#15:LIZの原罪
ラボ・フェリノルダは、所長でもあり唯一の研究員でもあるアキホ・F・フェリノルダによって動いている。
そのラボに招かれるのはごく一部の限られた人間だけだが、それは地位や名声などによって決まるのではなく、アキホが不意に思いついた時に都合がつくというのが唯一絶対の条件だった。
ミルド・ハーストンは今回その限れた人間に選ばれたが、アキホからの誘いが来たのはたったの二時間前だった。
「来てくれて感謝するよ、ミルド」
「いえ、先生の誘いを断る度胸がある人間など見たこともありません」
「君も忙しいから、迷惑だったのでは?」
「先生の名前を出したら、瞬く間に有給休暇扱いとなりました。逆に断ったらクビになったかもしれません」
年のころは四十代前半。オーダーメイドのスーツを着て、ブランド物のネクタイを締め、平均より少々低い背丈を威厳でもってごまかしている男は、口元に笑みを浮かべる。
黒々とした髪と、彫りの深い目元のために若くも見えるが、目尻の皺は年相応だった。
「先生のラボは変わりませんね。前に来たのは、まだ俺が学生の頃でしたが」
「三月二四日だろう。覚えているよ」
研究室の奥に作られたアキホの自室は、ミヤビの様式を取り入れたもので、木枠に紙を貼ったパーティションと、草を編み込んで作った床材で作られている。
それらは装いこそ質素ではあるが、水素原子により作られる家具が主流であるコートリア惑星群では、極上の贅沢品でもあった。惑星ミヤビにも似たような様式の建物は多いが、木に似せたシートで誤魔化した鉄枠を使ったり、破れやすい紙ではなく立体映像を使っていたりと、どこか安く仕上がっている。
座布団と呼ばれるミヤビ型のクッションに座ったミルドは、アキホが差し出した紅茶に口をつけた。ブランド物のティーカップとソーサーで、少し格式の高いカフェではよく見かけるものだった。アキホはミヤビの様式にティーカップは不釣り合いだと昔から愚痴を零していたが、何が不釣り合いなのかは周囲には理解出来ない。
「それで御用はなんでしょうか」
「最近、教え子たちを訪ねて回っていたんだ」
「えぇ、知っています」
「しかし政府官僚にアポイントメントもなしに行くのも気が引けるし、取るのも面倒くさい。よって後に回ってしまったが気を悪くしないで欲しい」
「テディのところにはアポ無しで行ったのに?」
「彼はどうせ私が教え子巡りをしていることは知っていただろうからな」
アキホは肩を竦める。肩にかかっていた黒髪の一房がその拍子に滑り落ちた。
「サレゴールだけはなかなか捕まらないがね」
「奴は同期でも一番の変わり種でしたからね。でもテディとは相変わらず仲がいいようですよ。この前のドーナッツ発射事件。あれもテディに助言してもらったようですから」
「彼はテディがいないとつまらないものしか出来ない、と在学中から言っていたからね。それについては私も同感だ」
ふと、アキホは思い出し笑いをして肩を揺らした。
「あれは傑作だったな。まだ君たちが私の研究室にいた時に、サレゴールがテディと一緒に無重力リングを作って」
「先生、やめてくださいよ」
慌てて制する元教え子に、アキホは無邪気さすら残る口調で続ける。
「君が「じゃあ、ついでだから重力制御装置もつけよう」って言いだして、結局ただの輪っかにしてしまって」
「あれは俺の一生の汚点です。計算上、宙で半永久運動するはずだったんですけど」
「君は重力計算を間違っていたんだ」
「テディには悪いことをしました。サレゴールと一緒に一ヶ月も取り組んでいたから、もっと面白くしてやろうと思っただけだったのですが」
「彼は君たちとは違って、宇宙工学に関する知識は劣っていた。しかしながら君たちのように数字に捕らわれないからこそ、有能な第三者としてゼミにいることが出来た。君たちはそれを感覚で理解していたはずだ」
「そんな大仰なものでもないですよ。単に俺は仲間を悲しませたのが情けなかった」
「君は昔から優しいからな」
アキホは慈愛を込めた目でミルドを見て、そして少しだけその表情を曇らせた。
「先生?」
「優しい君に聞いてほしいことがあるんだ」
「なんでしょうか」
「昔、といっても君たちがゼミを卒業した後の話だ。君たちは輝かしい成績と共に輝かしい職業についた」
「先生のご期待に沿うことが出来ず、申し訳ございません」
ミルドの謝罪に、アキホは目を細めて首を振る。
