕事が早ぇな。ついでに、特務ご自慢の銃弾も一発どうだい?」


 伊吹は口先だけは軽いが、その表情には余裕がない。

 ショットガンを一発放ち、背後にいる都季達に向かって言う。


「ここは俺達が抑える。ご当主サマとアンタは――」

「おい、射撃野郎。いてぇじゃねーかァ」

「ちっ」


 ショットガンの威力は、弾が散ることからも凄まじい。そのはずが、ルーインは掠り傷を負っただけで平然と立っていた。伊吹の目の前に。

 すぐさま二発、三発と放つも、庭に追い出せただけでどれも傷を負わすことはなかった。

 聞き慣れない銃声に怯んでいた都季の腕を宗一郎が掴んだ。


「都季。奥に」

「は、はい」


 襖を開けて奥の部屋に入り、そこから反対側の回廊へと出る。

 だが、すぐに三対の羽を持つ烏の幻妖によって行く手を阻まれた。

 今でこそ、幻妖の霊力が一般人に視えるまでに高まってはいるが、自身が力を持たない宗一郎では対処はできない。

 都季は歯を食い縛ると宗一郎の前に出た。


「こうなったら俺がやる!」

「止めろ。お主はまだ力を長くは使えん。この数相手に倒れれば、足の悪い宗一郎では運べぬ」

「でも……!」


 都季には月神がいるため、まだ危険は少ない。しかし、宗一郎まで守るとなると話は別だ。

 歪みが発生するのを承知の上で力を使うか、と月神が行動に移そうとしたときだった。


「アカン子やなぁ。ちゃーんと飼い主のもとにおらな」

「っ!?」


 背後から余裕のある関西弁が聞こえたかと思いきや、すぐそばを雷で形作られた巨鳥が駆け抜けた。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る