第22話 十二生肖
悲鳴が背後で大きくなったのは気のせいではない。
走りながら悲鳴を聞いた都季は、悠がしていることが気になったものの、向かえと言われたからには従ったほうがいいと判断した。戻ったところでできることもない。
中央通りを逸れれば、周囲の景色も徐々に変わっていく。
住宅は疎らになり、畑の割合が増えてきた。
それに伴って明かりもぐっと減ってしまったが、ぽつりぽつりと設置されている街灯を頼りに走り続ける。
「はぁっ、はっ……あった……!」
悠に指定された町外れの工場は、以前は鉄鋼関係の会社が使っていた。しかし、数年前に起こった不況に煽られて倒産し、社長は一家でどこかに逃げたらしい。
そのため、解体をしようにも費用を出すところがなく、役場側も後回しにしているようでそのままになっているのだ。
人気のない廃工場は夜の暗さもあって不気味さを増している。
錆びついた門は人が一人通れるくらいに開いており、都季は少し躊躇ったものの思いきって敷地に踏み入った。
広い敷地には雑草が生え、工場の壁には蔦が蔓延る。壁の落書きや窓ガラスが割られている辺り、普段はあまり柄の良くない人が集まっているのだろう。今はそういった人の姿は見受けられないのが幸いか。
「……中にも誰もいない、か……」
割れた窓ガラスから中を覗いても、何かがいるようには見えなかった。
ここに破綻者を集めて片をつけると言っていたが、肝心の魁達の姿はなく、破綻者がいる様子もない。
破壊された扉から工場の中に入れば、中は天井まで吹き抜けになっていた。上に張り巡らされた鉄骨は剥き出しで、天井には所々に穴が開いている。
都季は明かりのない工場内を見渡す。僅かな月明かりだけがぼんやりと工場内を照らしており、仕事で使っていたであろう機械や隅の方には複数の鉄骨や段ボールの影があった。
「魁! いるのか!?」
刻裏を探して公園で呼びかけたように、今度は魁の名を呼ぶ。刻裏には声を上げるなと言われたが、今、探しているのは刻裏ではなく魁だ。
しかし、声は工場内に反響するだけで返事はなく、代わりに冷たい風が吹きつけてきた。
「さむっ。……魁達はまだ来てないのか」
コートの首もとを押さえて身震いをした。
止血に使っている布の下では傷口がじんじんと痛む。あまり深くはなかったが、傷の幅が広いことや走っていたことで血がまた滲んできた。
これからどうするか、と思ったそのとき、背後で砂利を踏む音が聞こえて勢いよく振り返った。
「……げっ」
つい先ほども見た光景と酷似した状況に、うんざりした声が口をついて出た。
工場の入口から複数の人が入ってくる。
ここを溜まり場にしている柄の悪い人かと思ったが、老若男女様々な上にスーツや学生服を着た人もいる辺りから察して破綻組だ。
次いで工場の高い位置にある窓が割られ、頭が二つあるカラスやら、猿の顔にライオンの体と大きな翼を持つ幻妖も現れた。
「俺一人でどうしろって言うんだよ……!」
思わず泣きたくなってしまった。
歩み寄る破綻組は足取りが覚束ず、ゲームで襲い掛かってくるゾンビのようだ。最も、ゲームのほうが対抗手段はあった上に現実ではないので可愛げがあるが。
天井付近の鉄骨に留まって見下ろすカラスやライオンは、低く唸って襲いかかる機会を狙っている。
工場内はだだっ広く、走れば他の出入り口も見つかるかもしれない。だが、一度動き出せば相手も一斉に動き出すだろう。
意を決め、走り出すために片足を引こうとしたときだった。
「カァァァァ!」
「うわっ!」
様子を窺っていたカラスが僅かな動きを見つけて飛来し、しゃがんで避ければ次は猿顔の有翼ライオンが襲いかかってきた。
咄嗟に手近に転がっていた鉄パイプを拾って構えるも、緊張で体が震えてうまく動かない。
生まれてこの方、喧嘩というものをしたことがないのだ。例え、相手が普通の生き物とは違うとはいえ、生きているものに鈍器を振るうことに抵抗を覚えた。
有翼ライオンが大きく開いた口から鋭い牙が見える。
全身が震える中、都季は強く目を瞑って体の後ろに引いた鉄パイプを振り抜いた。
「ごめんっ!」
「ガァァァ!」
適度な所で手を離せば、鉄パイプは勢いをそのままに飛来した有翼ライオンの顔面に激突した。
いきなり鉄パイプを振り回して対抗などできない。そう思い、都季は鉄パイプを幻妖に投げつける選択を取った。
幻妖は激痛に悲鳴を上げながら悶え、近くを飛び回っていたカラスに衝突。二体はもみ合いながら地面に落下した。しかも、真下にいた破綻組を巻き込んでくれている。
「うわ、ラッキー?」
「こ、の……くそガキがぁ!」
「じゃなかった!」
幻妖の下敷きになった破綻組の一人が、口の端から血の泡を吹きながら這い出てきた。顔にはヒビが走り、コンクリートの地面をつく手の指はいくつか欠けている。一見、ホラー映画のようにも思える光景だ。
慌てて逃げようと背を向けたとき、工事の入口から怒号が聞こえてきた。
「どけぇぇぇ!」
この声には聞き覚えがある。足を止めて振り向けば、入口付近にいた破綻組が吹き飛んだ。
現れたのは、破綻組を吹き飛ばしたであろう刀を手にした魁と、その脇から飛び出して二振りの小太刀を振るう琴音。そして、魁の後ろで外を窺う悠だ。
魁や琴音に再会したとき、真っ先に謝ろうと思っていた都季の考えは、現状によって不可能になった。
