第5話 事の発端
「――で?」
「え?」
閉店後の依月。本来であれば、まだ片づけや明日の準備をしているはずの従業員は、異様な雰囲気を纏う都季達を見た茜が先に帰した。
音楽を切った静かな店内で状況を説明すれば、カウンター席に座り、カウンターテーブルに凭れ掛かっていた茜は冷静な表情のまま続きを促す。
茜も病院から連絡を受けていたため、悠がいなくなったことは知っていた。そのため、話をしたのはそうなった経緯だ。
だが、悠本人の行方が分からない今、続きを聞かれても何も話す事はない。
「えっと……」
「…………」
状況を説明していた紫苑が困ったように彼女を見返せば、茜の表情は変わらぬまま、紐が切れるような音だけがした。
紫苑に茜の手が徐に伸びる。
どきりとしたのも束の間。なぜか頭を掴まれた。
直後、握りしめによる痛みが襲いかかった。
「いたたたたたた!」
「『え?』じゃねぇよ。悠を逃がしてどうしてここにいんだよテメェらは。あ?」
「あ、茜っ! 頭っ! 頭、割れっ……!!」
「飾りならいらねぇだろうが」
静かな店内に強烈なアイアンクローを食らう紫苑の悲鳴が響き、茜の隣にいた龍司は呆れたように溜め息を吐いた。
宝月から出したままの翡翠に至っては、我関せずといった体で緑茶を飲んでいる。
そんな中、フロアの中央に並ぶ四人用の丸いテーブル席の一つにいた都季が、俯いたままぽつりと零した。
「俺、ずっと悠を苦しめてたんだな」
病院の屋上で悠に言われた言葉が、ずっと耳の奥で繰り返されていた。
悠は都季を助けてくれたというのに、自分の存在は彼を苦しめていたのかと思うと、罪悪感と後悔で胸が一杯になる。
誰もが口を閉ざしたものの、いち早くフォローしたのは魁だった。
「そんなことねぇよ。俺らだって、悠のそばにいたのに何もしてやれなかったんだ」
「更科君だけが、問題じゃない」
「ううん。今思えば、おかしな点はいくつかあったんだ。気づいたときに訊いていれば、違ったのかもしれない」
「…………」
先ほど、龍司も同じような後悔をした。都季と違って悠の事情を知っていた分、その言葉が嫌に突き刺さる。
龍司は手元の湯飲みへと視線を落とす。湯気の立つ緑茶に、眉間に皺を寄せた自分の顔が映っていた。
都季は、龍司が悠から真実を告げられていたとは知らない。彼の言葉に裏などないのは分かっているのに、自身にも言われているようだった。
すると、龍司の手を翡翠の尾がぺしりと軽く叩いた。
どうやら、無意識の内に湯飲みを握りしめていたようだ。
『龍司。物は粗末に扱うな』
「……分かっています」
もし、動いていたとしても、こうなることだったと先ほど考えを終えたばかりだ。
選ばれた時点で避けられない、と。
それは月神も思ったのか龍司や翡翠には定かではないが、彼は重い雰囲気に似合わない軽い口調で言った。
「そう悲観せずともよい」
「悲観せずともって……だって、悠は俺のせいで……!」
「これは、最初から決まっていたことだ」
「つっきー?」
「今代の子は大事な者を失い、局を変えるきっかけになる。そう決まっていたのだ」
「大事な、者……」
悠を動かすほどの存在。今までそういった話を一切聞かなかったのは、単に話す必要がなかったのか、それとも話したくないことだったのか。理由はいろいろと出てくる。
魁達は知っているのか視線を落としていた。
やがて、口を開いたのは、いつの間にか紫苑をアイアンクローから解放した茜だった。
「本人以外から説明するのもどうかと思うが……まぁ、第三者が言わなきゃ、アイツは一生話さないか」
「俺が聞いてもいいんですか?」
「悠がああなった理由くらいは知っていいだろう。最も、あたしも全部を知っているわけじゃないけどな」
肩を竦めながらそう言った茜は、およそ二年前……十二生肖が今の代に変わった頃の話を始めた。
「継承したばかりの頃の悠は、すごい人見知りで剣山みたいな性格をしててな。近づく他人は片っ端から言葉で捻じ伏せて遠ざけるような奴だったんだ。もちろん、テレビの仕事では猫被ってたし、影響出ないように能力使ってたけど」
「そんなキツい性格してたんですか」
「あたしらはまだ近い存在だったから、今よりちょっと言葉が辛辣なだけだったな。ただ、学校じゃ常に孤立状態だったみたいだ」
