1-6 やっぱり同級生。

「あ、あの。私の同級生というのも本当なのですけれど、カメリアさんの訪ねてきた営業さんが、たまたま彼で。そう、十数年ぶりの再会で本当にびっくりしちゃって……!」

 あの珠里がらしくなく慌てる様子も妙だった。

 だが。そんな珠里の様子を目にした途端。真田社長の目がグッと突き刺さるように涼を睨んでいる。お気に入りの果樹園に、ライバルの全国大手メーカーの営業マン。それが気に入らないのか。

 彼は柑橘の果汁で濡れた指先を、ポケットから出したハンカチで拭き取ると、涼が差し出している名刺を黙って受け取ってくれる。

「ほう。カフェ企画担当のチーフ。カメリアさんではエースってところですか」

「滅相もないことです。販売のための企画を担当しているだけで、元よりただの営業です」

 なにがあるかわからないから、いつも以上に謙遜してみる。だが、彼がまだ涼を睨んでいる。

「珠里さん。こちらさんのことでしたか。『もうひとつ、気になる企画を持ち込んできた営業がいる』というのは」

 え、なんの話……。一瞬だけ涼はそう思い、珠里を確かめる。だが彼女も、『こうなったら仕方がない』という意を決した毅然とした顔になっている。

「そうです。彼が同級生だからではありません。むしろ彼が同級生だから、最初はお断りしたぐらいです。ですが」

「ですが?」

 先の言葉を躊躇う珠里、容赦なくその先を知りたがる狼社長。そして珠里が口を開く。

「会社の規模が大きすぎて仕事が組織化されていることが心配ではありました。ですが、元より全国で慕われているメーカーさんであることは間違いありません。なのでひとまず試食させて頂くことにしましたら、こちらのパティシエさんの丁寧なお仕事が良く伝わってきたので、お菓子の企画そのものはともかく、ばあちゃんのレモンを預けても良いと感じたのです」

 その言葉に、涼は驚く。そして愕然とする。

 珠里が契約を考えてくれたのは、俺の企画力じゃない。職人であるパティシエの腕だったのだと。

 そして狼社長も納得できない不機嫌そうな顔で唸っている。

「そりゃ、天下のカメリアさんならば、たとえ地方でも腕の良いパティシエを専属にさせていて当たり前でしょう。ですが、創造性ではうちは負けませんよ。もちろん、素材への愛情もです」

「わかっております。ですが、もう一度だけ、カメリアさんのレモンスイーツを試してみたいと思ったものですから」

 だが真田社長は珠里が引き受けたわけなど、もう聞こえないとばかりに、涼に向かって吠えてきた。

「素材だけではない。世話になっている『地元』、生まれ故郷への愛情もだ」

 狼に睨まれた若造の涼は、思わず後ずさりたくなった。一気に背中に汗が滲み出たような感覚、しかも瞬時にひやっと冷めていく……。

 中央本社の威光におんぶにだっこ。働く条件も環境も保証されているような大会社の社員さんに、『地元の食材』に対しそこまでの思い入れがあるのか! そう突きつけられている。

 だが。それを理解した涼にも、急に胸に盛り上がってくる熱いもの。

 俺だって。毎月数字とか売り上げとか、実績とかに追われているんだ。自分が駄目だったら、じゃあ他のやつに任せるか。大きな組織だからこそ、代替え要員はいくらでもいる。その中で如何に自分のポジションを守って、劣化しない己を主張して、大勢の男共から繰り出されてくる実力行使の嵐の中、如何に勝ち抜かねばならないことか! 気を抜いたらあっという間に埋もれていく。それが大きな組織の中にいる一人の苦難。

 でも……。地元で王者である男に、生意気に言い返すことなど出来やしなかった。

「三枝、今日は帰るよ。悪かった。次は連絡してから来る」

 約束もなしに来た自分が悪かった。どうした今日の俺……。涼は胸の奥で苦く呟く。『すっかり同級生気分になって』と。

「ごめん、真鍋君」

 本当に申し訳ない顔をされ、逆に涼が申し訳ない気持ちになる。

「なんで三枝が謝るんだよ。俺が勝手に押しかけてきたのに」

 ここまでの状況を知れば、彼女の心情も理解できる。ビジネス上、他社との取引をおおっぴらに告げられないこと、そこは上手くぼかして駆け引きをすること。彼女はそうして果樹園を守り、果樹園を維持するための商売をしているのだから。

