第10話 治療


 千早の能力、『転送』によって着いたのは、局の地下一階にある『送還室』だった。

 ドアから出れば見覚えのある廊下に出た。廊下の右手奥にはエレベーターがあり、左手奥には神降りの木が保管された部屋の扉が見える。

 それらには向かわず正面にある調律部に入れば、中にいた調律師達は突然の来訪者に驚き、各々が仕事の手を止めた。

 そんな彼らに構わず、月神は調律師達に訊ねる。


才知さいちはおるか」

「はいはい、ここにいますよーっと。さっきの送還の発動はやっぱりアンタだったか、千早」

「どうも」


 月神の呼びかけに答えたのは、室内の奥にいた三十代前半の男性だ。体格は細身ながらも筋肉がしっかりついており、周りの調律師と比べると武闘派の印象を受ける。ただ、爽やかな顔立ちを見れば、武闘家というよりもアスリートに近い。

 襟足が肩に届くくらいの金髪をハーフアップにしている彼は、千早を視界に収めるとオレンジ色の瞳を無邪気に細めた。

 そして、羽織っただけの白い上着を靡かせながら都季達のもとに歩み寄ると、右手を顎に当ててまじまじと刻裏を眺める。


「しっかし……これまた、すごいモンを連れて来ましたねぇ」

「我の意思ではないわ。こやつが治すと言って聞かんのだ」

「ははっ! まぁ、傷ついた幻妖がいるなら、手当てすんのもうちの仕事ですからね」

「俺の我侭でご迷惑をお掛けしてすみません。えっと……」


 人当たりのいい笑みを浮かべる彼は、本心で言ってくれていると分かる。

 だが、迷惑を掛けていることには変わりないため、都季は素直に謝った。ただ、彼の素性が分からずに言葉を濁してしまったが。

 それに気づいた才知は、都季に片手を差し出しながら名乗った。


「俺は調律師達をまとめる、師長の五十嵐いがらし才知さいちだ。君の話は月神や分神達から聞いているよ。更科都季殿?」

「ど、どうも……」

「じゃ、さっそく仕事しますか。治療班、妖狐を隣の部屋に。あと、魁もな」


 最初こそ戸惑いを見せていた調律師達だったが、才知の号令一つで動きはがらりと変わった。

 刻裏を都季達から引き受け、すぐに隣の部屋へと運ぶ。また、後ろにいた魁も一緒に治療することになった。


「よもや、私がお前らの世話になろうとはね」

「俺達も、君を治療する日がくるとは思わなかったよ。どうせなら、このまま大人しく送還されてほしいものだが」

「それは断る」

「だろうねぇ。君はどうにも、この世界にご執心のようだし」


 ベッドに寝かされた刻裏は、傷口が痛むのを隠そうと口元に笑みを浮かべながら才知に減らず口を叩いた。

 才知も負けじと返すも、それはあっさりと拒否されてしまった。

 返事が分かっていた才知は、気を取り直して都季に向き直って言う。


「さて、更科殿。外に出ておきますか」

「え? でも……」

「傷口を直に見るのは、あなたにはちょっと刺激が強いでしょう。それに、月神の視線のある中じゃ治療班が落ちつけないんですよ」

「…………」


 才知は部屋の片隅にいた都季の前に立つと、外に出るように扉を開けて促した。

 ちら、と刻裏を見れば、彼はやはり苦しいのか目を閉じており、抵抗する様子もない。

 そんな都季を見て、才知は口調を和らげた。


「あの妖狐の身柄は、師長である私が保証しますよ。それに、無断で妖狐を処分しようものなら、厄介なのに怒られちまうんでね」

