#07:夢想家の現実
コートリア惑星群には野生動物が存在しない。そもそも野生という言葉自体が、既に使われなくなっている。水源も温度も湿度も天候すら管理された人口惑星において、自然を求めることは無いものねだりに違いなかった。
惑星群に存在する動物は、人間が生きていくうえで必要な種別を必要な分だけ。したがって肉牛と乳牛はいても、野牛や水牛はいない。それらは旧星に取り残されて、今はどうなっているかもわからない。
すべての住人が閲覧可能なデータベースには、それらの旧星動物の資料はあるものの、淘汰されてしまった動物に関心を向ける者はほとんどいなかった。
だからこそ、最近話題のサイトー研究室の「イルカ」という旧星動物は色々な人間の関心を集める一方で、「あんなものを作ってどうするんだ」という実に合理的な意見もあった。
「どう思う?」
「別に愛玩動物だと思えば大した問題もないのではないですか」
かつての恩師の問いに、男は気のない返事を返した。
第二惑星「セントラルカ」の中枢、警察本部の一室。二人で借りるにはいささか広すぎるその部屋は、機密性の高い会議をするためのものだった。特に機密性のある話をするために借りたわけではないのだが、会議の申し入れをしたら、この部屋になってしまった。おそらくそれは、恩師の肩書のせいだろうと男は考えている。
「イルカはね、旧星時代の海において重要な役割を占めていたのだよ」
「生態系の一環でしょう。今は必要ありません」
「君は合理的だな」
揶揄するようなその言葉に、男は眉を寄せる。既に四十に近いが、童顔なせいでそれと悟られぬのが男のコンプレックスでもあったが、その表情だけは年相応となる。
「合理的でないと、この仕事は務まりません」
「別に悪いとは言っていないさ。警察の情報機関なんて合理的でなければ困る」
「でも先生には感謝していますよ。在学中は色々鍛えられましたから」
「別に鍛えたつもりはない。君は優秀な学生というわけではないが、有望な学生だったからな」
恩師は皮肉るでもなく、そんなことを言った。
「だがさすがに、私の研究室を出て警察官になる変わり種になるとは思わなかった」
「今までいませんでしたか」
「軍に行くものは多かったがね。大抵は教職に就くか研究所に所属するかだ。その意味でティディ、君は大変有望だ」
「僕は研究所に行くほど頭は良くありませんでした。先生のゼミに入ったのも奇跡的なレベルでしたし。第一周りがあの面子だと自信を無くしますよ」
「悲観するようなレベルの差ではなかったと思うがね。少なくとも君の想像力は、彼らの中では一番だった」
テッド・リングは肩を竦めて恩師の言葉を聞き流す。想像力など何の役にも立たない。戯曲家や作家になるのではないのだから、無駄なものは省くに限る。
「ところで先生、今日は何を?」
「何をと言われると困る。君は既に私が他の同期に会いに行ったのを知っているはずだ」
「それは知っています。情報機関にいると、一定以上の地位のある人間の行動は手に取るようにわかりますから」
「では得意の想像力でどうにか考えてみたまえ」
「まさか今更、ラボの勧誘に来たわけでもないでしょう。ラボには優秀な助手がいらっしゃるようですし」
「ラボの勧誘ではない」
「では世間話ですか」
「毎日研究ばかりしていると、さすがの私もうんざりしてくる。それに年を取ると昔のことがやたらと輝いて見えるものさ」
テッドは「はぁ」とまた気の抜けた返答をした。正直、いつまでも話している時間はない。情報機関では時間が何よりも大事だった。一分一秒でも早く正確な情報を得なければ意味がない。
だがそんなことは、目の前の恩師に関係ないことも、テッドは理解していた。理解したら動け、というのが恩師の教えでもある。錆びついた想像力を動かし、ここ数日の情報を頭の隅から引出して、並び替える。
答えが出るのに要したのは数秒程度だったが、軽い疲労感を覚えながら男は口を開いた。
「………外殻(ガイカク)解放軍のことでしょうか」
「あぁ、やはり君のところに情報が来ているんだね」
「いえ、ここ数日動きが活性化しているようですからね」
