第8話 裏の仕事
店を出て大通りを歩いていた魁は、緊張感から解放されたことで大きな溜め息を吐いた。
「はぁぁぁ……。良かった。なんとか誤魔化せた」
「悠のおかげ」
「先に依人が捕まっちゃえばアウトですけどね」
「そこはどうにかするしかないだろ……」
悠がうまく言いくるめてくれたため、月神の一件に関しては発覚しなかった。
ただ、件の依人が捕まってしまえば月神がないことが明るみなる。そうなる前に、月神を引き離す手段を探さなくてはならない。
だが、頼みの綱の龍司も、月神の人体への同調については知らないと言っていた。まさしく、一寸先は闇、といったところだ。
魁は先ほどから黙ったままの都季に気づくと、顔色を窺いながら訊ねる。
「都季。体調は大丈夫か?」
「うん。なんともない」
昨日の息苦しさが嘘のように、今朝から普段と変わりない。月神は別の場所に移動したか落ちたのではないかと思うほどに。
黙っていたのは、非現実的なことを連続して目の当たりにしているため、頭の中を整理していたからだ。
すると、都季をじっと見つめていた琴音が呟くような小さな声で言う。
「大丈夫。月神は、ちゃんと更科君の中にあるから」
「そう、なんだ?」
月神が入っている都季自身、体内にあるかは分からないと言うのに、琴音は見透かしているのか確信を持っている。
その理由は魁から説明された。
「琴音は耳が良いんだよ。だから、依人の異能の力を『音』で拾って判断するんだ」
「あと、心も聴こえるんで、下心出すと逃げますよ」
「え」
唐突な言葉に、下心はないのに驚いて琴音を見てしまった。
当の彼女は、「更科君は、月神が大半を覆って隠しているから、あんまり分からない」とだけ言った。
まるで都季に下心があるような言い方だが、指摘すれば墓穴を掘りかねない。
黙っていようと前を向けば、横から覗き込むように悠が顔を出した。
「あー。都季先輩、焦ったってことは図星ですか?」
「なっ!? そっ、そんなわけないだろ!」
「悠ほどじゃないよ……」
「え?」
ぽつりと零した琴音に悠が首を傾げれば、彼女は逃げるように視線を逸らした。
「なんですか、気になるじゃないですかー」と追究する傍らで、話題を変えたのは魁だった。二人は放置するようだ。
「そういや、都季の家ってどこだ?」
「ここから二十分くらい。ちょうど北区と西区の間なんだけど、一応、北区には入るかな」
「じゃあ、俺のトコからもそんな離れてないのか。俺が中央区寄りの北区だし」
「そうそう。魁の所からだと十分くらいかも」
恵月町は東西南北と中央の五つの地区に分けられている。今朝、バイト先に向かう道すがら、魁のマンションがどの地区辺りかは把握できた。意外と近い距離に住んでいたことに驚いたものだ。
改めて場所を確認した魁は、既に決定した上で言った。
「それなら、明日から送り迎えする分には問題ないな」
「え!? いや、いいよ。そこまでしてもらわなくて、も!?」
「一人は危ないよ……」
「琴音先輩、詳しく教えてくださいよ。可愛い後輩にー」
突然、琴音が都季の後ろに回り込んだかと思いきや、強引に体を悠へと向けられた。
琴音は器用なことにこちらの話も聞いていたようだ。ただ、盾にしていることに関しては都季も文句を言いたくなったが。
悠は悠で、にっこりと笑みを浮かべて琴音を捕まえようとしている。
「何やってんだよ……」
「あはは……。仲良いんだね」
「だって、悠が」
「でも、琴音先輩が」
『だってー』
『でもー』
「だぁぁぁ! うっせぇ! 『だって』も『でも』も知るか! 都季を挟むな!!」
琴音と悠だけならばまだしも、御黒と茶胡まで混ざるとわけが分からなくなる。
あまり気の長くない魁は、勢いよく琴音と悠を都季から引き剥がした。
「とにかく、都季は自分が危ない目に遭いやすくなったってことを知っておいてくれ」
「でも」
「お前も言うか! ……都季には悪いけど、襲われてからじゃ遅いんだよ。せめて、月神が離れてくれればいいんだけどさ」
