第7話 十二生肖の年長者達
「悠から粗方のお話は伺いましたが、狐に会った際、何かされましたか?」
「いえ、特には。近くに来て、『これから面白い事が起こるぞ』って言われたくらいです。変な人かと思ってすぐに逃げましたけど」
「狐は術が巧妙ですからねぇ。でも、それだけでは『力の継承』は行われていませんね。かけられている術は、彼自身の『何か』を覆っていますが……」
都季を見つめる龍司だが、彼は都季ではなく、都季を包むようにして張られている薄い術の膜を視ていた。
それに気づいた魁と琴音の表情に緊張が走り、悠は顔にこそ出さなかったものの、黙って様子を見ている。
少しして、龍司は困ったように笑みを浮かべた。
「残念ながら、何を覆っているかは視えませんね」
龍司は眼鏡のブリッジを指で押し上げると、「力不足ですみません」と謝った。
こっそりと胸を撫で下ろした魁と琴音をよそに、都季は龍司の出した言葉で気になった部分を隣に椅子を持ってきて座る悠に訊いた。
「力の継承って?」
「端的に言うと、一般人に異能の力を与えて依人に変えちゃうことです。継承者が主にそれに当たりますが……魁先輩の家での話聞いてました?」
「物覚え悪くてすいませんねー」
「別にいいですけど」
説明は聞いていたものの、一度に依人の話を聞いたせいかまだ整理しきれていない。
悠も話を一度にしたことを気にしているのか、それ以上は責めることはせずにあっさりと言うと、妖狐について話しはじめた。
「あの狐さんは、力の継承ができるほど力のある幻妖なんです。昨日、都季先輩にぶつかった依人さんも、狐さんから受け継いだと思われます」
「どうして一般人にそんなこと……」
「詳しい理由は僕らにも分かりません。でも、狐さんが一般人に力を与えて継承組を増やす一方で、破綻組も増えているということです」
依人になろうとしてなれなかった者。
一般人がどうやって依人や幻妖の存在を知ったのかは未だ不明だが、力を与えた主の気まぐれによるもの、というのが現在での推測だ。
ただ、「破綻組」と称されるからには、その末路は決していいものではない。
「力の継承は、そう簡単にできるものじゃないの。常人が異能の力を求めたところで、体が耐えられる人はごく僅かだし」
「あたしらみたいなのは元から人とちょっと違うから、体が力に耐えられるんだけどな」
「あの依人も、継承したばかりでうまく力が落ちつかなくて苦しいのでしょう。だからこそ、神出鬼没の妖狐より、常に一ヶ所にある月神を狙ったのだと思います」
月神もまた、一般人に力を与えることができる。力を安定させるための『力』を求めたと考えるのが妥当だ。
口には出せないが、都季が今も普段と変わりない状態で月神を身に宿せたのは奇跡に近い。
ふと、都季は月神が自身に依人としての力を継承したのでは……と思ったが、それならば彼らがすぐに気づくかと自己完結した。
「さっき、狐さんが何かしたかもって言ってたけど、もしかして狐さんに気に入られたんじゃ……」
「可能性はありますね。外部の介入を許さないよう彼を守っていますから。まだ依人として覚醒はしていませんが、異能の種でも植え付けられているかもしれませんねぇ」
「笑って言うな」
へらへらとしている龍司には緊張感がなく、茜が軽く注意した。
気に入られたとなれば、これから先、狐が接触してくる可能性はある。下手に依人を増やさないためにも、都季の周辺に気をつけておかなければならない。
茜は疲れたように、本日何度目かの溜め息を吐いた。
「まったく。依人に月神は盗られたままだわ、更科は狐に気に入られるわ、幻妖のことがバレるわ……どっから手ぇつけようか」
「あはは。これは大変ですねぇ」
「とりあえず、月神に関しては手分けしたほうがいいよね。私、他の生肖に連絡しておくよ」
段取りを考える茜、相変わらずのんびりしている龍司、取り乱すことなく指示を出すために動く花音。
特殊管理局の重要な物が奪われたままでも平然と見えるのは、こういったことに慣れているのか、はたまた、月神が奪われてもすぐにどうこうなるわけではないからか。
意外な状況に都季が唖然としていると、龍司がいるソファの隣に立ったままの魁が恐る恐る小さく手を挙げた。
「あ、あのさ。その事なんだけど……」
「ん?」
