第23話 援軍


 都季以外は刻裏が現れたことに気づいていない様子だ。

 いつもと同じ飄々としている刻裏は、徐に上体を前に倒して鉄骨から下りると、涼しい顔で都季の横に着地した。

 月明かりしかない薄暗い工場内でも、刻裏の姿はまるで光を纏っているかのようにはっきりと見える。


「なに、そろそろ私が必要かと思ってね」

「もしかして、アイツらをなんとかしてくれるのか?」


 体の側面を向けたまま、刻裏は顔だけを僅かに都季へと向けて得意げに笑んだ。

 先ほど、破綻組を引きつけてくれたことを思い出した都季は顔を輝かせたものの、彼がすぐに否定した。


「否。私は元々、戦向きではないし、戦は嫌いなのだ」

「そんな……」


 では、破綻組を引きつけてくれたのはなんだったのか。治したのかもしれないが、刻裏の体には傷という傷はないため、戦闘能力は十分にありそうだが。

 愕然とする都季を見て、刻裏はくすりと笑った。


「なぁ、都季よ。何もできない自分が歯痒いか? あの、両親を失った日のように」


 そう言われて、約三年前の記憶がフラッシュバックする。

 視界を遮る豪雨の中、何かを決意したような父と、自慢の長い髪を短く切って笑顔で「良い子にしてるのよ」と言って出て行った母。

 少し経ってから、近所の女性に化けて来た刻裏が告げた事故。

 現場に駆けつけたときの、ただぶつかっただけとは思えないくらいに大破した車。

 そこを中心として、雨でさらに広がった血。


「あ……」

「また、お前は守られるだけで、大事な者を失うのか?」


 記憶の中の救急車のサイレンの音が辺りの音をかき消す。

 だが、刻裏の声だけはやけにはっきりと聞こえた。


「お、れは……」

「うわ、出たよ。面倒なのが」

「都季! 狐の言うことに耳を貸すんじゃねぇ!」


 一足先に刻裏に気づいた悠が嫌な顔をしてぼやいた。

 魁の怒号にも近い声が遠く感じる。琴音が今にも泣きそうな顔をしながら都季の元へと駆け出す。

 だが、その前に破綻組が立ちはだかった。


「更科君!」

「嫌、だ……」

「友を、見捨てたくはないだろう?」

「当たり前だ!」


 強く言い返した都季の目を見て、刻裏は口元に笑みを浮かべる。


 ――条件はすべて。私は、鍵を与えるだけ。


「ならば、都季。お前に“力”を与えよう」

「俺に?」

「月神の力はあくまでも月神の意志にて使われるもの。器の保有者でしかない都季の意志だけでは使えぬ。二つの意志が同じ方を向いてこそ、使えるようになる」


 今、都季が呼び掛けても月神が出てこないのは、結界のせいではなく月神の意志だと言うのか。

 しかし、月神の意志が引っ掛かって力を使えないとしても、ただ何もしないのは嫌だった。

 刻裏は都季の後ろに周り、両目を左手で覆う。右手を肩に置きながら、耳元で言葉を続けた。


「『想像』して『創造』しろ。それがお前の力となる」

「想像して……?」

「一般人として生きてきたお前なら、効率的に創れるはず。世間で非現実とされる物を創るには、それ相応の力を消費するからね。まぁ、戦い方を知らないお前には似合いの力だ」

