第12話 タイムリミット


「……約束、か」


 天降神社の展望台。木製のベンチに腰掛けたまま、少しの間だけ眠っていたようだ。

 西に傾いた陽が開いたばかりの目を刺激する。

 夏が近い今、夕方の時間帯でもまだ辺りは十分に明るい。空を飛ぶ烏は巣に帰っている途中だろうか。


「僕はね、簡単な気持ちで約束したはずじゃないんですよ」


 自分以外に誰もいないはずの展望台で、悠は独り言ではなく語りかけた。

 柔く吹いた風が、留めていない長い前髪を揺らす。


「でも、実際は約束なんて簡単に破られた。ああ、『破った』っていうほうが正しいのかな」


 背後で砂利が擦れる音がした。授業をサボっていた悠を起こしに来たミオのときと違い、今は複数の人影が背後にある。

 息切れは長い階段を駆け上がってきたからだ。


「悠……」

「ねぇ、先輩。約束ってなんでやるんでしょうね?」

「…………」


 ベンチから立ち上がり、悠は背後にいる都季達を振り返って見た。

 明るいおかげで、互いの表情は離れていてもよく分かる。

 場所を探り当てられないように霊力も気配も消していたはずだが、魁の足元にいる暮葉は僅かな霊力の残滓を嗅ぎつけられたようだ。

 これも月神を保有する都季の影響だが、恐らく本人には自覚がないだろう。


「琴音。イノ姐に連絡しろ」

「うん」

「『約束』って、将来のことを考えて互いに決めたこととか、集団の中でのルール、前から決まっている運命ってことなんですよね?」

「そうだな」


 魁と琴音は気にせず、悠は都季を真っ直ぐに見ている。

 都季も悠から視線を外さずに頷いた。

 何か一つでも答えを誤れば崩れそうな緊張感の中、悠は言葉を続ける。


「普通、破っちゃいけないものだし、運命なら破れるものじゃない。でも、人間は無謀な約束すら簡単にしてしまう。ホント、馬鹿だよねぇ」


 まるで自分を嘲笑っているような言い方に、かける言葉が見つからない。

 すると、琴音が連絡を取るために離れたことを確認した魁が都季の隣に歩み出た。


「悠。もう終わったことなんだ。いつまでも過去に縛られるな」

「魁先輩だって、僕と同じじゃないんですか?」

「同じ……?」


 魁も似た境遇を持つのか。

 都季が説明を求めるように魁を見るも、彼はただ悠を見つめたままで否定も肯定もしなかった。


「約束しても守れなかった。局に従って、貴方は十二生肖の選定で家族と争った。仲が良かった弟や妹に傷を負わせたことを悔いて家を出たんですよね?」

「え……?」

「…………」


 いつもならすぐに声を荒げていそうな魁だが、反発もせず言われたことを受け入れている。

 実家が同じ町内にあるのに一人暮らしをしている理由を、彼は家がうるさい上に人が集まったときに便利だからと言っていた。だが、その真実は大きく違った。


「家族で争うなんて……」

「寅、申、戌、亥の四つは、戦闘力が重要視される。故に、各家系内では誰がより強い力を持つのか、一族が率先してその場を設けるのだ」

「じゃあ、茜さんや虎皇さん、猿楽先輩も?」

「左様」


 愕然とする都季に、今まで黙っていた月神が説明した。

 月神としては戦いの場を設けずともいいのだが、実戦の中で見えるものもあるか、と止めさせなかった。現に、選定の際の参考にしている。

 形式は様々だが、どれも危険を伴うものばかりだ。

 月神から再び魁に視線を戻せば、それに気づいた彼は困ったような笑みを浮かべた。


「俺は長男だし、十二生肖に選ばれる可能性は周りから見れば高かったかもしれない。でも、選ばれるには『強さ』だけじゃなくて、『使い方』も重要になる」


 大きな力を持っていたとしても、うまく扱えなければ宝の持ち腐れだ。

 そして、すべてを通して見たとき、優れているのは魁の二つ年下の弟だった。

 仲が良かったからこそ、魁はそのことにいち早く気づくことができたのだ。


「弟も妹も、皆が身内で争うなんて嫌だって泣いてた。でも、やらなきゃいけなかったから、俺は力の強さに任せてアイツらを圧したんだ。加減を間違えてケガさせちまったけど、逆にあいつらの戦意を削ぐことができた」


