#05:旧星病
第三惑星「ルーカイス」は星の八割を医療関係施設で埋め尽くされていた。
惑星そのものは惑星群内の別の土地と比べても半分程度の大きさだったが、他惑星の患者が日々訪れるために昼間の人口は数万人を超える。
惑星に元から住んでいるのは、医師や看護師など医療関係者が主であり、一般市民はその家族に限られる。
むろん、ほかの惑星にも医療施設は存在する。たとえばICHIには宇宙飛行士専用の医務室が存在するし、ミヤビには「漢方」と呼ばれる天然の薬草の調合術が民間に広く知れ渡っている。
だがルーカイスはそれらの医療技術すらも網羅し、各医療機関とも連携していた。
また、医療関係者向けの大学「ルーカイス医科大学」が併設されていることから、別名「医療星」とも呼ばれている。
ルーカイスの中央ターミナルを降りると、すぐに病院の敷地内に入るが、まず来訪者を迎えるのは直径五〇〇メートルもある円形状の広場であり、無花粉の樹木と芝生が広がっている。
中央を縦断するガラス製の道の先には、純白の建物がある。
それはルーカイスの入り口に過ぎない。あまりに多く、そして複雑な医療部門を、瞬時に移動するためのループ装置を備え付けた受付棟。
その玄関を見ながら、大仰な溜息をつく男がいた。
「ったく、むちゃくちゃだよなぁ」
年のころはまだ二十代の後半。
年齢の割には上等な黒いオーダメイドのスーツ、そしてそれには不釣り合いな安っぽい赤いネクタイ。
そして高級ではあるが既に底がすり減った革靴が、彼が外回りの営業マンであることを示している。
旧星時代から、まるで呪いのように引き継がれているサラリーマンの生態は、数百年でも殆ど変化がない。身嗜みも、口調も、そして愚痴の内容すらも。
「一人で新薬の営業させようなんて、スパルタにもほどがあるだろ、うちの会社。看護師には怒鳴られるし、教授にも会えないし」
ショウファー製薬の営業三課所属である、ユーゴ・サイグ・アルセルドは、両足の間に置いた鞄の中に詰まったガラス製の瓶を見下ろした。
薄青色の瓶の中に、白い錠剤がぎっしりと詰まっている。「安価で安全な癌細胞消滅薬」というのが売りではあったものの、まだ認可前のそれを取引しようとする物好きなどいるわけもない。
詰まることろ、この営業の目的は契約ではなく、お得意先の状況と機嫌伺いだった。
たとえ会えなかったとしても、足を運んだという事実が重要なのであって、それすら怠るような業者はまず生き残れない。
殊に医者や研究者などという気難しい人間が揃う職業は尚更だった。
「………珈琲でも飲んで帰るかな」
何はとまれ名刺を預けることにだけは成功した。
肥え太った赤い髪をした中年の看護師長は、ユーゴから受け取ったその名刺を面倒そうに壁に貼り付けていた。おそらく教授の手に渡ることなく、黄ばんでいくのだろう。
ユーゴはその光景を何度か見てきたし、先輩社員達からも教え込まれていた。
渡した名刺の99%はゴミになると思え。残りの1%は机と壁の間に入り込む、と。
憂鬱な溜息を空中に放ち、ユーゴが立ち上がろうとしたときだった。
「失礼。君はショウファー製薬の方かね」
「へ」
間抜けな声を出してしまったのも、無理はなかった。
その声はユーゴの背後から聞こえてきたものだった。
慌てて後ろを振り返ると、そこには青い手術着に白衣を羽織った、白髪の老人がいた。
白衣の袖には大学の校章が銀糸で織り込まれ、その下には名前らしいものも織り込まれているが、ユーゴの位置からは見えない。量が少ない白髪は短く刈り込まれ、皺だらけの顔は、しかし清潔感を保っているためか妙に若くも見えた。
ハシバミ色の小さい瞳には何の感情も読み取れない。
「は、はい」
「ふむ、君は見たことがないな。新入りと見える」
「失礼ですが、あなた様は……」
「まぁただの古株だ。気にすることはない。君のところの開発部の部長と懇意でね」
「ファンディでしょうか、それともアズー?」
「ファンディ君だよ。大学時代の同期でね」
