第11話 繰り返される悪夢


 このまま見続けていれば、一番嫌な場面に差し掛かるから起きたのに……と、悠は自分の深層心理を嘲笑った。

 今、目の前に広がるのは、あの日から何度も何度も繰り返している悪夢だ。


「痛い……。悠君、痛いよ……。なにも、壊したくない、のに、勝手に……」


 局を抜け出したミオを追い、十二生肖の一部が動いた。

 通常、十二生肖が破綻者の対処に当たるのは一人か二人くらいだが、半数近くが動いたのにはわけがあった。

 発見したミオの周りには歪みが生じ、次から次へと幻妖が出現している。幻妖の数や破綻したミオの能力が未知数であるところからの人数だった。

 全員で一斉に抑え掛かるか、と皆が実行に移そうとするのを、悠が寸でのところで止めた。

 彼女を傷つけずに救う方法は一つしかないと、心に決めて。


「彼女の中から、幻妖世界に関わる全てをまとめて消します。完全に排除して、残った力を封じます」

「悠……。それ、悠のこと……」


 花音は続きを口にできなかった。言ってしまえば彼の決意を無駄にするのではないか、と。

 渋面を作る花音に、悠は辛そうに笑った。


「いいんです。彼女が、生きて笑っててくれるなら」

「……ガキが大層なことぬかしやがって」

「子供だから言えるんですよ。危険の大きさを知らないから」


 呆れを滲ませた発言の主は、神器の構えを解いた茜だ。

 悠の返しに深い溜め息を吐くと、彼女はミオから周囲の幻妖に向き直って得物を構え直した。


「花音の結界が破られたら、あたしらが動くからな」


 試す価値はあるとみた彼女は、条件をつけてから悠をミオのもとへと行かせた。

 刻裏から受け継いだときと同じく、時折、体の表面に紫電が走るミオは、悠の一歩に僅かに後退する。


「ミオ、ごめん。オレが、絶対に守るって言ったのに、守ってやれなくて……」

「ゆ、う君……。来ないで……頭が、痛い……」


 無理やり笑顔を浮かべて優しい声音で言う悠だが、ミオは聞こえていないのか頭を両手で抱え込みながら蹲った。

 また一歩、ミオに近づくために足を踏み出す。


「だから、すぐに楽にしてやるからさ」

「うっ……」

「また、一緒にどっか行こうか」

「い、たい……げほっ、ごほっ!」


 一歩、また一歩と近寄り、ミオの前に片膝をつく。

 だが、彼女が咳き込みながら血を吐いたとき、後ろにいた花音が何かに気づいて声を上げた。


「っ、霊力が暴走する! 悠、離れて!」

「すぐやる! ミオ、ちょっと我慢しろよ!」

「ぐ、うっ……あああぁぁぁぁ!!」


 ミオの額に手を翳すも、彼女を中心にして迸った風圧と見えない刃に体が押されて尻餅をつく。腕や足に無数の切り傷ができ、鋭い痛みが全身を突き抜ける。

 風は辺りに吹き荒び、様子を見ようとしていた十二生肖達にも襲いかかった。


「ちっ。限界か。悠、まとめてぶっ飛ばすぞ!」

「待って! あと、少し……!」


 悠はなんとか態勢を立て直すと、再びミオの額に手を翳す。

 能力を発動しようとした瞬間、その手はいつかのように掴まれた。


「ゆ、う……くん……」

「ミオ!?」

「わ、たし……忘れ、たく……ない、よ……」

「でもっ!」


 このままでは、彼女は間違いなく肉体が耐えきれずに消滅する。現に、悠の手を掴んだミオの手にはひびが入っており、一部は欠けていた。血が流れていないのは、彼女の体が変異している証だ。

