第11話 狼の正体


「都季ー。起きてるかー?」

「うわ、なんでドア叩くかな」


 準備を済ませ、ニュースを見ながらそろそろかと思った頃、玄関のドアが遠慮なしに叩かれた。

 慌ててテレビを消し、ベッドの上に置いていたブレザーを羽織った。

 魁はインターホンを無視してドアを叩きながら、「まだかー?」と声を掛けてくる。

 今の時刻は七時半がくるかどうか。

 周りすら気にしない魁に、悠の呆れたような声が聞こえてきた。


「借金取りじゃあるまいし、扉叩きながら大声出さないでくださいよ。ご近所さんに迷惑です」

「え。そんなデカい声出してたか?」


 悠に窘められるも、魁としては大きな声を出していないつもりのようだ。

 すると、悠はあろうことか聴力の良い琴音に同意を求めた。


「琴音先輩、煩いですよね?」

「ハードルたっけぇよ!」

「……二人とも煩い」

「ほらー」

「お前、聞こえてた? 『二人とも』って……え。やっぱ俺、もっ!?」

「悪い待たせた!」


 都季が慌ててドアを開けた瞬間、鈍い音と感触、加えて潰れたような声が聞こえた。

 何が起こったか分からず、都季はドアを開けたままの態勢で目の前の琴音と悠を見る。二人も唖然としながら都季を見返す。

 やや間を空けてから、ドアの向こうから苦痛に悶える声がした。


「――ってー!」

「え?」


 家から出てドアを閉めれば、鼻を押さえて蹲っている魁がいた。

 悠曰く、「ドアが開いたことに気づかないで、後ろにいた琴音先輩に振り向こうとしたらドアにぶつかったんですよ」だそうだ。

 都季は慌てて魁の隣に片膝をついて謝った。


「ごめん、魁! 大丈夫か!?」

「ケガ、してない?」

「何やってんですか、どんくさ戌井先輩」

「てめっ……!」


 琴音も宥めるように頭を撫でる中、悠だけは呆れたように言った。魁の睨みも涙目なので怖くはない。

 格好のおもちゃを見つけたと言わんばかりの笑顔で懲りずに続けた。


「にぶ戌井先輩のがいいですか?」

「悠、お前な……」

「変わってねーし! なんで今さら名字だよ!?」

「魁もちょっと落ちつけって」


 おろおろとする琴音を見兼ねた都季が間に入るも、二人が口を閉ざす気配はない。

 悠は魁を挑発し、魁は魁で挑発に易々と乗っている。


「歳を重ねれば反射神経落ちますもんね。それにしたって早いけど」

「ぶっ飛ばす」

「こら! 二人とも止めろ!」

「うっ」

「…………」

「え?」


 先ほどまでの口論が嘘のようにピタリと止まった二人に、止めに入った都季は意味が分からずに戸惑う。

 すると、今まで狼狽えていた琴音がその理由を説明してくれた。


「更科君の中にいる月神は、幻妖の長でもあるけど、私達の主のような存在でもあって……。だから、今の更科君は、主を持った主で……本当は私達の主じゃないんだけど、えっと、その……」