開発部部長、ラストニア・ファンディは宇宙機構大学の出身であり、医師免許を持ちながらも製薬会社に入った変わり種だった。
ユーゴはほとんど面識がないものの、その程度の知識は持っている。
「あ……申し遅れました。ユーゴ・サイグ・アルセルドです」
ユーゴが慌てて名刺を取り出すと、その男は小さな笑みを浮かべた。
「ミドルネームということは、イリーニの出身かね」
「父がそこの生まれでして」
「ふむ。……しかしこの名刺というのはどうにかならないものかね。電子媒体でどうにでも出来そうなものだが」
「そうですね。一応電子媒体を利用した、情報交換ツールもありますが、それを毎日持ち歩いていないと意味がないですし……」
「そうなんだよ。かといってメールだけというのも素っ気ない感じがしてしまう」
男はユーゴの名刺を受け取ったあと、軽く自分の白衣のポケットや、衣服の上を手で叩いて、肩を竦めた。
「すまないね、名刺入れを忘れてしまって」
「いえ」
「今日はまた、新薬の売り込みかね」
「はい」
「ファンディ君にはまだ時々会うけどね、会うたびに新薬の説明を聞かされるんだ。今度の薬は何で苦労した、とか、今度の薬は今までの効果の二倍以上だ、とか」
男が少し首を伸ばして、ユーゴの鞄の中を見る。若き営業マンは慌てて中の瓶を取り出した。
「こちらが弊社の新薬「サルドニーク」です。未認可ですが、実験上での癌細胞の収縮、あるいは消滅を確認しています」
「ふむ」
「是非ともこちらで治験をお願いできないかと思って持参いたしました。まだスメラギ教授にはお会い出来ていないのですが……」
「教授は忙しいからね。仕方がないよ。はぁ、しかし綺麗な薬だねぇ」
その感想に、ユーゴは思わず頬を緩ませる。
真っ白な、真珠のような光沢を持つその球体の薬ができた時、皆が同じような台詞を口にした。
綺麗な薬。可愛い薬。しかしそれに何の意味があるのか。薬はインテリアではない。飲めなければ意味がない。
「飲んじゃえば全部同じですけどね」
「そんなこともないさ。患者さんだって汚い色をした不揃いの薬より、綺麗な薬を飲みたいもんだ」
「えぇ、弊社は薬においてビジュアル面も重視しております」
「いつだったか「ブロッサム」という薬がなかったかな?青い、三角形の」
「はい、ブロッサムRのことでしょうか」
「あれが無くなった時にね、発注したら「もう取り扱っておりません」と言われて、それっきりだよ。別の薬でも紹介してくれないかと思ったものだ」
「これは、大変申し訳ございません。ご意見として社に持ち帰らせていただきます」
「いやいや、別にいいんだよ」
ブロッサムRは三年前に製造終了した、向精神薬だった。
それを必要としているとなれば、目の前にいる医師は精神科か、神経科の所属である可能性が高い。
今日訪問したスメラギ教授は神経科の部長とは懇意の仲と聞いている。下手を打つわけにはいかない、とユーゴは少し緊張した。
「営業マンというのは大変だねぇ。医者なんかやっていると、どうも一般的な仕事には疎くなってしまう。医学部の学生と話していても、時々話がかみ合わない」
「ルーカイス大学の?」
「そっちもあるが、宇宙機構大学の医学生もだ」
「先生の母校ですね」
「あぁ。まぁ宇宙機構大学の医学部はどちらかと言えば研究者寄りだからね。ファンディ君が研究者になったのも、僕達から見れば然程不思議なことではないんだよ」
「医学部にも色々あるんですね」
「そりゃそうさ。文学部だって色々あるだろう」
医師は少しだけ言葉を切ると、その色素の若干抜けた睫毛を上下にしばたかせた。
「そうだ。ついでで悪いのだが、ファンディ君に渡してもらいたいものがあるんだ。一緒に来てくれないかな」
「あ、はい。何かの資料でしょうか」
「まぁそんなものだ」
そう言いながら医師は歩き出した。ユーゴは慌てて荷物をまとめて、その後ろを追いかける。
営業職をしていると、このような雑用を仰せつかることも多い。だがこのような細かい気配りや、実績が次の仕事につながらないとも限らない。従ってショウファー製薬では「お客様の言うことは、損が発生しない限りは従うこと」という暗黙の了解が出来ていた。