「いいんだ。君たちの代には確かに他の代に比べて期待をしていたことは確かだが、私は君たちの生き方に注文を付けられる立場ではない。私はただの科学者に過ぎないのだから」
「先生がそんなことを仰っては、他の科学者達が自信を無くします」
「いいや、私はただの科学者だ。それも緊張感がないという点ではバトラーに、想像力がないとう点ではテディに、行動力がないという点では君に劣る程度の」
ご謙遜を、とミルドは言いかけて留まる。アキホという人間は自分を誇張しないし、必要以上の卑下もしない。彼女の紡ぐ言葉は全て真実であり、そこに虚飾は存在しないことを、ミルドだけでなく他の元教え子達も知っていた。
「カレンが作ったシステムがあるだろう」
「LIZ(リズ)システムですか?」
「脳の代わりに液状伝達経路を持つクローンを作り、ICHIの実行部隊の脳シグナルをインストールしたデバイスを刺すことにより、安全に宇宙でのエイリアン除去が出来るシステムだ」
「夢のようだと、当時は騒がれましたね。今は当たり前のように使われている」
「あのクローンがどうやって出来たか知っているか?いくらICHIの実行部隊の生存率を上げるためとはいえ、いきなりクローンを作って実験をするわけにはいかない。ただの培養された人の形をした塊だと言っても、それを無下に扱うことは世評が許さないからだ」
「あれは一体どういう感情なんでしょうか。俺にはわからない」
元科学者らしい言葉を放つ教え子に、アキホは軽く肩を竦めた。
「君は小さい頃に、こんな経験はないか?本物そっくりの熊のチョコレートや、兎の形をした飴を食べれなかったことは」
「あぁ、確かにありました。もったいなくて」
「本当にそれだけか?そこにはこんな感情もあったのではないか?「本物だったらどうしよう」という、子供としての真実が」
ミルドは即答を避けて考え込む。大人になって久しく、そして子供の頃から聡明な部類であった男は、幼少期のことは全て「子供っぽくてくだらないこと」だと思い込む癖があった。
しかし、だからと言って、それらを全て汚点として片づけない程度には自身に折り合いがついている。
「畏怖に近いものならあったと思います。造形のリアルさは、例えそれがただの菓子であれど、最初に見た時には未知のものとして五感に訴えかけるものがある」
「畏怖は敬意に近いものだ。例え人の形をしただけの肉塊だとしても、それを好き勝手に切り刻んで実験台として使い捨てるような存在がいたとして、誰がその人間の研究に敬意を払うだろう。敬意を持たぬ人間は敬われない」
「……つまり今のクローンの前には別のもので実験をした」
「その通り。………あの鳥籠が見えるか?」
アキホは障子と呼ばれる仕切りを横にスライドした。そこには彼女だけが使う広い研究エリアがあり、天井には長いこと使われていない鳥籠が吊るしてあった。
意図して天井を見るか、あるいは視線を導かれない限りは誰も気づかないような、小さなものだった。
「クローンを作ること自体は容易いことだった。問題はその脳にチップを埋め込んで、交感神経や臓器への負荷や影響がないか調べなければいけないことだった。私は旧星から持ち出されて保管されていた、カラスの遺伝子を利用して、一羽のクローンを作り出した」
「あの鳥籠は、そのカラスの?」
「あぁ。といっても、あれは随分後に作ったものだけどね」
短い溜息を挟んでアキホは続けた。
「カラスというのは賢い鳥でね。特に問題解決能力については霊長類に匹敵するものを持っている。私はたくさんのカラスのクローンを作った。そしてその個体に、自分の脳の情報を入れたチップを埋め込んだ。二十羽のうち、一羽だけ成功した」
「一羽だけ、ですか」
「他は全て死んでしまった。伝達神経に異常をきたしたものが多かったな。飛び方を忘れて、食べ方を忘れて、次々死んでいった。だから、その中を生き延びた一羽のことを私は大事に育てた」
障子を再び引いて、実験室を視界から遠ざけたアキホは、既に冷めかけた紅茶を手に取った。
だがそれを口にしようとはせず、何か愛おしいものでも撫でるかのように表面に指を滑らせる。
「カラスは私の脳の情報を使って、どんどん知能を身に着けていった。声帯の違いがあるので、言葉は話すことが出来なかったが、脳波を読み取って音声が発生する装置を使って、かなり複雑な話をすることも出来た」
「複雑な、というと?」
