1-3 私の相棒だから

 珠里から手渡された名刺を、ゴリまんが再度眺める。

「ふーん。東京の大学に行ったと聞いていたけれど、大手メーカーに就職して帰ってきていたのか」

 ――東京にいたのに。大手メーカーの社員になったのに。なのに地方にいる。

 涼にはそう聞こえてしまい、にわかに胸が痛む。

「すげえな。企画部のチーフだってよお。やっぱ委員長やな、変わってねえ!」

 ずっとこの地元で生きてきた彼にしてみれば、そう見えるようだった。どこか割り切れない思いを噛みしめている涼だが、それは彼等は知るよしもないこと。

「仙波も変わっていないな。やっぱり家を継ぐんだ」

「当然だろ。あの蜜柑畑、どうすんだよ。ずっと蜜柑を作り続けて行かなくちゃいけないだろ。土地を手放して売るたってよお、ここ最近の島の経済状態を考えると、買い手もないだろうに」

 そういうところなのだ、ここは。産業で繋いでいくなら蜜柑が一番。それしかない。だから彼のような大地主の息子はここに縛られて生きていくしかない。

 涼の父親のように土地は持っていないが公務員、あるいは珠里のように父親がサラリーマンであれば、子供も自由……。と、そこまで思って、涼はやはり不思議に思う。

 東京生まれ東京育ちの珠里が嫁に来たとは言え、どうして未亡人になってもこの島に『縛られているのか』。大地主の息子であるゴリまんならともかく……。

「なんだ。心配して『営業さん』との対面に付き添う約束をしていたんだけどな。真鍋なら心配なかったな」

 ――付き添う? 彼がどうしてやってきたのかを聞いて、涼は眉をひそめる。

 どうして? いじめっ子といじめられっ子がいまは一緒?

 しかも、いじめていた男がいじめていた彼女を助けに来たような様子に見えるのだが。

 だがそんな涼の驚き顔を見て、背を向けていた珠里が一言。

「彼、いまは私の相棒だから」

 相棒!?

 唖然としている涼に、さらにゴリまんが付け加える。

「おなじ島で果樹園やっている者同士だからな。同業者、同僚みたいなもんだよ。近所同士だしさ」

 あ、なるほど。涼もやっと飲み込めてきた。

 島の果樹園は助け合い、支え合っている。蜜柑の収穫も手伝いに行ったりする近所で持ちつ持たれつ。そうしてやっている果樹園もある。

「そういえば……。仙波の家は、ここから近かったような」

 かつて住んでいたこの町の様子を思い返し、いつしかの土地勘がやっと蘇る。

「二宮は、俺が子供の頃から世話になっていたし、付き合い長いんだよ。ここのおっちゃんに、珠里の旦那も、俺にとっては兄貴代わりで可愛がってもらっていたしよ」

 仙波と二宮は切れない関係。だからいまは、女だけになった二宮の畑もゴリまんが気にかけているとのことだった。

「しかもこの畑のレモンが全国で知られるようになったもんだから。いまでは島の果樹園が総出で守っているところよ」

 それを聞き、涼の心がふと曇る。小さな果樹園だが『相手は島全体』ということらしい。

「おまえもさ。同じ珈琲会社ならわかるだろ。カネコばあちゃんのレモンを狙う営業とか企画部とか言って、二宮を訪ねてくる企業が他にもいろいろな。主人が女だと判ると、足元を見るように強引になるえげつないやつも来るようになったもんで」

 ドキリとする。やはり、他の業者も既に狙っている。しかも既に営業をかけられている。うちは、遅かったのか。

 命運をかけてきたはずなのに、現実を目の当たりにし、急に意欲をそがれる打撃を受ける涼――。

 しかも、そんな涼に追い打ちをかけるように彼女が言った。

「もういいよ、拓郎。いつもどおり、断ったから」

 ゴリまんの傍で黙りこくっていたジュリは、肩越しにちらりと涼を見やるとそれだけ呟いて歩いていってしまった。

 ――いつもどおり断った。

 どの業者にも快諾しない。それはカメリアのチーフさんも漏れなく同様。

 肩からがっくり力が抜けていく。命運をかけた営業だと意気込んできたのに、あっさり断られたから……じゃない。既に他の同業者も狙いに狙ってアタックを何度もされていたことが。

 それに彼女のあの態度。『あの時から嫌い』って、なんだよ? 他の営業より数倍、彼女と距離があるように錯覚してしまう。そういう思いもしなかった展開に脱力感。

「あのさ、」

 ゴリまんが話しかけてくる。

「まさか、とは思うけどな?」

「なんだよ」

 彼は樹木の間に見え隠れしながら行ってしまった珠里を目で追いながら、涼に言う。

「まさか。中学時代の話とか持ち出したりしていないよな。あいつ、愛想は悪いけど短気ではないんだよ。しつこい営業に憤ることもないし。それがなあ。真鍋と十数年ぶりに会って話して怒ってるってさ……」