最も、ユーゴは他の会社に勤めたことがないので、それが一般的なことかどうかはわからない。
医師はユーゴがついてくることを疑っていないのか、振り返ることすらしない。受付棟に入るかと思われたその足は、直前で大きく迂回する。建物の側面に回ると、そこには職員用の出入り口があった。鉄製のその扉には引手がなく、代わりに静脈認証用の手のひら大のパネルがついていた。
どこにでもあるような入退管理用の装置を、ユーゴがぼんやり見ている間に、医師は自分の手のひらをパネルに乗せる。青い光がパネルの上部から下部までを走り、認証を行うが、すぐにエラーを知らせるアラート音が鳴り響いた。
「年を取ると、どうにも一発では認証しなくてね」
愚痴るように言いながら、男はそのパネルの下部に爪を立てた。
パネルがゆっくりと上に持ち上がり、中から数字が表示されたテンキーが現れる。パスワードを打ち込むと、今度は軽快な開錠音と共に扉が内側に開いた。
「虹彩も指紋も、年を取ると変わってしまう。声も然りだ。結局のところ、毎回口腔粘膜から細胞を採取して、それを認識させる機械が一番いいのかもしれないな」
「そんなものがあるのですか?」
「作られたが、流行らなかった」
「はぁ……」
いまいち相手の会話のペースに乗れない。
職員用の薄暗く狭い廊下を、男は悠々と進んでいく。途中ですれ違う、他の職員たちが怪訝そうな視線を向けてくるのを、ユーゴは気恥ずかしい想いで受け止めた。部外者が通るべきではない場所を、ユーゴが通っていることは明らかだった。
美しく象られ、緻密に計算された空間が広がる診療エリアと違い、そこは華美も緻密もどこかに置き忘れてしまったかのような空間だった。壁紙などなく、手入れもほとんどされていない内壁。そこに無造作に貼られたポスターは、一度貼ったら最後、剥がす者もいないのだろう。黄色く変色して文字も見えなくなっている。『確認第一!』と力強く書かれたポスターの中では、一昔前に一世を風靡した天才子役の少女が、白衣を着た姿で微笑んでいた。
ユーゴはその少女の名前を思い出そうとしたが、当時見た映画やドラマの役名は出て来れど、肝心の役者の名だけは出てこなかった。
それを思い出そうと、ユーゴが必死に記憶を掘り返している途中で、再び男が口を開いた。
「君は宇宙に行ったことはあるかね」
「ありませんよ。まさか」
「だろうね。僕もない。ICHIの実行部隊を除けば、宇宙に行けるものなんて極わずかだ。では宇宙に行ったものがその後どうなるか知っているかね?」
「どうなるか、とは」
「無事に職務を終えるものが三〇%、大けがをして引退するものが40%。殉職者が10%。まぁこれはLIZシステムの発達により減ったが……。それでも残りの20%がいる。これはどういう人間だと思う?」
「え?えーっと……」
「ヒントだ。かつて殉職者は全体の三〇%を占めていた」
「………入院中の重傷者、ということですか」
「まぁそういう言い方も出来るだろう。クローン遠隔操作技術は、殉職者を減らすと同時に新たな課題を生み出した」
男は通路の途中にある扉に手をかけると、向こう側に大きく押し込むようにしてそれを開いた。かび臭い空気と薬品のにおいがユーゴの鼻孔をつく。そこは資料室のようにも見えたし、実験室のようにも見えた。
十メートル四方のその部屋は、半分以上が文献で埋まり、もう半分は顕微鏡や一昔前の端末で圧迫されている。その間に肩身狭そうにおかれた鉄製のデスクには、論文集や標本などが無造作に置かれていた。
「旧星病」
「は?」
「僕はそう名付けた。宇宙に魂を抜かれた者が、この病院の奥深くに閉じ込められている」
「魂を抜かれたってどういうことですか?」
「………」
男は分厚いファイルを机の山から乱暴に抜き出すと、それを開いてユーゴに見せた。それはカルテを束ねたもので、ユーゴには理解の出来ない単語が羅列されていた。
「LIZシステムは重大な障害を持っている。フェリノルダ所長もまだ公表していない」
