#03:宇宙恋慕
多角形状に惑星が連結された「コートリア惑星群」は歴史こそ数百年程度の短いものだったが、旧星から引き継がれた伝統や文化は多少姿を変えて根付いていた。
移住当初の、出身国による団結がもたらした結果とも言えるが、そこには一種のノスタルジーがあった。
つまり、捨て去った星への郷愁。そのまま失われようとした文化への強い固執が生じ、旧星時代には既に廃れようとしていた風習、技術を復活させた。
西欧の教会、東欧の結婚式、南米の舞踊、復活したものは様々にあれど、それらは今では惑星の特徴を示す重要な要素となっている。
第七惑星「ミヤビ」はその中でも少々異色であった。
ミヤビはかつて旧星時代には東洋と呼ばれた国の人間を祖として形成されていた。古写真をまるごと写したような木造の町並み、丁寧に選別されて植えられた草花、文字や標識のデザイン。観光客の目を楽しませるそれは、非常に巧妙なイミテーションにすぎない。
木造の建築物の中は近代的な住居や施設があり、住んでいる人々も自分たちの生活空間を覆う町並みの意味など知らない。
外観と内装があまりに不釣り合いなこの惑星は、政府によって作られたものだった。他の惑星における伝統復古があくまで自主的、自然なものであるのに対して、ミヤビだけは命令と条例によってその外観を形成された。
何故、ミヤビにだけそのような処置が取られたのか、公式には何も明かされていない。
「この前ね、あの人が来たよ」
ターミナル周辺に乱立する飲み屋のうちの一店舗で、豊かな黒髪を結い上げた妙齢の女性がアルコールをグラスに注ぎながら口を開いた。
カウンターと三つのテーブルだけの小さな店ではあったが、高級酒をメインとして取り扱っていることや、ミヤビの町並みを意識した内装が人気で、連日仕事帰りの老若男女で賑わっている。
口を開いた女性はこの店の店主であり、絶世のとは言わないまでもかつての美貌を十分に匂わせる顔立ちをしていて、それを目当てに通う客も多かった。
「あの人?」
カウンターに座った、公務員然とした中年の男は、飲み干したばかりのグラスをカウンターにおいて首を傾げた。
「ほら、えーっと。嫌だね、最近は物忘れが激しくて」
「まだ、そんな年じゃないでしょう」
客が笑いながら言ったが、店主は真面目な顔で宙を睨んで考え込んでいた。しかしそれは数秒後には解かれて、元の接客用の笑顔に戻る。
「ほら、ICHIの実行部隊の。ザーク大尉」
「あぁ、あの恐ろしく体躯の大きな若い人ですか」
「そうそう。急に仕事が休みになったとかで。実行部隊っていうのも大変みたいだね。私がまだ若い頃にも実行部隊は憧れの的だったけどさ、ほら、昔この店の手伝いに来ていたライラ。彼女のお父上が実行部隊だったんだってさ」
「へぇ」
「体を酷使するところだからね、あまり長生き出来なかったそうだよ。宇宙に出るなんて考えただけでも貧血起こしそうなのにさ、そこで宇宙生物相手に戦うんだろう?そりゃあ寿命も縮まるよ」
店主はボトルを棚に戻して、何となく自らの両手を宙で振った。
「彼はこの前、外で会いましたよ。ラボに届け物があるとかで、大きな荷物を持っていましたっけ」
「ラボってフェリノルダ所長の?」
「そうでしょうね。私もちょっと興味があったんで、途中までお供しながら話を聞いてみたんですよ」
「何か聞けた?」
店主が興味深そうに体を乗り出す。男は相手の琴線に触れたことが嬉しくて、ついつい顔を綻ばせた。そしてそのまま饒舌に、「噂話」を相手に聴かせる。
ラボ・フェリノルダの近況、持ち運ばれた資料から考えられる実験内容、ラボ周辺での所長の目撃談。
それらは、半分以上がゴシップマガジンで手に入るようなものばかりであったが、この店においては噂話こそが最高の酒の肴となる。無責任で、無関係で、それでいて優越感を抱くことが出来る有名人の噂話。いつの時代もその価値観は変わらない。
噂話とウイスキーを交互に口にしながら、中年男はその目に嬉々としたものを隠そうとはしなかった。
「大体ですね、LIZ(リズ)システム。あれもどうして政府が許可をしたのかわかりませんね。クローン体に実際の人間の脳神経回路を組み込んで宇宙に放り出すだなんて。いくら宇宙に危険が多いと言ってもねぇ、惑星「ネスタル」の株価変動よりは安全なんじゃないでしょうか?あの惑星の発表する株価のせいで何人も死んでるんだから。クローンに宇宙生物を殺させて自分たちはのうのうとしているだなんて、信じられませんよ」
