#09:ツイストドーナッツは世界を救う

「旧星が滅ぶに至った原因である「エイリアン」はどこから現れたのか。これは長年にわたる疑問であり、今なお解決していない」


 第五惑星「ベリル」にある教育機関では、今日も宇宙の歴史についての講義が開かれていた。一般人向けに大学レベルの講義を開いていることで有名な「ベリルカレッジスクール」は、元々は学習塾だった。

 惑星群最高峰と言われる宇宙機構大学のそばにある学習塾ということで、それなりに栄えていたが、オンラインの学習塾が、大学講師を招いてのプログラムを展開したために段々と生徒が減っていった。十年ほど前に塾をたたんで今の体制になってからは、一定量の顧客を持つことが出来ている。

 客員として招く講師の中には、既に教壇を退いた講師だけでなく、研究員や経営者など様々な職種の人間がいる。大学のカリキュラムから外れた、マニアックな講義を聴けるとあってやってくる学生もいるし、老後の趣味として訪れる高齢者もいるため、いつも教室には幅広い年齢層の男女がいた。


「旧星はエイリアンによって滅ぼされたと言われているが、映画や小説にあるような侵略、略奪、破壊行為が一切なかったことは、意外と知られていない」


 広い、扇形の教室の教壇で鞭を取っているのは、宇宙対策機関ICHI<イチ>の研究員である男だった。三十半ばであるが、若白髪が目立つ髪と童顔のせいで、第三者にはいまいち年齢が判別出来ない。


「ではエイリアンが何をしたか。答えは簡単だ。「何もしなかった」」


 何人かから反応があったことを確認して、講師であるセシル・タングランは満足げに微笑む。


「エイリアンは宇宙に突如として現れ、そして旧星大気圏の近くに漂いだした。まぁ生き物なのでエイリアンと呼んでいるが、宇宙浮遊物と表現したほうがイメージしやすいかと思う。太陽と旧星の間にそのような浮遊物が大量に発生したため……」


 あぁ、とセシルは右手に持っていたペンを持ったまま頭を掻いた。

 普段、研究員として仕事をしているセシルは人前で講義をしたことがほとんどない。そのため、自分の知っていることは相手も知っているという前提で話をしてしまう癖がある。


「ここで「太陽」について触れておくと、旧星時代は太陽の恩恵を受け、そのうえで農業などに勤しみ、そして地表温度を得ていた。太陽の光が地上に届かないと、当然地表の温度は下がり、農作物は取れなくなる。そしてとても人間が生きていける状態ではなくなるわけだ。事実、それまで熱帯、亜熱帯で生息していた動物は、絶滅してしまったと言われている」

「先生」


 一人の若い女が手を挙げる。


「どうぞ」

「旧星では今のような空の代用物を作ろうとは思わなかったのでしょうか」

「いい質問だ。旧星にはその技術がなかった。いや、小規模なものであれば作れたと言われているが、とてもじゃないが旧星すべてを覆う外殻を作ることは出来なかった。旧星の人口がどれくらいあったか知っているかね?」


 女は首を振る。


「六十億人だ。今の六十倍だな」


 強いざわめきが教室内を満たし、セシルは「静かに」と手を鳴らした。


「つまり理論上は可能でも、もはや弱り切った人々には不可能だったというわけだ。旧星の歴史を学ぶ時、我々は今の技術を基準として「こうすればいいのに」「あぁすればよかったのに」という的外れな意見を述べがちだが、そうではなく「なぜ出来なかったのか」という視点に立つことが何より大事だと言える」


 セシルは話の本筋を戻した。


「エイリアンの除去活動と研究は依然ICHIで行われているが、その成果は芳しいものとは言えない。最新の研究では……」


 残りの講義時間を使って、現在のICHIの研究内容や実績、将来的な計画などを話す。講義というより、それはICHIへの関心度を深めるためのパフォーマンスだった。負の部分は極力話さず、正の部分には嘘にならない程度の脚色をつけて。此処の講師になる者には、その権利が与えられている。


