第4話 世界の表と裏


 外は視界を遮るほどの大雨が降っていた。

 予報では今日一日は少し雲が出る程度の晴れのはずだが、今年の秋の空は随分と気まぐれのようだ。

 だが、外に出なければ雨も心配する必要はない。さらに今は夕方だ。外出する気も起きなかった。

 リビングでのんびりテレビを観ていた都季だったが、突然、後ろから声を掛けられた。


「都季ー」

「何ー? ……って、うわ。短すぎない?」

「あはは……。やっぱり、変かな?」


 都季が振り返れば、そこには三十分ほど前、自慢の長い髪を切りたいと言い出し、父にカットしてもらっていた母の姿があった。

 背中の中頃まであった黒髪は肩まで短くなっており、都季の反応を見た彼女は苦笑いを浮かべながら言葉を続ける。


「長さを揃えようとして切りすぎたみたい。ちょっと美容院行ってくるね」

「え? 今から行って大丈夫なの? 雨もすごいのに」


 窓の外は分厚い雨雲のせいでやや薄暗く、窓に叩きつける雨は滝の内側にいるのかと思わせる。

 だが、母は雨などさしたる問題ではないのか、にっこりと笑みを浮かべた。


「お父さんがいるから平気よ。片付けている間に行きつけのところに電話したら、『今は豪雨でキャンセルも出てるのに、予約を入れるなんてすごい』って褒められちゃった」

「それ、褒められてるの?」


 父の姿が見えないのは片付けをしているからだった。

 その間に電話を掛けたらしい母は、都季の冷静な一言にも動じずに言葉を続けた。


「細かいことは気にしなくていいの。ついでに、晩ご飯の材料も買ってくるわね」

「うん。気をつけて」


 美容院の時間を気にしているのか、どこか急いだ様子の母を引き留めるわけにはいかない。

 滅多に慌てることのない母にしては珍しいなと思いつつ見送り、再びテレビに視線を戻す。何故か胸騒ぎがするが、気のせいだろうと思うことにして。


 だが、その胸騒ぎはすぐに正体を現した。

 両親が家を出て数十分後、インターホンが忙しなく何度も鳴らされ、ただ事とは思えないそれに都季は嫌な予感がしつつも玄関の扉を開ける。

 そこには、何かと世話を焼いてくれている近所の中年の女性が血相を変えて立っていた。


「大変よ! 結奈ゆいなさんと和樹かずきさんが……!」

「――え?」


 彼女から告げられた言葉は、果たして現実で起こっていることなのだろうか。

 気がつけば都季は家を飛び出し、大雨の中傘も差さずに走っていた。

 やがて、辿り着いたのは大通りを西へと逸れた住宅街の中にある交差点。

 大通りではないにしろ、片側二車線と広めのその道路は、直線のため見晴らしはかなり良い。

 人だかりの向こうで、救急車やパトカーの赤いランプが辺りを照らしている。交差点の信号は動いているものの、中央には警察官が立って車の誘導を行っていた。

 警察官に誘導される車は徐行運転をしながら、交差点の角に停まる大型トラックを避けていく。

 トラックの前方は真ん中から大きく曲がり、運転席のある部分と引いていたコンテナの連結部からくの字に折れていた。さらに、トラックの片隅にはひしゃげた鉄の塊の端が見えている。