コートリア惑星群において、人々の暮らしは充実しているが故に犯罪発生率も少ない。だが犯罪者が一人もいないという意味ではなく、一定量の危険思想を持つ者は存在する。
「外殻解放軍」はそのうち一つの、宗教じみた色を持ったテロリスト集団であり、五年ほど前から警察のデータベースに登録されていた。
コートリア惑星群は惑星同士が連なって存在するが、宇宙空間から惑星群を見ると、一つの大きな惑星に見えるという。それは惑星群を覆い尽くす「外殻」と呼ばれる巨大な包囲物のためである。これは宇宙空間に漂うエイリアンや有害物質から住人を守る役割をする他、天候や気圧、気温の調整を担っている。
外殻解放軍は、その外殻が自分たちを惑星に閉じ込めていると主張し、それを打ち破ることで新たな世界に旅立とうという思想を抱いていた。
「別に思考は個人の自由なのでね、何を考えても構わないのだが」
「まぁそうですね」
「しかし外殻が壊されると、私としても困る」
「僕も困ります」
「かといって私は政治家でも警察でもないから、まぁ誰かどうにかしてくれないかなと思っているんだ」
「先生ほどのお力があれば、どうとでも出来るのでは?」
「村娘が戦天使となり、エンジニアが弓を射り、幼子が戦闘機を操るなんてのはファンタジーの世界に任せておけばいいんだよ。私は科学者だ。それ以上でもそれ以下でもない」
「言わんとすることは理解できます」
「外殻を作るのは結構大変なのでね。最近は職人もいなくなっているし」
「あれは伝統工芸なのですか?」
思わず笑いながら尋ねたテッドだったが、相手は笑いもせずにうなずいただけだった。
テッドが無重力エレベータを使用して自分のオフィスに戻ると、部下の若い男がデータベース操作端末の前で何やら悩んでいた。
「どうかしたか?」
「あ、リング警部。外殻解放軍のことで、ちょっと」
テッドは先ほどの会議でその話題があったことを思い出し、困惑しつつも相手に話を促す。
「軍事施設から光学迷彩システムの基礎と、レーザー砲のエネルギー出力装置が盗まれた件ですが、彼らの犯行と見て間違いないと思います。出力装置の件は物理的な犯行なので担当部署にお願いしていますが、基礎は……その、ネットワーク上のハッキングによるものなので」
「なるほど。経路を探れと言われたんだな」
「その通りです」
「では外殻解放軍が今まで行ったハッキング記録から経路の分析をしよう。僕がベータ回線を使用する。君はアルファ回線を使用して、ハッキング経路の傾向をまとめてくれ」
「はい!」
部下が勢い込んで端末を準備する間、テッドは警察のデータベースから外殻解放軍の情報を引き出していた。
活動開始時期は約五年前。活動における声明は、明示的な表現は控えているものの外殻の破壊であることは言うまでもない。比喩的表現の多様により隠れているが、外殻を作った政府の方針に反感を抱いていることや、その行為を人権の侵害と考えていることは明らかだった。彼らが作成した文書などもデータベースに保管されていて、どこかからか切り出したらしい旧星の資料まで揃えてある。
「宇宙に惹かれるのなら、ICHIの実戦部隊にでも入ればいいものを」
そう呟くと、部下が小さく笑う。
「狭き門ですね」
「だがよっぽど効率的だ。大体外殻の星や月の何が気に入らないというのだろう」
「あれが作り物だとか本物だとか気にしない人のほうが大半を占めますよ。俺もそうですけど」
「くだらないな。旧星に対して夢を抱くぐらいなら、旧星がなぜ滅んだのか考えてみるべきだ。エイリアンにより太陽が遮断されて、不毛の土地となってしまったために、我々の祖先はこの惑星群に逃げ込んだ。それを踏まえれば外殻を破壊したところで、見えるのはエイリアンだけだとわかりそうなものなのに」
「それを政府やラボの捏造だって言ってるようですよ。…接続完了しました」
「陰謀説の域を出ないな」
入力コンソールと操作パネルを使用し、過去数か月のハッキング、アクセス履歴の洗い出しを開始する。部下が次々と転送するデータを、カテゴリ別に分類し、それらの傾向を別のシステムで統計として弾き出す。ここに入った時には随分悩んだ操作だが、最近は殆ど脳を働かせることもなく、テッドの手は動くようになっていた。