「そうか。お主のお気に入りの『双子』も、妖狐の血統組だったのぅ」

「ははっ! ま、そういうわけで、安心して待っててください」

「……はい。それじゃあ、よろしくお願いします」


 才知の言葉には不思議と安心できるものがある。

 都季は彼に頭を下げると、月神と一緒に部屋を出た。外とはいっても、調律部内にはなるため、室内にいた調律師の視線は自然と都季と月神に集まった。


「お、お邪魔します」

「これ、お主ら。仕事をせぬか」


 ぎこちなく言った都季に対し、月神はやや呆れた様子で彼らを窘めた。

 調律師達はすぐに自らの仕事に戻り、視線の痛さはなくなった。

 都季は小さく息を吐くと、部屋の片隅にあるソファーに座る琴音の隣に腰を下ろす。そこでようやく、人が足りないことに気がついた。


「あれ? そういえば、千早さんは?」

「さっき、他の皆に、話に行くって……」

「そっか」


 ここは局だ。外部の者……それも幻妖がいれば、当然ながら他の者達にもそれを伝える。

 その結果で誰かが来たとしてもおかしくはないが、刻裏に危害が及ぶことだけは避けなければならない。

 治療が終わるまで不安はあったものの、どこかに去った悠の姿はなく、また、千早が説明に向かった他の十二生肖が駆けつけることもなかった。

 それに内心で安堵すると、手当てを終えた刻裏が都季を呼んでいると才知が知らせてくれた。

 治療室へ入ると、治療を終えた治療班の人達が入れ違いに外へ出る。

 すれ違いざまに彼らに礼を言ってからベッドを見れば、すっかり普段と変わりない様子の刻裏がいた。

 上体を起こされたベッドに背中を預けた刻裏は、都季に近くに来るようにとベッドの端を軽く叩く。


「もう大丈夫なのか?」

「ああ。血は止まった。あとは私自身の回復力次第だね」


 元々、体は丈夫だから心配はない、と刻裏は笑うが、都季からすれば彼の傷は重傷だ。

 思わず顔を顰める都季を見かねて、才知が笑いながら言う。


「出血は多かったが傷自体は浅いほうだ。魁から話を聞いて状況は把握したけど、どうも間に入られて驚いたから引いたってわけじゃなさそうですね」

「え?」

「本当に殺しにかかってたんなら、誰かが間に入ったとしてもその勢いを弱めるのはまず困難だ。それに、間に入ったのが妖狐なら尚更ね」


 才知の瞳が一瞬だけ剣呑に細められた。

 その視線を受けた刻裏は軽く肩を竦めて見せるだけだったが、状況が違っていれば、才知は間違いなく刻裏を捕らえにかかっていただろう。


「相手さんにどんな事情があるかまでは知りませんけど、行動が矛盾しているのは確かでしょう」

「ふむ。お主でもようは分からぬか」

「俺は妖狐みたく千里眼を持ってるわけじゃないし、現場に居合わせたわけでもないんで、話を聞いたところから推測するくらいしかできませんよ」


 「最も、俺がその場にいたら、相手さんも動きが違っていたかもしれませんけどね」と笑いがなら言う才知は、一体、どれほどの力を持っているのかと、傍で聞いていた都季は内心で恐怖を感じた。

 調律師を束ねるほどの実力者ならば十二生肖にも匹敵するのかもしれないが、彼の場合はそれだけではない気がするのだ。


(この人、気さくな感じはするけど、ちょっと油断しきれないかも……)

