#08:愚者と賢者の宴
第八惑星「エスペロード」で、その日は第百回目の祝賀祭が開かれていた。
惑星の中心にある広場には、架空映像による風船が飛び交い、鳩のロボットが無軌道に空を飛ぶ。軽食から玩具まであらゆる出店が立ち並び、大道芸人達は己の日頃の練習の成果を、ここぞとばかりに発揮していた。
そして、そこで張り切っている一人の少女がいた。
「今日の目標は五十個売上!」
祭りの規模から考えると、その数字は低すぎるようにも感じるが、多くの出店が並ぶここでは客の取り合いが必須であり、中には朝から夜まで粘っても十人も客が来ない店もある。よって、彼女の目標は割と現実的であった。
「あたしが頑張って売り上げ伸ばそうとしてるのに、なーんであいつはどっか行っちゃうのよ」
少女は、独特のイントネーションのある言葉でそうぼやく。炎より真っ赤なロングヘアを、真っ白なバンダナで縛り、凹凸のない体はシンプルな黒いワンピースと真っ白なエプロンに包まれている。
ショウレ・ミーズラン。エスペロード出身ミヤビ育ちの彼女は十七歳。普段は地元で、家業である飴屋の手伝いをしているが、今日はこの祝賀祭のためにここに送り込まれた。
父親が腰を痛めてしまったせいでもあるが、これはショウレが強く望んだことでもあった。そこには商売魂よりも負けん気の方が勝っていた。
一週間前、父親がショウレに「代わりに出店をやってくれ」と頼み込んだ時、彼女は一度辞退した。だがそれを学校でふと零した時、同級生の一人に嘲笑われたのだった。
「そりゃそうだね。ミーズランにそんなこと出来るわけないじゃん」
今思い出しても腹が立つ。彼女は右手に持った鋏を、その手に赤い線がくっきり刻まれるほど強く握りしめた。飴細工には欠かせぬ鋏は、手のひらほどの大きさしかない、刃と持ち手が繋がった鉄製であり、それなりに強度があるが、ショウレは痛みは感じていなかった。
その同級生は男子生徒で、学年でも常にトップの成績を維持している。高慢というわけではないが、何かとショウレに突っかかって来るその同級生のことを、彼女は酷く嫌っていた。そういう前提があったものだから、彼女は思わず叫び返したのだった。
「見てなさいよ。あたしだって出来るんだからね!」
啖呵を切ったはいいものの、ショウレ一人で屋台を切り盛りするのは難しかった。そこで、幼馴染の一個下の少年を強引に巻き込んだ。幼馴染は嫌がって拒否をしていたが、ショウレには関係のないことである。
「ったく、あいつには商売魂がないのよ。アキンドの心ってもんが」
飴を作るために熱した鉄板の上に手をかざし、温度を測る。手先の器用さにおいては、父親にも勝る腕を持っているショウレであったが、鉄板の温度を確かめるだとか、作った飴を適度に冷やすだとか、そういうことは不得手である。
よって幼馴染にその役目を頼んだのだが、どういうわけだか三十分ほど前から姿が見えない。
「あのがり勉野郎」
小さく毒づいた刹那、目の前に影が差す。顔を上げると、いかつい大男が、白い歯を剥き出しにして笑っていた。
「ここは何だ?」
「飴細工です。シュガーとハニーの飴でなんでも作ってみせますよ」
「キャンディーか。鉄板なんぞ出してるから、もう少し腹にガツンと貯まるものかと思ったが」
期待外れだと言わんばかりに、その男は肩を竦める。ショウレは思わず眉間に皺を寄せたが、すぐにそれをほどいた。
「うちの飴は惑星一番。ミヤビでしか手に入らない限定物です。恋人やお子さんのお土産にもぴったりですよ」
満面の笑顔でそう返す。
「限定物、か。ミヤビの菓子ならうちの職場でも手に入るが」
「残念ながら、うちの飴は作れる人が惑星で二人しかいないんです。父とあたしの二人だけ」