「これで最後です」
「あぁ。………よし、データを全て食わせた」
解析ツールにより、ハッキング経路が割り出され、数値化してパネルに映し出された。作業を終えた部下が、自分の席を立ってテッドの横に回り込む。
「第八惑星中枢部のデータベースサーバを経由してますね」
「あぁ。接続に使った回線は第一惑星のようだが、実際は第四惑星からのアクセスだ」
「彼らの活動支部と思われる建物の中に、第四惑星に存在するのは二か所のみです」
「ではこの結果を簡単でいいからまとめて、第四惑星の対策課に送っておいてくれ」
部下は一瞬、面倒そうな顔をしたものの、「はい」と返事をした。
数値化された画面と、経験と、それだけで導き出された結論を文書化するのは非常に肩が凝る作業である。テッドも新入りの頃は、その作業が嫌いだった。
現場の人間は、とにかく誰にでも一目でわかるものを好むし、ネットワークの知識には疎い。資料を持って行ったときに老練の刑事に「それでこの操作を行ったのは男か女か」と真顔で聞かれたのは、テッドにとっては良い思い出だった。
「リングさんは宇宙工学科の出身ですよね」
資料をまとめるのに苦戦しながら、部下がふと零す。
「あぁ、一応」
「旧星の研究とかは専門外なんですか?」
「難しい質問だな。コートリア惑星で宇宙観測はICHIの活動に依存するしかないが、宇宙に関する研究資料の大半は旧星時代のものだからね」
「なるほど。俺は法学科ですから、全然そっちの方面には疎くて」
「まぁ、そんなもんだろう。研究者になるならとにかく、警察官になるなら宇宙工学なんか何の役にも立たないし」
自虐気味に言いつつ、テッドはデスクの上に長いこと放置していたマグカップを手に取る。会議の前に淹れたコーヒーは、ほこりの浮かんだ姿を晒していた。アイスコーヒーとして淹れたならとにかく、冷めたホットコーヒーを飲む趣味はない。テッドは椅子から立ち上がって、給湯室へ向かった。
熱いブラックコーヒーにミルクと砂糖をふんだんに混ぜて、その香りを楽しむ。
椅子に深く腰掛けて、そのコーヒーを飲もうとした時に、無重力エレベータの到着ランプが激しく明滅した。テッドがそれに目をやると、エレベータが入り口に止まり、そして扉が開く。
「失礼いたします」
「どうぞ」
「リング警部、先ほど連絡をしたのですが、通じなかったので直接参りました」
「連絡?」
テッドは不思議そうに首をかしげた。左手首にはめた電子通信機に目を落とすが、何も反応はない。
「あぁ、さっきまで会議室にいたからかな。どうかしましたか」
「外殻解放軍が第五惑星でレーザー砲の準備をしていると通報が。受け取った資料では第四惑星からのアクセスだったと思いますが」
「………第五惑星?」
ベリル、宇宙機構大学のある惑星のことを、テッドは思い起こす。
「ベリルのどこに」
「大学敷地内ですよ。彼らの本拠地はどうもそこだったようです」
「そうですか。でも僕に言われてもねぇ。惑星間の移動は簡単至極なわけだし」
気のない様子のテッドに、相手は少し鼻白む。
「第四惑星の彼らの支部から、警察のデータベースへのアクセスの痕跡は見受けられませんでした」
「でしょうね」
「でしょうね、とは?」
「いや、まぁさっきね。理解したんですよ」
コーヒーを口に含んで飲み込む。砂糖の甘さがのどを焼くような感覚があった。
「とにかく、僕も現場に行きますよ。レーザー砲を大学の敷地内で使うとしたら、大学のスーパーコンピュータを利用しないと、演算能力が足らないはずだ。彼らもすぐには使用できないでしょう」
言いたいことを先回りされた相手が、鼻頭にしわを作るのは見て見ぬふりをして、テッドは自分の履いている靴の紐をしっかりと締めなおした。現場の警官ではないので、武装の類は必要ない。自分専用の端末を持っていこうかと一瞬考えたが、無駄だと判断する。大学のデータベースにアクセスするなら、宇宙工学科の端末を使ったほうが早い。
「行きましょう」
テッドはエレベータの扉を開き、相手を促しつつ中に入る。誰もいなくなる部屋に取り残されたコーヒーの、白い湯気を眺めながら、最近コーヒーをまともに味わっていないことを思い出してため息をついた。