「ほぼ私たちが会話するのと変わらない。元がカラスなので、少々思考の乱れはあったが、私はカラスが言葉を覚えるのが楽しくて、色々な知識を与えた。その時、私はこの実験を成功だと思っていた」
「……カラスの実験が成功したおかげで、LIZシステムが軌道に乗ったんですよね?」
「そう。私はそれだけで満足してしまった」
悔やむような声を出したアキホを、ミルドは驚いた表情で見返した。
何年経っても二十代にしか見えない彼女の、長年の苦痛や苦悩が、そこに凝縮されたかのようだった。
「カラスはとても賢く、人懐こい子だった。私が実験をしている間は、黙って一羽で遊んでいたし、構ってほしい時にはお気に入りのボールを持ってやってくる子だった。角砂糖が大好物で、私が珈琲を飲んでいる時に一つ摘まんで差し出してやると、嬉しそうに鳴いて食べたものだ。もう子育てなんかしなくなって久しかったが、あの子は私の子供のような存在だった」
「何かあったんですか?」
「………そのカラスは、私の罪だった。傲慢で貪欲で愚かな私が生み出してしまった罪。私はあの子を賢くしすぎてしまった」
漸くティーカップを口にしたアキホは、何度かそれを嚥下して喉を潤した。
何かの実験装置が音を立てて、ミルドはそれが重力変動装置が出す独特の調整音であることを思い出していた。
「私のせいで、あの子は死んでしまった」
「それはチップのせいですか?」
「違う。あの子の体にも知能にも、勿論埋め込んだチップにも何の問題もなかった」
「ではなぜ」
「………ある時、あの子はいつものように実験室を飛び回って遊んでいた。私は丁度、壁のモニタにニュース映像を映していた。それはLIZ計画が本格的にICHIで採用されたこと、その最初のクローン達が宇宙に放たれたことを知らせるものだった。あの子はそれを見て、暫く黙っていた。そしてその日から何も食べなくなった」
かつての瑞々しい羽は、今や表面の脂だけが目立ち、室内の埃で汚れていた。殆ど使われることがない実験装置の上は、いつも人肌程度に温かく、カラスのお気に入りの場所だったが、そこからもう何日も動かずにいた。
アキホは餌を食べなくなってしまったカラスを、当初は病気かと思い色々調べたが、身体は健康そのものだった。
偶に水だけは少し口にするが、大好物の角砂糖にも見向きもしないで、カラスはそこに横たわっていた。
「どうして何も食べてくれないんだ?」
朝、カラスの口元に置いた青菜が装置の熱のためにすっかり乾ききっているのを見て、アキホは疑問を投げかける。何度も口にした問いだったが、カラスから返事が返ったことはなかった。
「お願いだから、食べてくれ。そうしないと死んでしまう」
そう語りかけた時、カラスは乾いた目を開いて立ち上がった。
摩擦力の低い装置を、半ば滑るように床に降りたと思うと、アキホの傍らをすり抜けて、一つの台の上に飛び乗った。
それはカラスが常に、アキホに人間の言葉で話しかけるために使っているパネル付きの装置だった。元は声が不自由な人間のために開発したものを、アキホが作り直してカラスでも使いこなせるように小型化していた。
カラスはゆっくりとクチバシを装置に近づけて電源を入れた。少し間の抜けた音がして、装置が起動する。
「アキホ」
カラスは装置から伸びたコードをクチバシで咥えた。その脳波を読み取った装置が、電子的な音声を部屋に響き渡らせる。
「アナタ、は私に、智慧を与えすぎた」
「どういう意味だ?」
「私、は理解、しました。貴女が、あの映像を、見せた。時」
アキホはそれが、LIZシステムのことを取り扱ったニュースのことだと即座に理解した。
あの時、それまで大好物の角砂糖を貰ってご機嫌だったカラスは、ニュースを見ながら突然角砂糖をクチバシから落とした。それまで戯れにでも取り上げるようとすれば、嫌がって鳴くようなカラスだった。アキホはそれに驚いて、そして何か嫌な予感がしたのを覚えていた。
「クローン、は、冷たく危険な、宇宙へと放り出される。傷つけば、修復され、そこには「クローン本体の意志」などなく、使い物に、ならなくなるまで、宇宙へと。宇宙へと」
「クローンはただ、ICHIの実行部隊が使いやすいように人型をしているだけだ」
「その、通り。だから、あなたたちは、彼らを使うこと、が容易い。でも、私は、彼らの仲間、なのです」
カラスは切なく鳴き、しかし再び装置を通して音声を出す。