鋏を鉄板に軽く押し当てると、煙が細く立ち上る。
「例えラボ・フェリノルダだって、あたしの飴の真似なんかできないですよ」
その言葉を聞いて、「ほぉ」と男は興味を示す。先ほどから、右手首につけた電子認証端末の「ICHI」の字が気になっていたショウレだったが、やはり目の前の男は宇宙機構の関係者で間違いなさそうだった。
幼いころから店頭に立たされて、母親の見よう見まねで接客をしていたため、そういったことには非常に聡い。
「そりゃ面白い。俺もあのラボにはよく出入りするが、何でもあるし、何でも出来るといって過言ではないところだぞ」
「絶対無理です。作れるとしたって、難しそうな装置を用意しなきゃダメでしょうね。あたしはこの鋏一本で十分ですけど」
「そこまで言うなら、何か作ってもらおうか」
俄然、燃えてきた。何処かに行ってしまった幼馴染のことは、ショウレの頭の中から消え失せる。直感型で本番に強いタイプの少女にとって、今の状況は実にお誂え向きだった。
「もしあたしの飴がすごいって認めたら、お兄さんが宣伝して回ってくださいよ」
「いいぜ。望むところだ」
白い歯と赤い舌が応じるのを見て、ショウレは使い慣れた鋏を持ち直した。
祭りの屋台と言っても、何も食べ物や娯楽ばかりではなかった。少々狭い場所ではあるが、各惑星の一流企業の新製品の展示ブースも設けられていて、商談スペースまで用意されている。
「すっげぇ」
最新型の通信装置。大気を利用した映像技術。個人用の空気製造機に、遺伝子操作で生み出された新種の植物。
ある意味、食べ物の屋台よりも無秩序に毒々しく並んでいる。
少年はそれを見て目を輝かせ、幼馴染の少女のことをすっかり忘れていた。飴屋の跡取り娘は、勝気すぎるうえに考え方が妙に古臭い。別にそれが悪いわけではないが、少年にとっては物足りない。飴を舐めるぐらいなら、数式を眺めていたい、というのが彼の主義でもある。
「えーっと、ショウファー製薬の展示は……」
情報収集端末、オレゴンの画面に目を落とす。そこには会場の地図が大きく表示されていた。学生の使うノート程度の大きさで、持ち歩くのには不向きであるが、細かな情報を見たい時には便利である。
目当ての展示ブースを画面の中から探し出していると、背後から「おや」と声が聞こえた。振り返った少年は、そこにいた女を見て目を見開く。
「フェ、フェリノルダ所長」
「ん?あぁ、君か」
赤いハイヒールに白いワンピースを着た女は、その手に綿あめを持っていた。
真っ黒な長い髪は、邪魔なのか暑いのかわからないが、背中側で一つに束ねられている。
「君か、って。わかってて話しかけたんじゃないんですか」
「生憎私は、あまり人の顔と名前と血液型と星座以外は覚えない性質でね。したがって君の後ろ姿は記憶になかった」
誰がどう見ても、まだ二十代にしか思えないその女は、この惑星群で最高の頭脳を持つといわれ、そして同時に最大の謎とも言われる科学者だった。
二百年近くも前から存在し、老けもせず、死にもせず、姿を隠すわけでもなければ、公の場に好んで出てくるわけでもない。コートリア惑星群に現在存在する技術の殆どは、彼女の脳から生み出されたもので、それらは人々の生活から決して切り離せないほどに深く根付いている。
科学者を目指すものであれば、誰しもあこがれを抱く存在。それが彼女、アキホ・F・フェリノルダだった。
「えーっと、確か君はサイレスだったか」
「それは祖父です」
「そうか。ということはレイト・バルバランだな」
「どういう覚え方してるんですか?」
「説明しないといけないのか?それよりも、君の見ている地図は去年のものだぞ」