「興味を持った者は、ICHIから出している研究雑誌「コートリア機構」の購読などをおすすめする。今日も見本データを持ってきているので、希望者のオレゴンに配布することも可能だ。ではこれで講義を終了する」


 その言葉と同時にチャイムが鳴った。全員席を立ち、帰り支度を始める。

 セシルも教卓の上の資料をまとめていたが、「先生」と呼ばれて顔をあげた。


「なんだ、嫌味か?」

「とんでもございません。敬意ですよ」


 踝にかかるほどのロングスカートを履いた、二十半ばの女はそう言って笑った。痛みがちなプラチナブロンドを、いつもは色気もなく後ろに束ねているだけだが、今日は下ろして毛先をカールさせている。普段つけていない口紅まで塗っているせいで、やけに口元が強調されていた。


「しかし俺も人のことを言えないが、お前も物好きだな。休日の昼間を上司の講義で潰すとは」

「興味あったんですよ、タングランさんの講義」

「まぁついでだから、オレゴンへのデータの配布を手伝ってくれ」

「えー、私休みですよ」

「俺だって休みだ」


 もう、と言いながら部下であるマイヤ・サレゴールはセシルのオレゴン端末を受け取った。既にオンラインで複数の受講者から、データ配布要求が届いている。


「一斉配布って出来ないんですか?」

「署名付きなら可能だが、皆匿名だろう?」

「あー、そっか。そういう決まりだって講義案内に書いてあったっけ」


 面倒くさい、とマイヤは文句を指先に乗せて、配布の操作を繰り返す。


「一人で来たのか?」

「本当は父と来るはずだったんですけど、なんか来る途中ではぐれちゃって」

「大丈夫なのか?」

「あ、大丈夫です。父の方向音痴と気まぐれは今に始まったことじゃないですし」

「そうか。残念なような、助かったような複雑な気分だな。サレゴール博士に俺の拙い講義なんて見せられない」

「父は普通のおじさんですよ。ちょっと変だけど」

「宇宙接続ゲートの開発者を、普通のおじさんとは言わない」

「でも家だとそんな感じですよ。私、ICHIに入るまで父が有名だなんて知らなかったし」


 サレゴール博士の名前を知らないICHIの研究者はもぐりである。誰かが冗談交じりに言った台詞だが、決してそれは冗談ではない。研究者になるべく生まれたような、自由な発想に言動。実験のために静電気を除去するのだと、下着一枚で椅子に座っていたとか、ビニール素材のチューブを振り回しながら施設の中を徘徊していたとか、話題には事欠かない人物だった。

 セシルがICHIに入った数年後に退職してしまったので、一緒に仕事をしたことはないが、何度かその奇行を見かけたことはある。最後に見たのは退職する前日で、大量の荷物を今更片付けているところだった。手伝いましょうか、と声をかけたら「そうか、では宇宙A層における耐火性鋭角物質の落下速度の計算をしてくれ」と言われた。


「今は何をしていらっしゃるんだ?」

「さぁ、何してるんでしょう。子供用の通信筐体を解体して何やら遊んでますけど。プラズマで猫を作るとか、なんとか。意味不明です」


 マイヤは肩をすくめながら、オレゴンを返却する。


「何人だった?」

「八三名ですね。結構多いんじゃないですか?」

「このうち、見本を最後まで読んで、完全版を買うのは何人だと思う?」

「んー、まぁ十人ぐらいかな。完全版を最後まで読む人ってなると一人いるかいないかでしょうね」

「一人って、それは少なすぎるだろう」

「最後まで読んだことあります?」

「いや、ない」


 やっぱり、とマイヤは笑う。


「私もないです。あれを最後まで読むのは、父みたいな変わりものぐらいでしょうね」

「博士は最後まで読むのか?」

「最近コミックスを読んでいるんですけど、その合間に目を通しているみたいですね。「コミックは空間認識が難解だ、こういうソフトな方が楽だな!」って大きな独り言言ってました」