「………障害、ですか」
「不具合とも言う。クローンは遠隔操作により宇宙空間での活動を可能とする。クローンはICHIに帰還した時に、初めてその操作の接続を切ることが出来る。だが稀に……そのクローンが損傷して戻ってこれないことがある」
「戻れないと、どうなるんですか?」
「………意識が永遠に宇宙から戻ってこない。つまり植物人間状態となる」
「え?」
「死ねれば幸いだ。だが死ねないまま意識だけ宇宙空間を彷徨い続ける者がいる。それが二〇%の実行部隊だ」
ユーゴが絶句する間にも、男は言葉を重ねた。
「想像するだけでも、恐ろしい。肉体から切り離され、信号化されてしまった意識は、それだけで既に死という逃げ道を失ってしまっているんだ。例え、肉体が滅んでも、その意識は永遠に宇宙を彷徨い続ける」
「そんな重大な疾患が、なぜ……」
「放置されているか、って?そうだな。多分フェリノルダ所長にとって、その小さな犠牲よりも、大きな利益のほうが大事なんだろう。彼女の頭脳をもってすれば、その程度のこと克服出来るはずだ。だがこのことを公表すれば、実行部隊に名乗りを上げるものは少なくなるだろう。彼女はそれを恐れているとしか思えない」
男の口調は、最後の方になると早口になり、口の端に泡が溜まっていた。
興奮しているようでもあるが、まなざしはどこか冷静で、ユーゴはそれに見入るかのように、視線を動かすことができなかった。
ふと、しかし男は表情を緩めた。興奮した自分を恥じるかのように、顔を床に伏せて話し出す。
「君がこの情報をどうしようと自由だよ。どこかに持ち込んでもいい。ひっそり心の奥にひそめているのもいい。僕はね、ただ真実を誰かに告げたいだけなんだ」
男に見送られる形で病院を後にしたユーゴは、そのまま自社へと戻った。まだ定時まで余裕のある時間で、社内は慌ただしい。惑星間連絡の信号が、壁に据えられたモニタの上で踊り、会議室からは次期商戦の打合せでもしているのだろうか、同期にあたる企画室の女の声がキンキンと響く。
ユーゴが自分の席に腰を下ろして、そのままぼんやりしていると、予想外の人物が声をかけてきた。
「どこか行っていたのか?」
「あ、はい。ルーカイスに」
開発部の部長であるラストニア・ファンディは、それを聞いて「ふぅん」と呟く。この男が営業部に来ることは珍しくはないが、頻繁ではない。しかも、さっきのあの男の話を思い出している最中に話しかけられたため、ユーゴは必要以上に驚いていた。
「アルセルドさんは、外回りが多いんだねぇ」
年下に対しても、呼称を丁寧にするのがラストニアの癖だった。
「あれ、サイグさんだっけ?アルセルドさんだっけ?」
「どっちでもいいです。どうせどちらもファミリーネームだし」
「あの惑星の出身の人は、どうも名前が面倒くさいね」
「同感です。………あの、ファンディ部長」
ユーゴは病院であった出来事を話そうとした。だが、話し始めてすぐに相手が思い切り顔をしかめた。
「白衣の男……。私の知り合い……。またか」
「は?」
「そいつは名刺を渡さなかったよね?出入り口の静脈認証でも弾かれていたはずだ。違うか?」
「はい。……なぜ、それを?」
「彼は、医師ではない」
ラストニアは吐き捨てるように言った。
「いや、正確に言うと、すでに医師ではなくなった。今はあのルーカイスの精神病棟にいる」
「どういうことですか」
「彼が私の友人であったことは本当だよ。彼は医師免許を取って、あの大学病院で働き始めた。しかし、十年ほど前のことだ。彼の親友である男が、亡くなった。その親友は実行部隊でね。宇宙にクローンを飛ばして活動中に、事故が起きて死んでしまったんだ」
「事故、ですか」
「原因は、その親友が勝手に信号接続を切ってしまったせいだ。一種のノイローゼだったんだな。自分で自分の体に繋いでいた、クローンに信号を飛ばすための装置を引っこ抜いてしまった。それで彼は死んでしまったんだ」
少し言葉を切ってから、ラストニアは続けた。
