#164 Crush the Window(殻を破る)

 それは漫然と思い付いて、漠然と思い当たって、その執着として自然に行き着いた心根こころねについて、依然として気は重たいままではあるが、気とやらを発生させる脳か心の中は急速に曇りが晴れてクリアになった気がしなくもない。


 知覚する意識の外において右手で虚空を軽く払ってから、重たい虚無を思い切り強く握る。


「本当にそれだけだった、それしか無かったんだ…。これまでの僕は多分。確固たる思いとか絶対に成し遂げたい野望ユメなんてなくて。そう言うと、またお前は怒るだろうけど、有する才能に付随する将来ビジョンなんて全然無かった」

「なっ、な、まっ…まだ、お前はっ! アラタぁ、この期に及んで未だお前はっ……」

「でもだ。明日からは違うよ」

「はぁ…?」


 僕なんかでは計り知れない疑問符と感嘆符を浮かべる色男。

 全く持って意味不明な戸惑いの表情を浮かべる悠一ユーイチを見るのなんていつぶりだろうか?ひょっとしたら初めてかも知れないな。


 そういう意味では今日は格別にスペシャルだ。

 口の端に笑みが小さく浮かび、連動して薄く口角が上がる。シリアスな場にそぐわぬコミカルな仕草。


「先天的な家柄生まれも持ちうる学力アタマも、後天的な社会性すら微妙な僕だけど…幸いながら、才能と周りの人間には恵まれた」

「ははっ、自慢かよ」

「皮肉はいいからとにかく聞けよ。悠一、自慢じゃなくて、これは告白だ」


 そう告白。酷薄な酷白。

 愛でも恋でもなく。懺悔や吐露に似た内なる自分の開放なんだ。産声と共に初めてあらわれる自己表現の一つ。


「家族がいて、友達がいて、親友がいて、恋人が出来て――なんて…口にすれば本当陳腐でありふれた恥ずかしいフレーズだけどさ。それがすげぇ事だって今は思う」


 多分、マジで幸福しあわせな人間なんだ。


 僕に賭けてくれた最高の男が羨んだ才能が僕なんかにあったこともそうだし、それがこの世界において開花したのもそのおかげなんだから、半端なく大したもんだと思うよ。心の底から。他意無く、真っ直ぐに本気でさ。


 だから――、


「これからは…明日からの僕は今迄通り、今迄の無意識から脱却して、僕の為と――僕と僕の大切な人達の為に曲を作って、歌おうと思うんだ」

「はあっ?」

「たったそれだけで、僕は多分…やっていける。いつかは止まることになっても、暫くは大丈夫なハズさ」

「い、いや…。全然意味分かんねぇよ。何一人で、納得してるんだよアラタ」


 前のめりで疑問の心を表現する悠一だけど、生憎僕の精神はその逆で、今この瞬間も加速して進んでいる。

 もう、その瞬間の境地は遥か昔に通り過ぎたよ。自分勝手に置いてけぼりだ。


 しかし、人間が社会的な集団を形成し営んでいる昨今。

 いくら社会人では無いとは言え、多少なりともその通例や慣例に迎合する必要がある訳で。自分の速度を誰かのそれに合わせる必要がきっとある訳で。


「…あ、ああ。もう、悪い癖だ。駄目だな。自己防衛で逃げの道ばかりを選んで、そのせいで他人ひとを傷付けちまう」


 だから、僕はいつだって他者の共感を求める言葉を選んで発する。

 それってやっぱり打算ありきで卑怯な精神かな?


 でも、これは今迄のクリエイティブな作詞や作曲と大差無い行為だよ。まさか、今更お前はを強く否定しないだろ?


 なんて、「それは間違いなく卑怯だな」と自嘲の精神が心を支配し、表情の表層に浮かび上がりそうになるのを必死に堪える。今はシニカルを封印して、パッションでピュアなエモーションを優先するべきだ。


 分かんねぇかな?