「…………」
出会ったとき、悠が「ちょっと人見知り」と言っていたのはあながち間違いではなかった。
茜にも怖気ずに突っかかっていたが、あれは過去に同じように突っかかったことがあったからできたのだ。
「でも、悠も紗智の件じゃかなり落ち込んでてな。あたしらがどうしようかって話してる矢先、四月に知り合ったクラスの女子と仲良くなったみたいなんだ。ちょっとずつ立ち直って、性格も丸くなっていったんだよ」
その少女については、茜達も詳しくは知らない。だが、辛辣な悠にも挫けずに向き合っていたのだから、精神的にはかなり強いはずだ。
彼女のおかげで、悠の性格が良い方向に改善されたのは良かった。
ただ、問題はその後に起こった。
「あれは、夏休みに入る前くらいだったかな。たまたま、その子が破綻者に襲われて、悠の正体とこっちの世界を知ってしまったんだ」
「じゃあ、知ったことを隠すために、記憶を消したんですか?」
「いいや。消さなかった」
「消さなかった!?」
「彼女の意志でな。悠も、自分のことを忘れられるのは嫌だったんだろうな。あのとき、初めてあたしらに頭を下げてまで頼み込んできたんだよ」
――お願いします。彼女は僕が守ります。だから、記憶を消すことだけはしないでください。
今まで他者に冷たい態度を取ってきた悠が、初めて柔らかい表情を向けた相手。
だからこそ、茜もそれを承諾した。悠が前向きに進み、十二生肖として秩序を保つために動くきっかけになるのならと。
「ただ、彼女はあたしらが思っていた以上に、悠を想いすぎていたんだ」
「悪いことなんですか?」
「普通に好きなら好きでいいさ。でも、あの子は悠と同じ立場を……依人になることを望んでしまった」
刻裏や月神といった力ある幻妖から力を継承すれば、一般人も依人になれる可能性がある。
月神の器を持つ都季も、母親のことはあれど一応は継承者である上に、最初は継承組……のちに破綻組へとなった者達に命を狙われた。
あの人達も、元を辿れば一般人だ。
「基本的に、一般人の理由なくしての継承は許可されていません。更科さんの件は状況的にも仕方がないのでまだ良しとして、彼女は自らあの妖狐から力を受け継ぎました」
「その時点で、あたしらは彼女を捕縛した。無許可での継承行為はそれだけのことをしなければならないからな。でも、うまく力に馴染めばよかったんだが……」
「破綻、したんですね」
「そうだ」
彼女の異変は、継承して僅か数分の内に起こった。人によって破綻の速さは異なるが、彼女の場合は異例の早さだった。
破綻した彼女は局から逃げ出し、自分の意思では抑えきれない、暴走する力に苦しんだ。
そんな少女を再び捕縛するために、またもや悠達が動いた。
「悠は、一か八かで彼女の記憶から幻妖世界のことを抹消しようとしたんだ。もちろん、記憶を消したところで暴走が治まるかは分からない。でも、『力』を持っているという意思が消えてしまえば、もしかしたら治まるかもしれないっつってな」
「意思がなくなるだけで、力はなくなるものなんですか?」
「普通は無理だな。でも、人間の思い込みもそう易々と無碍にはできない。力を抑えきれないと自覚しているから暴れるんなら、いっそ解放してやれば治まるかもしれなかった」
例えるなら、堰き止めていた川が氾濫しそうになったとき、海へと流すために開く水門だ。
周囲を花音の結界で隔離し、溢れた力が治まるまで待ってから力を封じれば、助かるかもしれない。
前例はなかった。だが、前例がないだけで、可能性はゼロではないのだ。
『最後の手段』を取る前に、考えつく中での最善の手段を取ろうとした。
問題は、彼女の肉体が溢れる力に耐えきれるかだ。最も、それを考えるほどの猶予は残されていなかったが。
「彼女の力の影響で、周りに歪みも発生していた。思い止まる暇なんてない。やるなら急がなきゃいけねぇのに、彼女が忘れたくないと拒んだんだよ」
いくら膨大な知識を持っているとはいえ、悠はまだ中学に上がったばかりの少年だ。
初めてできた大事な人の生死を前に非情になりきれなければ、すがる希望も他に思いつかない。
決断を急かす周囲とそれを拒む少女。
板挟みの状態で、果たして動くことができるだろうか。