「離し方は僕らでも探しておきますが、いかんせん前例がないので時間が掛かります」
巻き込んだことを申し訳なく思っているのは伝わってくる。
友人としては扱いが変わって戸惑うのだが、裏世界にド素人の都季が依人などのことで「一人で大丈夫」とは言い切れない。その上、月神に何かあっては迷惑をかけてしまう。
「心苦しいけど、一人じゃ何もできないのも事実だし……うん。お願いしよう、かな?」
「おし! 頑張るぜ!」
戸惑いを拭いきれないままに頼めば、魁の表情が分かりやすいくらいに輝いた。もし、彼がまだ神獣の姿をとれるか名残があるなら、耳を立てらせ、勢いよく尻尾を振っていそうだ。
三人で話しながらしばらく住宅街の中を歩き、見慣れた二階建ての白いアパートが見えたところで足を止めた。
「あのアパートの二階に住んでるんだ」
「へぇー。案外、ちい――」
「ああぁぁぁっ! 分かった! ちなみに、二階のどこ?」
「……端っこ。二〇五な」
悠の言葉を遮って訊いてきた魁だが、それも少し遅い。内心で「小さくて悪かったな」と零しながら部屋の番号を伝えた。
そして、ここで別れる、というのも後味が悪い気がして続けて言った。
「せっかくだし、お茶でも飲んでく?」
「やった。都季先輩の部屋、物色しちゃっていいんですね!」
「物色するな断定もするな!」
あくまでもお茶に誘っただけだ。
この上なく顔を輝かせた悠だったが、都季に力強く制されると目に見えて落胆した。
「いいのか?」
「うん。送ってもらったし、いろいろと疲れただろうし」
距離としてはさほど歩いてはいない。だが、昨夜のことや茜達との話で精神的に疲れも溜まっているはず。
突然のことなのでもてなしはあまりできないが、このまま帰すよりはいいだろう。
すると、先ほどの悠よろしく御黒と茶胡が顔を輝かせて問うた。
『チーズある?』
『ある?』
「ない」
『『えー』』
「ミクロ達はちったぁ遠慮しろ」
『小さくない!』
「いや、僕らからしたら小さ……あ。ちょっと失礼しますね」
肩でキーキー鳴く御黒に言おうとした悠だが、ポケットに入れていた携帯電話の振動に気づいた。ディスプレイに表示された名前を見ると、断りを入れてから電話に出る。
「はい。どうかしましたか? ――え? 今は都季先輩の家の前にいますけど」
「イノ姐だ」
「何かあったか?」
「……うん」
琴音はその耳の良さを活かして電話を聞いている。普段はやらないのだが、悠の話し方から察して聞くことにしたのだ。
しかし、悠はあくまでもマイペースだった。
「えー。それ、急ぎですか? 今から都季先輩の部屋を物色しようと思ってたんですけど」
「ちょっと待て」
「コイツはいつもこんなんだから気にすんな」
「魁の実家の部屋も、いつも物色されてた」
魁も琴音も諦めモードだ。琴音が物色されたと言わない辺り、異性にはきちんと気を遣うようだ。最も、ただ行ったことがないだけなのかもしれないが。
そういえば、朝も魁の部屋を見ていたな……と、本棚にあった雑誌の表紙を思い浮かべたときだった。
《仕事だっつってんだろーが!! ぐだぐだ言うな!!》
「うわ」
「っ!」
「だ、大丈夫?」
電話から飛び出した怒声に、悠はすぐに携帯電話を耳から離す。
だが、琴音は集中して聴いていたせいか、かなりのダメージだったらしい。耳を押さえて蹲っている。
「あーあ、イノ姐。琴音先輩の耳がやられちゃいましたよー」
《誰のせいだ、誰の! とにかく早く向かえ!》
「はーい」
「何事だ?」
「歪みができてたそうです。もう穴は塞いでますけど、あの依人が関わってる可能性もあるし入ってきた幻妖もいるから、依人探すついでに幻妖の追跡及び捕獲に向かえって」
歪みの原因は様々で、事前にどこに歪みが発生するかも予想がつきにくい。ただ、依人や幻妖によってこじ開けられることもあるようだ。
今回の場所はここから近いために連絡が来たのだが、悠は不満そうに口を尖らせている。
「幻妖の種族と属性はなんだって?」