 思わずセシルが黙り込むと、マイヤがクスクス笑った。


「いいんですよ、「意味不明」って言っても」

「顔で表現したので、大丈夫だ。もう昼だな。食事にでも行こうか」

「奢ってくれるんですか?」

「………仕方ない。だが高いものは頼むなよ」






 どの惑星にも共通で言えることだが、エアレール乗り場の前は栄えている。昼間はランチを出す店と喫茶店が客を取り合い、夜は飲み屋が人を誘う。

 セシルは道に並ぶ店と、その前に掲げられたメニューを見ていたが、しばらくしてある店の前で立ち止まった。


「ここでいいか?」

「いいですよ」


 そこはパスタとピッツァの店だった。至極標準的で、どの惑星にもあるチェーン店であるが、少々値段が高い分、クオリティも保障されている。ICHIにも店舗があるため、セシルは週に二回ほど利用している。

 運よく二人掛けの席が空いていたため、すぐに通してもらえた二人は、液晶型テーブルに表示されたメニューに目を向ける。大抵の店はテーブルや壁を液晶媒介としてメニューや広告を載せている。それが下品だという老人もいないわけではないが、ある程度の年齢以下の者は、当然のこととして受け入れていた。


「あ、これ新商品ですって。美味しそう。これにします」


 マイヤは若い女らしく新商品に飛びついた。セシルはいつも頼んでいるメニューが、特に値上がりもしていないのを確認してから、液晶に指を走らせる。二人分のパスタが無事に注文されると、セシルは意味もなくため息をついた。


「疲れました?」

「別に。なんとなくだよ。君から見て、今日の講義はどうだった?」

「興味深かったです。大抵のことは知っているつもりですけど、詳しく誰かから説明されるのは初めてでしたから」

「どれがよかった」

「そうですねぇ、「地下都市」の話が」


 旧星で人々は、暗く凍えた地上から、地下へと逃げた。それは各国に存在したが、美しく整えられた地下道を持つ国もあれば、ただ巨大なトンネルである国もあったし、酷いところでは縦横無尽に掘られた穴しか持たない国もあった。

 旧星からコートリア惑星群に移り住んだのは、そのうち「地下都市」と呼ばれた整備された場所にいた人々だった。


「あれはいつの講義でも人気がある話題だ。しかしあまりに当時の状況が過酷だったこと、人命救助を第一として知的財産の殆どを置いてきたこと、移住して直後は住める環境を整えることに皆必死だったため、地下都市の記録は残っていない」

「移住したのは三千万人ですよね?残りの人たちは旧星に残った。地下で生きている可能性もあるのではないですか?」

「残念ながら限りなくゼロである…と言えよう。旧星から旅立った五隻の宇宙船のうち、指揮系統を取っていたのは「サンライズ」号だった。その船長は旅立つ前に世界中の地下都市に通信を試みた」

「通信環境は整えられていたんですね」

「あぁ、一定の人口を持つ国には規約により通信機があったらしい。その際の通信記録が残っているが、すべての国の地下施設に連絡を試みたにも関わらず、応答はなかったことがわかっている」


 それに、とセシルは肩を竦めた。


「仮にその時生きていたとしても、到底生き延びられたとは思えない」

「研究している人はいないんですか?」

「資料があまりに少なすぎるからね」


 そこで丁度料理が運ばれてきたので、二人は話を中断する。それぞれフォークを手に取って、パスタを絡める作業をしながら、今度はマイヤが口を開いた。


「この前の企画書どうですか?」

「あれか?もう少し真面目に書け」

「真面目なんですけど」

「空飛ぶスケボーをどうやって売り出すんだ」

「でも憧れません?」

「子供の夢を聞いているんじゃないんだぞ。皆が好き勝手に空を飛んだら、衝突事故で死人が出る」

「そこはほら、事故を起こさない速度で、お互いに気を配りながら」

「歩いたほうが早いだろう」


 ICHIは宇宙に関する研究、活動を行う一方で、そのテクノロジーを生かした一般人向けの商品開発も行っている。研究員たちには、毎年二回、その企画書を出すことが義務付けられていた。