「あら、あまりそういうことは言うもんじゃないよ」
店主があることに気づいて男をたしなめたものの、酒が入って上機嫌になった男は止まらない。
「フェリノルダ所長にとってはクローンなんてただの実験材料なんでしょう。クローンに人権が無い、ともう決め付けてしまってるんです。彼らにだって意思はありますよ。それを使い捨てのように宇宙に放り出して………」
男の言葉は、水しぶきと共に中断された。
それは水が入ったグラスが、思い切りカウンターに叩き落とされたために出来た水滴の放出だった。
そのグラスを左手に握った中年の女は、綺麗にウェーブをかけた金色の髪を赤いネッカチーフで束ね、オーダメイドと思しきスーツを着ていた。女は紫色の双眸で男を見やると、わざとらしい笑みを浮かべた。
「クローンにお詳しいんですか?」
「え?……まぁ、その」
「あの基礎理論を唱えたのはフェリノルダ所長ではないのですが、それはご存知ないんですね」
「それは微々たる問題でしょう。実際に実用化したのは……」
「ICHIの実行部隊の死亡率は、LIZが実用化されるまでは年間三〇%を超えていました。旧星に近づけば近づくほど、その死亡率は増加。ただし宇宙生物の侵略、繁殖を止めるには旧星に近づかなければなりません。貴方は倫理のためなら人が死んでも構わないんですか?」
女はそう言いながら、金髪を指に絡めた。
「あと、クローンですが、あれは生成された時から脳を所有していません。いえ、所有はしていますが、哺乳類とは全く違う構造です。脳神経回路をアタッチメントとして接続できる処理が施されています。従って、クローンには人格はありません。それと、人間の脳神経回路を使う以上、人間の形をしていないことには話になりません」
「…………失礼だが、ICHIの関係者ですか?」
「フェリノルダ所長は、死にゆく実行部隊とその遺族のことを思って。LIZを作りました。それを非難する人は、それこそ「自分だけのうのうとして」自らが人格者のように振舞っているだけです」
相手の言葉を完全に無視してそう言い放った女は、直後に大きなため息をついた。
「帰ります。電子精算でいいかしら」
店主は一瞬の間をおいてから、二回頷いた。
「はい、はい。いつも通りだね。じゃあこっちに」
カウンターに置かれた小型の装置に、女はカードをかざした。淡い光が何度か瞬いて、処理が正常終了したことを知らせる。
「ごちそうさま」
「ありがとうございました」
カウンターで呆然としている男を、女は振り返りもせずに店を出た。帰宅途中の人の群れで賑わう駅通りを、ハイヒールを鳴らしながら歩き抜ける。
女は少々怒りを滲ませた、しかし同時に戸惑いにも似た表情を浮かべていた。その口元は、店を出た直後から、誰にも聞こえない音量の言葉を紡ぎ続けていた。
「脳における意識シグナル、並びに命令シグナルに互換性を持たせたベータ変換信号は、発生機構を持つチップにより単体駆動を可能とする。但しその場合のリスクとして遠隔操作は………」
二十年前に発表されたLIZシステムの前身たる「クローン遠隔操作理論」。彼女はそれを全て諳んじることが出来た。
否、多少努力して覚えている部分もある。彼女にとってそれは、青春の全てだった。
駅から五分ほど歩き続けて、商店街に入る。既に殆どの店は営業を終えていた。薬局などはまだ軒先に商品を並べているものの、客の数は少ない。
ミヤビは中心地を離れると夜遅くまで営業している店は少なくなる。それも全て政府の指示によるもので、営業出来ない分の補助費は各店舗に支払われるものの、それを味気なく思う事業主も多い。
ただ、観光地という土地柄、ミヤビの雰囲気だけを維持していれば客足が途切れることはない。従って既に引退した老夫婦が、老後の楽しみとして営む店のほうが多かった。
女は通りの中程にある店の前にたどり着くと、裏手に回った。ガラスと木で出来た、他の星では見ない、しかしこの星ではオーソドックスな扉の鍵を開ける。中に入ると、その音を聞きつけて老婆が現れた。
「おかえり」
「ただいま、母さん」
「向こうの社長さんにはお会い出来たのかい」
「えぇ。委託販売の件については、とりあえずまとまりそうね。細かいところを調整する必要はあるけど、今日はそこまでは話さなかったわ」
「そうかい、そうかい」
老婆は嬉しそうに目を細めた。しかしふと、不安そうな表情になる。
「でも本当に売れるのかねぇ」