眉間に皺を寄せる茜に、魁は続けようとした言葉を飲み込んだ。龍司の隣に座る琴音は怯えきっているのか、先ほどから魁の袖を掴んだまま口を閉ざしている。
魁は内心で自身を叱咤し、ひとつ息を吸ってから言った。
「俺達に任せ――」
「却下」
「早っ!」
「うるせぇ。失敗した奴が何言ってんだ」
「うっ……。だ、だって、依人は都季に会って顔を知られてんだぜ? 俺らが都季と知り合いだって言うのも、見られてるかもしれないだろ?」
「だからなんだ」
三人では駄目だったということは事実だ。ならば、その三人だけに任せておくことはできない。何せ、局の中でも最も重要な月神が奪われているのだ。
返す言葉を失った魁に代わって、見かねた悠が溜め息を零してから口を開いた。
「奴が町から逃げる手段で、都季先輩を使う可能性があるんですよ」
「だったら、更科に寄って来たとこを捕まえる。動けるのはお前らだけじゃない」
「問題を起こす依人は他にもいるんです。あの襲撃の件で、何人の局員が怪我をしたと思ってるんです? 人が少ない今、僕ら十二生肖が一人の囮に何人も動く必要はありません。なら、僕ら三人が引き続き追います」
「…………」
人当たりの良い笑みが悠から消え、畳み掛けるように言葉を続ければ、今まで強気だった茜も押し黙った。
ただ、都季は堂々と「囮」と言われたことに一言物申したくなったが。
「薄々気づいているのでしょうけど、あの継承者はそう遠くない内に破綻します。力の安定のため、月神を求めたのが何よりの証です。だったら、突破できるかもしれない僕達で都季先輩の周りを固めておいたほうがいいですよね?」
「破綻したら、もっと危ない」
「俺と琴音は同じクラスだから、一緒にいても周りには怪しまれないしな」
学生である都季達は、必然として一緒に過ごす時間が長くなる。それも同じクラスともなれば、授業中でさえ目を光らせておけるのだ。
茜はまだ言いたいことはあったが、これ以上は何を言っても無駄か、と息を吐いた。
「次はないぞ。花音、結界は保つか?」
「うん。でも、他の依人達にも影響するから、できるだけ早くお願いね?」
一度は失敗しているのだ。これ以上、失敗を重ねるわけにはいかない。
先の一件以降、花音が依人を逃がさないよう結界を町全体に張っているが、それを維持するのにも限度がある。また、効果は町内にいる依人にも影響し、町の外へ出辛くなると言う弊害もあるのだ。
結界の存在を知った都季は、どうりで月神を持ち出した依人の捜索をすぐに行わないわけだ、と納得がいく。だが、月神が彼の手にあると仮定しているならば、割られたり力を奪われたりという心配はないのかと思った。
「あの、月神って、見つけられる前にどうこうされることはないんですか?」
「その点に関しては問題ありませんよ。あの水晶は特別なものですから簡単には割れませんし、そもそも、力を与えようという意思は月神にはありませんから」
「意思?」
「言っただろ? 月神は両方の世界のバランスを保つ『神様』だってな」
「あ」
神様、と言うことは、秤のような物ではなく、きちんとした自我を持つ存在と言うことだ。
改めて、都季は自身に入ってしまった水晶がどんな代物か実感し、自然と鳩尾の辺りの服を掴む。何も反応はなかったが、いつか自我というものが出てくるのかと少し怖くなった。
それを見てか、悠は視線を自身に持ってこさせるためにも口を開いた。
「継承者に関しては、僕の『仲間』にも探してもらっています」
「仲間?」
「ネズミです。僕の能力は、対象は人間に限られません。この町の至る所にいるネズミは、ほとんどが僕……というか、神使と繋がっているので、どこに潜伏していようとすぐに見つけられますよ」
「何、そのチートみたいな能力……」
「あは。褒め言葉として受け取っておきますね」
むしろ、そこまでのことができるならば囮役などいらないのでは? と思ったが、
口にすればいろいろと面倒なことになりそうだったため、危うく出そうになるのをぐっと堪えた。
「まぁ、なんだ。あたし達はあたし達でもやれることはするが……更科。お前はしばらく、単独行動は控えな」
「え。俺の私生活は?」
「あ?」
「すいません何でもないです」
文句は受け付けないと言わんばかりに睨む茜から素早く視線を逸らす。その際、視界に入った御黒と茶胡に『ヘタレー』と揃って馬鹿にされたが。
(このネズミ……!)