「強い想いの籠った言葉には、自然と月神の力が乗るみたいですね。僕らが逆らえない、命令のような力が」

「そんな……」


 言葉を選ぶ琴音に悠が助言する。その内容に都季は愕然とした。

 喧嘩を止めようとしたのは事実だ。しかし、従わせようとしたものではなく、ただの仲裁だ。

 悠は面倒くさそうに続けた。


「昨日はそんなことなかったのに……何かありました?」

「…………」

「せーんぱい」

「え」


 にっこりと笑みを浮かべた悠に嫌な予感がした。どこに隠れていたのか、彼の肩に御黒と茶胡が現れる。

 ふと、脳裏に過った悠の能力。


「言わないと、都季先輩の初恋やら恥ずかしいことの何から何まで――」

「わああぁぁぁ! 言う! 言うから!」

『えっとねー、初恋はねー』

『近所のおね、きゃー!』

「言うなって!」


 都季の肩に飛び移るなり九割方言ってしまった御黒の体をガッシリと掴み、視られたことで思い出した過去の恥ずかしい記憶に声を荒げた。

 御黒を通じて過去を知ってしまった悠は、予想外だったのか驚きを露にしながら言った。


「都季先輩、年上好き?」

『マザ――』

「ンなわけないだろ!? ほら、行くぞ!」

『はーなーしーてー!』


 御黒を掴んだまま、三人と一匹を残して階段を降りて行く。

 いつまでもいるわけにはいかないため、魁達もすぐに追いかけてきた。都季の右に魁、その後ろに琴音と悠が並んで歩く。


「で。都季先輩、何がありました?」

「うーん。どこから話したらいいんだろう」


 刻裏に会って忠告をされた事、夢の中で大きな木を見た事。そして、何かに襲われ、それから助けてくれた狼の事。

 いろいろとありすぎて迷ってしまったが、ふと、三人との別れ際に外出を控えるように言われていたのを思い出した。

 言えば怒られるだろうか、と躊躇っていると、見透かしたのか悠がまたにっこりと笑んだ。


「ほら、僕からだと記憶を覗いたみたいなんで、さっさと言っちゃってくださいよ」

「それって、もう視てる前提で言ってるよな?」

「ん? 都季、ちょっとごめん」

「うわ!?」


 魁は都季を見て顔を僅かに顰めると、右腕を取って袖を捲った。コートとブレザー、シャツに守られていた肌がひやりとした冷気に撫でられ、寒さに体が震える。

 都季の手から逃れて肩にいた御黒が髭を動かして魁を見た。


『セクハラー』

「うっせぇ。……都季。昨日の晩にケガでもしたか? 『狐』にやられたとか」

「!」


 痛いところを突かれ、肩が跳ねてしまう。

 しかし、それを指摘されるより先に後ろにいた悠が疑念の声を上げた。


「あの狐さんが?」

「直接は争わないのに……」

「違う。その『狐』じゃない。この匂いは昨日の『管狐』だ」

「「え?」」

「な、なに?」


 悠と琴音が声を揃えた。都季だけが理解できずに置いていかれている。ただ、魁の嗅覚が異様に良いことだけは分かった。

 魁は都季の袖を丁寧に直してから離すと、ブレザーの内ポケットに入れていた携帯電話を取り出した。しかし、時刻を見ただけで操作せずに仕舞った。


「連絡はないし……学校行くか」

「大丈夫なのか? なんか、ヤバいことになるんじゃ……」

「そんなはずないですよ。魁先輩の言う管狐は妖狐の一種で、昨日、都季先輩の家を物色しようとしたのを邪魔した空気読めない幻妖なんです」

「今、さらっととんでもないこと言わなかったか?」

「でも、その管狐は僕らがちゃんと捕まえたんです。正確には魁先輩の神使が」


 よほど自宅を物色したかったのか、悠は昨日のことを根に持っているようだ。都季としては助かったが。

 都季の突っ込みは軽く流して話を魁に振れば、彼もいちいち取り合うのが面倒なのか流したまま頷いた。


「そういや、都季はまだ見てないか」

「うん」

「魁先輩の神使は犬なんですけど、狩りの能力だけはずば抜けてますよねー」

「『だけは』ってなんだ、『だけは』って」

「あはは……」


 わざとらしく強調された言葉に言い返す魁に苦笑が零れる。

 彼は神使云々以前にかなりの犬好きだ。馬鹿にされたような言い方が気に食わないのだろう。

 ふと、横を見ていたせいか、先ほどから口を開かず俯いている琴音が視界に入った。

 話題には入りたくないような顔をしているが、ただ入れないだけかもしれない。

 そう思って、彼女の神使について訊ねた。


「卯京さんの神使は、やっぱり兎?」

「……い」

「ん?」

「…………いない」

「え?」

「…………」


 都季を見てなにか考えたようだったが、すぐにまた俯いて否定した。

 悠の説明からすれば、十二生肖は神使を従えているはず。現に、琴音の右手首にも十二生肖の証である十二枚の花弁を持つ花の入った水晶玉と、緑色の丸玉のついたブレスレットがある。