綿あめを揺らすようにして、アキホはオレゴンの画面を指し示す。レイトは画面を見直したが、特に年号や、それとわかるものは記載されていない。なぜわかるのかと聞きなおそうとして、しかしすぐに答えが頭の中に浮かんだので、言葉を飲み込んだ。
アキホの頭の中には、去年の地図も、十年前の地図も、寸分狂いもなく記憶されているに違いなかった。レイトはそう確信して、大きなため息をつく。
「フェリノルダ所長」
「アキホでいい」
「そういうわけにもいかないんですけど」
「では所長と呼びたまえ」
「所長は何をしに此処に?」
「祭りが好きなのさ。あと、光化学を利用した鳩ロボットの軌道プログラムの成果を見に来た」
「あれも所長のですか?」
「いや、あれは私の……」
アキホはふと言葉を止めて、幼さすら残る眉を寄せる。
「思い出した。教え子に会いに来ようとしたんだ。以前に言っただろう。最近、教え子に会いに行っていると」
「ここにもいらっしゃるんですか?」
「誰かしらいるだろうな。生きている教え子は百人ほどはいるから、単純計算で一つの惑星に三人はいることになる」
「……何歳でしたっけ、所長」
「君よりは年上だ。それよりも君に聞きたいことがあるのだが」
微笑みを浮かべて、アキホがレイトの顔を覗き込んだ。肌理の細かい白い肌は、よく見るとミヤビ人のそれと似た黄色がかった白だった。だがそれよりもレイトは、彼女から漂う不思議な匂いに心拍数を上げる。
「心躍る食べ物が売っているところを知らないか」
「心躍る…食べ物?」
「屋台と言えば食べ物ではないか。企業ブースの展示なんて、後からどうとでも手に入れられるが、野外で食べるファーストフードの味は何物にも代えがたい。若い君なら、そういうものも知っているのではないか?」
「え?あ、あー……」
レイトは一瞬気圧されたように黙っていたが、溜息のような感嘆のような、奇妙な声を吐き出した。
「キャ、キャンディとか」
「キャンディかね」
「ショ……友人が屋台を出しているんです。ミヤビだと割と有名な店なんですけど」
「ミヤビの菓子ということかな?」
「えぇ。シュクル・ティレっていう技法を用いて作るそうです」
「飴細工か!それは素晴らしい。是非連れて行ってくれ」
少女のように華やいだ笑みを浮かべたアキホは、レイトの都合などはどうでも良い様子で、道案内をせがむ。どうせ頭に地図は入っているのだから、自分で行けばいいだろうと思いつつも、レイトはオレゴンを上着のポケットにねじ込んだ。
この惑星の命運を握っているといっても過言ではない人間の機嫌を損ねる真似をするほど、幼くも愚かでもない。
「その友人というのは、随分親しいのかね?」
「親しいというか…幼馴染で。向こうが一個上なんですよ」
「学校も同じなのか?」
「えぇ、そうですね。なんか同級生の、学年首席のやつに煽られて、屋台を出すことにしたとかで。手伝いを頼まれて来たんですけど、正直気が進みません」
「どうして」
「趣味が違うんです。彼女は伝統工芸が好きで、最新の技術とかにはあまり興味がないみたいで。僕はあぁいう前時代的なものは好きじゃないし」
「まぁそういうこともあるだろうね」
アキホの口から出たのは、同調でもなければ否定でもない。レイトは少し意外に思いながらも言葉を続ける。
「所長はやっぱり新しい技術の方が好きですか?」
「そんなことはない。こういう職業をしていると誤解されやすいのだが、私個人としては、飴細工や刺繍などは昔から好きだ。あの繊細な作業は、どうも性分に向いていないので、自分ではやらないがね」
「所長が刺繍をする姿は、確かに想像出来ないですね」