「しかし、彼はそれを認められなかった。クローンの技術なんか作った、ラボ・フェリノルダが悪いと決めつけた。そして、ありもしない症例をいくつもねつ造して、カルテを改ざんして、ラボに何度も何度もそれを送り付けた」
山積みの資料を、ユーゴは思い出していた。
考えてみれば妙なことだった。男の話が本当だとすれば、まだあのカルテに記載されている患者たちは生きているはずだ。なのになぜあんなかび臭い場所の、他の資料の間に埋まっていたのか。すべてねつ造したものだとすれば、説明がつく。
「しかしラボ側から返答などあるはずもない。彼は……とうとうその返答までを捏造してしまった。ラボから届いた電子メールだと、意味不明な言葉を並べた紙を病院中にばらまいた。全部手書きだった。二千枚を超える紙を全て手書き。正気の沙汰じゃないよね。彼はその場で拘束されて、精神科へと送り込まれた」
「ラボは何も言ってこなかったんですか」
「ないね。フェリノルダ所長も、いちいち妄想に付き合っていられないんだろう。まぁルーカイスの幹部たちは、名誉棄損で訴えられなかったことに胸を撫で下ろしたそうだよ。スメラギ教授なんか、一時期ビクビクしてたっけ」
「でも、どうして今でもあんなことを?病院側は黙認してるんですか?」
「うん。どうも閉じ込めておくとね、まずいみたいなんだ。何しろ知能だけは人並み以上だろう。それに半端じゃない行動力もある。一度、どうやったのか閉鎖病棟を抜け出して、ラボにまで行っちゃったみたいでね。幹部たちはまた顔面蒼白さ」
「それで?」
「別にどうもしないよ。彼はラボにまで行ったはいいんだけどね、何もしなかったんだ。もしかしたら、どこかで自分がやっていることがおかしいという自覚があるのかもしれない。ま、でもそれが毎回思いとどまってくれるとは限らないだろう?」
ユーゴは曖昧に頷いた。
「で、遠くから監視をつけて自由にさせることにした。敷地から出るとね、すぐに警備員が引き戻せるように。彼も最初はただうろうろしていたそうだけど、そのうち適当な人を捕まえて、自分の妄想を話すことを始めたんだ。そうすると落ち着くみたいでね」
「じゃあ、うちの営業部にも……」
「何人かいるだろうね。彼の話し方があまりに真に迫ってるから、信じちゃう人が多いんだけど。でも彼が私の友人だって言ってくれるおかげで、すぐにこっちの耳に入る。お蔭で被害は最小限に食い止められているんだよ」
「嘘なんですか。何もかも」
「そうだよ。彼が説明に使っている資料も、全部でたらめ。一度見せてもらったけどね、何の意味もない言葉の羅列だったよ」
ラストニアは苦笑を浮かべて、「さて」と一歩退いた。
「じゃあ戻ろうかな。アルセルドさんも、あまり話を鵜呑みにしない方がいいよ」
「あの、あの人の名前はなんて言うんですか?」
その問いに、相手は首を振る。
「言えないよ。あれでもかつては権威だった人だ。私にも彼の尊厳を守ってあげる程度の優しさはある」
立ち去っていくラストニアの背中を見送りながら、ユーゴは「医師」の妄言を再度頭の中で繰り返していた。全ての不自然さが、今になって露わになる。それと同時に、聞かされた言葉が頭の中で崩壊していく。だがその崩壊の最中、一つの言葉だけが強く再生される。
「クローン遠隔操作技術は、殉職者を減らすと同時に新たな課題を生み出した」
あの「医師」こそが、その新たな課題なのではないか。
一般人には触れえない、クローン技術。ICHIの内情。ラボ・フェリノルダ。それが彼の妄想を強固にしてしまったのではないか。
ユーゴは、そんな考えを抱いてしまった自分を叱責するかのように、両手で頬を軽く叩いた。
自分の関わるべきことではない。忘れてしまうのが一番いい。
そう思いながらも、ユーゴの脳裏には、視線を伏せたまま絞り出すような声で話す「医師」の姿がいつまでも残っていた。
僕はね、ただ真実を誰かに告げたいだけなんだ
END
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