1-2 委員長て、最低
彼女は転校生だった。父親が中央から支社へ転属したために、瀬戸内のこの都市に来た。
変わっていたのは、その父親が『せっかく瀬戸内に来たから』と、市街ではなくこの島に居住し、根気あるフェリー通勤をこなしていたこと。
島に東京から来た転校生。片田舎の狭い囲いでの日常にいる少年少女には、珠里の姿は遠い国から来た外国人にも見えたほど。
綺麗な東京の制服、綺麗にのばしている長い黒髪。そしてあのぱっちりした黒い目。つまり、美少女だった。
なのに。あの無愛想さ。笑顔もない。それが彼女と地元で育ってきた同級生との間に大きな隔たりを生んだ。
だから、彼女が笑ったのをあまり見たことがない。つっけんどんな物言いで笑わず、こちらを『田舎者』と蔑んでいるかのような小馬鹿にした目つき。
それが。十数年経った今でも『そのまんま』。目の前にいるではないか。
さらに彼女は、当時と変わらぬ口調で言った。
「大手珈琲メーカーさんの企画部。しかもひとつのチームを管理しているチーフさん。その方が果樹園に見学ということは、やっぱり、ばあちゃんのレモンが……ということなの」
目も合わせてくれず、それどころか溜め息混じりに、まだ何も言ってもいないのに呆れたような物言い。まったく、変わっていない。涼もややむっとする。だが、こちらは下手に出て、営業をせねばならない立場。
「そうです。果樹園のご主人にまずお話をさせていただきたいのですけど」
若い彼女ではなく、この果樹園を管理している『主人』にまず挨拶をせねば。話はそれからだ。
「栽培のプロはばあちゃんだけど、今、果樹園を管理しているのは私です」
「え、」
旦那が亡くなった……から? いや、じいちゃんとか義父とかは? そう尋ねることも躊躇っていると、彼女から教えてくれる。
「私の夫も、お姑さんの夫であるお舅さんも、じいちゃんも。うちは男手はいなくなっちゃったから」
「いなくなっちゃったとは、その……」
「うちの男達はみな早死家系みたいで、二宮は未亡人一家と言われているぐらい。ばあちゃんは歳だし、お義母さんは果樹園以外の収入を得るために漁港でずっと働いているの。私はばあちゃんの弟子でいま栽培を覚えながら、管理を任せてもらっている」
つまり……? ますます呆気にとられつつ、涼は改めて聞いてみる。
「では、その。二宮果樹園のご主人は。珠里さんということなのですね」
「主人というか、管理人です。ばあちゃんとじいちゃん、そしてお義父さんと死んだ主人が守ってきた果樹園ですから。ばあちゃんが守ってきたように、お義母さんが支えてきたように、私も果樹園存続のためにそうしているつもりです」
亡くなった主人達のために――。
二宮果樹園は、カネコおばあちゃんを始めとする、主人に先立たれた妻達が守っている果樹園だった。
それだけで、彼女のその冷めた表情が何故なのか――。少しだけ理解できそうな気にもなる。
「そうだったんだ。大変だったんだな」
彼女は少し首を振っただけ。『別に、たいしたことない』と言わんばかりの否定だったが、でも無言なのはやっぱり苦労はあったのだろう。
それならば。女主人の彼女に話を聞いてもらうしかない。
「これ。食べたよ。すごく美味かった」
マーマレードの瓶をコートのポケットから取り出す。
「ありがとう」
無愛想なくせに。そんな時はちょっと照れくさそうに、柔らかい声……。
涼の脳裏から、ぼやけていたものが浮かび上がってくる。恥ずかしそうに目も合わせてくれず、でも、そんな声もあるんだなと思った時がいつかもあった、気がする。
「すごいヒットだな。生産が追いつかないんだろ」
「大丈夫。『真田さん』が自社製菓工場でうまく回転させてくれているから。レシピもレモンもうちのばあちゃんのものだったけれど、企画と販売は真田さんに一任しているの」
それを聞くと、涼の胸がドクンと苦しくなる。
「よく一任したな。レシピもレモンも大事な秘伝のものだったのでは」
と、聞きながらも。どうして彼女が一任したか、そんな理由は聞かずとも『同業者』である涼自身が良く判っていることだった。
判っているまま、彼女も言う。
「真田珈琲さんだもの。間違いはないでしょう。それはカメリア珈琲さんもよくご存じなのでは」
彼女の物言いだと、どこか含みがあって嫌味にも聞こえてしまう。ここが彼女の悪いところと言えばいいのか。あまりにも変わっていなくてびっくりしてしまうのだが。
「だよな。真田珈琲だもんな……」
ぐうの音も出ない。『真田』の名が出ると、このエリアにいる同業者はどうにもこうにも太刀打ちが出来なくなる。それほどエリアに君臨している王者、地元老舗珈琲会社『真田珈琲』。
『島レモンマーマレード』は、この街の老舗喫茶『真田珈琲』が企画し商品化したもの。
店頭で売り出したら好評で、それが空港などの土産店に並び、全国区へ――という弾丸スマッシュヒットで駆け上っていったのは、地元の同業者を驚かせた。
それでなくとも、この『真田珈琲』の真田社長はやり手で、この老舗喫茶がある限り、この地方ではどんなに全国区の大手珈琲メーカーが立ち向かっても敵わない。地元で絶大なる人気と信頼を得ている喫茶会社なのだ。
