第6話 依月
町の中心を通る大通り沿い。
プランターや植木が店先を飾るカントリー調のお洒落な外観をした喫茶店。見慣れた看板には外観に反して「
「OPEN」と筆記体で書かれた札を掛けた扉を開けば、カラン、とベルが鳴った。
深みのある独特な香りと焼き菓子の甘い匂いが鼻腔を擽り、店内の客の楽しげな会話が喫茶店の賑わいを表している。
神使の姿は一般人には視えないようだが、悠は念のため、肩にいた御黒達を上着のポケットに隠れさせた。
一方、都季は三人の目的の人が誰なのか、およそ二ヶ月前に知り合った人の顔が浮かんだ。
「『イノ姐』ー。お疲れ様でーす」
悠が笑顔でカウンター席の向こうにある厨房に立つ女性スタッフの一人に声を掛ければ、何故か店内にいた女性客やスタッフから黄色い悲鳴が小さく上がった。
ほぼ同時に、声を掛けられたスタッフ……店長である茜が持っていた皿がパリンと音を立てて真っ二つに割れた。近くで調理をしていた男性スタッフが、先ほどとは違う意味で小さく悲鳴を上げる。
(素手で割った!)
「おい、悠……」
「辰兄と花音さんは奥……へ?」
カウンターの向こうから出てきた茜は、目元まで影が掛かっている上に普段からやや低めの声がさらに低くなっている。
完全に、怒っているときの声音だ。
しかし、目の前に来た彼女は悠の肩に手を置くと、客前と言うこともあってか笑顔を見せた。引き攣ってはいるが。
「いらっしゃい。ここではなんだし、奥に行こうか」
「いたーい」
悠はへらっとした笑みを浮かべながら棒読みで訴える。置かれた手は凄まじい力を持っているようだが、彼も場所を考慮してか悲鳴は上げなかった。
さすがに都季達も何も言えず、素直に事務室へと入る。
今日の事務室には、黒いショートヘアーの女性……副店長の
後ろの低い位置で一つに結った、やや緑がかった黒髪は背中の中頃まである。緑青色の目が優しげな雰囲気を醸し出していた。
穏やかな笑みで小さく会釈をした彼に、都季も会釈で返しながら、誰だろう、と思った瞬間――
「こんの、アホ俳優が!! 来るときは時間と格好に気をつけろって何度言ったら分かるんだ! それか自分の能力で記憶弄ってから来い!!」
鼓膜を裂かんばかりの怒声に、都季は自分が怒られているわけではないのに思わず首を竦めた。琴音と魁は既に青年がいるソファに逃げている。
悠は悠で、耳を手で塞ぎながら勇敢にも言い返した。
「酷いなぁ。これでも『天才子役』って言われてるのにー」
「仕事厳選しまくる奴が生意気言うんじゃねぇ! 仕事を何だと思ってんだ!!」
(悠って俳優だったんだ……)
都季が観るテレビは専らニュースかバラエティ、音楽、自身のレパートリーを増やすための料理番組くらいだ。
ただ、俳優ならば先ほどの黄色い悲鳴にも合点がいく。まだ顔立ちにあどけなさは残るものの、十分に整った部類に入るため、悲鳴の様子からしても人気はかなりありそうだ。
茜の怒りが、悠が正体を晒け出したまま来たことから仕事を選ぶことに変わっているが、もはやそれさえも指摘できない状態になっている。
すると、彼女と付き合いが長いのだと都季の入店時に言っていた花音が、困ったような笑みを浮かべて止めに入る。
「茜ちゃん、落ちついて」
「そうですよ。私が呼ばれたことや、彼がここに来た理由を訊かなければ」
「そうそう。いくら花音さんの能力で『隔離』してるからって、あんまり叫ぶと――」
「誰のせいだ、誰の!」
「いっ!?」
自分のことなど棚に上げている悠の後頭部を拳で殴ると、まだ怒りが収まりきらないのか、じろりと都季に視線を向けた。
直後、猛獣にでも睨まれたかのように足が凍りついて動けなくなった。
「で、なんで更科がいるんだ?」
「いや、それが……」
「しかも、花音の能力のことさらっと言いやがったな」
「イノ姐も言ってましたよ」
「はぁ?」
「いえ、なんでも」
能力について触れたのは彼女もだが、睨まれては誰も文句は言えなかった。
傍観者となっている青年と花音は、都季が十二生肖や能力について知っていると気づいたようだ。
魁は恐る恐る一歩前に歩み出て、茜の顔色を窺いながら言った。
「あの、さ。イノ姐、怒んなよ?」
「ああ?」
(既に怒ってるし!)