 雨はやや雨足を弱めているものの、それまで雨の中を走っていた都季は全身がずぶ濡れだった。

 しかし、人だかりの向こうにあるものは、濡れ鼠の存在感すら薄めてしまうほどのものだ。

 何とかして先頭に行こうとした都季は、「すみません、通してください」と言いながら人だかりの中に割って入ることにした。


「停車中の車に大型トラックが追突したんだって」

「うっそ。ぶつかられた車潰れてんじゃん。中の人やばくない?」


 友人同士だろうか。少女二人の会話を盗み聞きしつつ、都季はさらに前へと進む。

 二人の会話を、自宅にやって来た近所の女性の言葉を否定しながら。

 だが、先頭に出た都季が見たのは、それら全てを真実だと嫌でも突きつけてくるものだった。

 トラックに押し潰されて原型を留めていない白の乗用車。そして、その下には雨が降っていたこともあってか、とても大きな真っ赤な水溜まりが広がっていた。




「かあさ――いたっ!?」

「いっ!?」


 叫ぶと同時に上体を起こした都季は、額に走った衝撃に悶えた。

 すぐ隣から聞き覚えのある声が聞こえ、痛む額を押さえながらそちらへと視線を移す。


「あ、あれ……? 魁……?」


 そこにいたのは、同じく額を押さえる魁だった。

 今、都季がいるのは雨の降る交差点ではなく、見慣れない部屋だった。都季は部屋にあるベッドで寝ていたようだ。

 部屋にはベッドの隣に本棚と机、その反対の壁際にチェストが二台並んでいた。ベッドの片側がくっ付けられた壁の向かいには大きな窓があり、そこからベランダへと出られる。

 比較的シンプルで物が少ないが、一体誰の部屋だろうか。

 都季が呆然と考えていると、濃紺のカーペットを敷いた床の上で痛みに呻いていた魁がはっと我に返った。


「そうだった! 都季、大丈夫か? どっか痛かったり苦しかったりとかしないか?」

「え? あ、う、うん。魁も大丈夫? すごい音したけど……」

「俺はいいんだよ、俺は」


 勢いよく起きたため、痛みも相当なものだったはずだ。

 しかし、魁は痛みに悶えていたのが嘘のようにけろっとしていた。

 じんじんと痛みの続く額を撫でながら、都季は現状を知るであろう魁に訊ねる。


「ここってどこ?」

「ここ? ここは俺の部屋。一人暮らししてるマンションだよ」


 魁もまた、都季と同じく進学と同時に一人暮らしを始めていた。

 彼の実家は同じ町のため必要性を感じないのだが、「実家は家族多くて煩いから、一人暮らしのほうが気楽で良い」とマンションの一室を借りている。

 理由といい、許可した両親といい、魁はセレブか何かかと思ったのも記憶に新しい。

 すると、都季が足を向けていた先にある扉が開き、隙間から一人の少年が顔を覗かせた。

 白に近い灰色の髪は肩につくかどうかで、前髪は邪魔なのか上にまとめて雪の結晶がついたシルバーピンで留めている。

 少年にしてはやや大きめの墨色の目は都季を捉えると、にっこりと笑みの形を作った。


「おっはよーございまーす」

「お、おはようございます……?」


 軽いリズムで刻むも言葉は比較的丁寧で、思わず敬語で返してしまう。

 すると、少年は扉をさらに開いて中に入った。後ろについてきたのは、魁達と一緒にいた琴音だ。

 少年は魁の隣に立つと、都季を見て自己紹介をした。


「初めまして、更科都季先輩。僕は子峰悠しほうゆうと言います。先輩達の一つ下の中学三年ですが、早生まれなのでまだ十四歳。ちょっと人見知りで天才肌なAB型です。よろしくお願いしますね?」

「よ、よろしく……?」


 人見知りの割にはよく喋る。都季の名前を知っているのは、恐らく魁や琴音から聞いたのだろう。

 どこか掴み所を見せない彼に戸惑いつつ、都季は少年、悠が差し出した手を控えめに握り返した。

 悠は都季の手を離すと、こてんと小首を傾げる。


「お身体の具合はいかがですか?」

「具合……」

「ほら、昨日はいろいろと大変だったでしょう?」


 悠はまた笑みを浮かべ、後ろで手を組みながら問う。あくまでも彼は笑んでいるが、どこか都季の感情を探っているようにも見えた。

 ただ、寝起きのせいか頭はうまく回らない。

 そのため、具合がどうしたのかと思ったものの、さらに悠が続けた言葉によって記憶の奥深くから浮かび上がってきた。


「そうだ! 昨日、魁を大通りで見かけてから変な事が続いてたんだよ! 道は抉れてるし、狐のコスプレした変な人には会うし、挙げ句の果てには人が羽を生やしたんだぞ!?」

