第7話 和解の道


 一区切りついたところで、張り詰めていた緊張感を解いた茜は、空になったカップを持ってカウンター内に移動した。

 コーヒーを淹れ直しながら、先ほどより軽い口調で訊ねる。


「で、何か良い案はあんのか?」

「いえ、まったく」

「そうか。まったく……は?」


 ゆっくりと広がるコーヒーの香りをすっぱり切り裂くような答えを、初めは意味が理解できなかった。

 だが、すぐに反芻すると思考はぴたりと止まる。

 都季を見れば、彼はさらりと言ってのけた。


「具体的には思い浮かばないので、とりあえず、悠に話を聞くしかないと思います」

「はぁ!?」


 極めて原始的な方法に上げた声が裏返る。

 茜の視界の隅に入った他の面々も、驚きから言葉を失っていた。ただ、月神だけはどこか楽しそうに笑みを浮かべていたが。


「悠が俺達に何をしてほしいか、まずそれを知らなきゃ、俺達がどう動いたって無駄ですよね?」

「そうだろうけど……」

「他人のことを他人が分かるわけない。話さないと何も分からないままで終わる」

「……!」


 琴音は覚えのある言葉に驚いて都季を見た。かつて、彼女は似た言葉を悠に言ったことがある。

 一瞬、聞かれていたのかと思ったが、あの場に都季はいなかった。

 あのとき、まだ都季が自分達を受け入れてくれるかは分からなかったが、すべてを打ち明けても彼は変わらないでいてくれた。

 それがどれほど嬉しかったか、都季は知らないだろう。


「もちろん、できることとできないことがあるのは分かりました。でも、譲歩できるところとか、改善できるところがあるかもしれません」

「それを、話して知るってか?」

「はい。方法を考えるより……じっと待っているよりは、まずは動いたほうがいいかなって思ったんですけど……どうでしょうか?」


 これが、都季が考えた結果の「良い案」だ。

 困ったように笑んで提案した都季に、茜はもはや溜め息しか出なかった。


「はぁ……。まったく、お前は……」


 初歩的な方法だからこそ思いつかなかったものの、今まで真面目に考えていたのが馬鹿らしく思えてきた。

 茜は小さく笑みを浮かべると、カウンター越しに都季を見る。


「お前がそれでいいと思うならやってみろ。責任は大人に任せとけ」

「「え」」


 固まったのはその「大人」に入る龍司と紫苑だ。てっきり、茜が責任を取るものだと流れから思っていた。

 当の彼女は、大人二人の反応にムッとしながらも言う。


「未成年が頑張ってる中、あたしらだけ何もしねぇのは違うだろうが」

「いや、そうだけど」

「『責任を取る』とは……」


 嫌なものが脳裏を横切る。

 何もできなかったとき、悠をどうするのかという。

 汚れ役が嫌だとは言わないが、都季が救いたいと宣言した手前、それを口にするのは憚られた。

 しかし、茜が言った責任の取り方は、龍司が思い浮かべたものにほんの少し掠める程度のものだった。


「そのままの意味だ。もし、都季がどうもできなかったら、あたしらが捻り潰す」

「それトドメ刺してる!」

「うるせぇ。更科がうまくいけばいいんだよ」

「あれ? なんか、俺、また大変なことやろうとしてる?」

「今さら気づいたのか」


 声を上げた紫苑を一蹴した茜を見た都季は、局を変えることと同様に大きな事をやろうとしていると気づいた。

 さして考えもしていなかったのかと、月神はつい呆れを滲ませる。

 ぎゃあぎゃあと喚く紫苑を、カウンター内から出て来た茜が殴って黙らせた。

 埃を払うかのように手を何度か叩いた後、開店しているときと比べてがらんとしたホールを見渡す。


「ま、更科はもちろんだが……先にあれだ。悠を救う鍵は、お前にもかかってるだろうな」

「へ? 俺?」


 茜が視線を止めたのは魁だ。

 今まで会話に入っていなかった彼は、周囲を見回してから自身を指さして目を瞬かせた。

 そんな魁を見て、茜は言葉を付け足す。


「正確には、前回出番を削られてしまったお前の神使だな」

「暮葉? 前回って?」


 突然、指名を受けた魁は、話についていけずに首を傾げる。

 魁がケガで不在だったとき、一夜を探そうとして暮葉の名が挙がっていた。ただ、暮葉を魁から借りる前に歪みが発生し、必要なくなってしまったが。

 今は宝月から出していないが、こちらの会話は神使に届く。

 そのせいか、呼ばれた名に答えるように魁の宝月が淡く輝いた。


「会って話すにしても居場所が分からない。アイツは記憶を弄れるから、警邏や調律師じゃ紛らわされて終わりだ。でも、普通の犬じゃない暮葉なら、アイツの匂いを辿っていける」