「私は、クローン。教えてくれた、のは。アキホです。ICHIのクローンに個体の、思考回路はない。つまり、私だけが、意思を持つ唯一の、彼らの「仲間」です」
アキホはカラスの言いたいことを理解しかけていたが、口は挟まなかった。カラスの目が、時折零れる鳴き声が、それを拒絶していた。
「彼らは、自らの運命、そして待遇に気付くことは、なく。消費されて、いく。私、はそれを理解、出来る、孤独な個体。1、0、0、110。です」
音声に1と0の二進法による数字が挟まれる。それは、弱り切ったカラスの思考が、人間のそれに沿わなくなってきたことを示していた。人としての知識を持った、この世界で一羽だけのクローンは、悲しく訴え続けた。
「1、110、私、ボク、が、生き残ってしまった、0。そのせい、11010、で、クローンは量産、されてしまった。0、010」
「やめてくれ」
「私が、生き残ったこと、それが、私の、罪」
一瞬、全ての時が停止した。
依然として辺りの装置は決められた行動を繰り返していたし、空調も動いていたが、アキホにはそれが遠い世界の物に思えた。
弱ったカラスの手を差し伸べたくとも、既に双方の間には大きな隔たりが生まれてしまっていた。カラスは自らの命を罪だとし、そしてその命を生み出したアキホには、それを救済する術がなかった。
「私、には、償い。00101、000、償いが出来ない。そして、00、このまま生きるには、110、罪が重すぎる。お願い、アキホ。私は、もう、生きたくない」
必要以上の賢さを与えなければ、あるいは実験が終わった時点でチップを除去しておけば、カラスは罪を感じることはなかったかもしれない。だが全ては手遅れだった。
カラスはゆっくりとその場に倒れる。繋がれたままの装置は、その最後の言葉を紡いでいた。
「私の犯した、原罪により、0、クローン達は、1、1、私は。生きていることが、010、罪。0、0、読み取りエラー、1、001、怖い、怖い、コワイ、……アキホ、お腹空いた。お砂糖ちょうだい、アキホ……」
装置が甲高いエラー音を出したのを最後に、カラスは動かなくなった。
アキホは自ら死を選んだカラスを前に、ただ無力な子供のように立ち尽くしていた。
「自殺、ですか」
「そう。私が知識を与えてしまったためにカラスは死を選んでしまった。そんなことをしなければ、あの子は幸せだったかもしれないのに」
ミルドは恩師の告白を、どう受け止めて良いものか悩んでいた。極非情に切り捨てえるのであれば、それは一羽の鳥が死んだだけである。
だがLIZシステムが本格運用を始めたのは十七年前で、その当時のことを昨日のことのような悲痛な表情で話すアキホを見ると、ただの鳥の死として片付けることは出来ない。
「原罪、と言ったんですね。そのカラスは」
「あぁ」
「かつて旧星で信仰されていた宗教で使われていた用語ですよね」
「君は相変わらず頭の回転が速いな。この惑星群で宗教学などとっくに廃れてしまったのに」
「まぁ、俺達は宇宙工学を学ぶと同時に、旧星の研究もしてきましたから。原罪には多くの解説があったと思います。そのカラスはどういう意味で言ったのでしょうか」
「………原罪には大きく分けて二つの解釈がある。一つは始祖が犯した罪を全ての後継者が引き継ぐもの、そしてもう一つは始祖を起点とした全ての後継者が罪を犯したとされるものだ。しかしその罪が何かというものは明確には定義されていない」
アキホは少しそこで考え込む。
「その罪の解釈の一つに、「始祖が自らの意志で神に逆らったこと」を指すものがある。人々が自分の意志で自由に行動していることが、それ即ち罪という意味だ」
「随分、突飛ですね。人間が自由に生きることが罪ですか」
「昔はそれが信じられていた。つまり、何か辛いことがあろうとも、それはかつての始祖が神に逆らい自由に行動をしてしまったためで、その罪が今我々を苦しめているのだと」
「なるほど。人々の悩みを、神の存在証明に使ったわけですか」
「しかし人間が神に干渉されずに自由に生きることは、生まれた時から認められていることだ。だから「生まれながらの罪」という意味で原罪という言葉が用いられている書物もある」
「カラスが言ったのは、その意味ですか?」
「それが一番しっくり来るが…あの子は死んでしまったし、私はそれを全て暴くことなど出来ない。あの子が自分が生まれたことを罪だと言うならば、私はきっとあの子には許してもらえない」