 マイヤが提出したのは、子供の夢をそのまま切り出した、凡そ実用的とは言えないもので、セシルは呆れ果てながらも指摘し損ねていた。


「自由な発想は大事だが、仕事の根幹に置かないように」

「真面目だったんですよ」


 マイヤは口を尖らせる。


「そりゃ一応、「瞬間冷凍技術の応用による、同一空間での冷凍保温の実現」とか考えましたけど、誰か思いつきそうだったから」

「いいからそれを出してくれ」

「夢と希望の象徴がICHIですよ。折角その一員になったのに」

「生憎ICHIは玩具メーカーではないからね」

そう答えたセシルは、食べなれたパスタを口に入れて、いつもと変わらない味に満足する。

「惑星間を結ぶエアレールが分断された時とかに役立つと思いますよ?」

「君はそれがいつ起こると思っているんだ。百年以上壊れたこともないんだぞ」

「災害用として売り出せば売れると思います」

「平時に使用する者が出る可能性が大きすぎるし、災害がいつ起きるんだ」

「コートリアだってエイリアンの影響を受けるかもしれませんよ」

「そうならないようにICHIがあるんだ」

「あ、じゃあこういうのはどうですか?ICHIの中で使いましょう。外部へのパフォーマンスにも使えますし」

「もう大型のものがあるだろう」

「あれは電気の力でしょう。私のは大気中の静電気を使ってるんです」

「余計使えないな。機密製品の温床なんだから」

「ダメですか」


 やけに自分の企画に自信があるらしい部下に、セシルはどうしたものかと悩む。自由な発想のみを追求しても、堅実な発想のみを追求しても、皆が受け入れる新しいものは生まれない。

 マイヤは自由な発想はあるようだが、実用化させるという点においてまだ未発達だった。その芽を潰さないようにしながら、軌道修正するのは上司の役目である。


「君の発想は、非常にいい。いいんだがICHIの利益に直結するかと聞かれたら、それは賛成出来ない」

「はい」

「皆が自分の発想だけを追求したら、ICHIのそもそもの目的を見失ってしまうんだよ。それはわかるね?」

「わかります」

「まぁ独創性は悪くない。えーっと、あの」

「フライングボード」

「そう、それをもっと実用的に出来るように考えてみるのが課題だろうな」

「………わかりました。じゃあ企画書は」

「一回差し戻すから、さっき言っていたもので出してくれ」


 マイヤは納得したのかしていないのか、よくわからない表情でパスタを口に運ぶ。


「でも何が役に立つかわからないことってあると思います」

「よほど気に入ってるんだな」

「まぁ夢ですからね」

「アクアドルのテーマパークにでも売り込んだら、いい金になるかもしれないぞ」

「そうじゃなくて、皆コートリアに安心しすぎなんですよ。いつエアレールが壊れて、外殻が壊れるかわからないでしょう。この前だってテロリストが破壊しようとしていたし」

「あまりそういうことは言うべきではないな」

「では誰なら言ってもいいんでしょうか。安全神話の信奉者にICHIの職員は含まれるべきではないと思います」


 マイヤの言うことは正しい。セシルも若いころはそう考えていた。

 だが、ICHIという組織は巨大すぎた。全員の考えを改めることなど出来はしない。何か問題が起こらない限りは、杞憂として片付けられてしまう。そして改革を促す者も、上に逆らって仕事を失うという、隕石の墜落よりも現実的な恐怖には耐えられない。そんなことをずっと続けられるのは、よほどの権力を持った者か、変人かである。

 サレゴール博士はその「変人」だった。マイヤは父親に顔立ちは全く似ていないが、性格は受け継いでいるのかもしれない。パスタの皿の上でフォークを回しながら、セシルはそう考えた。

 サレゴール博士は、無関係だったから興味深く見れたが、同じような精神を持つ部下は、セシルにとっては重荷でしかない。だが周りから、サレゴール博士の娘を部下に持ったと注目されている以上、途中で投げ出したらどんな嫌味を言われるかわかったものではなかった。


