#06:すぃーとどるふぃん

 宇宙機構大学はいくつもの研究室を所有している。

 その中には既に使用されておらず、倉庫と化した物もあるが、最近は生徒たちの提案により他の研究室の拡張や実験室へ変換されていた。

 「サイトウ研究室 第二」と名付けられた部屋もその一つであり、かつては違う教授の研究室だった。

 通常であれば、研究室の拡大は嬉しいものだったが、その主であるコウガ・サイトウにとっては面白くない事実の一つである。

 コウガは既に七十才を超えた、大学の中でも古参の研究者であるが、その矍鑠とした姿勢と知性により、十才以上は若く見える。ミヤビ出身で、黄色がかった肌の色と黒い目が特徴的な老人だった。


「全く、どういうつもりだ」

「まぁまぁ、教授。いいじゃないですか」

「よくはない!何故私がフェリノルダ女史のお下がりなど貰わねばならないのだ」


 研究室の拡大を祝いに来た教え子に不満そうな顔を隠そうともせず、コウガは前の持ち主の名前を吐き出す。


「でもあっちの研究室は小さくなったんでしょう?」

「面積だけは確かに小さいが、設備は最新鋭だ。同じ研究分野だからといって、要らなくなった研究室を押し付けてきよって」

「……貰ったんだからいいじゃないですか」


 アキホ・F・フェリノルダ教授はコウガの言うところの「いけ好かない人間」の一人である。

 対人関係において好き嫌いの極端な男であったが、アキホに関してのそれは露骨すぎて、教え子たちのみならず大学の職員達も辟易していた。そのくせ機嫌が一時間毎に高低するような人間だったから、アキホから研究室の譲渡を提案された時は、妙に笑顔でそれを引き受け、三十分後には周りに当たり散らしていた。

 研究者としては優秀な人間だが、一人の人間として優秀かと言われると、全員首を傾げざるを得ない。それがコウガという男だった。


「貰ったからいい?お前は貰ったものが腐っていても何も言わないのか」

「いや、まぁ貰ったものですからね。ただほど高いものはないって、ミヤビのことわざにもあるし」

「お前はルーカイスの出身だろう」

「どこだっていいじゃないですか」

「そういえばルーカイス出身の管理士が一人捕まったそうだな」


 いつも通り話が飛躍した恩師に、元教え子は特に戸惑うことなくついて行く。


「あぁ、バイオトープの管理士が同僚を殺したっていう」

「人間、いくら文明が進化しようとも、行きつく先はいつも同じだ。戦争がないなら互いを殺し合う。あの事件の犯人の供述を聞いたか、バルバラン」

「えぇ。珈琲の味がいつもと違うので、エイリアンかと思って殺した。でしたっけ?でもその犯人は自分のことを、殺害した同僚だと思い込んでいたらしいですね。管理士は精神を病む者が多いと聞きましたが、想像以上です」


 サイトウ研究室の出身で、今は自身も同じ大学で鞭を取っている、ユーリス・バルバランはそう言って溜息をついた。


「結局、法制の問題ですよ。管理士にしてみても、何か起こすまでは上に従うことだけを求められ、何か起きれば自己責任だと放り投げられる」

「法制が人を駄目にするわけではないだろう」

「誰もそれが悪いと認識出来ないし、それが起きた背景を理解出来ないという点が問題です」

「犯罪を犯す者は犯す。犯さない者は犯さない」

「では文明の進化は関係ないのでは?」


 コウガは口達者な元教え子相手に、これ以上の持論展開を諦めた。幸いにして、今の会話中にアキホに対しての嫉妬やら憎悪やらも収まっていたため、落ち着いた気持ちで本来の話題に戻る。


「海域の作成、という話だったな」

「えぇ」

「既にリゾート用の海域と漁業用の海域はあるが、それ以外に必要だと?」

「私が考えているのは、旧星時代の生物を繁殖させるための海域です。最近、ICHIからある遺伝子サンプルを提供されたのですが、それが旧星時代に繁殖していた魚類だということで」

「なるほど、それを遺伝子操作にて復活させようと言うわけだな。だがそれなら水槽でもいいだろう」

「いいえ、先生。水棲動物の研究は他の研究分野に比べて二歩も三歩も遅れを取っています。それは、育てたところで活用出来る場がないからです。旧星は実に惑星の八割が海であったと言います。水棲動物の研究も進んでいました。コートリア惑星群には、食用と観光用の生物しかおらず、それらは研究対象にはなっておりません」