「……分かった」


 刻裏の言葉には何か引っ掛かるものがあるが、今はそれを追究するよりも目の前を片づけるのが先決だ。

 だが、都季の様子が変わったことに気づいた魁が思い留めようと声を上げた。


「都季!」

「分かってんの!? 力を使ったら、月神は先輩に定着するって! 本当の器になるんだぞ!?」


 焦りからか、普段の敬語をなくした悠が叫んだ。

 都季の呼び掛けに月神が応えないのは、力を貸して定着することを懸念していたのだろう。何せ、彼はいつか月神が離れると都季が思っていたことを知っているのだ。

 今から使おうとしている力も、悠の言葉から察するに同じことのようだが。


「それでも、何もしないでいるよりはマシだ! 俺だって、いつも『はい。そうですか』って納得できるか!」


 あの日、両親を止めていたら、二人は無事だったかもしれない。


「よく言うだろ。やらないで後悔するより、やって後悔したほうがいいって」


 あの日、一緒に行っていたら、こんな思いもしなくて済んだかもしれない。

 後悔ばかりが先立って、いつまで経っても前に進めていないのだ。


「先輩……」

「皆には迷惑かけるだろうけど、いざとなったら全部、受け入れるから。だから――」


 守れるだけの力があるなら、使わなくてどうする。

 脳裏に、かつて夢で助けてくれた月神の姿が思い浮かんだ。見る者を圧倒させるほどの威厳を放つ、純白の狼が。

 一度目にしたものなら、形作ることは可能だろう。


「――だから、俺は今の最善を尽くす!」


 都季は自分の体から大きな力が溢れ出すのが分かった。どこからともなく目の前に水晶玉が現れ、眩い光を放つ。

 そこで、今使った力は刻裏から得たものではなかったのか、と都季は刻裏へと視線を向ける。

 だが、刻裏から答えを聞くより先に、水晶玉から聞き覚えのある声が響いて思考は停止した。


 ――まったく。ぬしは和樹と結奈によう似ておるわ。


「月神……」


 水晶玉から響いた声は月神のものだ。都季以外には聞こえていないようだが。

 光が収まると水晶玉は姿を消しており、代わりに一頭の狼が都季の前に立っていた。

 低く唸る狼は、姿こそ月神が化けたものと同じだが、中身は別のものだ。


「あれは……」

「月神の、化身?」

「いえ、それにしては……」


 凛々しい顔立ちにしっかりとした四肢を持つが体躯はしなやかだ。耳をピンと立てて牙を向く姿は、破綻組や幻妖を威圧して動きを止めている。

 ただ、大きな問題はあったが。


((ちっさ!!))