「聞いていますか?」

「聞いているよ。まぁ君はその…まだ若いんだな。安全神話に警鐘を鳴らすのは、慎重になった方が良い。今ここで警鐘を鳴らしたところで、それに対する対策はないのだろう?」


 マイヤの眉が寄せられて、若い女には似合わぬ皺が刻まれる。


「そうなんですけどね」

「今は、退屈だろうが先人に倣うのが良いだろう。ある程度実力をつけてからでも遅くはないはずだ。ICHIの研究員は君一人ではない」

「それは理解しています。ですが……」


 その時、店の外が騒がしくなった。戸惑い交じりの人々の声と、その中で高らかに演説をしているような乾いた声。窓際にいた客が外を見て、なにやら不可解な物を見たかのような顔をする。


「………なんだ?」

「なんでしょうね」


 窓の防音性のために、声は撓んで聞こえる。マイヤは暫くその声に耳を傾けていたが、不意に目を見開くと、「パパ」と呟いた。


「パパの声です」

「博士の?」


 マイヤは、一応そこだけ理性が働いたのか、ナプキンで口を拭って立ち上がった。ロングスカートの裾を持って駆けていくのを、セシルも後ろから追いかけた。

 店の外には公園があって昼は会社員や子供たちの憩いの場となっている。芝生が青々と波立つその公園に、蓬髪の男が熱弁を奮っていた。周りには、まだロースクールらしい男児達が五人群がっている。傍から見たら、頭のおかしい男に子供たちが興味半分に近づいているようだったが、よく見ると子供たちは皆、一種の興奮と尊敬の目を向けていた。


「パパ、何してるの!」

「おぉ、わが娘よ。どこに行っていたのだ。というかなぜ私は出かけているんだ。今日は何日だ」

「一気に質問しないでよ」

「まぁそんな些細なことはどうでもいいな!今日が日曜だからって実験が失敗する理由にはならないし、私は水曜日も私だ!」


 相変わらず無駄に声が大きい男は、セシルが最後に見た時と殆ど変っていなかった。

 清潔にはしているが、手入れをしていない髪は四方に広がり、髭は剃っているが均一に整えられているとは言えない。まだ五十には間があるはずだが、その風貌のせいで随分年嵩に見えた。

 服装は一昔前に流行したシャツとパンツに、妙に真新しいコートを肩にかけている。ハシバミ色の瞳は子供のように輝いていて、それでいて意志の強そうな太い眉が、その無邪気さを研究者の眼差しに見せていた。


「サレゴール博士、いったい何を」

「おぉ、久しぶりだな。君のおかげで今世界は救われようとしているのだ!」

「はぁ?」

「まったく君の数式は美しい。私がアイルゼルの館長であれば、入り口に博物館の看板代わりに君の数式を飾っておくだろうな!あれほど無駄に回りくどく、無駄なコメントがあり、無駄に長い数式は生まれて初めて見た!」

「褒められているのでしょうか」

「もちろんだ、私には出来ないからな。私の数式は芸術的ではない。答えが一つである以上、過程の数式は芸術性を持つべきだ。誰でも欠けるシンプルな数式は…」

「で、何してるの」


 流石血縁者とでも言うべきか、マイヤは父親の話を無情に断ち切る。


「言っただろう、マーヤ。パパは世界を救う使命を彼らに与えたのだよ」

「言っていることはわかってるの。不審者として通報される前に、目的と手段を言ってくれない?」

「マーヤはママに似て手厳しいな。お前に置いて行かれたので、パパは寂しく彷徨っていたのだが、ふと気づいたら今日はあれから1,976,340分経つのだよ。あわててパパはリッカードーナッツに材料を買いに行った。強度と形はあそこのツイストドーナッツが一番だからな」


 変人の演説は止まらない。

 リッカードーナッツというのはコートリアにいくつもチェーン展開しているドーナッツ屋だった。子供たちは手に、ツイストドーナッツを装着したビニール管のようなものを持っていた。