「まぁ養殖だからな、全て」


 相手の言いたいことを何となく理解したコウガはゆっくりとした口調で返す。


「水棲生物の研究の糸口を開きたいということだな?」

「その通りです。旧星では進んでいた研究も、コートリアでは初の研究となる。念のために過去の資料も漁ってみましたが、ラボ・フェリノルダも海の研究はしていません」


 その言葉に興味を惹かれた老人が身を乗り出すのを、男は嬉しそうに見て、言葉を続けた。


「ラボで行われたのは、移民当時に最低限の漁業をするために必要な環境を揃えたことと、旧星から持ち込んだ生物を養殖したのみです」

「フェリノルダ所長の後追いをするような研究をしなくても良いというわけだな?」

「そういうことです。先生のお力添えがあれば、夢ではないかと。専門の管理士を育成したり、最初の管理などは面倒ですが」

「興味深いな」


 コウガは実際、自らの研究内容に飽き飽きしていた。有能な研究者としてあがめられているものの、コウガの研究成果はどれも、ラボ・フェリノルダで既に研究されてしまったものばかりだった。

 コウガの功績は広く認められているが、それは結局、最初に基盤を形成したアキホの名声を高めてしまうため、二人の評価は大きく開いたままだった。


「して、アテはあるのか?」

「はい、先生。先程話に出たでしょう、殺人を犯して捕まった管理士。その加害者と被害者が使っていたバイオトープなんですが、今は使用者がいないようです。まずはそこをサイトウ研究室の所有物として、海のミニチュアを作成するというのは?」

「ふぅむ。広いのか、そこは」

「宇宙機構大学のグラウンドほどはありますよ」

「装置を置いても十分だな。しかし水はどうする?」

「旧星の研究資料に作り方は山ほど載っています。まずは小さなものを作って、段々大きくしていっても良いかと」

「なるほど、なるほど。やってみる価値はありそうだな。そうと決まれば、管理士組合に声でもかけてみるか。殺人が起こったバイオトープなど使い手がいないだろうから、簡単に手に入るかもしれない」


 子供のように目を輝かせてはしゃいでいる恩師に、ユーリスは吊られるように何度も頷いた。二人の脳内には、見たこともない旧星の砂浜が色鮮やかに写っていた。





 話は面白いほど進んだ。

 コウガはやると決めたら、老体など忘れたかのように動く男だった。バイオトープの管理人に話をつけて、旧星の資料をかき集め、大学に出入りしている業者を片っ端から呼び寄せては水や岩や砂、植物までも手に入れた。

 驚くべきはその契約金の安いことであり、コウガは「海の研究などする酔狂な者はいないから、安くあがっただけだ」と言ったが、いまいちユーリスには納得がいかなかった。

 ある日、ユーリスが大学の講義を終えて廊下を歩いていると、後ろから呼び止める声がした。


「やぁ、元気かな?」

「フェリノルダ教授。お久しぶりです」

「学部が違うと会わないものだね」


 いつ見ても若々しい女研究者は、白衣のポケットに両手を突っ込んだままユーリスに話しかける。決して若作りしているようでもなければ、整形手術を受けた痕跡もないのに、アキホは何十年も前から変わらぬ容姿をしていた。


「君の息子に会ったよ」

「どこでですか?」

「彼の所属する学校だ。あそこに教え子がいてね。レイトとか言ったか。あれは賢い子だ」

「恐れ入ります。私から見ればまだまだ知ったかぶりの子供です」

「旧星に興味があるようだったな。やはり血は争えないと言ったところかな?」


 アキホが目元を緩ませた。


「最近、面白いことをしているようじゃないか」

「聞いたんですか?」

「何、小耳に挟んでね。海原を作ろうなどと、あの頭の固いサイトウには思いつかないだろうから、誰かの入れ知恵だろうと思っただけだ」

「先生のところでは、誰かいなかったんですか?」

「私のゼミは宇宙工学が専門だからな。皆、ゼロを知りたくて入った者ばかりだ。海に興味がある者は記憶にない」

「先生は?」

「私も別段、海に興味はわかないな。専門外だったしね。ところでどういう海を作るのか教えてくれないか?寒い海?暖かい海?」

「まずは暖かい海を。熱帯の生き物は色鮮やかだったと聞きます。種類が豊富なほうが、研究のモチベーションもあがりますしね」

「賢い選択だ。熱帯魚か……。君は熱帯魚を見たことはあるか?」

「図鑑などではありますが、実物は……。魚を飼う習慣がないですからね、ここは」

「イワシやサンマを育てる変わり者は、そうはいないだろうね。熱帯魚はとても綺麗だ。見ていて飽きることがない」

「………育てたことがあるんですか?」


 恐る恐る尋ねたユーリスだったが、アキホの一笑で質問は流されてしまった。何十年も前から変わらぬ姿を保ち、二百年前の資料にも名前が記載されている、存在自体が大きな謎を秘めた女研究者。