「都季、無事か!?」
「なんとか!」
「月神は使ってないでしょうね?」
「それはまだ!」
「『まだ』ってなんですか」
破綻組を間に挟んでいるせいで会話は声を張り上げてのものだ。
ただ、悠の声は普段より少し大きいだけでよく通っている。さすがは役者といったところか。
三人の登場に、破綻組や幻妖は一度都季から視線を外してそちらに標的を変えた。
外から来ているということは、破綻組の増加はないはず。しかし、中にいる数だけでも三人で対処するには多すぎる。
「しつこいなぁ。なんなのこいつら。少しは二級もいるけど、大半が三級くらいでしょう?」
「聞いた話じゃ、なっ!」
魁は右から降り下ろされた鉄パイプを体を引いて避け、相手の脇腹を刀の背で殴った。
宝月は形態の変化によって神使と武器に変わる。時と場合に合わせて変化をさせるが、同時に二つの型それぞれに変えることはできない。ただ、悠のように神使のときから二匹ならば話は別だ。
戦う数を増やしたくとも、神使を出せば自らの戦う術をなくしてしまうため、それが実行できない。
だが、破綻組や幻妖の攻撃は予想以上に激しく、このままでは最悪の結果も考えておかなければと思った魁は、壁際に寄った都季に向かって叫んだ。
「このままじゃ埒が明かねぇ! 都季、先に逃げろ! 道は作ってやる!」
「え!? 俺だけ……!?」
「っ、私が抑えるから、二人は更科君と月神をお願い!」
「断る」
「でもっ……!」
誰かが引き止めておかなければ状況は変わらない。
切羽詰まった琴音は、今にも泣きそうな顔をしている。
そんな彼女に、魁は不敵に笑んで見せた。
「『飼い主』に良いトコ見せる絶好のチャンスだぜ? お前一人にやんねーよ!」
「あーあ。変なとこで火をつけちゃったよ」
何故、今飼い主を気にするのか。
呆れを滲ませた悠だったが、魁は取り合うことはせずに琴音に言い聞かせるよう言葉を続ける。
「琴音は都季連れて局に行け。お前の耳なら、追手の有無も方角も分かるだろ? 生憎、俺は『狩る』専門だからな。逃げるには不向きだ」
「なら、私も無理」
「無理って」
まさかの返答に魁は面食らった。
都季を救うためには誰かが都季と共にこの場を離れなければならず、駄々を捏ねている暇はない。
正面を見据えたままの琴音は、真剣な表情のままで言う。
「更科君も月神も大事。でも、魁達も大事。だから……っ、守りたいの! もう逃げちゃいけないから!」
「琴音……」
琴音の脳裏に、都季や魁、悠……そして、十二生肖として共に戦う仲間の顔が浮かぶ。
普段は大人しく、人の後についているような琴音だが、仲間を想う気持ちは他の十二生肖と同じだ。
「大事な仲間を……大切な人達を、二度と傷つけたくない!」
依月での諍いを見て、荒々しい感情に怯えた自分が恥ずかしくなった。気弱な性格はなかなか治らないだろうが、それでも逃げて誰かに庇われるのはもう嫌だった。
悲痛とも懇願とも取れる言葉を聞いて、魁は刀を振るう手を止めた。そして、いつの間にか琴音を軽く見ていた自分を内心で叱咤する。
「そっか……うん。お前は強いもんな」
「弱いよ。弱いけど、これから強くなる」
そう言い切った琴音の表情は、深緋色の瞳には、強い決意が宿っている。
彼女が握り締めた二振りの小太刀を見た魁は、変化を見せることのないそれに少し落胆しつつも苦笑を浮かべた。
「ばーか。せっかくカッコつけたのに台無しにしやがって」
「あはっ。今さら」
「なんか言ったか?」
「いいえ何も」
現状に似つかわしくない穏やかな空気は、鼻で笑った悠の一言で消えた。
破綻組は悠が二人の前に立って牽制している。互いに睨み合ったまま動かず、喧騒が嘘のように静まっていた。
最初にそれを破ったのは、呆れたように溜め息を吐いて前髪をかき上げた魁だ。
「ったく。誰も都季を連れてかないなら、あとは一択か」
「ごめん。俺が何かできたら……依月で俺があんなこと言っても、こうして来てくれたのに……」
「いいんですよー。どうせ、いつかこうなることは見えてましたし。その代わり、終わったら何か奢ってくださいよ」
「は?」
何を言い出すのかと悠を見れば、彼は普段と同じ人当たりの良い笑みを浮かべていた。
彼の言葉に便乗したのは、まさかの琴音だった。
「スイーツ食べ放題……」
「え」
「バイキング行こうぜ」
「ちょっと。僕の提案なんですけど」
「なっ! 勝手に決めんなよ!」
「ははっ。まぁ、まずは……片付けてから、だな」
魁が地を蹴ったと同時に、再び喧騒が取り戻された。
戦況は決して良いとは言えないままだが、三人の勢いは衰えるところを知らない。
傷を増やす魁達を見ていた都季は、何もできず、ただじっとしているだけの自分が歯痒くなってきた。月神で何かできないだろうかと呼びかけてみるも、やはり反応はない。
(せめて、俺だけでも何かできたら――)
「お困りかな? 少年」
喧噪の中でもはっきりと聞こえた澄んだ男の声。
初めて幻妖世界に触れることになった日の夜を思い出した。
声の主を探して辺りを見回していた都季は、相手が場所を示すよりも早く、頭上の鉄骨の上に姿を見つけて小さく名を呼んだ。
「――刻裏」
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