 琴音は黙ったままで、都季も返す言葉が見つからずに視線を泳がせた。こんなとき、真っ先に空気を破りそうな悠も御黒達も黙っている。

 長い沈黙に痺れを切らせたのは魁だった。


「そうだ! 都季、数学の宿題ってやったか?」

「宿題はなかったはずだけど……」

「あ、間違った。数学じゃなくって化学!」

「いや、どっちにしても宿題はないし、化学は明日だろ?」

「そうだっけ?」

「下手くそ」

「なっ……うう」


 背後から悠にバッサリと切られ、さらに事実であったため言い返すこともできず項垂れた。半泣きの魁の背中を、琴音が宥めるようにぽんと叩いた。

 溜め息を大きく吐いた悠は、呆れた様子は隠さず、都季の横に並んでから言った。


「どうでもいいんですけど、都季先輩、僕への答えは? さっきから外れてばっか」

「えっ?」

「昨日、僕らと別れた後、出掛けましたよね」

「やっぱり視て――」

「ませんよ」

「あ」


 見事にカマをかけられた。昨日の刻裏といい、引っ掛かりやすいのかもしれない。

 だが、言いつけを破ってしまったことには変わりなく、横目で見てくる悠に慌てて謝った。


「ご、ごめん。ちょっとなら大丈夫かと思って」

「そのちょっとの油断が危ないかもしれないんですよ?」

「うっ。軽率でした……」

「まあまあ。都季も月神も無事だったんだからいいだろ?」


 まさか年下に説教されるとは思わなかった。

 魁が仲裁に入れば、「今回っきりにしてくださいね」と渋々ではあるが下がってくれた。


「昨日、狐さんと会ったの?」

「……うん。本当の名前はないけど、呼ぶなら『刻裏』って呼べって言われた」

「向こうから来た上に名乗るなんて、すっかり気に入られたっぽいな」


 琴音は内心を聴いたのか見事に言い当てた。話題が変わったからか、先ほどの思い詰めたような表情はない。

 刻裏とは出会ってからまだ二日しか経っていないが、魁の言い方では気に入られたと断定して十分なようだ。


「何かされました?」

「それが……月神の存在がバレてるみたいなんだ」

「そりゃそうですよ。狐さんは千里眼を持っているんですから、大抵のことはお見通しですよ」

「それって俺の名前も?」

「普通なら可能でしょうね。でも、都季先輩の場合は、月神の存在があるから難しいかもしれません。まぁ、その阻む存在が月神なわけですから、所在が分かるんですが」


 やはり千里眼にも限界はあるのか。どうりで名前を訊かれたわけだと合点がいく。

 都季の質問に答えた悠は、都季の腕を掴んで足を止めた。


「都季先輩。狐さんに深入りしないほうがいいですよ」

「は?」

「もちろん、善狐ぜんこならまだ安心はできますが、あの妖狐は危ない。深入りして、変なことに利用される可能性だってあるんです」

「悠?」

「管狐も妖狐の一種。もしかして、都季先輩に傷をつけた管狐も狐が差し向けたのかも」

「ちょ、ちょっと待てって。刻裏に会ったときに、その管狐? に会ったんじゃないんだ」


 どこか切羽詰まったような、焦りすら見える悠にこちらまで余裕を失いそうになる。慌てて止めて悠の推測を否定すれば、「じゃあ、いつですか」と強い口調で返された。


「信じられないだろうけど、夢で会ったんだよ」

「夢で?」

「そう。なんか、夢で変な場所にいたんだ。靄掛かってたから周りはよく分からなかったけど、注連縄が巻かれたすごく大きい木があった。そしたら、何かに引っ掻かれたんだ。それが管狐って奴だったのかも」