「悠も、本当は忘れてほしくなかったみたいでな。躊躇った隙に幻妖が悠に襲い掛かったんだ。彼女はそれを、最期の力で……初めて自分の意思で依人の力を使って防いだ」
「それで悠は助かったんだけど……でも、依人の力を使えたからって、一度破綻した力が治まるわけもない。ボロボロの体は力に耐えきれなくって、あの子は……」
そこまで言って、紫苑は視線を落とした。
しかし、言われずともその先は分かる。
月神は冷めてしまった紅茶を眺めながら、当時を思い返していた。
「狐は、依人の適性がないと認知していながらも継承を行う。彼女の件含め、他でもな。それは、我らに力を欲する人間の浅はかさを見せつけているのか、ただ人間に対する敵対心からかは分からん」
『あれは性分が気まぐれ故、理解しようとも我らには解りますまい』
「いや、だからこそ、都季を助けたのにびっくりしたんだよ。アイツ、てっきり人間嫌いなのかと思ってたから」
「まぁ、そこは結奈の子であったことが大きいだろうな」
先日、刻裏は身を挺して都季を守ったが、魁はまだそれが信じられない。彼だけでなく、他の人達もだ。
都季は改めて、自身が刻裏に特別扱いされているというのを感じた。
ふと、刻裏を思い出したのと一緒に、一夜の件を思い出す。彼もまた、状況は異なるが大事な人を失っている。
「なぁ、つっきー」
「無理だ」
「俺、まだ何も言っていない」
「お主の考えなどお見通しだ。どうせ、一夜のときと同じように、死者の魂を呼び出す気だろう?」
「うっ」
考えを見事に当てられて言葉に詰まった。
一夜のときに提案をしたのは月神のため、予想するのは容易いことだ。
茜は大きな溜め息を吐くと、呆れたように言う。
「やめとけ。あれはただでさえ自然界の摂理に反したことで、お前の体に普通の月神の力を使う以上の負担が掛かる」
「頻繁にやると、更科君の命が危ないよ……」
「そうかもしれないけど、悠も一夜さんのときみたく、その子の言葉なら聞くんじゃないかって思ったんだ」
「そういう問題ではない。今回の件にその方法は使えんのだ」
「なんで?」
「破綻者の魂は灰となって消える。関わった人々の記憶からも、破綻をした時から徐々に、な」
都季はまだ見たことがない。破綻者の最期を。
だが、茜達は何度もそれを目にしてきた。
土人形であったかのように崩れ、風化していく肉体の様を。破綻者の関係者が、どんなに親しい間柄であったとしても、なんの変化もなく普通に過ごす様を。
その風景を想像した都季は、眉間に皺が寄るのを感じながらも矛盾している部分について訊ねた。
「関わった人の記憶からも消えるって、茜さん達は覚えてますよね?」
「あたしらは忘れちゃいけねぇからな。忘れてしまえば、継承組が破綻組へと堕ちる可能性も伝えられないし防げない。だから、月神の力で、消えた破綻組の記憶があたしらの中から消えないようにしているんだ」
「局員は大半が覚えておるの。警邏や調律師は特に」
「彼らは破綻組によく関わりますからね」
すべての者から記憶が消えれば、破綻組の出現時にスムーズに動けなくなる。また、同じ事を繰り返さないために、消えた破綻組を覚えておく者は必要だ。
しかし、悠を見ているとそれも正しいのかさえ怪しい。
「でも、辛いなら、消してしまったほうがいいんじゃ……」
「そりゃあ、悠以外にも記憶操作できる依人はいる。悠より性能は劣るけどな。けどな、悠自身が記憶を操作できたり視れたりするから、何かの拍子に思い出してしまったときが面倒なんだよ」
何故、記憶を消したのか? 消さなければ都合が悪いのか、と。
確かに、いつかは大きな問題を起こしそうだ。
行き詰まった空気を変えたのは、溜め息混じりに呟いた龍司だった。
「彼は継承時に何の変化も起こしていないように見えましたが、異常が出なかったことが異常だったのかもしれませんね」
「異常?」
首を傾げた都季は、当然ながら、十二生肖の継承がどうやって行われるのか知らない。
茜は当時を思い返す。継続した彼女は何もなかったが、一部の者には起こった今回の継承での事を。
「お前には、ちゃんと説明しておくべきか。あたしら十二生肖が役を継承したらどうなるかっての」
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