「アゲハのほうが得意だったな、そういうのは」
「アゲハ?」
「娘だ」
あっさりと告げられたその言葉に、レイトは言葉を失って立ち止まる。数歩先に行った女科学者は不思議そうに振り返った。
「どうした」
「娘って……あの、お子さんですよね?娘核種とかそういう意味じゃないですよね」
「核種が刺繍をするものか。私だって結婚して子供も産んでいる」
「産んだんですか!」
「だから、なぜ驚く。確かに私のような非家庭的な女が結婚しているのは意外かもしれないが」
「いや、そういう意味じゃないです」
例えるなら、リンゴを食べたら蜜柑の味がしたような。家具が急にしゃべりだしたような。上手く言い表すことが出来ないが、そんな衝撃がレイトを貫いていた。
「というか旦那さんもいるんですね」
「あぁ。私に求婚をしてくるような変わった男だが、その分とても心は広いぞ。私の望むことはなんでもしてくれるし、逆も然りだ」
「旦那さんは何処に?ラボにいるんですか?」
「いや」
短い否定により、会話が途切れた。アキホは質問を拒否しているわけでも、はぐらかしているわけでもない。ただ、その超人的な頭脳と感覚の前では、一般人が求める答えが容易に手に入らないだけだった。
レイトは困り果てて、全く別の話題を振る。
「クローン理論のシラユリ女史は、所長の教え子さんですか」
「あぁ、そうだ。君の担任と同期だな」
「この前、知りました。元々面識はあったんですけど、僕にとってはミヤビ菓子の店主だったから、驚きました」
「彼女はとても柔軟な発想の持ち主だ。少々頭が固いのが珠に瑕だな」
「………あの、矛盾してます」
「していない。彼女は直感的には柔軟な発想が出来るのだが、自分でその発想を鑑みた時に、保守的になってしまうのだ。だからクローン理論もあの段階で止まってしまった。もっと自分の発想に自信を持てば、惑星一つぐらい作れたかもしれない。おや?」
アキホが、ハイヒールの踵をあげて背伸びをする。堂々とした雰囲気で騙されがちだが、アキホはハイヒールを履いてなお小さい。その黒曜石のような瞳は、少し先の人だかりを見つめていた。
鋏が踊り、飴を差した鉄串が鉄板を踊る。自由自在に形を変え、大気に触れると固まる飴は、少女の手によって巨大な鳥へと変貌しようとしていた。
鉄板の上に砂糖と水を混ぜいれて、鉄串で巻き取りながら鋏で形を整えていく。豪快なように見えて繊細さを要求されるその技法は、ショウレの得意とするものだった。
まだ若い少女が腕まくりをして、見たこともないものを作り出す様を、大柄な男は最初こそ小馬鹿にした様子で見ていたが、次第に子供じみた興奮でもってそれを見守っていた。そんな対比的な構図と飴の匂いで、周りの客も吸い寄せられるように屋台に集まる。
ショウレは鋏を右手で回転させて、鳥の尾羽を跳ねさせると、自慢げにそれを鉄板の周りに用意した飴置きに乗せる。
「はい、出来上がり!」
「こりゃすごい。大したもんだな」
「あ、今凄いって言った。あたしの飴の凄さがわかりましたか?」
「いやぁ、ここまでとは思わなかった。なぁなぁ、もっと複雑なものも出来るのか?」
「デフォルメの差異はあるけど、大体なんでもオッケーです」
「じゃあ綺麗な花を一つこしらえてくれよ。そしたら、それを持って会場を練り歩くさ」
「いいですよ」
ショウレはそこで人だかりに気付くと、ここぞとばかりに声を張り上げる。
「ミヤビから参りましたミーズラン商店です。甘い飴細工をいかがですかー。今から実演しますので、見ていってくださーい」
家族連れは、子供にせがまれて。恋人はどちらかの興味に流される形で次々と人がやってくる。根っからの商売人であり、職人の娘であるショウレは気分よく飴を用意し始めた。