「「「!?」」」


 三人が息を飲んだのが伝わってきた。御黒達も互いの顔を見合わせている。

 夢で傷をつけられたなどと変なことを言っていると分かってはいるが、雰囲気はどうもその驚きとは違う。何か重要なことをさらっと言ってしまったようだ。


「な、なに?」

「御黒、茶胡。幻妖界の『神降りの木』は無事かい?」

『問題ないよ』

『ないない』

「そう……」

「え。な、なんだよ?」


 二匹の言葉に、三人はやっと安堵したように息を吐く。ただ事ではない空気に、事情を飲み込めない都季には焦りだけが募る。

 そんな彼に説明するでもなく、魁が驚きの滲む声音で言った。


「まさか、『向こう』に連れてかれるなんてな……」

「え?」

「早い話、都季先輩は一回死んだってことですよ」

「……ええ!?」


 「死んだ」と言われても、当たり前だが実感はない。都季は今、ここで生きているのだから。

 あっさりと衝撃発言をした悠は「煩いですよ」と迷惑そうに言うが、驚かない人がいるなら見てみたい。

 すると、誤解を招いていると思った琴音が訂正した。


「厳密には死んでないけど……意識が、幻妖界に連れて行かれただけ。生きてても、死んでも、人間は生身で幻妖界には行けないはずだから」

「う、ん?」

「……ごめん」

「え?」

「『守れなくてごめん』ってことだよ。でも、どうやって帰ってきたんだ?」


 何の力も持たない都季が、無事にここにいることを疑問に思うのは当然のことだ。恐らく、都季が魁達の立場でも驚いていた。

 都季は夢で起きたことを思い返しながら言った。


「それが、襲ってきた奴を木から出てきた狼が追い払ってくれたんだ。そういえば、襲ってきた奴もあの狼も、御黒達みたいに喋ってたな」

『人語を話せる幻妖は限られてるよ。ボクらみたいに記憶に関する能力を持つモノか、知能が高いモノ。話せるモノの眷属、もしくは――』

「神様、とかね。状況から察して、恐らくその狼は月神です。都季先輩には月神の器が入ってますから、狼はその力を辿ったんでしょう。あの木は人間界と幻妖界とを繋いでいますが、幻妖界内だけでも移動手段の一つですから」

「そっか。月神は本体が向こうだったな」


 悠の言葉を受けて、魁も都季を救った主が何か分かったようだ。

 「神様」というだけあって勝手に人型を想像していた都季は、意外な事実に狼の姿を思い起こしながら呟いた。


「あれが月神……」

「月神は、十二生肖の主。神使と同じ姿になれるから……多分、更科君と一番親しい、戌の姿を借りたんだと思う」

「なるほど」


 一番親しいものならば、恐怖心や警戒心も抱かれずに済む。ただ、魁とは親しくても彼の神使に会ったわけではないため、助けてくれなければまず逃げていたが。


「でも、襲ってきた管狐のほうが気になりますね。位の高い妖狐ならともかく、管狐が『話してた』ってことは、それ相応のものの眷属でしょうか? 狐さんの眷属なら、可能性もあります」

「確かにな」

「ねぇ、都季先輩。他に特徴とか分かりませんか?」

「え? えーっと、そんなハッキリと見てなかったからな……。でも、狼は『狐に力を借りた』って言ってたから、刻裏が襲ってくるのはおかしいだろ?」

「あれは気まぐれですからね。遊んでいる可能性もあります」


 どうも、先ほどから悠は焦っている。まるで、刻裏を今すぐに捕まえる理由を探しているようだ。

 困惑する都季を見て、魁が間に入った。


「悠、ちょっと落ちつけ。ワリィな、都季。こいつ、前に狐といろいろあったんだ」

「え? あ、ああ。うん、大丈夫」

「でも、管狐に関しては見過ごせませんよ?」

「昨日、しっかりと『調律師』に預けただろ?それに、局からも連絡はない。憶測で物を言うなんて悠らしくねぇぞ」

(また新しいの出た……)


 「調律師」というものも、局に所属している人の肩書きか何かだろう。人の名前とは考えにくい。

 もはや訊くのすら億劫で、思わず溜め息を吐いた。これからもこういったことは多いのだろうと。

 すると、その感情を読み取った琴音が申し訳なさそうに説明してくれた。


「ごめん……。調律師さんは、歪みを直したりする人達のことで……幻妖の調査や、幻妖界に還す『送還』もやってくれてるの」

「ありがとう。読んでくれて」

「…………」


 このときばかりは琴音の能力に感謝した。簡単な説明でも、この先聞いていく分には困らない。

 礼を言った都季を少し驚いたように見た琴音は、彼から視線を外してふるふると首を左右に振った。嬉しかったのか、照れているようにも見える。


「学校着いたら調律師に連絡して管狐の様子訊くから、今は遅刻しないように行こうぜ」

「そうだな」


 自分達の本業はあくまでも学生だ。もしかすると魁達はそう思っていないかもしれないが、どちらにしても遅刻は良くない。

 四人は話題を別のものに変えながら、学園までの道のりを歩いた。

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