 なんだか嫌な予感。『中学時代の話を、彼女としてはいけなかった。一番やってはいけなかったんだ』と聞こえてくる。

 だから涼は、降参してゴリまんに告げる。

「――した。中学の時の話」

 いま落ち着いてみると、なんとも情けない。『同級生のよしみ』で『あの時、助けてあげただろ』。それを切り札にして彼女に迫った。

 ――最低の営業だった。

 その情けないやり方を、これまた十数年ぶりに再会した同級生に言いたくない。

 だが口惜しい思いで黙っていると、そんな涼を見抜いたのか。何かを悟った様子のゴリまんが教えてくれる。

「珠里にとってよ。真鍋が助けてくれようとした『あのこと』が、一番お前との間で最悪の出来事で、傷ついた出来事なんだよ」

「マジで……。俺、それを話に出した」

「やっちまったな」

 『あーあ』と、ゴリまんが呆れた顔に。

「……というか。あれが何故、彼女に怒られているのかがわからない」

 『勘違い』とか言われて、ますます気になる。

「悪いけどよ。今日のところは帰ってくれないか」

 女主人の機嫌を損ねてしまい、交渉は決裂。食い下がりなんとか繋ぎ止めておきたいが、今日は、涼も……。

「そうだな。俺、どうかしていた」

 彼女に再会して、自分だけが『中学生時代のまま』のようで、妙な気分が続いている。

 そうだ。俺達、大人になったんだ。いつまでも、この島で一緒だったクラスメイトじゃない。年月も経っている。いじめっ子といじめられっ子が、大人になってから近所同士になり、だからこそ理解しあう間柄に変化していてもおかしくないのに。

 ――どうした俺。いつもの俺じゃない。

 判断力、決断力、観察力。木っ端微塵。こんな俺はあり得ない。

「もう一度、頭を冷やしてから、改めて彼女に会いに来るよ」

 その前に。

「良く判らないけど。それでも彼女の気分を害したのは確かなようだから。謝ってくる」

 それが受け入れてくれなくても。せめて『お邪魔しました』の挨拶だけでもしようと、涼は彼女が去っていった道を追うことにしたのだが。

「やめとけ。珠里もバツが悪くて、顔をあわせづらいんだよ。いま話しかけても、アイツのことだからかえって素直になれないと思うんだよ。そこでまた言いたくもないこと言い合って、余計にこじれるぞ」

 なんとなく、わかる。そんな女子だったなと……。昔から気難しそうな美少女という印象の珠里だったから。

「明日、もう一度、来たらどうだ。俺もそこんとこ、同級生だという先入観は捨てろと、あいつに言っておくからよ」

「え、いいのかよ」

 女手だけ支えている果樹園をサポートしている男から、そんな助け船。勿論、有り難い。

「他の実態も判らないような胡散臭い営業は問答無用で断ってきたけど。カメリア珈琲なら『一度会っておけ』と、俺から言ったんだよ。どんな商売がまた転がり込んでくるかわからないだろ」

 やはり『島レモン』を守っているのは、珠里だけじゃない。島の地元男も関わっている。だがその男が、会いに来る営業が元同級生だと判る前から『大手だから会っておけ』と、判断してくれていた……! それだけで、涼にのしかかっていたプレッシャーが軽くなる。

「これ。彼女にも見せた企画なんだけど」

 この男にも見ておいてもらう。彼女の相棒なら、当然だろう。涼は彼女に突き返されたファイルをゴリまんに手渡す。

 彼も『どれ』と眺めてくれるのだが。

「んー。俺は菓子はあまり食わないからわかんないけどよ。アイツ、菓子を作ったり料理をしたりするのが好きだからさ。企画した菓子を大事にして提供する心意気を見せたら解ってくれると思うんだ。『真田』の時みたいに」

 涼の背筋が瞬時に伸びる。『本気の菓子を作れば、真田のように許可してくれる?』。急に見えた糸口!

「わかった。明日、もう一度来る。彼女が美味そうと言った菓子があるから、とにかくそれを作って持ってくる」

 ポケットから直ぐに携帯電話を取り出し、涼はネットで確認する。

「明日の天気は――」

 天気予報をまず眺めた涼を見て、ゴリまんが笑った。

「やっぱ、島暮らしをしただけあるな。明日もこの島に来る。それにはまず天気。フェリーが欠航にならないかどうか、だもんな」

 彼が豪快に笑った。十数年ぶりでも、フェリーに乗ると、この島の土を踏めば、かつての感覚がつい戻ってくる。島暮らしをしたことがある証拠――と。

 それは涼もいま自分で無意識にやっていたことに気がついて、我に返る。そして……なんだか笑えた。

「しかも空の天気じゃなくて、波の高さを気にするんだよな」

 涼の携帯画面、波の高さをチェックしている。

「そう。風速とかな!」

 一緒に彼と笑う。

 同級生とは不思議だと涼は思った。十何年、会っていなくても。姿がすっかり変わっていても。どこかしら面影があり、そして共に過ごした日々があるだけのことで、なんだか昨日まで一緒にいたような感覚が瞬時に蘇るだなんて――。