 力が暴走している今、躊躇っている暇はない。

 一刻を争う状況だというのに、ミオの一言が、悠が無理やり押さえ込んだ本心を再び刺激する。忘れてほしくないのは悠とて同じだ。


「やっぱり、わたし、だめだなぁ……。悠君、みたいに……でき、ない……」

「そんなことっ……!」

「あの狐さんの、言うとおり……。わたし、じぶんが、嫌な、だけ、だった……」


 切なげに笑うミオの記憶が悠に流れ込む。

 ミオを見下ろす刻裏の視線は、氷のように冷たい。


 ――お前は、『悠の力になりたい』と思い込み、『普通から逃れたい』という本音を隠していただけだ。


 そう思い込むきっかけが悠との出会いだった。

 悠は自分の無力さ、過去の自分の甘さに下唇を噛み締めた。ミオが幻妖世界のことを知ったとき、否が応でも消していれば結末は違っていた。


「悠君の、力にも……なりたかった、けど……でも……」

「ミオ。ちょっと黙って」


 破綻の進行はかなり速く、もはや手の施しようのないレベルに到達している。

 救いたいと思う気持ちは変わらない。

 しかし、“子”として受け継がれた知識が、古い記憶が、すべて無駄だと告げている。


「逆に……めいわく、かけちゃった……」

「黙って!」


 それはミオだけでなく、自身が持つ記憶にも言った言葉だった。

 悠は歯を食い縛ると、顔を歪めながらミオの手を強く握り締めた。


「オレが、助ける……!」


 ミオは記憶を消されたくないと言った。

 悠は彼女を消したくないと願った。

 このままミオが消滅してしまえば、記憶がなくなるどころの話ではない。

 ならば、答えは一つだ。

 悠は能力を最大限に発揮するため、集中しようと目を閉じる。

 一方で、周りで歪みを塞いだり、幻妖の討伐や捕獲に当たっていた十二生肖の一人、魁は改善されない状況に眉を顰めた。


「マズい。力を嗅ぎつけた他の幻妖も来てるぜ」

「仕方ねぇなぁ。おい、悠」


 茜が集中する悠に声をかける。

 当然ながら返答はないが、耳には届いているはずだと言葉を続けた。


「チャンスは一回だ。腹括れよ」


 悠の霊力がさらに研ぎ澄まされていく。

 それが返事の代わりだと取った茜は、襲い掛かってきた四つの翼を持つ鳥を斬り捨てて封妖石を翳す。

 石から赤い光の蔓が伸び、鳥を絡め取って包み込む。

 覆われて姿が見えなくなった鳥は、光に引っ張られて封妖石に閉じ込められた。


「ったく。最近のガキはマセててめんどくせぇな」

「茜ちゃん、聞こえるって」

「聞かせてんだよ」


 ぼやいた茜を花音が軽く諌めるも、彼女はそれでいいようだ。最も、集中をしている悠には返す余裕もないのだが。


「……もう一度、最初からやり直そう」

「悠、君……」


 辛そうに顔を歪めたミオの額に手を翳す。

 ミオは体を動かすことさえできないのか、手首を掴まれることはなかった。


「消――」

「悠!」

「っ!?」


 消去、と呟けば終わりだった。

 助かるかどうかは分からないが、あとは彼女次第だと。

 しかし、悠の言葉は魁の叫びと迫った殺気によって遮られた。

 振り返った悠の視界に飛び込んできたのは、背後に開いた歪みから現れた長い牙を持つ虎だ。

 標的を定めた太い腕が振り上げられる。その先に備わった鋭い爪が、獲物を引き裂かんと伸びた。


 ――ああ、もうダメだ。


 周りの光景がスローモーションのように流れる。

 この距離では避けられない。避けたとしてもミオに当たってしまう。

 ここで終わるのか、とミオの体を抱く手に力を込めようとしたとき、腕の中でその体が身動いだ。


「だめ……!」


 直後、ミオのひび割れた腕が幻妖に向けて上げられた。


「ギャウウゥゥゥ!!」


 ミオが翳した手から波紋のように広がった力。それに幻妖の爪が触れた途端、先から砕けて散った。

 無数の破片となった幻妖を呆然と見ていた悠だったが、咳き込むミオにハッと我に返って彼女を見た。

 力を使ったことで体には少なからず負担が掛かったのだろう。

 血の塊を吐くミオに、悠は愕然としたまま声を絞り出した。


「な、にを、したんだ……?」

「ごほっ……あ、はは……。ゆ、くん……。わ、たし、役に立った……?」


 体はボロボロで、吐いた血が口元や首、服を汚す。

 もはや痛みや苦しみは麻痺して分からないレベルだろう。体の状態から考えても、破綻の進行は二級に値する。自我があるのは奇跡といっていい。

 うっすらと笑んだミオに、多くの言葉が浮かんでは喉で詰まる。


「そんな……っ、誰も、こんな方法で役に立てって言ってないだろ!?」

「ふふっ。悠君、なんで、泣いてるの……?」


 再び伸ばされた手が悠の頬に触れた。

 目尻を拭う指の感覚で、初めて泣いているのだと気づいた。演技ではなく、自然と流したのはいつ振りだろうか。

 慌ててミオから顔を離し、無理矢理な強がりで返す。


「誰が泣くか!」

「ありがとう……。悠君は、ちゃんと……『約束』、守ってくれた」

「守ってない」


 こんな結末では、約束は果たせていない。

 悠が約束をしたのは、彼女を危険や破綻から守ることだ。

 けれど、ミオはゆっくりと首を左右に振った。


「もう、痛くないよ」

「そ、んなの、約束、してない、し……それ、は……」


 ――僕がやったことじゃなくて、破綻の進行のせいだ。


 声が震えて、続きが言えない。視界が滲む。

 また泣いているとからかわれたくないのに、涙腺は止まってはくれない。

 ミオは目を細め、涙声で枯れて震えるのを押し込めながら呟いた。


「もっと、一緒に……いたかっ、た、なぁ……」


 悠の頬から手が滑り落ちる。

 ゆっくりと閉じられた瞼は開かなくなった。


「ミ、オ……? ミオ……おい、ミオってば……っ!」


 ミオの体が、指先や足先から崩れていく。

 土人形が崩れたような塊は、地に落ちては灰となって飛んでいき、崩れなかった部分も端から風化して消えていった。

 全身から力が抜ける。目の前の現実を脳は拒否し続ける。


「そ、んな……」

「悠」


 後ろに立つ十二生肖の誰かが名を呼ぶ。

 それでも、悠は振り返らずに『ミオ』であった手に残る灰を握り締めた。

 答えてしまえば、彼女の消滅を認めてしまいそうだった。


「約束なんて……」


 いつか、彼女と約束を交わした自分を、何もできなかった自分を殴りたい気持ちで一杯だ。

 安い気持ちではなったはずだ、と内心で自分を叱責する。


「オレは――……」


 ――何を、彼女にできたのだろうか。




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