「なるほど。匂いは記憶と違って弄れないもんな。それに、暮葉は霊力も匂いで追えるから……って! 月神は!?」

「ん?」


 傍観に徹していた月神は、きょとんとしながら魁へと視線を向ける。

 もちろん、暮葉を使うことに対して反対はしないが、月神ならばもっと早く、正確に居場所を探ることができるはずだ。


「月神なら、悠の気配とか追うことができるんじゃ……」

「無駄だ。あやつ、何といるかは分からんが、気配が途絶えておるのだ」

「マジっスか」


 茜が悠の捜索に当たって真っ先に月神を頼らなかったのは、月神自ら名乗り出なかったところから想定したのだ。また、半分は人間である彼女達も、離れた位置から悠の気配を感じることはできない。

 茜はカップに淹れたコーヒーを一口飲んでから、釈然としない様子で言った。


「ホントは能力を無効化できる一夜がいりゃあいいんだが、アイツが悠のことで協力するはずも――」

「ないことはない」

「一夜さん!?」


 どうやら、まだ店の鍵は閉めていなかったらしい。

 カラン、と乾いたベルの音と共にドアが開き、入って来たのは話に上がったばかりの一夜だった。

 彼も悠との一戦で負ったケガが完治していないため、腕や顔には治療の跡が残ったままだ。

 都季の隣を通り過ぎた一夜は、茜がいたカウンター席に座った。


「お主、何をしに来た?」

「何も……ってわけじゃないか。更科には借りがある」

「借り?」

「紗智の件でな」

「あ」


 忘れていたわけではないが、貸しを作ったほどのものでもない。

 示されて気づいた程度の都季に、一夜は両隣の龍司と紫苑に「大丈夫か、こいつ?」と訝る。


「こう見えて、やるときゃやるから大丈夫だよ」

「『巫女の末裔』の肩書きは、飾りではありませんから」

「ふーん……」


 都季は一夜との騒動でも死者の思念を呼び出すという荒業をしてみせた。

 いくら月神の力があれど、それを実現させるほどの力を本人が持たなければ意味を成さない。

 品定めをするように都季を眺めていると、そのそばから突き刺さる視線があることに気づいた。


「おい、猫。また都季に危害を加えようってんなら承知しねぇぞ」

「足ケガしてる駄犬には言われたくないな」

「てめっ!」

「か、魁! 落ちつけって!」


 ピリピリとした魁を逆撫でする一夜は涼しげな顔をしている。

 掴みかかろうとした魁を都季が慌てて止めれば、様子を見ていた茜も溜め息を吐いた。


「一夜。協力してくれるのはいいが、ケンカすんじゃねぇよ」

「ケンカすんなって……俺が借りを返しに来たのは、あくまでもこの平和ボケした『コイツ』にだ」

「え?」


 席から立った一夜が都季の頭をぽんと軽く叩く。

 された都季は何が起こったのか理解が遅れた。

 見上げてくる都季に、彼は口元に笑みを浮かべて言った。


「手掛かりは探しといてやる。とりあえず、お前は今日は帰れ」

「いえ、俺達も手伝いますよ?」

「夜は幻妖の動きも昼より活発になる。それをまだケガの完治していない駄犬と力を完全に発揮しない兎だけじゃ頼りない」

「…………」

「卯京さんが力を完全に発揮しないって……」


 魁のケガはともかく、琴音が力を発揮していないという言葉が引っ掛かった。

 どういう意味か分かりかねた都季は、視線を琴音へと移す。

 しかし、そっと視線を逸らせた彼女は、テーブルの表面を見つめるだけだ。

 意味を理解していない都季を見て、一夜は少し驚いたように目を見開いた。


「お前、まさか――」

「行こう、更科君。送る」

「え?」

「紫苑」

「お、おう。お前ら、また車出してやるから、ちょっと待っとけ」


 一夜の言葉を遮るように琴音が立ち上がる。

 急かすように都季の袖を引く彼女に困惑を見せれば、茜に小突かれた紫苑が慌てたように言った。

 琴音は難しい顔をしているままで、遮ったこともあって詳しくは聞けない雰囲気だ。


「本当に一夜さんだけにお任せしていいんですか?」

「任せていい。夜はお前らの場所じゃない。俺の場所だ」


 居場所をつき止めたら知らせる。

 そう言い残して、一夜は店を出て行った。

 紫苑も車を店の前に移動させると言って出て行き、残った都季達でカップ類を片付ける。

 その手は動かしたまま、都季は不安を零した。


「話すって言ったけど、聞いてくれなかったらどうしよう」

「なんだ。今さら不安になったのか」

「うん……。そもそも、話ができなかったからこうなったわけだし、何を話せばいいのかって思ったんだ」


 腕を組んだ月神が呆れの混じる溜め息を吐いた。

 先ほどの意気込みはどこへやら。

 すっかり自信をなくした都季に、月神は諭すように優しい口調で言った。


「言葉を届けられるのは大事な人と言ったな? だが、それは想い人には限られん。よく考えよ。なぜ、悠がお前を守ったのか。なぜ、悠が居心地が悪いと感じたかを」

「…………」

「なに、案ずることはない。我がついていよう」

「……うん。ありがとう」


 何よりも心強い言葉に自然と不安が取れた。

 都季は微笑んで礼を言うと、カップを片付ける手を再び動かした。



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