 都季の脳裏に、つい先ほどの月神の言葉が蘇る。魁は力の使い方が荒い、と。

 そこに、本来であれば十二生肖には選ばれなかったという事実を見た気がした。魁もその事実を受け入れているのだと。


「十二生肖の立ち位置は、幻妖や一般人に疎外された依人からすりゃ異常だからな。アイツらに業は背負わせねぇし、危険な目に遭わせたくもねぇ。だから、決めたんだ」


 魁の覚悟。決して破らないと誓った約束。

 十二生肖として十二年間生きていくのは、行動が縛られることも多い上に命の危険が伴う他、依人や幻妖だけでなく、人間からも差別される場合がある。

 身内で争って心が傷ついているのに、その先にあるのは辛い現実だ。もちろん、辛いことばかりではないが、楽しいことが少ないのも事実。

 だからこそ、魁は自身でそう決めたのだ。


「へぇ、カッコいいこと言ってくれますね」

「カッコいいことあるかよ。結局、十二生肖に選ばれても、友達の一人さえろくに守れてねぇんだから」


 冷ややかな悠に対し、魁も冷静だった。ただ、握り締めた拳からは悔しさが伝わってくる。

 魁の言葉を聞いた都季は、自身が局に入るかどうかという選択を迫られたときを思い出した。酷く焦っていた魁の姿を。


「俺が局に入るかどうかっていうとき、止めたのはそのせいなのか?」

「……半分はな。まぁ、そんな話は後だ。今はお前だよ、悠」


 魁の過去を気にしている場合ではない。彼もこれ以上、話を続けることを望んでいないようだ。

 都季はそう自身に言い聞かせて悠に向き直った。

 何を話せば考えを改めてくれるのかと思考を巡らせる。


「悠が、二年前に大事な人を亡くしたのは聞いた」

「…………」

「悪いな。都季がなんで狙われなきゃいけねぇのか、その理由を知る権利くらいあるだろ」

「……そうですね」


 どうして彼女のことを知っているのか、と都季から魁に視線を移した悠だが、彼の言葉にも一理ある。

 目を閉じて息を吐くと、再び都季を見て自分の口から話した。


「確かに、僕は二年前に彼女を守れずに消してしまった。でも、その原因の一つは局にある」


 悠が言った「局」という、言葉にしてたった三文字に、強い憎しみが込められている気がした。一夜も局に恋人を殺されたのだと憎んでいたが、それを上回る……歴代の子の感情が積み重なった分のようだ。

 しかし、憎む理由は一夜と同じだ。


「局はね、つまらないことに戦力は使いません。破綻組なんて救う価値もないと思っているのが普通です。彼女のときも、あなた達は動かなかった」

「五級であれば救いようはある。四級以降は難しいが、五級は力ある調律師が霊力を整えてやれば修復可能なはず。もし調律師が無理ならば、我か分神が向かう」


 ミオが保護されたとき、まだ破綻は辛うじて初期段階であり、調律師が対応に当たっていた。

 しかし、力を整える作業も長時間に渡ると肉体に負担をかけてしまうため、間を空ける必要が出てくる。その隙に彼女は局から脱走し、すぐに四級、三級、最終的には二級へと進行したのだ。

 なぜ、油断をしてしまったのか、と後悔はやがて局への疑念に変わった。


「じゃあ、なんで彼女は見捨てられたんだ! 彼女だけじゃない。五級はどれだけの人が救われていると思います? 破綻組全体の一割にも満たないんですよ? 実際、あなたも呼ばれた回数はほとんどないでしょう?」

「…………」


 事実なのか、月神は口を閉ざしてしまった。

 五級の期間は、個体差はあれど基本的にごく短く、異変も大半が分かりにくいものだ。ミオの場合、継承した力が強すぎたことですぐに破綻したと分かったが。


「昔から、局は人手も足りていない状態で、継承組の管理どころか把握すら難しいのが現状です。それなら、いっそのこと数を減らしたほうが好都合なんですよ」


 依人の数を故意に減らす。

 絶対にあってはならないことだが、今の状況では「人が足りていないから仕方がない」で片付けられる範囲だった。


「彼女は狐によって力を継承してしまった。あの妖狐が、無駄だと分かっているのになんで継承したのか、そんな理由はもうどうだっていいんです。局を変えなきゃって決心できたから」