「おい」
「あれ、どこ言ってたの、レーちゃん」
「なんだよこれ」
「あたしの商売魂に引き寄せられたの。それよりあんたこそ何してたのよ」
話しながらも砂糖と水で飴を作り始めるショウレは、視線を客から離さない。
「僕は、その、知り合いに会ったんだ」
「知り合い?」
「フェリノルダ所長だよ。この前、学校に来ていたって言っただろ」
「ふーん」
生返事のような、心底興味のなさそうな受け答えに、レイトは溜息をついた。
普段は飴職人であることを嫌がるようなそぶりを見せるショウレだが、スイッチが入ってしまうと飴以外のことはどうでもよくなる。本人が申し立てるところによれば、非常に繊細な作業を要する飴細工の世界で、雑念が不要とのことだが、レイトから見れば集中力が異常なだけにも見れる。
以前、学校でアキホと会ったときは、翌日話した時に食いつかんばかりの反応を見せたのに、今はこの状態。どちらが彼女の実際の反応なのかと考えれば、それはおそらく現在なのだろう。
「そんなことより、火加減見ててよ。あたしが指示するから、調整よろしく」
「えー……」
「えー、じゃない!とっととやれ、がり勉野郎」
「所長連れてきたのになぁ……」
「あ、そう。あ、八番の着色料を用意して。それから二番も。筆は十四号と二号」
せわしなく手を動かすショウレの傍らにかがみこんだレイトは、その甘い匂いに首をかしげる。ショウレから漂ってくるのは、間違いもなく飴の匂いであるが、先ほどアキホから漂ってきたのはもっと甘ったるい匂いだった。
どこかで何か食べてきた後なのか、それともそういうたぐいの香水なのか。そんなことを考えていたら、ショウレの叱責が飛んできて、レイトは慌てて火の調節ねじを回した。
アキホは、屋台の人だかりを見るなり慌てて去って行った案内役のことを少し気にしていたが、不意に話しかけられて首だけ右に振り返る。
「お久しぶりです、先生」
「あぁ、久しぶりだな。元気だったかね」
「おかげさまで」
まだ三十代ほどの長身の男がそこに立っていた。上下そろえたスーツ姿で、ネクタイには宝石をあしらったタイピンが輝いていた。艶めく黒髪を短く刈って、彫の深い顔立ちをスミレ色の目が和らげている。
「どうですか、今年は」
「まぁまぁだな。この飴の屋台もそれなりに面白い」
「……私が企業ブースの担当者だと知っていて、仰ってますよね」
「だからなんだ」
男は肩を竦めて首を左右に振った。祭りの規模の広さから、主催者は複数人が連名で受け持っている。この男はそのうち、企業ブースを束ねる立場にいる、ある政治家の卵だった。
先生、とアキホのことを呼ぶものの、ゼミの卒業生ではなく、あくまで宇宙機構大学の卒業生だった。
「考えていただけましたか、例の件」
「何度も言うが、私のラボは政府の支配下にはない。あくまで私のものだ」
「しかし、この惑星で生きていく以上、そうも言っていられますまい」
「言っていられるのさ。君たちみたいな若い政治家や宗教家が、最初に目をつけるのは私のラボだ。そして君たちは総じて、私が政府よりは偉くないと思っている」
「貴女の肩書は、政府直属の研究所の……」
「それは政府に貸しを作っただけだ。どうしてもその頃、欲しいものがあったのでね」
その台詞に政治家は興味を示したように、太い眉を上下させる。
「と、いいますと?」
「娘への誕生日プレゼントで惑星を作ってやったのさ。でも土が少し足りなかったのでね。それが欲しくて肩書きを「貰ってやった」」
冗談かのように滑らかに、それでいて口元以外は一切の笑みも見せずにアキホは言った。