「そういや琴音ちゃん」

「は、はい」


 都季が才知を警戒していた傍らで、彼はそんなことなど微塵にも気にせず、隣のベッドにいる魁のそばの琴音を見る。

 彼女はなぜか片手に包帯を持っており、名前を呼ばれたことで動きを止めた。

 何かあるのかと言葉を待てば、難しい顔をした彼の口から出たのは耳を疑うようなものだった。


「今日は制服じゃないんだな」

「出てけ変態ジジイ」

「ぶっ」


 才知の顔面に、魁が投げた枕がクリーンヒットした。

 月神や琴音は「またか」といった表情で、止めに入る気はないようだ。

 才知は枕の当たった鼻を押さえながら非難の声を上げた。


「『ジジイ』は聞き捨てならないな! 俺はまだ三十一だ!」

「そこ!?」


 変態に関してはいいのかと、都季は才知の発言に愕然とした。

 だが、彼にとっては「変態」と言われようとも譲れない部分があった。


「お前は学校で毎日のように見てるからいいだろうがな、ここにいたらそうそう拝めないんだぜ!? ミニスカとニーハイ!」

「拝むんじゃねぇよ! アンタがそんなだから、調律師の女子が制服の変更を申請したんだろうが!」

「なんだと!?」


 制服の変更申請について、上司であるはずの才知は知らなかったようだ。酷くショックを受けているが、そもそもセクハラで訴えられていないだけ優しい対応だろう。

 壁に寄り掛かった才知は、片腕をつきながら力説する。


「皆、ニーハイの良さを分かっていないんだ! 別に下心があって見ているわけじゃないのに、タイツ履いたり、ショートパンツ……は、まだ許せるが、男と同じスラックスを履くやつもいる。本当に分かってない! あのミニスカとニーハイの間の、絶妙な肌の見え具合が――」

「それを下心っつってんだよ! おい、誰かコイツ連れてけ!」


 治療室の壁は薄く作られているのか、魁が声を上げれば即座に調律師が駆けつけた。

 才知は才知で、「制服の変更は認めん! 全員召集しろ! 直ちに会議を開く!」などと言いながら、他の調律師達と部屋を出て行った。

 能力はあるが大きな問題点を抱える才知に、月神は深い溜め息を吐く。


「まったく。あれで調律師の長とは思えんな」

「すごい議題の会議が開かれようとしているんだけど、止めなくていいの?」

「ああなったら俺らでは無理。まぁ、ストッパーの人が帰ってきたら力づくで止められるからいいだろ」


 仕事の滞りを心配する都季だったが、魁はもはや諦めモードだ。

 ストッパーという人が早く帰ってきてくれればいいのだが……と思っていると、心を読んだのか、それとも顔に出ていたのか、琴音がフォローを入れた。


「才知さんは、お仕事のとき……もっと、まとも……」

「変わり者の集団は、変わり者がまとめるのが良いのだろうね」

「お前に変わり者とか言われたら終わりだろ」

「ははっ。それもそうか」

「ごめんな、刻裏。なんか騒がしくて……」


 都季が謝るのは違う気はしながらも、謝罪の言葉はつい口をついて出た。

 人の子はそれでいい、と微笑んだ刻裏はすっかりいつもの調子だ。

 ベッドで上体を起こしている刻裏は、その服の切れ目から白い包帯を覗かせている。着替えは用意してあるが、人の匂いをこれ以上つけたくないと彼が拒んだのだ。

 突然、視線を落としていた都季の眉間を刻裏が指で押した。爪が少し食い込んで痛かった。

 何事かと彼を見れば、「皺が取れなくなるぞ」と言われた。

 どうやら、知らず知らずの内に眉間に皺を寄せていたらしい。


「今回は私が見ていたから良かったが……戌と卯もよく聞いておけ」

「なんだよ?」


 魁は刻裏と違って出血を伴うケガではない。

 そのため、彼の手当ては刻裏よりも早くに済んでおり、今はベッド脇に置かれた丸椅子に座った琴音が、魁の右足を固定するためにせっせと包帯を巻いていた。

 刻裏の口調が真剣さを帯びたことで、室内にいる全員の視線が刻裏へと向けられる。


「猫は、一度狙った獲物は一撃で仕留める。その攻撃も前兆を感じさせることのない突発的なものが多い。傷口が浅い理由はなんであれ、獲物を逃がした今、近い内に再び、必ず都季のもとに来るだろう」