 噂ではクローンだとか、年を取らない秘薬を作ったとか、様々なものがあるが、どれも確定には至っていない。


「イルカなんてものも作れるのかな、いずれは」

「イルカ?あぁ、海の哺乳類ですね」

「彼らはとても賢く、芸を覚えるそうだ。まぁサイトウに仕込めるとは思えないがね。イルカは繊細な生き物だから。そう思わないかね」

「いや、まぁ……イルカが大体どういうものか私にはわかりませんし……」

「私もよくわからない。この前、「白百合」から出たミヤビ菓子がイルカの形をしていてね。とてもかわいかったから、調べてみただけだ」


 ユーリスは意外な気持ちでアキホを見返す。この男勝りな口調の研究者に、「可愛い」という語彙があったとは思いもよらなかった。

 アキホはその視線に気付いたのか、不満そうに肩をすくませる。


「仕方ないだろう、可愛かったのだから。是非食べることをお勧めするね」

「はぁ」





 アキホと別れてから一時間後、ユーリスはコウガの研究室で呆れた視線を受けていた。


「で、買ったのか」

「気になるじゃないですか。フェリノルダ先生が可愛いと言うんですから」

「まぁ気持ちはわからないでもない。彼女の唯一の女らしさといったら、あの外見程度だが、服も靴も化粧も同じものを何種類も持っていると言っていたしな」


 研究室の中央にあるテーブルには、和紙で彩られた箱が置かれている。その上には「潮騒(しおさい)」という商品名が達筆でしたためられていた。

 ユーリスが箱の蓋を開けると、中には水色のミヤビ菓子が綺麗に整列していた。丸いフォルム。二股に分かれた尾びれ。頭から後方に突き出た三角形の背びれ。赤と白の浮き輪に体をくぐらせている途中のポーズらしく、笑っているような口元や丸くて黒い目が印象的だった。


「………可愛いな」

「可愛いですね」

「水棲哺乳類の一種だそうだ」


コウガは箱の裏に書いてある説明書きに目を通しながら言った。

白百合は最近ミヤビ以外にも店舗展開、商品委託販売を始めたが、古風ながらも新鮮味を感じさせる味や造形が多くの消費者の支持を集めている。


「芸を仕込めば、浮き輪を潜ったりしてくれるのだろうか?」

「どうなんでしょう」

「ボール遊びもするらしい」

「………育てますか?」

「遺伝子があればクローンを作れるだろう」

「こういうのはモチベーションが大事ですからね」

「あぁ、私もそう思う」





 数か月経ったある日、アキホは教え子の一人に「嬉しそうですね」と言われた。


「そうかな?」

「ええ。何かいいことでもありましたか?」

「いいことがありそうなんだよ」

「ふーん……。あ、そういえばサイトウゼミの噂聞きました?イルカとかいう生き物作ってるみたいですよ」

「そうらしいな」

「同期の子に教えてもらったんですけど、遺伝子操作からクローンを培養して、小さいイルカが出来たそうなんですが、すっごい可愛いんです」

「見たのか?」

「映像を見せてもらいました」

「私も見たいな」

「見れるんじゃないですか?」


 屈託のない調子で、教え子は言った。


「ボールつつかせたり浮き輪潜らせたりして、芸を仕込んでいるみたいで、いずれ人を集めてお披露目するって」

「イルカショーというわけだな」

「研究内容として良いんでしょうか?」

「何、水棲哺乳類の実験など初めてのことだ。何をしても無駄と言うことはないよ」

「でもイルカの餌が結構かかるみたいで、イワシが足りないって聞きました」

「イワシを食べるのか?」

「そうらしいですね」


 アキホは何秒か考え込んだ後、不意に立ち上がった。


「悪いが急用が出来た、今日の講義は休みだ」

「え?」

「何かあったらラボに連絡してくれ」


 白衣を翻して足早に部屋を出て行ったアキホを、残された生徒は茫然として見ていた。





「イワシが大漁に獲れたそうです」

「うむ。これでジェットも満足するだろう。運がいいな、我々は」


 コウガは人工海で泳いでいるイルカを見ながら頷いた。


「でも何か、怖いぐらいにトントン拍子だと思いませんか?」

「そうか?イルカの生態に手を焼いているではないか」

「そっちじゃなくて、設備とか餌とか」

「気のせいだろう。さぁ、餌の時間だ」


 コウガが笛を吹くと、イルカが近くまで泳いできた。


「いい子だ」


 イワシを一匹放ってやると、海面から顔を出したイルカが上手にキャッチする。今度は笛を短く三回鳴らすと、イルカがジャンプをした。


「順調だな」

「………先生、最近思ったんですが」

「何だ、しつこい奴だな」

「当初の目的から逸脱していないでしょうか」

「そうか?」

「イルカの世話していませんか、私達」

「何?お前、ジェットの世話が嫌だというのか!?」

「そうじゃないですけど」

「ええい、うるさい!ジェットの世話が嫌なら来なくて良い!こんな可愛いのに、可哀想なことを抜かすな!」

「先生、落ち着いてください!別にジェットの世話をしたくないわけじゃなくて……!」


END

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