 だから言えなかった。『真田珈琲とも話が進んでいた』だなんて。初日に対面した時の様子を思い返せば、当初から『真田以外はお断り。カメリアさんも同じく。他は信用しない』という彼女の頑ななスタンスだったのだと理解できる。なのに、彼女は……。

「いいよ。こっちにもチャンスをくれたこと、感謝している。じゃあ、約束の日にまた来る」

 真田以外の営業に、チャンスをくれたのだ。スタンスを崩して……。

「はい。その日に、お待ちしております」

 そこは客を見送るように、彼女がお辞儀をしてくれる。

 今日はそんなよそよそしさが、どうしてか癪に障った。だがなんとか顔に出さないよう、涼は来た道へときびすを返す。

「真鍋さん」

 あの社長に呼び止められ、涼の足も止まる。

「はい」

 振り返ると、どうしたことか非常に面倒くさそうにふてくされた顔をしている。

「今日、うちの新作を珠里さんに試食してもらうことになっていましてね。ということは、我が商品がまずは『先攻』ということになるのだねえ」

 本日が、真田の試食日? 涼はますます驚いて珠里を見つめた。

 そんな同級生ふたりの様子を知った上で、社長が割って入ってくる。

「勿論、カネコさんの島レモンでね」

 ――『負けるよ』。

 彼女のあの眼差しの意味を知る。

 この男が相手だから、いままでのカメリアの感覚では負けるよ。

 密かにそう忠告してくれていたのだ。

 ――『どこにも負けないものをもう一度持ってきて』。

 そしてチャンスもくれた。

「じゃあ、また」

 笑顔も、頬に緩みもない、また冷めた眼差しで固まっている珠里の顔を見る。

 前なら、無愛想なやつ、とっつきにくいやつ、そう思っただろう。でも。

 表情がないわけでもないんだな。ふとそう思った。なにを考えているのかわからない顔に見えるけれど、彼女と向き合って話したことがある人間なら判ってくるものなのだろう。無愛想なその顔の裏で、今日の彼女は、困っている、申し訳なく思っている、そして、心配してくれている。涼はそう感じた。

 潤んでいるような黒い目を背に感じながら、涼は果樹園を出て行った。

 


 港へと車を走らせる中。海岸線のカーブに合わせてハンドルを回しながら、涼は再び不思議な気持ちになっていた。

 やっぱり、これって。『同級生のよしみ』になるんじゃないかと……。

 そうでなければ。ここまでしてくれるはずなんかない。同級生でなければ、彼女と対立しなかったし、対立したからこそ互いに素直になって歩み寄れた試食営業ができたわけで。だから、真田にすべてが流れていってしまいそうだったところ、カメリアの菓子も試食をするという足止めをしてもらっている。

 すべて。珠里と同級生で再会したおかげじゃないかと。

「くそ。絶対に『~のおかげで、助かった』だけにするものか」

 会社に帰ったら、またテストキッチン籠もりだ。『うちが先攻ですねえ』。真田社長のあの自信たっぷりの嫌味な顔を思い出せば、闘志が湧くというもの――。


 


◆・◆・◆


 


 もう彼女は真田の新作レモンスイーツを試食したことだろう。

 どのような菓子だったのだろう?