「丁度あの飴のように、土を溶かして金属と混ぜ合わせ、繊細に練り上げて、最高の惑星を作ってやった。今もここから見えるぞ」
「………貴女を動かすには、惑星一つ必要だと?」
「君は俗物だな。君たちが私の貢物を考えても仕方ない。私は私が欲しいものを得るためにしか動かない」
「しかし」
「悪いことは言わない。これ以上私の横に立たないほうがいい」
アキホは視線を外しながら呟いた。口元に優し気な、それでいて素っ気ない笑みを浮かべる。
「君のおかげで、すっかり楽しい気分が台無しだ。来年もここの主催者になりたいなら、即刻去れ」
その視線の先には、ワンピースの少女がいる。鋏を持ったその少女は、アキホにわずかに意識を向けているようだった。だがそれは、アキホの肩書が気になっているのではなく、己の領域で詰らぬ諍いを起こそうとしている二人への警戒だった。
「大した娘だ」とアキホは独り言を零す。集中力が相当に高く、そして五感が優れているのだろう。周りの空気を察知し、わずかな歪みを感知している。彼女の集中力の邪魔をしてはいけない、とアキホは理解していた。
アキホは有能な人間については、その能力の如何に問わず敬意を払う性格だった。この場で一番権力を持つのは、自分でも俗物な主催者でもなく、ワンピースの少女に他ならない。主催者がいなくなると、少女が満足したように視線を鉄板に戻したのが見えた。
ショウレの渾身の一作は、大きく翼を広げて長い首を天に向けた赤い鳥だった。飴で出来ているとは思えぬ精巧さと、ガラスには出せぬ柔らかな輝き。羽の細やかな模様は、ショウレが鋏だけで刻んだものであり、その細工をしている時の見物客は物音ひとつ立てようとしなかった。
美しい飴細工に魅せられて、見物客の何人もが己の好む造形をこぞって注文した。
「レーちゃん、五号筆!火力絞って!その間に紅色を追加!」
「ちょ、ちょっと待って……」
「待たない!四号筆じゃなくて五号!」
「え、え?」
怒涛としか言いようのないほどの注文の渦と、ショウレの叱責に巻き込まれて、レイトは泣きそうになりながら筆を探す。
こんなことなら家に引きこもっていればよかったと後悔する暇すら与えられず、やっと嘆く猶予が貰えたのは三時間も経ってからだった。
「満員御礼売り切れー!まぁパフォーマンスで使った飴もあるから正確には言えないけど、少なくとも八十本は売れたよね」
ショウレがはしゃぐ傍らで、レイトは染粉まみれになっている手を見て溜息をつく。
「本当にショウレってさぁ、俺の事飴職人の下っ端と思ってるよね」
「そんなわけないじゃない。レーちゃんみたいな不器用な下っ端要らないし」
「うぅ……」
とにかく手を洗おうと、レイトが立ち上がると、屋台の前にいつの間にか立っていたアキホと目が合った。
「所長」
「素晴らしいものが見れたよ。感謝する」
「そ、それはどうも」
「惜しむらくは技を見るのに夢中になって、頼み忘れたことだな」
「え、見てただけですか?」
アキホは小さくうなずいて、それから残念そうな顔をした。鉄板の片づけをしていたショウレがそれに気づいて声をかける。
「うちの店に来てくれればいつでも作りますよ」
「ん……まぁ、あまりそういう約束は出来ない身の上でね」
「そうですか。………あ、じゃあこれどうぞ」
ショウレは店の看板代わりになっていた鳥の飴細工を差し出した。
「いいのかね?」
「余り物ですけど」
「いや、構わない。綺麗な鳥だと感心していたんだ。これは鳳凰か?朱雀か?それともフェニックス?」
冗談交じりにアキホが尋ねると、ショウレはなんでもない様子で応じた。
「鳳凰のオスです」
「どのあたりが?」
「さぁ。適当に言いました」