そこが地元だけで人気喫茶ならともかく。ついに全国区へと認められる商品を生み出してしまった。
なにを企画しても、毎回、真田珈琲に話題をさらわれる。涼は唇を噛みしめる。何故なら、涼が大学卒業後から勤めている今の会社『カメリア珈琲』が、その『全国大手珈琲メーカー』なのだ。
他エリアでは文句なしにトップに君臨できるほどの大手メーカーなのに、涼のエリアではこの老舗珈琲会社のせいで、いつも二番手に追いやられる。
だが。涼も地元で育ったからわかるのだ。幼い時からその珈琲店があり、そして珈琲を飲もうと思ったら『真田珈琲に行こう』とまず思うのが、地元の人間。そしてそれを真田珈琲は裏切らない。
だからこそ。そこまで市民権を得ているトップ喫茶が何故に、地元のレモンを捕まえて『安易にマーマレード』を開発したのか――と。
――あの狼社長、まだなにか考えているに違いない。
会合で時々彼の顔を見る。頑固そうで無口で近寄りがたく、おべっかも愛想も通じない一匹狼。皆から『狼社長』と言われている。なのにバリスタとしての腕前も確かで、誰も太刀打ちできない。
あれだけのやり手社長。地元での王座を守り続け全国大手にも譲らない男が、この商機を逃すはずがない。
だからなのだ。いま、彼の先手をとって『島レモンで新たなヒット商品を生み出す』。全国の眼差しが、あの島の果樹園に向けられている今!
「三枝、頼む。少しでいいから、おばあちゃんのレモンを分けてくれないか」
「……どのようなものを企画しているの」
無表情だが、頭ごなしに断られなかったので、涼は今だとばかりに慌ててビジネスバッグからファイルされている企画書を出した。
彼女もそれを受け取る。早速めくってくれる。
「ここ。パティシエと企画したスイーツなんだ。うちのエリアにあるカフェ数店で、期間限定で売り出そうと思うんだ」
それなら良くある良く聞く話だろう。ここからだ。涼はパティシエと相談し、実際に試験的に調理したスイーツ菓子のサンプル写真のページを開く。
「こんなかんじで考えているんだ。マーマレードのように材料は大量にはならないと思うし、もっと身近で親しみやすい距離、カフェで気軽にオーダーできて、おばあちゃんのレモンを堪能してもらう」
彼女も黙って、菓子写真のページを追ってくれる。涼も力が入る。
「パティシエも乗り気なんだ。なんと言っても、おばあちゃんの島レモン。それで皆が喜んでくれるスイーツを作ってみたいとこれだけのものを考えてくれたんだよ」
本当の話だった。噂の島レモン。この素材を使いパティシエも『真田珈琲を超えたい』と思っているのだから。
「おいしそうね。レモンのカステラは食べてみたい」
一瞬、彼女の頬が緩み笑顔になったのを涼は見逃さなかった。笑うんだ、彼女が笑った。それがまた本当に良い笑顔だったので、唖然としてしまったのだ。
だがそこまで。彼女があの冷めた顔で、ばたりとファイルを閉じてしまう。
「ごめんなさい。駄目なんだよね」
ファイルを突き返される。すぐには受け取りたくなかった。
「どうして。そうだ。レモンを十個、買っていく。それでこのカステラを作って持ってくるから食べてみて欲しいんだ」
少しでも繋げておきたい。完全に切れたくない。必死だった。
だが彼女は首を振り、ファイルを涼の胸元まで突き返してくる。
その手を、彼女の手を、涼は握りしめ、あろうことか胸元まで引き寄せてしまう。
ほっかむり農帽のままの彼女が、びっくりして目を見開き、涼を見上げている。警戒心を一瞬でもといた彼女の黒い目と合い、吸い込まれそうになる涼。だが、こちらも雑念は振り払い彼女に向かう。
「頼む。レモンを十個、買わせてくれ。そして、うちのパティシエの菓子を食べてくれ。それだけでいいから」
目の前にその目があるせいか。彼女が怯んで揺らいでいるのが見てとれた。あと一押し。
「頼むよ。元同級生のよしみで……。ほら! 俺、三枝が困っている時に、気にかけたことがあっただろ」
この土壇場でふいに思い出したことを、お構いなしに彼女にぶつける。
東京からの馴染まない美少女転校生は、悪ガキ男子や、よそ者には疎外的になりやすい女子達から遠ざけられていた。
特に、言葉のイントネーション。方言全開の子供達からすれば、綺麗な標準語を喋る彼女が気に入らない。なにかにつけ、彼女の発言の揚げ足を取る。だから余計に彼女が無口になる。
特に、毎日当番制になっていた『号令』。授業の始め終わりの『きをつけ、れい、ちゃくせき』。このイントネーションがまったく違う。彼女が当番の日、悪ガキ達はそれをネタにして彼女の口調を真似てからかう。
そんな状況を見かね、クラスの委員長を務めていた涼は、彼女に提案した。
――『三枝が当番の時、俺が交代してもいいよ』と。
だが、彼女は首を振り、拒否をした。『素直じゃない』。そう思った記憶が急に蘇った。
その時、彼女がなにかを言った? それはなんだったのか。それを思い出せそうになった時――。
「やっぱり。委員長は変わってない」
引き寄せていた手を振り払われる。企画ファイルが畑の土、レモンの幹へとぶつかって落ちた。
彼女が涼を睨んでいる。無愛想な目じゃない、怒りの目。なのに何故。そんな時に黒く潤って見える?