宇宙機構大学の敷地内は騒然としていた。警察関係者のみならず、大学や軍の人間までもが駆り出され、それぞれが対策について話し合っている。
いつもは学生たちが午後のひと時を楽しむのであろう、芝生の広場。そこは無遠慮に踏み荒らされ、誰が落としたのかわからないペンやらノートやらが交じり合っている。
広場から大通を挟んで向かいにある、フェンスで囲まれた空地は、かつては運動場だった。少なくともテッドはそう記憶していた。どうして空地になったのかはわからないが、おそらく研究室の移転や工事に巻き込まれて封鎖されてしまったのだろう。
その空地の中央に、天を貫かんばかりの巨大な銀色の機械が設置されていた。細い円柱をいくつも束ねながら、全体が円錐になるように組まれた機械は、軍でエイリアン対策に開発されたレーザー砲のレプリカだった。それが大きな唸り声をあげて、発射の準備を進めている。
装置の周りには武装した男女が並んで、邪魔する者を容赦なく撃たんとする気迫を見せている。レーザー砲の側面に、塗料で書かれた「外殻解放軍」の文字は、乾ききる前に動かしたのか、ところどころ擦れていた。
「リング警部が到着しました」
一緒にきた刑事が、上司である女に報告する声に我に返る。自分とさほど年が変わらない、現場主義の女刑事は、赤いスーツを着ている。鋭い眼光でテッドを見たが、その口からこぼれる声音は優しい。
「ご苦労様です。状況はお聞きになりましたか」
「えぇ。随分大胆な行動に出ましたね」
「そちらの報告書では、この惑星はノーマークだったので」
「まぁ、そうですね。正直考えてもみませんでした」
「工学科には話をつけています。すぐに対処にあたってください」
心なしか周りの警察官たちの視線が痛いのを感じて、テッドは首を竦めた。遅れて来たのが、サボっているように見えたのだろう。こちらにも事情はあるのだ、とテッドは口にはせずに心中でつぶやく。
「すぐに取り掛かります」
思ったことを言わずにいるのも、世渡りには必要なことだった。黙ってため込んで、それをどこで吐き出すかで人間の性格というものはある程度決まり、そして変質していくのかもしれない。
ふと、テッドは今日会ったばかりの恩師のことを思い浮かべた。思ったことをなんでも口にして、考えたことをなんでも実現してしまうあの人でも、ストレスはあるのだろうか。あるとしても、それはきっと、自分には関係もない途方もないことに違いない。
コーヒーを満足に飲めなかったためか、四方に散らばりがちな思考を、テッドはとどめることもせずに脳内に垂れ流す。流れ出した思考と記憶の中には、今日の恩師の言葉も交じっていた。
「外殻を開けろという声が上がりだしたのは、ここ半世紀ほどのことだ。それ以前はそんなことをいう奴はいなかったね」
「そうなんですか?」
「コートリア惑星群の歴史は二百年。そして外殻が出来上がったのは百八十年ほど前。つまり二十年の間は外殻がなかったのさ、この世界は」
「だから、外殻反対派がいなかったと?」
「その通り。少なくともその孫世代までは外殻の外がどうなっているか、口頭で聞かされていたのだろう。最近じゃ、自分の祖先が旧星のどこにいたか、知らない者が多い。テディ、君は知っているかね」
「いや、知りません。多分西欧のほうだとは聞いていますけど」
「まぁ学校でも旧星の地理なんて、学ばないからね。それは政府の意向だから、私が口を出す分野ではない。誰も旧星からコートリア惑星群への移住の歴史を語らなかった結果、今の人々は旧星へ夢想を抱くようになってしまった」
「夢想、ですか。確かにそうかもしれませんね」
「別に夢想が悪いことでもないが、現実を踏まえてこそ夢想は輝くものだ。外殻解放軍は子供じみた興味を、適当な知識で塗り固めているだけだな」
「僕は先生の言うところの夢想家のようですが、さすがに現実はわきまえますよ」
「君は夢想家ではない。だが君は夢想家を知っている」
「どういう意味でしょうか」
「それはお得意の想像力で考えたまえ」
大学のデータベースには、既に侵入の痕跡があった。