「あと、辰兄に一つ確認したいことがあるんですけど」
「はい。何でしょう?」
話が終わってしまう前に、と悠は切り出した。
ゆったりとした口調で頷いた龍司だったが、悠が口にした確認事項は、その場の空気を変えるには十分だった。
「過去に、『月神が人に宿ったこと』ってあります?」
「なんだと?」
「例え話ですよ。今まで月神が持ち出されたことはないですし、もし、月神を取り込むことができるなら厄介になりそうだなって」
月神のことを知られるかどうかギリギリの質問に、魁と琴音に再び緊張が走る。
都季も前例があればまだ気が休まるため、固唾を飲んで答えを待った。
龍司は記憶を探るように目を閉じる。
僅かな沈黙の後、彼はゆっくりと目を開いて言う。
「そうですねぇ。私の記憶にはないようです。ただ……」
「ただ?」
「ご存じのとおり、月神も一般人に力を与えることができますから、あり得ない話ではないです。特体者の中には、依人の力を一時的にその身に降ろす者もいますし。最も、神の力そのものなど、人間の体が耐えられませんけどね」
「ですよねー」
今まで特殊なものとは無縁の世界で生きてきた一般人が、大きな力を受けきれるはずもない。
ただ、都季はそれができてしまっているのだが。
「まぁ、もしできるとするなら、私達のような血統組か――」
龍司の目が鋭く細められて都季を映す。穏やかさが消えた表情は、内側を見透かされそうで怖い。
「あとは、巫女様くらいでしょうね」
「え? でも、その人はもういないって……」
「ええ、いません。ですが、血筋の方はいらっしゃいます。もしかすると、その中に可能な人もいるかもしれません」
悠が巫女はいないと言っていたため、てっきり、親族のほうもいないのかと思った。
「語弊があってすみません」と謝る悠だが、勘違いをしていたのは都季のため、大丈夫とだけ返しておいた。
むしろ、気になったのは悠を見た際に視界の隅に入った、何かを考えるように膝にいる牡丹を撫でる茜だ。
しかし、今の都季にそれを問う理由が見つからず、再び龍司へと視線を戻した。
「巫女様の血筋は代々力が弱まっていたのですが、あるお方がお生まれになってから話は変わりまして。公にはしていませんが、つい数年前まではいらっしゃったのですよ」
「あの人は初代に近いほどの強い霊力を持っていてね。期待もされてたんだけど……」
「もしかして――」
「龍司、花音」
「すみません。お喋りが過ぎましたね」
悠が言ったように、今、巫女はいないのだ。しかし、数年前まではいたとなると、何故茜が遮ったのかは見当がつく。
巫女は何らかの原因によって亡くなっているのだと。そして、茜にとってそれは思い出したくないものだと。
「悪いな。けど、今は知る話じゃない」
「……分かりました」
今は、という言葉が引っ掛かったが、いつか話してくれるのだろうか。
さすがに追究するわけにもいかず、都季は素直に頷いた。
「じゃ、じゃあ、話はそれだけだから、俺達は帰るぜ」
「ああ。何かあったら連絡しろ」
「……イノ姐。我が儘言ってごめんなさい」
魁は話が終わったと見るなり、都季を立たせて背中を押す。これ以上、ここにいてはバレる可能性があると思ったのだろう。
だが、琴音だけは座っている茜に歩み寄り、不安げに袖を引っ張って謝った。
驚きから瞠目した茜だが、すぐに苦笑しながら琴音の頭をあやすように撫でた。
「いや、琴音は気にすんな。野郎が不甲斐ないだけだ」
「ひっどーい」
『鬼!』
『鬼畜ー』
「悠。今度また神使にそれ言わせてみろ。研究所のモルモットにするからな」