「行方不明のモチベーションは僕の内側なかでは無くて、外側そとにあったってこと。本当にそれだけの話さ」

「それは麗しの恋人のことか?」

「勿論、彩夏彼女はそこに含まれるけれど、友達や家族や仲間とか。或いはファンでいてくれる人達が楽しんだり、それ以外にも何かを感じてくれるなら、僕には歌う意味がある」

「立派だね。お前は実に立派だよ、アラタ。それでも俺は救われないよ」


 弱音と自嘲に皮肉を混ぜた言葉。

 それを吐き出した口で煙草を迎えて、たどたどしく火を着けた。


 代わりに出て来た紫煙が個人的に含む感情を完璧に図り知る事なんか到底不可能だし、そもそも僕が愚かであってもそれを望んだりをしない。


 だから返すアンサーは既に、とうの昔に決まっている。


「なぁ、悠一」

「なんだよ」

「知っての通り、僕は余り自分を過信する方じゃないけど、その割に存外妄信するタチだと思う」


 だから、断言出来る。

 そんな阿呆な夢想家の僕だからこそ言い切る言葉がある。

 偉そうに持てる者の義務と責務ノブレス・オブリージュなんてのたまったりうそぶくつもりは無い。そんな身勝手極まりない幻想を盲信するのは趣味じゃないし、ガラでもないけど、それでもさ、


「お前の夢の向こうを僕が見せてやる。僕の憧れたお前が渇望した才能で…」


 僕はを背負って歌いたいんだ。


「はっ? アラタ何だそれ? 飛躍し過ぎだし、何のこた……」

「飛躍なんか一つも無い。いや、それは言い過ぎか。会話は少なくとも飛躍トバしたし、文脈とか吹っ飛んだもんな、ホント締まらねぇよ」

「いや違ェよ。論点はそこじゃねぇ…って、俺も、マジで何言ってんだろうな…。そうじゃねぇよな」


 互いのらしくなさが絡んで、ケイオスを伴った混乱となって当事者たる二人に纏わりつく感覚。結果として生まれるのは面映い肌触り。これが幼馴染の距離間か? 違うだろ!


 これまで顕在化して無いだけで、僕達はそれを共有していたはずだ。共依存とは違う形で僕達を繋いでいたはずなんだよ。


 そんな思いが伝わる訳は無いけれど、僕は言葉を次いで行く。


「何も変わらないよ、悠一。何でも持ってるお前に唯一欠けている才能ものを僕が持っているならば、欠けているそれを僕が補うよ」

「あ、アラタお前…それって……」


 悠一の整った顔立ちに浮かぶのは混乱と得心の二律背反。

 けれど、聡明な彼の事だ。きっとすぐに思い当たるはずである。僕とは違うのだから。

 その証拠に萎んだ言葉尻と反比例する様に焦点が定まっていく双眸は平時の涼やかさを取り戻しつつあるのが見て取れる。


 そんなセキを切った清流の様な幼馴染に対して、珍しく僕が優位に立てそうな機会である為、めいいっぱい表情カオを作って発言する事としよう。


? なら、お前の足りない所は僕が埋めるよ」


 相対する色男がかつて発した言の葉だけで無く、お株までもを奪うべく、サムズアップで得意げに口にしてみたが決まっていただろうか? 今度気が向いたら聞いて見る事としよう。今は時期が悪いから。


「だから別に今までと変わらない。僕の苦手はお前が埋めて、お前のものは僕が…って。な? 今迄通りだろ?」


 これが僕の辿り着いた論法こたえの全て。

 僕としてはあるべくものをあるべき姿にきちんと収めたと自負しているが、彼にとってはどうだろうか?


 結局、今回も僕がやったのは僕を押し付けただけ。今迄もこれからも。

 その姿勢はきっと唾棄すべきものなんだと自覚しているが、他者の劣等感や感情を全て汲み取ることなんて到底不可能なのだから、これで良いんだと思わなくもない…いや、良くは無いけど折衷案的にベターだと思う。

 

 さて、という言うのは言い訳まじりの前説で、僕は無能の全てを場に開いた。

 この果てに展開がどう転ぶかは神のみぞ知る事柄だし、田中悠一自身が選ぶ選択ミチである。


 僕にはどうしようもない。

 本当にどうしょうもない。

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