 

 『テストキッチンに籠もる』つもりだったのに。

 それまでの五日間は、とにかく試食品サンプルの製菓の日々だったというのに。島から帰ってきてその後、今度はどんな菓子も涼は口にしなくなった。

 テストキッチンには一切出向かず、デスクでじっと菓子の本やグルメ雑誌を眺めているだけ。

 その落差に部下達が戸惑っている。

「あの、チーフ。これとかどうでしょうか」

 チームメンバー達が、そんな涼がまたテストキッチンに足繁く通ってくれることを願ってか、出来具合なんかなりふりかまわないアイディアのデコレーション画とレシピを持ち込んでくれる。

「うん。考えておく」

 それを片っ端から受け取っては、涼は保留状態にしてなにもしなくなった。

 ――あと二日。もうチーフは諦めたのだろうか。

 企画を出し尽くしたチームメンバー達のそんな囁きがちらっと聞こえた頃。涼は自分のデスクにチームメンバーやチーフの涼自身が描き出したスイーツのデコレーション画をずらっと並べる。

 ――ついに、チーフがどれをどうするか決断?

 固唾を呑み、指示を待ち続けているメンバー達の視線を感じる中、涼も唸る。

 メンバー達のギリギリまでの企画、そして、そのスイーツの企画紙を並べた端に、『もう一つの企画書』。

 涼の中で島に帰ってきてからせめぎあっている葛藤がある。

 決断を迫られている。あと二日。明後日は珠里のところへ新作を持って行かねばならない。もうここが決断時。どれかに決め、今夜にでも試作にとりかかり試食をし、調整をしないと――。

 その差し迫った期限が涼に決断をさせる。

 口惜しい思いで。涼はチームメンバーが新たに考案した菓子の企画を通り越し、もう一つの企画書を手にして立ち上がる。

 ――チーフが動き出した。

 メンバーの視線を身体にひっつけている感覚から逃れられないまま、涼が向かったのは『隣のチーム』。

 そこで次のプレゼンに向けて、こちらも資料集めに励んでいる一人の男のデスクで、涼は立ち止まる。

「なんですか」

 側に立ちつくしている涼を見て、彼がぶっきらぼうに返答する。嫌そうな反応。涼も判っている、彼とはある意味『不仲』であるから。それでも涼は向かう。

「梶原。ちょっといいか。話がある」

 彼に手に持っている企画書を差し出す。

 それはつい先日のプレゼンで彼が打ち出した『中央で流行始めたスイーツを、地元でもいち早くお届け』という企画書。

 涼の『話題の島レモンをカメリア特有のエレガント仕立てのスイーツで』の企画が選ばれ、却下されたものだった。

「はあ? いまさら『その企画』がなにか?」

 お前が打ち負かし却下された企画など、もう忘れたいのに。いまさら目の前に持ってきて『なにかの嫌がらせか』。そんな梶原の顔。

「いいから。時間がないから、ちょっと来い」

 訝しそうな彼の手をひっつかみ、涼はライバル後輩を強引に企画室から連れ出した。


 


 ◆・◆・◆


 


 ついにその日が来た――。

 その日は曇りで風が強く、徐々に冬本番。気温も上がらず、いつもより寒かった。

 フェリーの甲板に出ると震える。すぐにコートの襟を立て、客室に戻る。

「へえ。真鍋チーフって、あの島に住んでいたことがあったんですか」

 彼と共に、窓際の席に座る。

 今日の涼は一人ではない。隣に、あの生意気な後輩、隣チームの『梶原』を連れていた。

 彼の足下にはクーラーボックス。二日前、彼を引っ張り出してやっと仕上げた『新作』だった。

 今日はこの後輩が考案したスイーツで勝負をする。

 それが。涼が葛藤した末に決断した答えだった。

『梶原が企画した流行のスイーツで勝負をしたくないか』

 いきなり持ちかけられた提案に、当然、梶原は唖然としてた。

『おばあちゃんの島レモンは俺が確保した、契約の約束も取り付けた。だけれど俺のチームでは勝負ができる菓子を打ち出せなかった』

 最後、涼が辿り着いた答え。

『梶原、相手は真田珈琲だ。ハンパな考案じゃ勝てない。梶原のこのスイーツは最終候補まで残った企画だ。これを今からカネコばあちゃんのレモンと組み合わせる試作を作ろうと思うんだ』