茜の返事には苛立ちが混じっている。いくら悠の件があったからとはいえ、このままでは再び怒声が響き渡りそうだ。
だが、言わないわけにもいかない、と萎縮してしまう自身を気力で奮い立たせながら、ぎこちない笑みを浮かべた。
「ほ、ほら、昨日、依人が月神を持ち出しただろ?」
「ああ、あれか。まだ戻ってないみてーだが、お前達が追ってるから手は出すなっつってたな」
「誰が」
「はーい」
手は出すな、という話は初耳だ。
魁が目を瞬かせれば、茜の隣で悠が小さく手を挙げた。どうやら、彼が裏でいろいろと動いたようだ。
ただ、そうでもなければ茜が喫茶店でのんびりしているはずもないため、魁は内心で納得しつつも、さて、どう切り出すかと思ったときだった。
「その後に関しては報告がまだみたいだが、どうなんだ? こっちも無駄に待たされて気が気じゃないんだが」
「……や。それが、都季がそいつとか、狐にも会ったみたいで……」
「で?」
「それで――」
「依然として月神は依人が持って行ったままで、都季先輩には僕らのことバレちゃった」
言葉を選ぶあまり濁すだけの魁に代わり、悠が少しも悪びれた様子も見せず、むしろ語尾に星でもついていそうな軽い口調で言った。
直後、その場に紐が千切れたような音が響いた。
「こ、んの……っ、アホがぁっ!!」
鼓膜が裂けんばかりの怒声に、部屋の空気が揺れた気がした。
茜の声がまだ耳の奥で反響していたが、彼女の怒りはもちろん、収まってなどいない。
「バレたなら何で記憶を消さないんだ!?」
「狐さんが何かしたみたいで、僕の能力の介入ができないんです」
『これはホントだよ』と、悠のポケットから出てくるなり都季の肩に避難した御黒が小さく言う。
悠は都季が気を失っているときに記憶を弄ろうとしたが、素性を視るだけで精一杯だった。狐が何らかの術を施したこともあるが、体内にある月神の力も能力の関与を打ち消していた。
そもそも、記憶を消すと月神の対処に困るのだが、それはまだ茜の前では言えない。
「あの狐、余計なことばっかだな。……まぁいい。なら、隠す必要もない。その代わり、絶対に口外はすんなよ」
「はい」
昔は共存していたという人間と依人、そして幻妖。ある事件で離れたと言った悠は、それ以上は深く語らなかった。
一体、どんな事件だったのだろうか。依人の存在をもう知られたくないと言うくらいなら、迫害か差別があったか、悪用が酷かったか。
どれも当てはまりそうだ、と都季は小さく息を吐いた。そして、追究せずに茜の言葉を待った。
「本来の立場を明かすと、あたしは特殊管理局幹部、十二生肖の“亥”。『看板イノシシ』のコイツは神使だ」
そう言って、茜は右腕を前に差し出す。袖から見えたブレスレットは悠が着けている物と似ているが、中央の水晶を挟む二つの丸玉は淡い桃色だ。
魁の部屋で悠が唱えた言葉と同じものを口にすれば、石は光を放ち、床に一頭の小さなイノシシ……うり坊が現れた。
そのイノシシは従業員である都季も知っている。
「ぴぎゅっ!」
「あれ? お前、『ナベ』じゃないか」
「牡丹だけど食うな」
現れたうり坊は茜が言ったように、ここ、依月の看板犬ならぬ看板イノシシだ。名前がイノシシ肉を指す『牡丹』のため、スタッフの間では密かに渾名が『ナベ』になっている。
もちろん、茜の前だと下手をすれば怒りを買うため、本人がいないときにしか呼ばないのだが、今は慣れからつい呼んでしまった。
「都季は神使のこと知ってんだろ? ミクロと茶漉しがいるってことは」
『小さくないし! 御黒だし! あっ!?』
『お茶漉せないし! 神使だし!』
主張と共にチッチッと鳴く御黒を、悠が首根っこを掴んでひょいと持ち上げた。
茶胡は悠の肩にいたので問題はなかったが、御黒の鳴き声は地味に耳が痛いので助かった。
「話の邪魔しないの」
『だって!』
『むー!』
「とりあえず、話進めるぞ。そこにいる花音は十二生肖の“丑”。向かいの眼鏡の優男が十二生肖の“辰”、
「え!?」
二人の印象は干支のイメージとまったく合わない。
のんびりした花音の性格はともかく、彼女の体型はスレンダーだ。また、龍司も見た目からして茜の言うとおり「優男」であり、龍のイメージは感じられない。博識そうではあるが。
茜が龍司に都季の紹介をする傍ら、花音は都季の思考を読んだかのように苦笑しながら軽く謝る。
「ごめんね。先代までは茜ちゃんみたく体型の良い人だったり、がっしりした体格の人ばっかりだったんだけど……」
「えっ! い、いや、そういうわけじゃ……」
確かに、『牛』から勝手にイメージしてはいたが、それと異なるからといって嫌でもなんでもないのだ。
落ち込んだ花音に慌てていると、いつの間にか隣に来ていた茜が都季の右肩に左腕を置いた。
「可愛いうちの副店長にセクハラすんじゃねぇよ。叩っ斬るぞ」
(殺る気だ!)
「まあまあ、茜さん。落ちついてくださいよ」
「お前は暢気すぎんだよ」
物騒な空気を醸し出す茜を龍司が宥めると、茜はやや呆れた様子で言う。
すると、龍司は穏やかな笑みを崩すことなく、手にしていた湯飲みをテーブルに置いて都季に向き直った。
「そうですねぇ。じゃあ、本題に入りましょうか。私が言うのもあれですが、更科さんもお掛けください」
「え? あ、は、はい」
いきなり話の向きが変わったことに驚いたが、龍司はマイペースなのか茜のことは既に放置する姿勢だ。茜もその対応に慣れているのか、小さく溜め息を吐いてから自身のデスクに戻った。
そして、龍司の向かいに都季が座ると、ここに来た理由などについての話が始められた。
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