だが、元々宇宙機構大学のデータベースは、それを日常的に管理する人間にすら複雑に感じるほどの構成をしている。侵入した何者かも、それに惑わされて、見当違いのデータに何度かアクセスしているようだった。
テッドは情報操作室に並んだ端末のうち一つに腰を下ろすと、近くにいた職員に声をかける。
「バックアップサーバのリンクは」
「オフになっております。物理的なコネクトもオフ」
緑がかった黒髪の女は、若い見た目には少々不釣り合いなしゃがれ声で応じる。
「したがって、そちらに対する二次的サイバーハッキングは気にしなくてよいかと」
「施設内の稼働中のシステムにおいて、このデータベースに依存しているものは?」
「無重力エレベータは使用禁止。ゲートは手動に切り替えています。研究室でいくつか実験を行っていますが、緊急事態における、データベースに依存しない対策は各研究室の責任となっています」
「あぁ、つまりこれで何か起きても対策不足である研究室の責任というわけだね」
「はい」
「じゃあ遠慮なく、荒っぽい手段を取らせてもらいますよ」
不正なアクセス履歴を割出し、それを片っ端から凍結させていく。それだけでなく、似たような検索対象となりうるものも一様に。
相手が何を欲しがっているのかはわかっていた。外殻の強度と高度を詳細に、工学的に記載した資料。それがなければレーザー砲を無駄撃ちすることになりかねない。直前までその情報を得ようとしなかったのは、自分たちがその情報を欲していることを、警察や大学に勘付かれないにするためだろうと、テッドは考えた。
だが相手にとって誤算だったのは、大学のデータベースの想像以上の煩雑さと、類似研究がいくつもあること。そしていささか慎重になりすぎたということだ。
「まぁ仕方ないこと、か。職業柄そうなるだろうよ」
かつて太陽は雲と風によって隠れ、人間の都合など考えもせずに地面を焼き、地平線から出で、地平線に沈むまでの時間を季節によって変えていたという。
コートリア惑星群の住民が知っている仮初の太陽とは違う、ひときわ輝く宇宙の中心。旧星が滅んで、エイリアンの被害からかろうじて生き延びた祖先達が、この惑星に住むようになった今も、太陽は輝き続けている。それは永遠不滅の象徴であり、それを遮る外殻は、永遠を否定するものだった。
外殻解放軍の男は、その無粋な外殻を打ち砕くレーザ砲の下で、端末を操作しながら毒づいた。
「データがごちゃごちゃと入っていて、どれが最新の外殻の情報なのかわからん」
「急げ。時間がかかればかかるほど、警察や軍が包囲網を固めてくる」
「わかっている!」
思わず大きな声を上げてしまった男は、少し驚いた顔をしている同志に謝罪した。
「かまわないさ。周りを囲まれているんだ。そんな気分にもなる」
同志は寛容にそう答えたが、自分の無線に入ってきた情報を聞くと顔をしかめた。
「情報機関が動き出したな」
「リング警部だ。厄介だな。もう俺のことには気づいてしまったかもしれない」
自分の部下の癖ぐらいわかっている。そもそも情報機関にいるからといって、監視の対象外に置かれるわけでもない。テッドはため息をつきつつ、一つのデータベースを凍結した。
全てを一度に凍結しても良いのだが、相手が自棄になってレーザー砲を民間人に向けだす可能性もある。余計な血を流さずに彼らを無力化するためには、あと少しで手に入りそうなところに獲物を置き、そちらに意識を注力させるのが、一番の近道だとテッドは考えていた。
部下のことを疑いだしたのは、つい数時間前のことだった。恩師との会議で時間を気にしていたのは、部下がその日有休をとっていたため、部屋が無人になっていたからだった。
恩師の要件が外殻解放軍のことだとすぐにわかったのは、数日前の会議で動向が取り上げられていたことと、その直後に部下と彼らのハッキング経路を調べていたことを思い出せたためである。
考えてみれば、その時点で不自然さには気づくべきだった。アクセス経路を調べた時に、収集されたデータは部下が自分の端末に転送したものだった。