 社内社員で争っている場合じゃない。勝たねばならない相手は、他社の、この地域の王者『真田珈琲』だ。

 涼のその訴えに、戸惑わないわけがない。梶原は言っていることには理解してくれたが、やはり心情が伴わないようだった。

 そこも涼は承知済み。だから涼も悩んだのだ。伴わない心情は『不信感』。俺の企画を横取りして、自分の手柄にするつもりか。そう思うのが普通というもの。

 こちらが企画を最後まで乗り越えられなかったのだ。島レモンとのパイプを作れた功績があっても。だから涼はギリギリまで決断をすることが出来なかった。

 だから決断したことを彼に突きつける。潔く。

『この企画、手柄。指揮はすべて梶原に。俺達のチームは果樹園の営業担当と補佐に回る。課長と部長には俺から話しておく。どうだ、やる気あるか』

 そこまでの条件と約束。企画勝ちしたはずの涼から折れたのだ。指揮も『降りる』と決断したのだ。

 それには梶原も驚きを隠さなかった。

『それでいいんですか。だって、島レモンの果樹園との約束まで取り付けているんですよ。真鍋さんの手柄ですよ』

 だが心で涼はひとり冷笑する。『偶然、そこに同級生がいたお陰でな』と。もし珠里がいなかったら? そんなことを考えると、なにもかも崩れていきそうな自信。この上、どうあっても『ピンとくる試作品が作れない』まま、二宮果樹園との縁も切れ、企画も倒れ、真田に負けるだなんてことはあってはいけない。

 ここは『涼が』じゃない。『カメリアが負けてはいけない』のだから。それなら。プライドを捨て、社内にある力で全力を尽くすまで!

「島、近いっすね。もう目の前だ。なんか緊張してきたな」

 彼にとっては初めての『陣頭指揮』。企画が通った初陣だった。

 今にも雨が降りそうな曇り空がうつる窓辺で涼は彼に言う。

「堂々としていろ。自信のない顔をしていると、頼りない担当だと思われるから、向こうに不信感は与えるな」

「はい」

 部長に課長は『よく譲ったな』と驚いていたが、却下された梶原の案で島レモンのスイーツを作ることを許可してくれた。

 当然か。部長に課長にも『真田との一騎打ちだ』と報告済み。

 それならば、今回の企画は流行の菓子で確実に、企画者『梶原の指揮で』。ただし条件付き。先輩の真鍋が補佐につくことだった。

 梶原にとっては願っていた『自企画での陣頭指揮』、だが、初めての指揮。実際にその指揮を委ねられた途端に彼の戸惑いが浮き彫りになった。それが他のメンバー達に悟られる前に、涼がさり気なくサポート。それで上手く回り始めた。要員は涼のチームを中心に、梶原のチームも同時に。人数が増えた分、手も充分に足りていた。

「果樹園は女性だけで管理しているが『市街を離れトレンドから遠ざかった島暮らしの農家』だと馬鹿にするなよ。女性だけに、菓子への感性が磨かれている。彼女たちは柑橘とスイーツは繋がっているという観念の元で日常を送っている。専用の立派なキッチンを持っていて、そこでカネコさんと管理人の女性が日々菓子作りをしているそうだ。あのマーマレードは、そのキッチンで生まれたもの。味覚も確かだと俺は見ている」

 それだけで。また梶原が隣で萎縮したのが判る。だが涼は着岸する港が迫ってきた中、後輩の肩を握りしめる。

「だからこそ。認めてもらうんだ。俺達の、カメリアで生まれたスイーツはどこにも負けない。エレガントで幸せになれる菓子だって。梶原だって、必死にアンテナを張って、休日は何度も自腹で東京横浜、大阪神戸京都、南は福岡沖縄、北は札幌まで回って、これを探し当てたんだろ。自信を持て」

 それまでの労力を思い出したのか、初陣で心が折れそうになっている梶原がやっとしっかりした顔で頷いた。

 社内で勝ち取るまでは、涼を睨んで気強いところがあったが。社外を出ての勝負はまだまだ。

 もう社内での争いはお終いだ。俺達の勝負は外にある。それが今から――。

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