「悠……」


 悠の心はある一つの目的に定まっている。

 月神を破壊し、局を瓦解させると。そうしなければ、また同じように破綻組は切り捨てられてしまう。救える命も救えない。


「先輩。何かを変えるには、何かが犠牲にならなくちゃいけないんです」

「それが都季だって言うのかよ」

「ええ、そうです。だって、都季先輩、僕が親切にも忠告してあげたのに、あっさりと力を使っちゃったじゃないですか」


 廃工場で、都季は月神の力を具現化させた。小さな狼ではあったが、それでも力は月神そのもの。いとも容易く幻妖や破綻組を蹴散らしてくれた。

 結果、月神は器を都季に定着させ、今や離れられない状態だ。


「あのとき、月神を離していれば、都季先輩は助かったんですけどね」


 月神が定着しなければ、悠の標的は月神のみだった。

 ただ、全知全能ではないとしてもその力は絶大。血統組であれど、人の血を持つ悠が敵う相手ではないのは明白だ。


「月神を壊すなんて無茶な……」

「相打ちになればいいところでしょうね。ま、僕が犠牲になるってことですか」


 嫌な顔一つせずにあっさりと、他人事のように言う悠の本心が見えない。

 ふと、都季はあることに気づいた。


「なぁ、悠。別に、誰かが犠牲にならなくても、違う方法があるんじゃないか?」

「はぁ?」


 説得の良い言葉は思い浮かばない。しかし、悠は一夜と同じように大事な人を目の前で亡くし、今の局に不満と不信を抱き、変えたいともがいている。

 ならば、誰かが犠牲になるよりも、変えたい者同士で納得のいく方法があるのではないかと思ったのだ。

 一か八かで、都季は一夜と同じ説得を試みた。


「悠はいなかったから知らないと思うけど……俺が、局を変えてみせる。だから、少しだけ待ってほしいんだ」

「あなたが? どうやって?」

「今すぐは難しいけど、でも、いろいろと知っていけば、方法は見つかると思うんだ」


 今まで局の外で過ごしたからこそ、違和感に気づけるかもしれない。不本意ではあるが、母の血筋であることを利用すれば、局で未だ権力を持つという先代とも話し合えるかもしれないのだ。


「悠がやろうとするやり方より、ずっと時間は掛かる。いくら母さんの子供だからって、所詮は未成年だし、何も知らなかったしな」

「…………」

「でも……だからこそ、いろいろ知ってる悠にも力を貸してほしいんだ」


 都季を真っ直ぐに見据えた悠は、まるでこちらの真意を読み取ろうとしているかのようだ。

 少しの静寂ののち、悠の溜め息がやたら大きく聞こえた。


「都季先輩。それは本気ですか?」

「本気だ」

「そうですか……」


 納得とも落胆とも取れる言い方に、緊張から心臓の鼓動が早まる。

 俯いた悠は、顔を上げて都季を見ると辛そうに笑った。


「残念です」

「え……」


 落胆と拒絶。

 その二つの感情をぶつけられて言葉を失う。


「僕には時間がないんですよ」

「時間が、ない?」

「子は代々、短命です。役を継がなかった人で、せいぜい、五十まで生きられればいいんじゃないですか? ま、僕の場合は役を降りた時点でアウトってとこですか」


 動物のネズミは、長く生きて三、四年。人間の時間からすれば遥かに短い時だ。それが、十二生肖の子にも当てはまるというのか。

 しかし、十二生肖でなくなった時点でなぜダメなのか。その疑問には月神が答えてくれた。


「子はその能力が脳に負担をかけ、不治の病に掛かるか精神をやられることが多い。だから、自ら命を絶つか動けなくなる者が多いのだ」


 役にならない者も、能力はある程度使えるために脳に負担を掛けるのは同じだ。ただ、子の役を受け継いだ者とは使用頻度と操作する量に大きな差がある。

 役を継承した者は、月神の加護によって負担も軽減されているが、役を降りれば抑えられてきた負担が反動として襲いかかるのだ。


「先代は十二生肖をやっていたおかげで六十過ぎまで動けていましたけど、僕に十二生肖の座を渡した後に衰弱し、今や植物状態ですから」


 もし、悠も同じことになるならば、期限はあと九年。長いようで短い時間だ。


「僕は急いでいるんです。だから、都季先輩の成長を待つ暇はありません」

「意思は変わらぬということだな?」


 月神の目が剣呑に細められる。

 悠も決意の籠もる瞳で見返して頷いた。


「ええ。僕は帰りませんよ、今さら」

「ほう、そうか」

「っ!」


 悠がそう言い切ったと同時に聞こえた新たな声。

 怒りを孕んだその声だけでなく、押し潰さんばかりの重圧によって全員が動きを一瞬だけ止めた。

 直後、都季の背後から放たれた輝く光の刃が、地を抉りながら悠に襲いかかった。



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