茜の睨みに悠は平然と返す。悠の肩にいた御黒達も続けたが、茜の一言に身を寄せ合って震え上がった。
そんな中、都季は気になっていたことを訊く。
「あ、あの、店長。俺、これからも普通にバイトに来ていいんですよね?」
「そりゃあな。あたしらの目の届く範囲にいてくれたほうが助かるし。いつもどおりで頼む」
「はい。ありがとうございます」
従業員は一人欠けるだけでも周囲への負担は変わってくる。都季が嫌でなければ、このまま続けて欲しいのが店長としての本音でもあった。
都季達が従業員用の出入り口から出て扉が閉じられる。
事務室には茜、龍司、花音の三人しかいない。誰も口を開かない静かな空間。花音の能力で空間を切り離しているため、隣の店内の音楽さえも聞こえない。
昨日と少し似た状況に、茜は溜め息を吐いた。
「まさか、昨日まで普通に過ごしてた奴が、あたしらの世界を知るなんてな」
それは一般人から継承者へとなった者にも当てはまるのだが、まさか身近な一般人が継承者にならずとも幻妖世界を知ることになるとは思わなかった。
心配そうに見上げてくる牡丹の頭を撫でて、気持ちを切り替えてから言う。
「何にせよ、手は打っとくか」
「ふふっ。魁君、相変わらず嘘は下手だったね。琴音ちゃんが不安がるのも分かるかも」
「素直なのはいいんだけどな。……おい、煉。聞こえてたな?」
彼らが何かを隠しているのはさすがに分かった。恐らく、茜達に依人を追わせたくないのはそれが原因だ。
月神を最優先して別行動を取ってもいいが、隠し事が分からない以上、下手に動けば逆に危険を犯しかねない。
そこで、茜は従業員用出入り口とは反対にあるドアの一つに向かって声を掛けた。
少しして、「男子更衣室」とプレートが付けられたドアが開く。
「ああ、聞こえた」
中から出てきたのは、都季の先輩でもある煉だった。彼は都季達が来る少し前に別の用で店に来ていた。ただ、魁と会えば喧嘩が始まることがあるため、事務室に都季達が来る直前で龍司から話を聞いて更衣室に入っていたのだ。
「何を隠してんのかは知らねぇが、厄介なことになる前に見張っとけ」
「へいへい」
「あと、もし見つかっても喧嘩はすんなよ」
「…………」
「返事は」
「多分」
「おい」
何が喧嘩に発展させるのかは分からないが、二人の仲が良くないのは間違いない。互いに競争心を持っているのか、同じ仕事をさせると片付くのは早いが。
不安な返事しかしなかった煉だが、念を押したからには大きな喧嘩にはならないと思いたい。
煉も事務室を出た後、静かな室内に隣の店の音楽が微かに聞こえてくる。花音が隔離を解いたようだ。
「じゃ、あたしらも店戻るか」
「そうだね。龍司君はゆっくりしてて。後始末で疲れてるでしょ?」
襲撃は二日前だ。まだ局の片付けは完全に済んでおらず、茜や花音も夜遅くまで局で作業をしていた。切り上げたのは今日の日付になる。
局におらずこの店にいるのも、襲撃に関する情報を集めるためでもあった。
龍司は疲れを一切見せない二人に感心しつつ、柔らかく微笑んだ。
「いえ。疲れているのは皆同じですからね。これを飲んだら帰りますよ」
「そう? じゃあ、湯飲みはそこに置いてていいからね」
そう言い残して、二人も店内へと消えていった。
一人になった龍司は、まだ湯気の立つ湯飲みに視線を落とした。
「さて、バレたら大目玉を食らいますね。私も、“彼”も」
呟きは誰にも聞かれず、湯気と共に消えていった。
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