「……可愛い」

「嘘だろ……」


 いつか、月神が具現化したときと同じ流れだ。

 現れた狼は子供かと言いたくなるほどに小さい。あってせいぜい中型犬ほどか。

 魁と悠が口には出さずに内心でツッコミを入れ、琴音に至っては愛らしいその姿に喜色を滲ませた。

 意外なことに目を瞠っていた刻裏は、込み上げた感情を抑えきれず、吹き出して声を上げて笑った。


「ふっ……くっくっくっ、はははははっ!」

「わ、笑うなよ!」

「ああ、悪いね。初めてにしては、小さくとも具現化できただけでも上出来だ。普通、初心者は形を保てないからね。そう気にするな」

「気にするわ!」


 あれだけのことを言っておいてこの結果は恥ずかしい。

 軽く叩くように頭を撫でる刻裏の手を払い退け、赤面した顔を隠すように背を向ける。

 そんな都季に、目尻に浮かんだ涙を指で拭った刻裏は未だおかしそうに言った。


「まぁ、姿は子犬だが、力はしっかりしているようだよ?」

「ガァァァァ!!」

「わ……!」


 愛らしい姿に反した唸り声を上げて幻妖に飛び掛かる子狼は、確かに相手に負けていない。不可視の力を放っているのか、破綻組は近づくことすらできていなかった。

 また、小さな体で破綻組の間を駆け抜けて翻弄し、相手の攻撃もなかなか当たっていない。混み合う中での戦闘では、小柄な体は役立つようだ。


「『向こう』も終わったようだ」

「へ?」


 口元だけで綺麗に笑うと、刻裏はどこかへと一瞬で消えた。

 都季は彼の言った意味が分からず、間抜けな声を出してしまった。

 次の瞬間、破綻組と幻妖が体を大きく跳ねさせて動きを止めた。その顔は緊張で強張り、冷や汗が流れている。

 空気が震えているような威圧感に都季も足が竦んだ。

 直後、都季の左側で壁が大きな音を立てて穴を空けた。


「この力は……」

「おいおい、マジかよ。聞いてないぞ」


 土煙舞う中、二つの人影が揺らめく。

 コウモリに似た幻妖を噛んで振り飛ばした子狼が、その気配を察して都季の前に素早く戻った。

 破綻組達を怯ませるこの力に覚えがある魁達だが、三人は揃って「信じられない」といった顔をしている。

 膠着状態にあるその場に、威圧感の主が発した男の声が響いた。


「はー……なんとか間に合ったか?」

虎兄とらにい! 寝てたんじゃないんですか!?」

紫苑しおんさん……」


 壁を破壊して現れたのは、Vネックの黒いセーターにベージュのカーゴパンツ姿の二十代半ばくらいの青年だ。

 活発さを感じられる山吹色の短髪は両サイドに黒のメッシュを入れている。体はセーターの上からでも分かるほど引き締まっており、無駄な脂肪がない。

 つりがちの黒い目が驚く悠達を捉えると、緊張で強張っていた顔がへらりとした安堵の笑みに変わった。


「よぉ。遅くなって悪、がっ!?」

「ガキが勝手に動いてんじゃねーよ。ったく、誰だ? ここに集合させたの」


 片手を小さく上げた「紫苑」と呼ばれた青年だが、背後から茜の八つ当たりに近い蹴りを背中に受けて前に倒れた。

 茜は不機嫌さを隠すことなく全面に出したまま、蹴飛ばした紫苑の体を容赦なく踏みつけて言葉を続ける。


「紫苑の傷が開いたらブッ飛ばすからな」

「それ、イノ姐が言っちゃうんだ」

「一緒に来たのかよ……」

「ああ?」


 悠と魁の二人を、壁を壊した際に使用した槍を肩にかけた茜が破綻組達を含めて睨む。

 震え上がった破綻組達に対し、魁と悠は二人同時に視線を逸らした。

 魁達が言っていたケガをした十二生肖というのは、茜に踏まれている紫苑のことだった。現れたときはケガなど感じさせない雰囲気を纏っていたが、完治しているわけではない。

 茜は溜め息をひとつ吐いてからぼやくように言う。


「まったく、好き勝手してくれやがって……きっつい灸を吸えてやる。行くぞ、紫苑」

「あ、茜……。俺、もう死にそう……」

「はぁ? おい、なんで寝てやがる! 起きろヘタレ!」

(横暴だこの人!)


 紫苑を踏んで前に出た茜は、後ろで上がったか細い声に足を止めて振り返った。

 手でも貸してやるのかと思いきや、彼女は自分より背丈も体格もある紫苑の胸ぐらを軽々と掴み上げ、原因が誰かは棚に上げて前後に激しく揺さぶる。

 真横でそのやり取りを見ていた都季は、紫苑を助けたくともその勢いに圧倒されて動こうに動けない。


「仲間割れか?」

「なら、今のうちに――」

「ほざけ! 群がっただけの成りそこないが!!」

「うお!?」


 襲い掛かろうとした破綻組めがけ、茜が掴んだままの紫苑の胸ぐらを引っ張り上げて投げた。

 二、三人が紫苑と衝突して倒れ、茜は地を蹴って高く跳躍すると両手で持った槍を横に大きく薙いだ。

 槍の切っ先が軌跡を残し、刃となって紫苑の奥にいた破綻組に当たった。

 軽々と着地した茜は、倒した破綻組が灰塵となって宙を舞う中、残る破綻組と幻妖を見て言う。


「テメェら、あたしの可愛い部下や同僚を傷つけた罪は重いからな?」

「ガルルルル……」


 茜と子狼の勢いに何人かが悲鳴を上げて踵を返す。だが、その足もすぐに止まった。


「狩りはこっからだ!」


 退路を塞ぎ、笑みを浮かべた魁の一言で、再び工場内にいくつもの声が響いた。

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