「カラスの意志を否定するわけではありませんが、先生が間違っていたとは思いません」
教え子の言葉に、アキホは曖昧な笑みを浮かべただけだった。
「私は今も間違い続けているかもしれない」
「え?」
「だから許してほしくて未練がましく、あんな鳥籠を飾っているんだ」
ミルドは今度こそ返す言葉を失った。アキホの表情は全てを語っているような柔らかな笑みを浮かべていたが、その表情の根底に深い悲しみが張り付いていた。
暫くの間、二人は黙り込んでいたが、その静寂をアキホの明るい声が打ち消した。
「すまなかったね、わざわざ呼び出して辛気臭い話を聞かせてしまった。君は優しいから、きっと話を聞いてくれるだろうと思ったんだ」
「いえ、俺はただ」
「そうしないと、きっとあの子への罪を私は忘れてしまうから。許してもらった気になってしまうから。その前に誰かに話して、私の罪を思い出したかったんだ」
話は終わったようだった。ミルドはそれ以上アキホが何も話す気がないのを悟ると、当たり障りのない挨拶をして腰を上げた。
「先生、今度皆で集まりましょうよ。テディが来ると言えばサレゴールも来ますよ」
「皆で?」
「同窓会というやつです。旧星の風習にあったと思います」
「あぁ、それは面白いかもしれないな。君たちは一人一人でも良い話し相手だが、集まると良い議論相手になる」
「同窓会でディベートなんて嫌ですよ。大体カレンとサレゴールの一騎打ちになるんですから」
「そういえば君の論文を最近読んでいないな。この前出しただろう」
「勘弁してください」
苦笑しながら、ミルドは障子を開き、畳から研究室の冷たい床へと降りた。脱いだままだった靴を履きながら天井を見上げると、そこには鳥籠が寂しく佇んでいた。
「原罪、ね」
ミルドが帰った後、アキホはそのまま座布団に座っていたが、誰かが研究室に入ってきた音を聞いて顔をあげた。
軽やかな足音は、迷いもなくアキホのいる部屋に向かい、そして少々乱暴に障子を開け放つ。
「ただいま」
「おかえり、クルエ」
「お客さん来てた?すれ違ったけど」
「あぁ、昔の教え子だ」
「ふーん」
黒髪の少年は、着ていた制服の上着と靴を脱ぎながら畳の上に上がった。制服には宇宙機構大学附属高等学校の校章が刺繍されている。
アキホが養子として手元に置いている少年は、彼女の抱える謎のうちの一つだった。
「あ、これ頂戴」
ミルドが飲んでいたティーカップに目を付けた少年は、そう言ったと思うと、ソーサーの上に手つかずのまま残されていた角砂糖を手で取った。
「クルエ、行儀が悪いぞ」
「だってアキホ最近、角砂糖くれないし」
四角く凝縮された砂糖を前歯で軽く齧りながら、クルエ・リズは不満そうに言った。
「調味料だからな、砂糖は。あまり菓子のように食べるものじゃない」
「そうなんだけどさ」
死んだカラスの脳から抜いたチップを、アキホは信号化した。そしてクローン用の遺伝子にその信号を使った。チップのように確実に脳細胞に作用するわけではなく、もしかしたら少しは影響を及ぼすかもしれない程度のものだった。
カラスが自らの生を原罪と言うならば、アキホは自分がその罪を背負ってみようと決意した。それはもはや確率的変異でも確定的変異でもなく、願いに近かった。
そして生まれたクローンの子供は、カラスの時の記憶もなく、賢くはあるがアキホには及ばない程度の、極普通の優秀な頭脳を持つ少年に育った。
「クルエ」
「何?」
「なんだか今日は嬉しそうだな」
「別に何でもないよ」
学校で何か楽しいことがあったらしいクルエは、角砂糖を飲み込む口元を少し緩ませていた。
クルエをこの世に産んだのは自分のエゴであることをアキホは重々承知していた。カラスのためと言いながら、ただ自分の罪悪感を少しでも和らげたいだけだった。
「アキホはなんか沈んだ顔してるけど、何かあったの?」
「少し懐かしい話をしていて、憂いに浸っていただけだ。……ほら」
アキホは自分の分の角砂糖を摘まんで、クルエに差し出した。珍しい、と言いたげな表情でクルエはそれを手で包み込むように受け取る。その目がかつてのカラスに重なって、アキホは思わず息を飲んだ。
遠い記憶の中で、カラスが寂しく鳴いた気がした。
END
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