「何言ってるのよ。今までミヤビ菓子はミヤビでしか手に入らなかったのよ?それを他の惑星でも販売するんだもの、きっと売れるわよ」
「しかしねぇ、ここに来なきゃ手に入らないから売れている部分もあるだろう」
「母さんは心配しすぎよ。ミヤビの化粧品だって他の星のスーパーで売られてるじゃない」
後ろ向きな母親の発言に、女はわざと呆れた表情を作ってみせた。とは言え、内心は同じような不安を抱えていたため、それをごまかすためとも言えた。
旧星にルーツを持つとされる、ミヤビでも有数の老舗「白百合」。彼女はそこの跡取りでもあり、同時に副社長でもあった。
数ヶ月前に各惑星に店舗を持つ百貨店の社長から、「白百合の菓子を他の惑星で売らないか」という打診があり、今日はその打ち合わせをしてきたところだった。
白百合の菓子はミヤビでも非常に評判が良い。白小豆を煮て作った白餡と、白玉粉に砂糖を加えた求肥を混ぜて作られる「練り切り」と呼ばれる菓子は、その柔らかさや着色の良さを利用して様々な造形を見せることが出来る。
白百合は従業員を多く抱える老舗ではあるが、今まで暖簾分けをしたことはあっても他で販売することはなかった。だから、律儀な職人の妻である母親が心配するのも至極当然のことだった。
「今日は疲れたから寝るわ」
「わかったよ。そうだ、カレン。また分厚い論文集が届いてたよ。部屋に置いてあるからね」
「また送ってきたの?向こうも懲りないわねぇ」
母親が何か言いたそうな顔をしたのを見て、カレン・シラユリは慌てて二階の自室に逃げた。
部屋に入ると、バッグをベッドの上に放り投げて、スーツを脱ぎ捨てる。こじんまりとした五メートル四方の部屋には、所狭しと家具が置かれている。窓際のベッドに密接するように古い鏡台が置かれて、その向かい側に大きなデスクがある。デスクの上にはこの店には不釣り合いなスペックの端末が設置されて、書類やら食べかけの菓子やらが左右に積まれていた。
化粧を落とすためのボトルを鏡台から取ろうとしたカレンは、鏡越しにデスクから放たれる赤い光に気づいた。端末に接続された通信機器のランプで、それは何かしらのメッセージが機器に記録されていることを意味する。
カレンはデスクに近づくと、通信機器の再生ボタンを押した。数秒の雑音の後に、音声が再生される。
「……カレン・シラユリ。久しぶりだな」
「あら、久しぶりね」
録音メッセージにも関わらず、そんな声を出したのは、単純にいつもの癖と、本当に驚いたからだった。
学生時代のゼミの仲間、今ではどこかの高等学校の教師をしている男の声に、カレンは何となく昔を想起した。
「別に用事ってわけじゃないんだが、この前先生が来たんだ。カレンの論文のことを褒めていたが……お前、実家を継ぐから研究員辞めたんじゃなかったのか?」
「余計なお世話よ」
「論文読んだぞ。三章の二段落、あれはもう少し考察が必要じゃないのか?」
「そうね」
「他は、まぁ流石だな。次は俺も先生に怒られないように書いてみるよ。珠には同期会でも開こうじゃないか」
メッセージが終了して、次に切り替わる。既に辞めた研究所からの連絡だったが、カレンはそのメッセージには一切の相槌を打たなかった。大学を卒業してから、つい一年前まで働いていた場所だが、今は未練もない。
働き盛りで辞めてしまったカレンを、研究所はどうにか呼び戻そうとしているが、今のところ昇給も昇進も、休日の増加ですら彼女の心を惹きつけるには至らない。
次のメッセージに切り替わる音がした。普段、この機能を殆ど使わないことを考えると、今日は非常に珍しい日とも言える。
「カレン・シラユリ」
その落ち着いた声に、カレンは一瞬背筋を正した。
「アキホ・フェリノルダだ。元気にやっているか?」
ミドルネームの「F」を省略する、いつもの名乗り方。
それを前に聞いたのは、研究所を辞める少し前のことだった。
「もしかしたら事前に、君の同期から連絡が入っているかもしれないな。ちょっと前に会ったから。少し気まぐれに、過去の教え子達を訪ねているんだが、やはり一番出来がいい世代は気になってしまうらしい」
「…………」
「論文を読んだ。素晴らしい出来だ。ここ数年の教え子達の論文の中ではダントツだな。流石LIZの原理を構築した人間だけあって、脳波に関する考察は見事なものだ。研究所を辞めてからむしろ文章が冴え渡ってきたんじゃないか?」
小さな笑い声が間に挟まれた。