涼しい顔で微笑む少女に、アキホは愉快そうに声を立てる。レイトはその笑い方をどこかで見たような気がして首を傾げたが、すぐに思い出した。自分が、惑星ゼロを見つけたい理由を言った時も、アキホはあんな風に笑った。
「君はいい職人だ。名前は?」
「ショウレ・ミーズランです」
「ミーズラン?」
鳳凰の飴細工を持ったまま、アキホが鸚鵡返しに尋ねる。
「はい。ミーズラン商店という飴細工の店をやっています」
「……あぁ、君の祖父は知っているよ。非常に器用な男だった」
「祖父は飴職人じゃないですけど」
「そう、飴職人だったのは君の祖母だ。君の祖父は宇宙船の塗装をしていた。黒い塗料で、それはそれは綺麗な塗装をしたものだ」
「へ?」
ショウレが怪訝そうに聞き返したが、アキホは飴細工を大事そうに抱えて踵を返すところだった。
「大事にするよ。ありがとう」
「……あ、はい。こちらこそ」
アキホの小柄な後ろ姿はすぐに人ごみに紛れて消えてしまった。レイトはようやく探し当てた濡れたタオルで手を拭いつつ、ショウレに声をかける。
「どうしたんだよ。ボケーっとして。所長が若いのに驚いた?」
「そんなんじゃない。おじいちゃんが宇宙船関係の仕事してたなんて初めて知ったの」
「まぁショウレは飴にしか興味がないし」
「そうじゃなくて、教えてくれなかったの」
ショウレは眉間に皺を寄せて口を尖らせる。
「レーちゃんって頭いいのに察しが悪いんだよね。おじいちゃんが宇宙船の造船?まぁ正式名称はわからないけど、それやってるとしたら、変なんだよ」
「何が」
「宇宙船の用途って、今はICHIの調査船しかないでしょ?あれは白の塗装だって幼稚舎の子でも知ってる。黒い宇宙船なんてあたし知らない」
「黒ねぇ。黒い宇宙船なんて周りから認識出来ないから意味ないと思うんだけど」
「考えられるとしたら、周りから見えにくいようにする宇宙船。つまり秘密の宇宙船ってこと」
「秘密………でも外殻の外に出ちゃえば誰も見えないだろ?」
「そう、だから外殻の中で使う宇宙船ってことだと思うよ。そうだなぁ、ゼロに行くためとか」
「……」
レイトは目を丸くしてショウレを見た。だがショウレはそれで考えることを放棄したのか、引き続き鉄板の片づけにかかる。
「ね、ねぇショウレ」
「無駄だよー。おじいちゃんの記録は残ってないもの。何してたか、おばあちゃんも知らないの。エスペロードにはそういう人が何人かいるんだってさ」
「でもショウレの仮説が本当なら、ゼロが存在する可能性があるってことだよね」
途端に目を輝かせる幼馴染に、少女はあからさまに呆れて見せる。
「また出たよ、レーちゃんの惑星ゼロ熱。そういうのは頭のいいの同士で心行くまで話してちょーだい」
「いや、ショウレ。これはすごいことなんだよ。まずね、このコートリア惑星群の浮遊力学において……」
極秘裏の宇宙船とか、あるかないかもわからない惑星のことなど、ショウレには心底どうでもよかった。飴が売れた。喜んでもらえた。それで十分満たされていた。
「はいはい、いいから手を動かしましょうね~」
「聞いてるのかよ。本当に宇宙に興味のない奴はこれだから……」
「私、飴職人だし。飴にしか興味ないってあんたが言ったんじゃない」
「そりゃそうだけど、手伝ってあげたんだから少しぐらい話に付き合ってもいいじゃん」
「んー」
ショウレは相手の正論に、しかし悪戯っぽい笑みで返した。
「じゃあ明日も手伝ってね」
「うそぉ……明日もやるのかよ」
「今日の盛況ぶりから考えて明日も出店しなきゃ損だもーん。今日は早く家に帰って売り上げ計算して、飴の準備しないといけないから、レーちゃんの話は聞けないの。その代り明日聞いてあげるから。ね?」
