#174 Night Like This(こんな夜に)

「ごちそうさまでした。アラタさん! 流石にエンターテイナーだけあって、食事も相応にリッチですね」


 普通に感じの悪い言葉と共に大きく白い息を笑顔で吐き出した新山ニイヤマ彩乃アヤノは屋外の寒さに身を捩り、ふわふわしたコートの襟を軽く絞った。

 欠片も高級感を感じさせない庶民的な飲食チェーン店から彼女に連れ添った僕も、それに同調する様にマフラーを首元に寄せてから苦笑いを卒なく返す。


「僕は自分のことを結構皮肉屋シニカルな方だと思ってたけど…君には負けるな。多分大敗する」

「お? そう言う割に、どうしてなかなか切れ味鋭い感じですよ?」

「そうかな? 第一線を走る彩乃アヤノさんに言われると自信がつくね…或いは自信に比例して何かを失うのかも知れないけど?」


 お互い含む所がそれなりにあるだけで、特に毒にも薬にもならない牽制未満の言葉を交わしてから無味乾燥を承知で笑い合う。

 僕としては相談を終えての満足感を交えた上での乾いた笑いで、彼女にとってもそれに近いものだろうと思う。


 どうにかこうにか、紆余曲折を三回位繰り返してUターンが絡んだ僕の悩みの吐露はそれなりに満足の行く結果となった。

 とすれば、そのお礼代わりに――そんなに高額ではない金額の――メシ代を持つ事くらいは訳無いし、くだらぬ男の見栄的にも全然問題無い。


 ただまあ僕自身のここ十日ばかりの食生活が外食ばかりなのはちょっと改めなければならない習慣だろうと思う…アラタだけに……アラタだけに。改めよう。


 外気温よりも遥かに寒い洒落は置いておいて、とりあえず――長い時間相談場所を提供して貰ったばかりか――晩飯として軽食までもを頂いた飲食店をしばらくぶりに出た僕達は店先で、先に述べた様な洋画みたいに小粋でお洒落な会話を交わしたのである。


 お互いを罵り合う様にひとしきり含み笑いをユニゾンさせた僕達ではあるが、それでもやっぱり無情にも別離の時間は来るもので。


 右手を軽く挙げてから、爽やかに別れを切り出してみた。


「さて、彩乃さんのおかげで方針も固まったし、閉店しない内にプレゼントを買いに行くよ」


 それを受けて「お、気合十分ですね」と彼女は感心の息を吐き、それを吸ってから悪戯に顔を歪めて身体を寄せる。


「ただ一つ心配事があるのも拭えない事実なワケでして…」

「えっ、なにそれこわい。あれ? もう後はマジで買うだけなんだけど……」

「いえね、アラタさん。大丈夫そう? 貴方一人で行けますか? なんなら、着いて…」

「いやまて、おいおい子供キッズか!」


 彼女のあんまりな言葉につい古典的な仕草ってビシッとツッコミを入れてしまった。冬服の分厚いコート越しに伝わる柔肌の感触が想像力を――ではなく!

 いや確かにね? 君が心配してくれてんのは凄く伝わるんだけどね? いまだかつて見たことない慈悲深く伏せた眼の色を見ればそれ位は理解出来るよ?


 今尚、頑として母親のような包容力を感じさせるあたたかな眼差しを向ける年下女性に対して、否定の声を強くして高らかに宣言する。

 もう数日の前とは違うのだと! 僕は異性に対しては流行りの『バブみ』では無くて。どちらかと言えば今や懐かしい感じのする『嫁感』を求めるのだと…いや、これは失言つーか普通に妄言の類だな。別にそこは求めてないわ…うん。ネットに毒されるてるな色々と。


「大丈夫…やれる。僕はやれる。うん絶対大丈夫だよ」


 追いやられた精神の動揺に引っ張られたのか、口からは大層頼りない自信が飛び出した。

 無根拠で全然信用出来ないと思ったのは発言者だけでは無く、当然それを受け取ったものも同様だったらしい。


「ほんとに? 電話とかメールしない?」

「ああっ、ああ…とは言い切れない部分は確かにある」

「ほんと着いていきましょうか?」

「いやいや大丈夫だって。マジで! つーかどうしたの? なんでここに来て優しさと母性がマックスなの?」


 これ以上僕を甘やかしてどうする気だ? 一体全体何が狙いなんだよ!

 人の善意に対して懐疑的な意見を持ってしまうのは我ながら哀しいし、なんとも見下げ果てた様な気分にはなるのだけれど。

 誠に残念ながらその程度には新山彩乃という女性を信頼している…主に信用出来ない人間であるという意味で。


 そもそもある種のハニートラップで僕を攻略して籠絡した所で残せる財産も使える権力も殆ど人並みか、或いはそれ以下程度にしか持ってないぞ僕はっ!

 っあ、ひょっとして彩乃キミ無しでは駄目な身体と御主人様無しでは生き生きていけない精神に調教して矯正するつもりなのか!


 …いや、それすら別にメリットじゃねぇよなと頭のどこかで客観的クソ野郎の僕が自分を冷淡にディスるのを何かの器官で感知していると、やがてその内に彼女は懐深き慈悲の笑みを小悪魔の色でそっくり塗り替えていて。

 そして現われる見慣れた彼女の表情は、何処までも扇情的で挑発的でありながらも歳相応の甘さと弱さが同居する複雑な魅力を持つものだった。


「知ってます? 私、結構姉が大好きシスコンなんですよ? ちょっとだけ歪んでるけど…」


 思ってもみなかった方向から投げられたその傾いた告白のせいで不意に口の端が緩む。

 大袈裟な溜息と共に演技過剰気味に天を仰いでから、やがて俯く。

 あたたかさに緩む頬を抑えつけて、歯の奥で必死に笑いを噛み殺した。


「そうだね。ちょっと前に――ココじゃない、何処か近くの飲食店で、君のそれに触れた気がするね」


 なるほど。

 僕が遭遇した未知なる愛情は他でもない唯一の姉に向けての偏愛という訳らしい。

 その為なら、彼女の為ならば――姉の恋人へ協力や助力を施すこともやぶさかでない事を含んだ完璧な解答。


 そんなの、新山ニイヤマ家に深く関わった僕としては納得するしかないじゃないか。

 如何せん、手法や手口が微妙に倒錯的なのも彼女らしいと思えるし、微笑ましくて愛おしいとさえ思える。まあ、そんな風に思うのも僕だけかも知れないけど。


 卑猥で性的な意味など一切介さない――もっと純粋にそんな夜を共に超えてきた彼女の吐露だからこそ、僕は歯を見せて笑ったんだ。


「ちなみに、あの時の泣き顔はめちゃくちゃキュートで。マジで死ぬ程カッコよかったよ」


 その全てが鍵で、同時に扉だった。

 感謝の気持ちの一部でも伝われば良いと祈りながら、性懲りも無く皮肉オブラートに包んで口を開いた。 

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