「種族は分かりません。物凄いスピードで逃げたみたいで、特定できていないみたいです。大きさは小型犬くらいだとか。属性は『火』、性質は『陰』です」
「そりゃまた捕まえにくそうだな」
都季は二人の会話を理解しようと、昼間に聞いた話を思い出す。多くを聞いたが、一部はゲームの設定感覚で覚えた。本人達には口が裂けてもいえないが。
幻妖や依人にはそれぞれ、何の幻妖もしくは何の力を持つ依人なのかを分類した「種族」と、有する力を特色ごとに分けた「属性」、そして、属性に付加される効果を表す「性質」がある。
魁ならば「十二生肖の戌」が種族だ。
そして、属性は陰陽五行に則った木、火、土、金、水の五つ。得意不得意といった相性もあり、今回の幻妖で考えると水属性であれば有利に進む。
また、付加する性質は陽か陰の二つに分けられ、「陽」は自身の能力や属性の力を高めることができ、「陰」はその逆で相手の能力や属性の力を弱めることができる。
魁の属性は土と火、性質は陽。悠は水の属性で性質は陽、琴音は木の属性で性質は陰だ。
属性は複数持てば純度が落ちるため、単体で属性を持つ者よりも威力は下がる。それでも、血統組……それも十二生肖である彼らならば、その辺りにいる幻妖より力は強い。
自信が無意識にあるからか、魁達は未知の相手に焦った様子もなくけろりとしている。
「琴音、いけるか? 相手は火属性だからあっちを強めちまうし、無理なら都季のとこでちょっと休んでても――」
「大丈夫。行く」
蹲っていた琴音は、魁に言われるなりすんなりと立った。まだ耳は痛そうだが。
遮ってまでの琴音に拒絶された感じが否めない都季は複雑な心境に陥る。
それを口にも顔にも出さなかったが、悠はちら、と横目で都季を見て言った。
「フラれましたね」
「その言い方腹立つんだけど」
まだ会って一日も経っていないというのに、彼には遠慮というものがないのか。本当に人見知りをするのか疑わしい。
都季は本気では言っていないものの、フォローを入れたのは琴音自身だった。
「違う。更科君はいい人。でも、仕事に行きたいから」
「よっしゃ。じゃあ、一仕事してくっかー」
仕事に対して熱心なのはいいことだ。
魁達も引き止める気はないため、すんなりと彼女の申し出を受け入れた。
琴音は空を見てから都季へと視線を戻すと、やや不安げに言う。
「もうすぐ日が落ちる時間……。危ないから、あんまり出ないで?」
「わ、分かった」
「それじゃ、また明日な!」
「うん。気をつけて」
笑って片手を挙げた魁に、都季も小さく手を挙げて返す。
三人は背を向けて歩き出したが、特に急ぐ様子はない。本当にこれから「仕事」に行くのかと思うほど雰囲気も穏やかだ。
仕事がどれほどのものかは分からないが、相手が普通の人間や動物とは違う分、危険も伴うはずだ。
(俺には真似できないな)
真似をする気もないが、今まで仕事を受け入れてきた彼らには感心する。
三人が見えなくなってから部屋に戻った都季は、玄関の靴箱の上に置いている布製の黒い袋を見てあることを思い出した。
「しまった。返却今日だ」
CDより少し大きいくらいの四角い袋の隅には、レンタルショップの名前が白で印字されている。
先日借りてきたCDを、本来ならば今日の昼間に返そうと目立つ場所に置いていた。
だが、昨日はこの家に帰ってくることができず、今まですっかり忘れていた。
隣の置き時計を見ると、時間は夕方の六時になろうかというところ。琴音は日没が近いと注意していたが、空はまだ十分に明るい。真冬のような寒さで今の季節を忘れそうだが、日出や日没の時間は季節どおりで混乱しがちだ。
レンタルショップは大通りに入るより少し手前にあり、ここからバイト先の依月よりは近い。
「延滞は嫌だし……」
ちょっとくらいなら大丈夫だろう。
そう思って、都季は袋を片手にアパートを後にした。
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