 ビニール管は長短二本を垂直に組み合わせていて、短い方が持ち手となっている。どうやらそれは一種の銃のようだった。


「ねぇパパ。パパが出世出来なかったのってそういうところじゃないかしら」

「パパは出世するのが苦手なんだ。誰にでも得手不得手はあるだろう?マーヤだって短距離走は苦手じゃないか」

「まさか出世を能力の一部とみなすとは思わなかったわ」

「まぁとにかく、ツイストドーナッツ銃を作ったパパは、栄えある勇者を募集したのだよ。そうしたら勇敢なる少年たちが五人も名乗り出てくれたのだ」

「そうね、近所の子達ね」


 マイヤは肩を竦めてセシルを振り返る。


「パパは子供たちに人気なんです」

「だろうね」

「今から君たちはすごい瞬間を見るぞ。えーっと、えー、タングラン。君の数式は完璧だったんだ。あれを初めて見たとき、私はあまりの難解さに頭を抱えたことを素直に謝罪しよう」

「何の数式のことですか?」

「私があのよくわからない施設を去る時に君に頼んだじゃないか」


 宇宙A層における耐火性鋭角物質の落下速度の計算。

 セシルは思わず唖然として聞き返していた。


「あれは仮説ですよね?サンライズがコートリア惑星群に着陸する際に破損した尾翼が、二百年後に降ってくるはずだという」

「仮説だなんて誰が言った!今日それが降ってくるのだよ。外殻を破壊するだけの威力は十分にある。ラボ・フェリノルダに問い合わせたら、ツイストドーナッツ銃を使っていいと言われたので、今からそれを試みるのだ」


 セシルは、ラボでその連絡を受信した誰かに同情した。多分意味不明の言葉を連ねられて、関わり合いになりたくないとばかりに「許可」を下したに違いない。


「いいかね子供たち。私のいうことに嘘がないことは知っているだろう?」

「うん!博士は偉大なカガクシャだもんね」

「違うよ、博士は正義のカガクシャだよ」

「ママは博士をマッドサイエンティストって呼んでたよ」


 子供たちは口々に言いながら、自分たちの「銃」を使う瞬間を待っていた。


「絶対に私の言うことを聞いてくれたまえ。ウーディ、君はこの位置。セグラムは後ろだ。うんうん、素晴らしいぞ。ジッテ、君の役割は一番大事だ。皆が銃を撃った二秒後に、ウーディの場所から撃つんだ。聡明な君なら出来るね?」


 子供の自尊心を巧妙にくすぐりながら、男は準備を進める。


「博士、それが本当なら軍にロケットランチャーを借りたほうがいいのでは?」


 セシルが耐えかねて口を挟むと、初めて不満そうな声が返ってきた。


「そんなことをしたら外殻が壊れる」

「ではICHIに連絡して、外からその破片を回収してもらったらいかがです?」

「君はあんな美しい数式を書けるのに、おかしなことを言うんだな。逆か。変人は美しいものを生み出すというしな、うん」


 本物の変人に言われたくない、とセシルは言いかけて辞めた。子供達の非難的な眼差しに気づいたためだった。

 それぞれの保護者がどう考えているかは別として、子供達にとって博士は崇拝の対象でもあり、尊敬すべき人物であることを、その目は語っていた。その理由は、今現在も明らかで、博士は実に紳士的に子供たちに接していた。子供だからと下に見ることもなく、それどころか対等の存在として敬意を払っている。

 周りから見たら荒唐無稽な武器を誇らしく掲げているのも、子供たちが博士を信頼しているために違いなかった。


「さぁ、カウントダウンだ。失敗は許されないぞ、勇敢なる戦士達よ!5、4…」


 博士が天を指差し、人々は思わずつられて視線を上に向けた。そこにはいつもと変わらぬ外殻が、空と太陽を映し出していた。

 その太陽の部分が、突然盛り上がる。


「3」


太陽が消えて、外殻が一面の毒々しい青に染まる。夜の闇よりも深く、絶望的なまでの青。

空の映像信号が途切れたことを、それは示していた。


「2」


 地面が揺れ、かつて誰も体験したことのない大きな音が聞こえた。子供たちは既にそのことを知っていたのか、動じることもなくしっかりと足を踏ん張り、銃を構えたままだった。


