第21話 対峙


 月神の反応が、僅かだが戻ってきた気がする。

 依月へと走っていた都季は、ほのかに温かくなった胸元に少しだけ安堵した。


(つっきー、出てこれそうか?)


 心の中で月神に声をかけてみるが、言葉での反応はない。

 刻裏は結界を解くのは容易いと言っていたが、どうすればいいのだろうかと思考を巡らせる。それこそ、十二生肖を頼ればいいのだろうか。

 やがて、町の中心を通る大通り沿いに出た。このまま北に向かえば依月に辿り着く。

 探しているなら大通りにいれば目立つだろうと思ったが、一つだけ誤算があった。

 店と店の間の小道から、都季より少し大きな影が飛び出した。


「見ーつけた」

「げっ」


 目の前に立ちはだかったのは、月神を取り込んだきっかけの破綻者だ。

 ここは中心部に近いせいで人通りも多いが、今は誰もこちらを気にしていない。端から見れば知人か友人同士が立ち話をしているように見えているのだろう。

 青年の目的は変わらないようで、以前、会ったときと同じように言った。


「なぁ、月神をくれよ」

「断る」

「はっ。しょうがないなぁ。じゃあ……」


 はっきりと断った都季に、青年は鼻で笑ってから目を眇めた。

 どこか苦しさを押し殺しているようにも見える表情に――がらりと変わった青年の纏う空気に、背中に悪寒が走った。


「切り裂いて抉り出してやるよ」

「おいおい、嘘だろ。ここ町中だって!」


 地を這うような声色で惨たらしい言葉を吐いた青年は、ゆったりとした動きで片手を胸の高さに挙げる。そして、掌に影でできたような黒い塊を出現させると、躊躇いもなく都季へと投げつけた。

 後退って避ければレンガ造りの歩道が抉れ、飛び散った礫が都季を含め数人の歩行者に当たった。


「っ!」

「ぎゃっ!?」

「ってー!」


 攻撃の矛先であった都季は腕を翳すことで顔への直撃を免れたが、状況を知らない周囲の通行人はそうはいかない。

 当たった箇所を押さえて蹲ったり、激痛に声を上げる人々に、周囲も漸く異変に気づいて動揺が広がった。

 何事かと視線が都季達に集中する中、青年は心の底から可笑しそうに嗤った。


「はははっ! ほら、見てるか月神ぃ? 早くそいつから離れねぇと、もっと酷いことになるんだぜ?」

「やめろ!」


 新たな黒い塊が、今度は歩行者に向かって放たれた。

 手を抜いているのか掠めただけではあったが、周りを恐怖に貶めるには十分だ。

 突然の出来事に、辺りは一瞬にして混乱に陥った。影の塊を持つ青年から遠ざかろうと人々が逃げ惑い、悲鳴が飛び交う。


「きゃああぁぁぁ!!」

「にっ、逃げ――痛っ!」

「うわっ!?」

「誰か、警察!」


 我先にとそれぞれが動き出したせいで、人同士でぶつかって新たな怪我人も出ている。

 都季はせめて場所を移そうと、尚も影を放つ青年に向かって声を張り上げた。


「っ、おい! 月神が欲しいなら俺を捕まえてみろ!」

「……はっ。たかが人間の分際で……ああ、いや、違ったか。巫女の末裔だっけ? あー、そっか。そっかぁ」


 向かって来てから逃げようと思ったが、嘲笑った青年は何かを思い出したかのように表情を消して独りごちる。

 やがて、にやりと浮かべられた笑みに嫌な予感がした。

 全身が青年から逃げろと告げている。


「それじゃあ、わけだ」

「……は?」


 一瞬、彼が何を言ったのか理解できなかった。


 ――「喰っても」? 「喰う」って……「食べる」? え。人間だぞ!?


