第9話 過去の因縁


 ジェットコースターにも似た浮遊感が襲う。それが突然、ピタリと止んだかと思うと、足元が先ほどとは違う感触になった。

 都季が恐る恐る目を開くと、周囲の景色が一変していた。

 手入れを放置され、無造作に枝を伸ばしていた木々や雑草はなく、敷地を囲う塀も消えている。背後にあった家屋もだ。今いるのは、自然とは疎遠な、無機質で何もない薄灰色の部屋だった。あるといえば、端の方にある白い扉と、床に白い線で描かれた巨大な陣くらいだ。

 今までいた場所が嘘だったかのような変化に、現実味を掴めない都季はしばし呆然としていた。

 そんな彼を現実に引き戻したのは、肩を掴んだままの魁の脱力した声だ。


「た、助かったぁぁぁ……」

「今思えば、一夜さんだって元は裏支なんだから、月神がいたら力が増しますよね」


 魁だけでなく、悠も疲れたようにその場に座り込んで息を深く吐いた。

 一夜は今も宝月を普通に扱えているようだ。

 都季にはよく分からず首を傾げれば、「一夜さんの神器はあのナイフなんです」と説明してくれた。

 つまり、月神の宝月による干渉を受けつけていないだけで、神器の使用や能力などの増幅は悠達同様に影響を受けているということだ。

 今さらなことに気づき、魁、琴音、悠の三人は揃って溜め息を吐く。

 すると、今まで黙っていた月神が口を開いた。


「お主ら、一夜に『元』とつけてはおるが、裏支はその命尽きるまで変えられぬ。故に、局に所属をしていないだけで、あやつは今も裏支の猫だ」

「……分かってますよ」


 十二生肖は十二年で次の代に変わる。それは『血統組』で、他に親族がいるからこそできるものだ。

 だが、裏支は『転生組』。魂が生まれ変わらない限り、他に代わりがいない。また、裏支はその魂を持つがために、一生を裏支として縛られる。

 月神が局を離れた一夜を裏支として扱っていたのには、そのことがあるからだ。

 宝月で一夜の様子を見ることができない今、彼に何があったのか皆目見当もつかない。

 困ったように溜め息を吐いた月神は、腕を組みながら渋面を作った。


「まったく、何があったのやら……」

「元々、あの猫は気まぐれだし、何か心変わりするようなことがあったんじゃないっすか? うお、足いってぇ」

「痛いの……?」


 頭を悩ませる月神に対し、魁は興味なさそうに軽く言いながら打ち付けた右足のふくらはぎに触れる。途端に体を走り抜けた激痛を口に出せば、軽さ故に琴音が訝しむように魁の隣にしゃがんだ。

 つつこうとする琴音を「やめろ!」と必死に制止する辺り、痛みは嘘ではないらしい。

 悠も魁のそばに歩み寄り、赤く腫れた患部を見下ろした。


「琴音先輩、いっそ殴っちゃえば?」

「やめろって!」

「やれやれ。戌は喧しくてかなわないな……」

「刻裏、大丈夫か? すぐに手当てしないと」


 呆れた口調の刻裏だが、額には汗が滲んでいる。傷口からの出血は収まりつつあるが、まだ完全に止まったわけではない。

 刻裏は耳と尾を除けば見た目は人と大差ないが、さすがに一般の病院に行くのは無理だ。だが、幻妖を相手にする局ならば何とかしてくれるだろう。

 しかし、都季の申し出を刻裏はやんわりと断った。


「構わないよ。私はあまり、『ここ』に長居をしたくないのでね」

「長居したくないって……そういえば、ここってどこ?」

「局だ」

「うわぁっ!?」

「…………」


 突然、背後から掛かった今までしなかった声に、都季は思わず叫んでしまう。

 早まる鼓動を落ちつけながら振り向けば、栗色の髪の青年が視界に入った。

 彼は無表情なままで都季を見下ろしており、叫び声に動じた様子も嫌悪感を抱いた気配もない。


「紹介が遅れてすまんの、千早ちはや。都季、こやつが十二生肖の“午”、梛午なご千早ちはやだ」

「じゃあ、この人が……」


 今代、最初の犠牲者と言われた紗智の後任。

 それを口に出すことは憚られたが、千早が小さく頭を下げてきたので、都季も慌てて会釈を返した。


「すみません、千早先輩。助けていただいたのにすっかり忘れてました」

「そんなはっきりと言わなくても……」

「いつものことだ。気にしてない」

「気にしてないんですか!?」


 オブラートにすら包まない悠を注意するように言うも、青年、千早は一切気にしていなかった。

 愕然と彼を見上げていた都季だったが、刻裏が立ち上がろうと動いたことでまた意識を刻裏に戻す。そのとき、ぬるりとした感触に手を見れば、刻裏を支えていた都季の手は真っ赤に染まっていた。