「1」


 大きく歪んだ外殻が、今にも割れそうになっている。外殻が割れれば、そこは宇宙であり、宇宙にはエイリアンが徘徊している。それは常識ではあったものの、その場にいた殆どの者は、そんなことを考える余裕はなかった。

 冷静に考えられる唯一の人物は、周りを置いてけぼりにして高らかな声をあげた。


「放てぇ!」


 子供たちが息を止め、それぞれの役割を果たすために銃の引き金を引く。

 それは馬鹿馬鹿しい光景だった。ツイストドーナッツが宙に次々と放たれ、それが空気抵抗や衝撃波を利用して外殻へ飛んでいく。四方に放たれたはずのドーナッツは、外殻に届く頃には仲良く肩を並べていた。

 地上から外殻までは約五百メートル。ツイストドーナッツがそこに到達するまで、五秒とかからなかった。秒速百メートルのドーナッツを見た者など、これまでもこれからもいないだろう。

 五本のドーナッツは外殻に届いた。盛り上がって歪んだ外殻を同時に撃ち、そしてその瞬間に見事に破裂する。散っていくドーナッツの向こう側で、外殻は外側へと弾き返された。その変形を導くに至った、何かと共に。

 誰もが呆然と見ている中、不意に歓声があがる。


「やったぁ!博士、やったよ!」

「僕、ちゃんと出来ましたよ!」

「俺がね、俺が撃ったドーナッツがウーディのをドーンって押して……」


 子供たちが博士の周りに、興奮気味で駆け寄る。博士はその肩を叩き、惜しみない賞賛と労いの言葉をかけていた。

 セシルとマイヤは呆気にとられて上空を見たままだったが、消えていた太陽と雲が復活すると、そこで漸く我に返った。


「……なんだったんだ」

「えーっと…今見たのがすべてではないでしょうか」


 マイヤにしては、あまり自信のない口調だった。二人の当惑に構わず、大きな声がそれを打ち破る。


「見たか、マーヤ!子供達が世界を救ったんだ!」

「えぇ、見てたわ」

「今から家に帰って、子供たちに思う存分リッカードーナッツをふるまわないといけない。マーヤも手伝ってくれるね?」


 マイヤはセシルを見て、視線で「どうしましょう」と問いかけた。もはや全てが馬鹿馬鹿しくなっていたセシルは、何も答えなかった。

 それを肯定と受け止めたマイヤは、父親に承諾の旨を伝える。

 その頃には、人々も困惑しつつも自分たちの日常に戻りはじめていた。セシルと同じく、脳が理解するのを放棄したことは明白だった。


「でもパパ、お祝いにはケーキだと思うわ」

「ではケーキも買おう。ついでにソーダ水もだ。ジンジャエールはいけないぞ。未だにそれにエビを入れる奴がいるからな」


 子供たちと盛り上がっていた博士だったが、ふと真面目な顔に戻る。


「しまった、しまった。もう一人忘れていたぞ」

「いや、博士。それよりICHIの方に……」


 外殻の調査依頼を、と続けようとしたセシルは、博士に睨まれて黙り込んだ。一昔前の通信デバイスを耳に装着した博士は、相手が通信に出ると口を開く。


「サレゴールだ」


 セシルは、その男が電話口で名乗るのを初めて聞いた。ICHIにいる時はいつも結果から話し出して、自分の名前を言わないのが定番だったので、違和感が拭いきれない。しかもあのまくしたてるような声ではなく、至って静かで真面目だった。