「わぁ、すごい。狐さんとも会ってたんですね」

「感心してる場合か!」


 声音に籠る感情はやや薄いものの、悠は驚いたように目を見開いた。

 それを魁が窘めるも、都季はそれどころではなかった。


「あと、水晶みたいなのが飛んできてぶつかってから、やけに息苦しくなるし……」

「「「…………」」」

「え。な、なに……?」


 三人の表情が一気に強張り、かと思えば各々が都季から視線を逸らす。

 魁や琴音は床へと視線を落とし、悠は横へと向けた際に視界に入った本棚へと歩み寄る。

 何かおかしな事を言っただろうか。いや、言ってはいるのだが、それは魁達も知っているような反応だった。

 ならば、何が彼らの表情を変えさせたのか。

 理由は魁の口からゆっくりと語られ始めた。


「その、都季の前に飛んできた水晶玉な。今……お前のに入ってんだ」

「…………は?」


 中、というのが何のことか理解が追いつかず、目を瞬かせて魁を見返す。

 すると、魁の後ろに回って本棚を見ていた悠が、自身の鳩尾の辺りを指して言った。


「あの水晶玉は、都季先輩に吸い込まれています」

「……いやいや、物理的に無理だろ」


 固体が別の固体へと入るには相応の『入口』が必要だ。だが、都季の胸元には切開した跡はなく、入っていたとしても臓器や骨などはどうなっているのか。

 特に痛みや違和感などもなく、触ってみても感触は普段と同じだ。

 すると、悠は本棚から一冊の雑誌を適当に取り出すと、ぱらぱらと捲りながら言う。雑誌の表紙には可愛らしい柴犬の子犬が小首を傾げて正面を見ていた。


「それが、あの宝玉ならできちゃうみたいですね。僕らも初めて見ましたよ」

「あの宝玉ならって……」

「ええ。あれは普通の水晶玉ではなく、中にこの世界の均衡を保つ神様が宿っています」


 悠が言った直後、四人の間に沈黙が流れる。

 都季は何度か目を瞬かせた後、「えーと、ちょっと待って」と悠に向けて小さく手を挙げて制止の意を表す。


「何かの漫画の話?」

「違いますよ」

「ゲームとか……」

「二次元ではありません」

「……夢?」

「意識の世界じゃありませんよ」

「…………」


 悉く例を潰され、受け入れるしかないのかと頭を抱える。

 すると、悠はどこか楽しげに『わんこ日和』と書かれた雑誌を閉じて言った。


「そうですよねー。いきなり言われても驚くと思いますので、証拠をお見せしましょう」

「証拠?」

「はい。――宝月ほうづき、制限解除」


 悠が軽く挙げた左手首には茶色い紐のブレスレットがあった。花の模様が浮かぶ水晶玉とそれを挟むようにして黒い小振りの丸玉が二つ付いている。

 悠の言葉に応えるように中央の水晶玉が淡く発光し、直後に左右の丸玉も黒い光を発した。


「形態、神使」


 丸玉から同色の光の玉が二つ飛び出し、絡み合いながら都季の周りを飛ぶ。

 やがて、悠が差し出した手の上で光が弾け、現れたのは――


『やぁっと出られたー! もう。悠が霊力の供給切っちゃってたから、全然外の様子が……あれ? ねぇ、悠。この人、月神様と狐の匂いがする。なんで?』

『なんでー?』

「この人は更科都季先輩。狐さんに会ったみたいだし、月神を取り入れちゃったんだ」

『月神様を? どの種族にしろ、そんな前例はないよ』

『ないない』

「キミ達の記憶にもないか……」


 悠の手の上に現れたのは、黒と白のネズミと茶と白のネズミだった。

 黒と白のネズミは少年とも少女ともとれる高い声で流暢に人の言葉を操り、茶と白のネズミも語尾を真似ただけだが確かに喋っていた。

 二匹を出した悠は当然ながら驚くことはなく、黒いネズミの答えを聞くとどこか落胆した様子だった。

 だが、すぐに唖然としている都季に気づくと二匹を左右の手それぞれに乗せて向き直って言う。


「都季先輩。この二匹は僕の神使のミクロ……じゃなくて、『御黒みこく』と『茶胡ちゃこ』です」

『またミクロって言った!』


 手に乗ったネズミを、名前を呼んだほうを持ち上げて紹介。

 黒と白のネズミ、御黒は名前を間違えられたことに怒っているが、茶と白のネズミ、茶胡は無邪気に笑っている。


「今はほとんど知られていませんが、この世界とは別に『幻妖界げんようかい』という世界があって、そこに棲むものがこちらにもいます。一般人には知られないようひっそりと暮らしていますけどね。僕らは幻妖界でも頂点に君臨する月神の配下の、その子孫なんです。いろいろとあってこちらの世界にやって来て人と交わり、今でこそなりは人間ですが、持っている力は違います。この神使が何よりの証拠です」


 すらすらと説明されることは、とても現実に起こっているものとは思いがたい。理解が追いつかず、言葉は右から左へと流れていく。

 だが、実際にネズミは光の中から現れ、喋らないはずなのに巧みに言葉を操っている。

 都季は頭が思考放棄したのを感じ、目眩がした。


「ごめん。ちょっと俺の理解の範疇を超えてる……」

「わー! 都季ー!」

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