 僅か一秒にも満たない脳内での自問自答。

 漸く理解した都季は、まさか、と思いながらも青年を見て愕然とした。


「なら、なおさら……」

「っ!」


 上体を僅かに沈めた青年が、地を蹴って都季に飛びかかった。振り上げられた手は鋭い爪が伸びている。

 ぎらぎらと血走った目は獲物を見定めた猛獣のそれだ。


「逃がすかよ」

「いっ……!」


 攻撃を避けきれず、防御で翳した腕に痛みが走った。

 飛び散った血に周囲の悲鳴がさらに大きくなったが、もはや気にすることもできない。

 続けざまに反対の手の爪が振り下ろされようとしたが、背後から都季の肩を踏み台にして飛び上がった姿があった。


「なっ!?」

「キキッ!」

「――形態変化、神器!」


 青年の眼前に迫ったのは一匹の茶ネズミ……茶胡だった。

 都季の後ろに現れた悠が鋭く叫べば、茶胡の姿が光に包まれ、ネズミからクナイへと変わる。

 クナイは勢いを殺すことなく、青年の顔を狙った。


「ちっ」

『あ』


 青年が体を捻ったせいでクナイは避けられてしまったが、隙を作ることはできた。

 対象者がいなくなったクナイは近くの木に突き刺さった。

 武器になっても言葉は扱えるのか、クナイから場違いなほど間抜けな声が上がる。


「都季先輩」

「ゆ、う……」


 悠は都季の目の前に立ち、もう一つのクナイを体の前で構える。口早に「形態変化、神使。茶胡」と唱えれば、木に刺さったクナイは光を放って茶胡へと姿を変えた。

 ただ、茶胡は頭が木に刺さったままで、前足と後ろ足で木を一生懸命押して頭を抜いてから悠のもとに戻ってくる。

 悠の口の端には切れた後があり、先ほどの依月での一件が甦った。同時に、なぜここに彼がいるのか理解できなかった。


「なんで、ここに……」

「は? 『なんで』って、愚問ですね。その様子からして、都季先輩も頭冷えたんですよね?」

「……ごめん」

「分かったならいいんです。だから――」


 視線を青年に向けたまま後ろの都季に言う悠は、苛立ちを含んでいながらもこれ以上蒸し返すことはしなかった。

 悠は言葉を探しているのか、一旦、口を閉ざす。しかし、すぐに纏う雰囲気が変わり、研ぎ澄まされた力が周囲へプレッシャーを与えた。


「足手まといなんで、さっさと逃げてくれません?」

「え?」


 思いも寄らなかった言葉に、思わず間の抜けた声を上げてしまった。

 すると、悠は都季に向き直って呆れたように溜め息を吐いた。青年に背中を向けているが、茶胡が視線を外していないせいか青年が動く気配はない。


「僕は今からこの人の相手の他に、周りの人の記憶も弄ります。都季先輩がいたんじゃ、気が散ってできないんで」

『「守らないといけないから、できれば安全な場所に逃げてよ」ってこと』

「うるさい」

『ぎゃっ!』


 クナイから聞こえてきたのは御黒の声だ。

 冷やかすような声音に悠は眉を顰めると、勝手に翻訳した御黒を強めに握って黙らせた。

 そして、咳払いをひとつしてから再度都季に背を向けて言う。


「集めて一気にカタをつけますから、都季先輩は……近くの、西区にある廃工場は分かりますか? そこに向かってください」

「場所は分かるけど、悠は一人で大丈夫か?」

「僕を誰だと思って……まぁ、いいです」


 心底呆れたように都季に向きかけた悠だが、すぐに諦めて前を向く。

 依月での一件を蒸し返しはしないが、根には持っているようだ。言葉の端々に棘がある。


「忠告しておきますが、くれぐれも月神の力を使わないでくださいね。でないと、都季先輩から離れる確率が限りなくゼロに近くなりますから。あと、これで止血でもしてください。走るのはそれからですよ」

「わ、分かった」


 都季は悠に言われるがまま、手渡されたハンカチを受け取って手早く傷口を服の上から縛った後、素直に指定された場所へ向かって走った。

 西区の廃工場は一ヶ所だけだ。ここから近い場所であり、敷地も広い上に周囲の住宅も少ない。確かに、破綻組を集めるには十分だろう。

 遠ざかる気配を感じながら、悠は一度構えを解いた。


「まったく。大通りを走れば、僕らだけじゃなくて破綻組にも見つかりやすいって気がつかなかったんですかね」

「あの狐が何かしてやがったせいで、一瞬は気配が消えてたんだけどな。でもまぁ、浅慮だったおかげで、思いの外楽に手に入れられるかと思ったんだが」


 やれやれ、と肩を竦めてみせた破綻者に、悠は何度目かの溜め息を零した。

 依月を先に出たのは魁だが、悠は神使の配下であるネズミを使って町中の情報を得て都季の居場所を掴んだのだ。ちなみに、魁と茜は巡回中の警察に神使が見つかって、「ペットの管理はちゃんとしなさい」とそれぞれ怒られたようだが。

 ネズミから都季が大通りを走っていると聞いたときはどんな自殺行為だと呆れたが、いざ、彼を見つけたときには危機一髪の状況に焦りが生まれた。これは口が避けても本人には言わないが。


「君も君で愚かだね。こんな大通りで立ち回って、僕らだけでなく『違う組織』も出てくるとは考えなかったんですか? まぁ、僕らが動いてる時点でありえませんけど」

「はっ。仮にも敵対してるやつの心配なんて、案外慈悲深いんだ?」


 幻妖や依人を相手にする組織は、都季には話していないが実のところもう一つある。

 ただ、そちらの組織とは最終的な目的が異なるため、協力することはほとんどないのだ。また、両組織の取り決めによって、極力、現場に鉢合わせしないようにしている。

 破綻者を気遣うような悠の言葉に青年が冷やかすように返せば、彼が放つ気配が鋭く氷のように冷たいものへと変わった。


「『慈悲深い』んじゃなくて、『馬鹿にしてる』んだよ。“外道さん”」

「なっ……!」


 悠は言葉に詰まった青年を鋭く見据えたまま、形式どおりの言葉を紡いだ。


「第三級破綻者、佐藤さとう圭介けいすけ。無許可の継承に加え一般市民への能力の行使により、特殊管理局幹部、十二生肖が“子”、子峰悠の名の下に捕縛する」

「やれるもんならやってみやがれ!」

「あ、そう。なら、遠慮なく」


 そこで初めてにっこりと笑みを浮かべたかと思えば、悠は片手を小さく挙げた。

 何かの合図にもとれるそれに、青年、佐藤は怪訝な顔をする。

 だが、それもすぐに集まってきた無数の気配に強張らせることになったが。


「“みんな”、一般人はあくまでも記憶を齧るだけだよ」


 排水溝の穴から、建物の影から、小さな影がわらわらと出てきた。

 耳を劈かんばかりの甲高い鳴き声が周囲に響き渡る。

 あっという間に集まったのは小さなネズミの群れだ。

 一般人は足もとに集うネズミの群れに悲鳴を上げており、佐藤も底知れぬ恐怖に青ざめている。


「さぁ、『食事の時間』だよ」


 口元だけで微笑む悠の言葉を合図に、ネズミ達は一斉に人間に飛びかかった。

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