「いつもそうだよ。いっつも聞いてくれないんだから」
周りの出店も片づけを始める中で、レイトの愚痴は細々と続いた。
「先生がこんな短期間に二度も連絡するなんて珍しいですね。それも同時通信」
「忙しいのは知っている。だが私には明確な時間間隔がない」
「この惑星群で一番忙しいのは先生ですよ。ねぇ、バトラー?」
カレン・シラユリの言葉に、バトラー・ランセンは曖昧な肯定を返した。多数同時通信など、この文明においては珍しいどころか古びた技術の一つである。だがアキホがそれを使うのは、カレンとバトラーの記憶では初めてだった。
「まぁ本当なら、ティディやサレゴールにも連絡を取りたいところだったのだが、どうしても通信が繋がらなくてね」
「リング君はとにかく、サレゴールは面倒くさがっているだけだと思いますが」
バトラーはそう言ったが、アキホは構いもせずに言葉を続ける。
「君の教え子のレイト・バルバランに会った。そしてショウレ・ミーズランにもだ」
「ミーズラン?あぁ、去年受け持ちでしたよ」
「あぁ、ショウレちゃんなら知ってますよ。飴職人の。レイト君もたまに見ますし」
「うん。彼女自身はただの飴職人だが、その祖父にあたるものが、かつての宇宙船開発に携わっていてね。面白い偶然もあるものだ」
アキホの含み笑いに、カレンはきょとんとしていたが、バトラーはすかさず聞き返す。
「まさかゼミへの勧誘なんてしてないでしょうね?」
「お前は私をなんだと思っているんだ。彼女は宇宙工学とは別次元に生きている。勧誘したところで私が振られるのがオチだろうよ。そうではなく、私が言いたいのは」
「教え子訪問の思わぬ副産物というところでしょうか?」
答えを先回りしたのはカレンだった。
「君は相変わらず良い頭脳を持っている。その通りだ。この年になって初めて知ったのだが、人付き合いの多様化は時として素晴らしい副産物を生み出すらしい。エスペロードにいた宇宙船開発員達は四方に散ってしまったが、ちゃんとその子孫は残っているわけだ。それはつまり、宇宙船を再び作る上の技術を遺伝性レベルで所有している者が残っている可能性を意味する」
「お言葉ですが、先生。遺伝とは博打と同じです。親と同じ、あるいはそれ以上の能力を持った子供が生まれることもあれば、全くその能力を持たない子供もいます」
「少なくともショウレは持っている。そしてそのような子孫がまだ何人か残っているというわけだ」
「先生、まさかまた宇宙船を作ろうと思っているわけじゃないでしょうね?」
「私はそんなこと考えていない。レイト・バルバランがそれを考えた時に、真っ先にその候補にあがるのが彼女であろうという仮説を思いついただけだ」
先生、と二人の教え子は同時に声を出した。
「レイト君に随分期待してるみたいですけど」
「あいつは好奇心が強すぎますよ」
「私もそう思うが、さっきも言っただろう。人と人との繋がりは、時によって大いなる副産物を生む。彼の価値はその好奇心と、ミーズランの遺伝子だ」
「バルバランとミーズランは恋人同士じゃありませんよ」
呆れたように言ったバトラーに、アキホは「まだ何も言っていない」と返す。
「でも遺伝子に価値があるというのは、即ちそういうことでしょう」
「お前は昔から夢がないな。ティディでも見習え」
「先生、アテが外れたからって八つ当たりしないで下さい」
「仕方ないだろう。私は恋愛沙汰は疎いんだ」
アキホの声はいつもと変わらない。だが少々残念そうな淀みを含んでいるように二人には感じられた。
END
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