「では。悪いけど、三枝に明日も訪ねてくること伝えておいてくれ。それと今日の失礼も、俺が詫びていたと一言伝えてくれるかな」

 だがゴリまんが黙ってしまう。人伝えは良くないと言いたいのだろうか。

「もう『三枝』じゃねえよ」

「ああ、そうか。結婚していたなんて知らなかったから。ジュリって名前で思い出したんだよ」

「仲が良い夫婦だったんだぜ。二宮の兄ちゃんが珠里にべた惚れでさ。年の差あったけど、仲良く果樹園を守っていて……」

 そこでゴリまんですら、哀しそうな眼差しを伏せた。

「俺達が中学の時。密柑山でモノラック事故があっただろ」

 『モノラック』とは、密柑山を上り下りする作業を軽減させるため、山にレールを張り巡らせ収穫物を上下運搬させる運搬機械。コンテナほどの小さなものあれば、最近は人を乗せられるトロッコ並のものまである。

 だが涼が子供の頃、この島にまだそんな便利な大型モノラックはなかった。昔からある小さなもの。それに身体を挟まれ、密柑山の斜面から転落する事故があり、島中衝撃が走った。特に子供心に強烈に残る身近で起きた死亡事故。

「あれ、ここの二宮のじいちゃんだったんだよ」

「え、あの時のおじさんが。ここの」

「ああ。カネコばあちゃんの旦那ってこと」

 いまや全国で『食べてみたい』と言われているレモンの作り手であるおばあちゃん。そのばあちゃんの旦那が、あの時、騒然としたあの事故の……。

「それからばあちゃん、じっと黙って。じいちゃんが作りはじめていたレモンの栽培を続けてきたんだよ。その後、今度はここの父ちゃんが癌で死んで。頼みの綱だった跡取り息子の兄ちゃんが、せっかく嫁をもらってつつがなく果樹園を守ってきたのに……」

 そこであの逞しそうなゴリまんが、鼻をぐすっと鳴らし始める。彼のつぶらな目に涙が……。

「なんで若い兄ちゃんまで。カネコばあちゃんにしてみれば、旦那と息子と孫を一気に亡くしているってわけでさ。その上で、カネコばあちゃんも。紀江おばちゃんも、珠里も。そうして男達が遺した畑を守ってるんだよ。黙々とレモンを作り続けてさ。あの真田の社長が目をつけてくれて、日の目を見る時がやってきて、やっとばあちゃんのレモン作りの想いが通じたってところじゃねえかな」

 だがそこで、涙目だったゴリまんの目が急に険しくなるのを涼は見る。

「真鍋だから言っておく。カメリア珈琲だと身元がはっきりしているから会うように珠里に勧めたけどよ。『売り上げ重視』みたいなぞんざいなことするなら、島の俺達も許さねえって覚えておいてくれよ」

 大手は売り上げ重視。そのためならなんでもやりそう。それを絶対にしないでくれと釘を刺されてる。

「そんなつもりは。俺はただ……美味いモンを、この地元でと思って……」

 そう思っている……?

「それならいいんだけどよ。どんなに知名度ある企業でも、大手メーカーさんは数字のためになんでもするところあるんだろ。それだけは言っておきたくてよ。じゃないと、珠里は真田しか信用しないと思うからな」

 それが同級生だからこその、特別なアドバイス。ということらしい。

「わかった。肝に銘じておく」

 ずっしり来た。いつもの調子で『とにかくどんな手を使ってでも契約を取る』なんて、やっていたら駄目だとやっと解った気がする。

 黒いアウディに乗り、涼は拓郎と手を振り合わせ果樹園を後にする。

 昼下がりの海辺を走る。のどかで静か。だけれどここでも人生悲喜こもごも、日常を同じように過ごしている人がいる。いや……涼が想像もしないような悲しみを背負っている人がレモンを作っていた。

 珠里。彼女はその精神を、カネコさんから受け継ごうとしている女性。

 ――もう一度、方向性を検討だ。

 ハンドルを握る手に力がこもる。

 だが涼の頭の片隅に、どうしてもぬぐえないものもある。

『売り上げのない者に用はない』。

 そうして中央本社から追いやられた。

 ただ、二度目のヒットが出なかっただけのことで。最初の数字が大きすぎただけに。その後、どんなに数字を打ち出しても『お前ってこの程度だったのか』というマイナスがついて回ってきた。

 やっぱり、売り上げなのだ。数字も、絶対に捨てきれないものなのだ。


 


◆・◆・◆

 


 翌日も、快晴。ふたたびフェリーに乗り、涼は島へ。二宮果樹園を訪ねる。

二宮の自宅をまず訪ねると、今日は『果樹園へ』の札ではなく、『左の角、庭を渡って調理場へ』とある。

「調理場?」

そのまま自宅玄関前から左の角を曲がると、この家の庭。広い庭を横切ると、自宅と隣接したプレハブ造りの建物。

そのアルミの引き戸。そこをまずノックしてみる。

「こんにちは。カメリア珈琲の真鍋です」

 今日、涼の肩にはクーラーボックス。パティシエが作ってくれた企画の菓子を持参して。

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