「近々会いたい。このメッセージを聞いたら、深夜でも早朝でも構わないから連絡をくれないか。そのための番号を今から伝える。一度かけたら繋がらなくなるから注意してくれ。………実は、重要な頼みがあるんだ」
LIZ-System(リズシステム)
ICHIによって管理、運用される「クローン体脳波通信操作システム」の商標。
開発はラボ・フェリノルダによって行われ、ICHIによって実装された。
主に宇宙空間での宇宙生物の破壊を目的として作られたものであり、地上での運用は認められていない。
(中略)
操作者は規定の装置によって脳神経回路のデータを意識シグナルと命令シグナルの二つに分けて採取される。
二つのデータが後述するクローンの行動を制御するために使用される。
データは採取時には個別に存在して互いへの干渉は出来ないが、相互へのシグナル発信、受信をするために互換機能を付加する必要がある。
それがLIZ変換信号(旧・ベータ変換信号)であり、それにより脳波は一つのデータとして「脳神経回路制御チップ」に埋め込むことが可能となる。
クローンは頭蓋にこのチップを挿入するためのアタッチメントを取り付けられており、チップが挿入されると信号によって肉体全体への信号送信が可能となる。
このため、クローンの脳は半液状となっている。
この液体の開発はシージット研究所の開発チームによって行われた。
チームのリーダーはカレン・シラユリであり、彼女は同時にLIZシステムの元となる論文の執筆者でもある。
操作者は専用のリモートルームからクローンの操作を行い、宇宙空間での活動を行う。
クローンは壊滅的ダメージを負わない限りは繰り返し使用される。経年により神経が摩滅したものや、操作に耐え切れなくなった個体は次のクローンに再利用される。
クローンの元の細胞は過去にICHIに在籍した職員の一人である。
(中略)
これにより操作者の年齢が前線で働く適齢期を超えても、クローンの肉体年齢は二十代から三十代を保ったままであるため、より長く活動することが出来る。
理論上はクローンがクローンを操作することも可能であるが、その場合は操作者となるクローンに「人格」を形成しなければならない。
(以下略)
「なるほど、これが白百合のミヤビ菓子か」
ピンク色の桜を模した練り切りを眺めながら、アキホは楽しそうな声を出した。
ラボ・フェリノルダの研究室は久々の来客を迎えていれていた。広さとして二十メートル四方、白い壁と床に囲まれた無機質な空間。機器や端末などの精密機械が壁や床に設置され、そこには無言の圧迫感があった。
それに精一杯抗おうとするかのように、部屋の北側にはミヤビ式の小さな部屋が設置されている。草を編んだ畳に、背の低いテーブル、座布団。障子によって半分隠れてしまっているため、その全貌は伺えない。
ただ、それらがミヤビ以外で揃えるとかなりの金額になることは誰でも知っている。
西側の壁は巨大なモニターがいくつも連結されている。何かを映し出すためのものであることは明らかだが、今日は一つも電源が入っていなかった。
二人がいるのは部屋の中央にある応接セットで、革張りのソファーを向かい合わせに二脚配置してある。
北側にアキホ、南側にカレンが座り、その狭間にあるガラスのテーブルには、ミヤビ菓子の詰まった重箱が鎮座している。
「素晴らしい造形だ」
「お願いなんて言うから、何かと思いましたよ。食べたことなかったんですか?」
「確か五十年程前に食べた気もするんだが、覚えてなくてね」
「ねぇ先生。先生はおいくつなんですか?」
「君よりは年上だ。それで十分な答えだと思うが?」
アキホはそう言って、少女らしさすら残る顔を綻ばせた。
「というか先生は……ミヤビ出身ではないんですね?」
「何故」
「なぜって……」
「名前は確かにミヤビ風かもしれないな。ミドルネームもそうだし。顔立ちも、旧星におけるモンゴロイド、つまりはミヤビ系の色を濃く残している。だからと言ってミヤビ出身とは言えないだろう」
「はぁ、まぁそうですね。私みたいに金髪のミヤビ人もいますし。じゃあどこの出身なんですか?」
「忘れたな。遠い昔すぎて」
アキホは目の前の重箱に入った、様々な練り切りに夢中になっていた。少々子供っぽい部分があるのは、今も昔も変わらない。それどころか外見すらも変わらないので、カレンは自分の年齢を錯覚しそうになっていた。
「気に入りました?」
「あぁ、とても」
「先生の頼みなら、いつでも持ってきましたのに」