「だろうな。しかし、才知の推測も気になるのぅ」


 月神は刻裏の言葉に頷きつつ、先ほどの才知の推測を思い返す。

 今回の獲物である都季を殺す気であった上、対象を一撃で仕留めるというのならば、刻裏が生きているのは奇跡に近い。

 ならば、考えられる可能性は、「一夜には都季を殺す気がなかった」ということだ。

 それが本当なら、一夜が都季を襲った理由はなんなのか。


「本気じゃないなら、止める術はあるかな?」

「どうだろうな。理由が分からないんじゃ、どうしようもねぇしな。琴音は何か聴いたか?」

「憎しみとか、困惑とか、いろいろ混ざってて……雑音も大きくて、よく聴こえなかった。ごめん……」


 心を聴ける琴音ですら、今の状況はお手上げのようだ。

 月神は何かを考えるように顎に手を当てて黙り込む。

 すると、刻裏は何故か都季に一夜の様子について訊ねる。


「都季。猫を見て、違和感はなかったかい?」

「違和感……」


 刻裏に言われ、都季は一夜の様子を思い返す。

 彼は都季の命を狙って現れた。彼自身がそう言っていたが、それを口にする一夜の表情は辛そうだった。それは、自身の大事な人が死んで、都季が生きているという理由だけではないように見えた。


「……うん。一夜さんの様子が、変だったっていうのは、あるかも」

「変?」

「うまく言葉にできないけど、俺の所に来たときより、なんか……苦しそうだった」


 まるで、自分の中の『何か』と争っているようだった。そして、転送直前の悔しそうな顔も。

 果たして、あれは都季を取り逃がしたことに対するものなのかと。

 刻裏の言うように突発的なもので、気が変わったから攻撃してきたのかもしれないが、それでは腑に落ちなかった。さらに、才知の推測がそれを色濃くさせた。


「まともに話すことができたらいいんだけど、それも難しそうだよな」

「あの様子のままではの。もしかすると、また気が変わって落ちつくかもしれんが」

「一夜さんて、そんなに気が変わりやすいの?」

「さぁて。どうだかのぅ」

「適当だな……」


 他事を考えでもしているのか、月神はどこか遠い目をしている。返事も曖昧だ。

 はっきりしない月神の様子に呆れていると、まだ足に包帯を巻かれている魁が結論を言った。


「何にせよ、またアイツが来たら取っ捕まえりゃいいだけだ。嫌でも話ができるようにしてやんよ」

「できた」

「おう、ありがとな。って、巻きすぎ! 俺、ただの打撲なんだけど!?」

「……ダメ?」

「いや、ダメというか、歩きづらい」


 巻き終わった足は、まるで骨折をしているのかと思うほどに太くなっていた。

 魁の非難の声に琴音は一度だけ足を見て、また彼に視線を戻してから、こてん、と首を傾げる。

 可愛らしいその仕草に都季の心臓が小さく跳ねた。

 魁は普通に返しているが、都季は見慣れていないこともあってか平常心を保てない。

 思わず視線を逸らすと、ベッドサイドのテーブルで考え事をしていたはずの月神がニヤニヤと笑みを浮かべていた。


「……なんだよ」

「初よのぅ」

「その歳でその反応とはなぁ」

「うるさいぞ、二人とも」


 しまいには刻裏まで混ざる始末。

 気恥ずかしさを隠すように強めの口調で言い返すも、二人の視線は依然として変わらない。

 どうにか逃れようとする傍らで、まだ琴音と魁は話を続けていた。


「大丈夫。松葉杖、借りてきたから」

「そういう問題じゃねーよ」

「ケガを甘く見ちゃいけないって、更科君も言ってた……ような気がする」

「よし、我慢する」


 都季が言ったかどうかはあやふやだが、名前を出しただけでも効果はあった。むしろ、最初から都季を引き合いに出せば早かったかもしれない。

 満足したように小さく微笑んだ琴音を見ていた都季は、突然、目の前の刻裏から言葉をかけられた。


「ありがとう、都季」

「え?」


 なんのことかと視線だけで問えば、「手当てだ」と短く返された。

 都季の中では当然のことをしたまでであり、それは意外な言葉だった。


「そんな、お礼言われるほどのことじゃないよ。俺が助けられているんだし」

「まぁ、社交辞令のようなものと聞き流しておけ」

「……うん。じゃあ、そうしとくよ」


 余裕そうな刻裏だが、ふと、視線を逸らした彼の頬が僅かな赤みを帯びていることに気づいた。どうやら、彼自身も柄にもないことをしているようだ。

 都季はそれを指摘せず、柔らかく微笑み返した。



 それから数十分後、都季が魁と琴音を地上まで見送りに行った僅かな時間で、刻裏は姿を消した。

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