 見れば、傷口が広がったのか、また血が流れ出している。衣服では吸いきれない血が滴り落ちては床に円を描く。

 都季は顔を顰めて手を握りしめると、体を離そうとした刻裏の袖を掴んだ。


「刻裏。無茶するなって」

「局だからこそ、私は居たくないのだよ。なぁに、このくらいの傷、すぐに治る」

「まだ血もまともに止まってないんだぞ? 放っておけるか!」


 刻裏の顔色は決して良いものではない。薄く笑んではいるが、苦し紛れだと分かるほどに。

 すると、刻裏は笑みを消して魁の隣にいる人物を一瞥して言った。


「血を止めるどころか、息の根を止められかねん。特に、子には」

「あ……」

「…………」


 以前、悠が刻裏との間に何か問題があったとは聞いた。詳しい内容は聞いていないが、それでも、今の状況は刻裏にとって何よりも命が危ういのだ。

 射抜くように刻裏を見ていた悠だったが、突然、いつもの人当たりの良い笑みを浮かべた。


「お望みなら一瞬で楽にしてあげますよ? ああ、でも、手が滑ったらごめんなさい」

「悠。刻裏は俺を庇ってケガしてるんだ。今はそんなこと言ってる場合じゃないだろ?」

「……何も知らないから」

「え?」

「僕は一切、近づかないので、勝手にすればいいんじゃないですか?」


 口早に呟かれた言葉は都季には聞き取れなかった。

 苛立ちを露にしたままそう言った悠は、何かをする様子もなくさっさと部屋を後にした。

 魁と琴音は困惑したように互いの顔を見合わせる。千早も小さく息を吐いた。

 都季以外が悠と刻裏の間にあったことを知っている。だからこそ、どうするべきか悩むのだ。

 やり取りを黙って聞いていた月神の溜め息が、静かな室内に響いた。


「都季。気を悪くするなよ。あれはあれで、いろいろとあったのだ」

「……うん。だろうね」

「『器』はどうしたい?」

「器って……え、俺?」


 千早からの突然の質問に、一瞬、誰を指しているのか分からなかった。

 都季が自身を指しながら千早を見れば無言で頷かれた。


「えっと、あくまでも俺が器ではないので、できれば名前で呼んでほしいんですけど……あ、そっか。まだ名前言ってなかっ――」

「都季はどうしたい?」


 あっさりと言い直した千早はあくまでもマイペースだ。名前も既に知っていたらしい。

 これも彼の性格なのだろうと思うことにして、都季は目の前の刻裏を見て言う。


「俺は……刻裏の手当てをしたいです」

「だから、構わないと――」

「だ・め・だ!」

「……強情だな」

「刻裏にはいろいろと助けられたのに、いざお前が傷ついたときに助けられないのは嫌だ」


 一方的に守られて誰かが命を落とすのは、もう両親のときだけで懲り懲りだ。

 確かに、刻裏ならばケガなど簡単に治してしまうかもしれない。しかし、それでは自分の気が済まないのだ。独り善がりと言われようとも、これだけは譲れなかった。


「悠のことが心配なら、手当てが終わるまで俺がそばにいてやる」

「は!?」

「え」

「…………」


 魁、琴音、千早は都季の言葉に驚きのあまり固まってしまった。それは十二生肖の三人だけでなく、刻裏も同様だ。

 自分が何を言っているのか分かっているのか、という意味を込めて、刻裏が確認のために問う。


「お前が、一人で、十二生肖を相手に?」

「ああ。つっきーもいるから大丈夫だろ?」

「む?」

「いざとなれば、不本意だけど、前みたく指示すればいい」

「んん?」


 月神は十二生肖の主だ。小さくともそれなりの力はある。

 また、以前、魁と悠の言い合いを止めたときのように、月神の力を込めれば対抗はできるはずだ。無意識だったため詳しいやり方は分からないが、まったく止める方法を知らないよりはいい。

 様子を見ていた月神は自身の名が出たことに多少の困惑を抱いたようで、「まぁ、無理ではないがな」と控えめに言った。


「治るまで、とは言わないから、せめて傷が塞がるまでは大人しくいてくれないか?」

「『傷が塞がるまで』というのが、治るまでなのだがね」

「うっ。じゃ、じゃあ、血が止まるまででも……」


 最もな言葉にうまく返せない。

 だが、嫌がっていた刻裏は何を思ったか、都季から離れようとした体を再び彼に凭れ掛からせた。


「まぁいい。そこまで言われてはそう簡単に無下にもできまい」

「じゃあ……」


 小さく息を吐いた刻裏の言葉には折れる気配があった。

 表情を明るくさせた都季を見て、刻裏は彼の母を思い出して小さく笑みを浮かべた。


「この命、しばしお前に預けるぞ」

「分かった。絶対、手は出させないから」


 信頼したとも取れる発言に、言われた都季本人はさして気にもせず、ただ約束を破らないと胸に誓った。

 しかし、周りにいた月神や十二生肖にとってその発言は今までにありえないものであり、驚きを隠せない。

 魁は琴音の肩を借りながら立ち上がり、目の前で刻裏を運ぼうとする都季と千早を見てぽつりと零した。


「あの狐、変わったな」

「……うん」

「都季は、もしかしたら、俺達と一般人の関係も変えてくれるのかもな」

「……だったら、嬉しいな」


 一度は夢見たことがある。素性を隠さなくても、昔のように一般人と対等に生きていける世界を。けれど、それが現実になるとは思っていなかった。

 幼い頃から、一般人とは違う環境で育ってきた。普通の子供達は多少の違いはあれど、自由に周りと触れ合いながら成長する。だが、魁達のように十二生肖の家系に生まれた者は、皆が十二生肖に選ばれる可能性を持つため、自由に周りと触れ合うことは許されていない。

 言葉を覚えれば幻妖や十二生肖など、幻妖世界にまつわる勉強をし、武器を持てるようになれば戦闘訓練も始まる。それを疎ましく思ったことはあれど、一般人を羨ましいと思ったことはなかった。

 一般人と自分達は違う。そう思い続けていたからだ。

 ただ、大事な人を前に嘘をつく辛さはいつになっても変わらなかった。それがなくなるのなら、これほど嬉しいものはない。


「もし、都季がまた危ない目に遭ったり、折れそうになったら、俺達が力になってやろうな」

「……うん」


 琴音のしっかりとした頷きに、魁もまた決意を新たにした。

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