「委員長だった時から、大っ嫌いだったのよ!」
え、中学の時から嫌い?
あまり人から言われたことがない言葉に、涼は茫然とさせられる。
「自分が『良い事をしている、良い事を思いついた』と信じ切っているその『勘違い』が、嫌いなのよ!」
はあ? 俺が勘違い!?
根拠なき言われように、流石にカチンと来た!
「俺のどこが、勘違いなんだよ!」
言い返した途端、彼女がぷいっとそっぽを向く。
そうだ、そうだ、そうだった。コイツはこうしてすぐに口を閉ざして、終わらせようとするから『もやもや』させらるんだよ。
「言いたいことがあるなら……」
ちゃんと言い返せ! 言いそうになって、そこだけはなんとか言葉を飲み込んで抑えた。
その時、ふっと思い出す。あの時、彼女が最後に言った言葉――。
『委員長て、最低』。
助けようとしたのに、美少女の彼女がこの上ないむくれた顔でぽつりと呟いたあの光景。
そうだ。あの時『最低』と言われた。何故。
あの苦い思いが蘇る――。そこで涼は今も昔も彼女にはよく思われそうにないことを知り、言葉が止まる。
命運をかけた営業に来たのではないか。どうしていつものように小馬鹿にされてもグッと我慢が出来ない、頭が下げられない? 目の前にいるのは『今や噂の、』ものを管理している女主人様なのに。
自分でも判っている『冷静になれ』、『でも頭に血が上ってどうしようもなくなっている』。その狭間で涼は揺らされている。
『珠里、どこにいるんだ』
大人げない言い合いに熱気がこもる間に、そんな男性の声。彼の声を聞き、珠里のほうがハッと我に返った顔になるのを涼は見た。
「ここだよ」
すこしだけ張り上げた声。それは涼に対するものより、はるかに丸みがあり親しみがあるものだった。
そのうちに、果樹園を歩く足音が近づいてくる。振り返ると、レモンの木と木の間をゆく、ゴム長靴が見えてきた。
「おう、そこだったか。あ、もしかして……カメリア珈琲さん、もういらっしゃっていたのか」
珠里をみつけたその男性が、向き合っている涼を見て何もかも知っている顔。
「あれ、おまえ、どうしたんだよ」
しかも珠里の顔をみるなり『なにかがあった』と言わんばかりの鋭さ。そして彼女はそんな彼に背を向けてしまう。図星だからなのだろう。
「すみません。コイツ、なにか失礼なことを言いませんでしたか」
この男性は? 未亡人のはずの珠里のことを、よく知っている男性がいる。しかも『彼女が悪い』と予測してくれたため、涼の熱もさっと引いてしまった。
「いえ、そのようなことは」
彼女をかばうつもりでもなく、『自分も大人げなかった』から何事もなかったようにしてみる。
すると彼女が、涼の目の前から、彼のそばにスタスタと逃げるように行ってしまう。そしてその男性に、涼の名刺を渡した。
受け取った彼もそれを眺め――。
「真鍋、涼?」
彼も涼をまじまじと見た。そして驚きの顔になり、いきなり涼を指さす。
「真鍋先生の息子、委員長か!?」
え、この彼は誰?
ここは島。先祖代々暮らしている島っ子も多かった。だがこちらは大人になりすぎていてわからない?
レスラーのように大柄の、がっしりした体つき。ぷっくりしたまんまるの無精ひげの顔。彼女同様、こちらもしっかり農夫スタイル。
「ほら、俺。仙波拓郎」
言われ、今度は涼がびっくりして彼を指さす。
「ゴ、ゴリまん!」
「その言い方、やめろや」
頬を引きつらせた大男。そうだ、コイツは中学の時からそのがたいの良さから強気で……。粗暴……だった男。つまりクラスの『ガキ大将』。
この島でいちばん畑を持つ大地主の息子。そんな彼の傍で、背を向けたままの珠里が俯いている。
ガキ大将と、無愛想な美少女転校生。その二人が一緒にいるのは涼にとってはとっても意外な光景だった。
何故なら。この悪ガキ大将の彼は、珠里をよってたかっていじめていた主犯格だったから。
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