「タイミングを逃すとどうもいけない。君が在学中から気になってはいたんだが」
「気が長いですね……」
アキホは練り切りを二個平らげてしまうと、残りは後で食べることに決めて箱の蓋を閉じた。
「もう研究には戻らないのか」
「えぇ。元々、大学に行ったのも行けたから行っただけですし」
「それで私のゼミに入れたんだから大したものだ。まぁ美しくも楽しくもない宇宙のことなんか考えるより、この綺麗な菓子でも作っていたほうが量産的だな」
「ご冗談を」
「冗談なんか言っていないぞ?所詮研究者とICHIの関係者以外にとっては、宇宙はファンタジーでフィクションだ。ミヤビの作られた様式美のほうがリアルと言える」
「そんなもんですか」
二人ともそこで暫く言葉を切った。カレンは少し首を傾げて、それから相手に視線を向けた。
「ねぇ、先生。宇宙には何があるんでしょうね」
「ん?」
「旧星と宇宙生物。それだけですよ、私たちの興味なんて。コートリアにはそれこそ魅力的な惑星が多々あるというのに、私たち研究者は見えもしない宇宙のたった2つのものに夢中になってるんです」
「そうだな。それが研究者だ」
「きっと一度囚われたら、誰もそれに抗えないんですよ。宇宙生物が侵略してくるとか、そういう実害は別にして、私たち研究者は例え宇宙が平和でも執着心はなくせない。そう思いませんか?」
「…………」
アキホは不思議そうな顔で目を瞬かせた。
「君は来なかったじゃないか。黄昏の丘に」
「………」
「宇宙にとってゼロは切り離せないと理解しながら、なぜ来なかったんだ?」
「変なこと聞きますね、先生も。どうして来なかったか、わかってらっしゃるのに」
ため息混じりの指摘は、しかしカレンの想像以上の効果を生み出した。アキホは薬品焼けの伺える白い指で自らの眉間を揉みながら、天井を仰いだ。
「なるほど、そう来たか。だから君はLIZを作れたんだな。いや…作りたかったから作れたのか」
「そうです」
「だから、ゼロを知らないままだったのか」
「そうです」
「君はやはり優秀だ」
その声は非常に淡々としたものだった。
カレンはその声を鼓膜に馴染ませるように何度か首を振った。
「私は、ゼロについて結論を持っていました。それは先生もご存知だったはずです。あの日、黄昏の丘に行けば全ての答えが得られることも、勿論分かってました。私があの日、何をしていたか先生はご存知ないでしょう?」
「想像もつかないな」
「練り切り、食べてました。朝から。なんだかそれが正しい気がして」
「………美味しかったか?」
「覚えてません。ひたすら食べて、時間がすぎるのを待ちました。あの時、多分私はミヤビ菓子ではなくて時間を食べていたんでしょう。そんな気がします。だってそうしないと、黄昏の丘に行きそうだったから。そうしたら私はもう宇宙に対して憧れを持てなくなってしまう。ゼロはそういうものでしょう?」
アキホは答えなかった。
「私は宇宙に憧れた。ゼロに憧れた。旧星に憧れた。宇宙生物を憎んで、宇宙を守ろうとした。そのためには、ただ一途に宇宙を愛していなければいけなかったんです」
再び沈黙が訪れた。
カレンは、部屋の天井に、何故か大きな鳥かごが下がっているのに気づいた。中には何もいない。インテリアかとも思ったが、よくみれば使い込まれた形跡がある。
アキホはカレンの視線には気づいていた。一瞬だけ天井を仰いで、しかし説明はせずに首を元に戻した。
「君は宇宙を捨てられない」
「えぇ」
「捨てたいなら、ここでゼロについて教えてやろう」
「…………本当ですか?」
アキホは一度だけ頷いた。カレンは金髪を指に引っ掛けるように弄って考え込んでいたが、それを弾くようにして指から離すと首を振った。
「やめておきます」
「それがいいだろう。きっと後悔する」
「次はいつ、お菓子持ってきましょうか」
「今度、他の惑星でも販売するんだろう?忙しいだろうから、暇な時でいいさ」
「でも私は先生には連絡取れないんですよ?」
「ふむ。それもそうだな。………では、白百合の菓子がどこかの店に並んだら、連絡しよう」
さりげなくプレッシャーをかけてくる元恩師に、カレンは仕方なさそうに笑いながら頷いた。
「多分、論文を書き上げるより、そっちのほうが大変ですけどね」
「だから面白いんじゃないか」
END
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