だから部下は自分が経路を割り出すまではわからなかったはずなのに、第四惑星と聞いてすぐにアジトの数を述べた。部下はわかっていたのだろう。どの惑星が経路として出されるか。あれは部下が自分に「解析」させるためのデータだったと、今なら理解できる。
「………通信開始」
左手首の通信機器を音声認証で動かし、赤いスーツの女刑事へと接続する。
「外殻解放軍のシステムをダウンさせます。ダミーを掴ませて起動準備に入らせますので、制圧準備をしてください」
『暴発暴動の危険性は』
「あのレーザー砲は一つでも手順が違うと数分間は動かせません」
『わかりました。合図は』
「レーザー砲第一コネクションのランプが正常起動の緑ではなく赤に変わった瞬間です」
『了解』
科学者は科学者。警察は警察。そしてそれにかかわらず、犯罪者は犯罪者である。
リングはネットワークの向こうにいる部下を思い浮かべながら、処理を実行するためのコマンドを入力した。
「君がもう少し想像力が豊かだったら、外殻を壊すなんて発想はしなかっただろうにね」
制圧されたテロリスト達が連行されていく中、リングは部下だった、おそらく厳密にはまだ部下である男と対面していた。男は左右を警察官に固められ、両の手首を連結する光化学式の手錠をはめられていた。
「悪くはなかったよ。でも少々優等生すぎた」
「でしょうね」
「どうせ騙すなら俺ではなくて現場の人間をだますべきだった」
「それは考えたけど、情報部なんてところに行くと現場には疎いんですよ」
「そうか。では君はその程度だったということだ」
皮肉を込めて言うと、元部下は目を見開いたが、すぐに苦笑した。
「ラボ・フェリノルダにアクセス履歴を残してしまいました。だから時間の問題だった」
「先生を欺くより、外殻を壊す方が簡単かもしれないね。今日も多分先生はわかっていて俺に会いに来たんだろうから」
「先生?」
「宇宙工学を学んだ。そう言っただろう」
「あぁ」
男は得心したように口を開き、また今度は空気を吐き出すように「あぁ」とうめいた。
「そこまで考えが至りませんでした。あのゼミを出た人が警察にいるわけがないと思って」
「なぜ外殻の外を見たいと思ったんだ?」
「ロマンがないんですよ、あの作り物の外殻には」
「外殻があるから幸せなんだよ。それを偽りと思うなら、それは単に君の思考にロマンがないだけだ。この世はロマンに溢れている」
「……そう思えればよかったんですけどね」
行くぞ、と促されて元部下が他のテロリスト達と護送車に放り込まれる。リングはそこに佇んで見送っていたが、いつの間にか傍らに女刑事が立っていた。
「減俸モノですね」
皮肉でもなければ憐みでもなく、女は感想文でも読み上げるような調子で話しかける。
「部下の不始末ですから、仕方がない」
「また警察の不祥事と言われます」
「責めてますか」
「いいえ。呆れているだけです。警察官がテロリストなんて、笑い話にもなりませんから」
「それもそうだ」
「しかし、外殻が壊されなくてよかったです」
「エイリアンがなだれ込んでくるかもしれないからね」
「いえ、父はもう引退してしまったので」
「父?」
テッドが聞き返すと、女刑事は視線を初めて合わせた。
「父は外殻を作る職人だったのです」
目を軽く見開いたあと、テッドは外殻を見上げた。今起きたことなど関係なく、外殻はそこに広がっている。
「本当ですか」
「えぇ、本当です。家には出来損ないの小さな外殻が転がってますよ」
「部下も貴女に聞けばよかったんだ。こんな大がかりなことをしなくても」
「気付かれなくて幸いでした。リング警部、このことはご他言無用にお願いします」
女刑事が去って行ったあと、テッドはなんだか可笑しいような悲しいような、複雑な気分を味わいながら、そこで暫く立ち尽くしていた。これから謝罪や始末書や、次の部下の教育や、考えるのも馬鹿らしいほどの面倒事が降り注いでくるのだろう。
だが、今の女刑事から聞かされたことが、テッドを妙に浮かれさせていた。
部下から見れば、恐らく自分が得たものなどちっぽけなものに違いない。それでもテッドは間違いなく幸福だった。
END
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