「見たかね?やはり君に相談してよかったよ。ツイストドーナッツは最高だ」


 言っている内容はむちゃくちゃだが、博士の目には微塵の迷いもない。そのまま内容さえ吹き替えれば、株価の変動の話をしているようですらあった。あまりに普段と様子が違うため、セシルはマイヤに囁くように尋ねる。


「博士は誰と話しているんだ?」

「さぁ。たまに真面目に話をする相手がいるらしいんですよね」


 父親の生態について理解を諦めているマイヤは、素っ気なく返した。そうでもしないと家族を続けることは出来ないのだろう、とセシルは自分を無理矢理納得させる。

 外殻の異常は既に全惑星が感知している。ICHIには外殻の異常を検知するシステムもあるから、今頃大騒ぎになっているだろう。

 だが最悪の事態を回避したのがツイストドーナッツであることを知っているのは、この広場にいた人間だけであり、そこに居合わせたセシルは報告義務が発生する。どう足掻いてもふざけた報告書になりそうで、あまり文章表現力のないセシルにとっては憂鬱な休暇となりそうだった。




 翌日、セシルはマイヤから提出された企画書を見て眉をひそめた。


「フライングボード」

「やっぱり必要だと思うんです」

「しかしだな」


 昨日から、ICHIには各惑星からの問い合わせが殺到していた。大抵はマスコミからだったが、既に「ベリルの駅前広場で騒いでいた男と子供達」のことを調べていて、その真偽について尋ねる者が多かった。

 ICHIとしては「調査中」として回答を引き延ばしているが、事実である以上、両日中に発表しなければならない。


「……お父上はあの後どうした?」

「子供たちとドンチャン騒ぎしてましたよ」

「博士に、事実公表の許可と協力をお願いしたいという話が出ているが、何度博士の個人研究所に問い合わせてもつながらない」

「あぁ、父は通信が苦手ですから」

「君から頼んでくれないだろうか」


 疲れ切った顔でそう言ったセシルに、マイヤは何かを察したようだった。黙ってうなずいたあと、しかし思い出したように首を傾げる。


「ですが良いのでしょうか。流石にそのまま公表は出来ませんし、リッカードーナッツにも一応許可を取らないと」

「あそこは平気だろう。今朝も「噂が本当であれば、商品展開に使いたい」などと言ってきたから」

「それだともう、事実をそのまま公表する以外ありませんね」

「しかし、このままではICHIの尊厳にも関わる。作戦部隊や実行部隊にまで問い合わせが来ているらしいが、うっかりザークのやつが応答したせいで、誰かが超能力を使った噂まで流れ出した」

「あー、だからさっきアウレラさんがザークさん殴ってたんですね。でも、そもそもの数式を作ったのはタングランさんでしょう?父との共同研究でいいじゃないですか」

「知らぬうちに協力させられていただけだ。大体、全てを公表したら、君だってそのままでは済まないぞ。サレゴール博士の娘なんだからな」

「どうせ何回かインタビュー受けて終わりです。父と違って私は平凡ですから」

「正直な感想を言うと、その通りだ。君がお父上の遺伝子を忠実に受け継がなかったことに感謝している。サレゴール博士は、常識に当てはめようと考えることが非常識だと、昨日のことで骨髄まで浸透したよ」


 セシルは皮肉っぽく口角を持ち上げながら、企画書を突き返した。


「没だ」

「なんでですか!」

「前のを何の修正もなく提出したら、誰だってそう言うだろう。博士に相談してもいいから、もう少し具体的なものを持ってこい。あぁ、そうだな。もはやそのフライングボードがビスケットで出来ているとしても、博士の案なら構わないぞ。こうなったら自棄だ。サレゴール博士の名声を利用して、ICHIも儲けさせてもらうさ」

「あぁ、私の夢と希望のICHIが金の亡者の棲家に」


 大げさに両手で頬を挟んで目を瞬かせる女に、セシルはいたずらっぽい笑みを見せた。


「夢と希望は何で出来ていると思う?人の欲求だ。金の亡者でも夢と希望の源になるかもしれないだろう?ツイストドーナッツが弾丸になるぐらいだからな」


END

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