#153 Sinfonia! Sinfonia!!!(ともに鳴り響く!)

 はてさて、そんなこんなでなんやかんやのてんやわんやな内に、忘却自失な最中に沈黙の数分が経過しましたが、隣接する彼女の具合はどうだろうか? 目に見えぬ内面において数奇に引いた波や新たに寄せる白波はあるのだろうか?


 アホみたいに間抜けな忘我の構えを思い付きで解いて、地理的に横に座る彼女の顔を覗き込む。

 分厚い布地のカーテンみたいな嵩張る前髪が隠していたのは裸の心を映す鏡。すなわち心境が顕れた表情である。


「いや…もう、本当に……アレ? どうして? 可笑しいな…いやあれ? もう、なんだろう、本当に。マジで何で……アレ? どうしてだろう?」


 どう贔屓目に見ても、あらん限りの不正をかんがみた所で混乱は誤魔化せそうに無い錯乱し、混乱した口調と震える声で端正な顔をゆがませ続ける彼女がそこにいる。


 その口調や様子、含んだ様相は平時とはかけ離れていて――内包する心情の荒波の高低差――激しい落差の具合を想像させる。


 いやいや、え? なんで? あれ? みんな仲良く大団円で万事解決。めでたくハッピーエンドの流れじゃねぇの? いやあれなんで嘘だろ?


「…心の何処かで多分、私も分かってた。きっと父との関係は――些細なボタンの掛け違いなんだと。でも認めるのが怖くて、きっと恐れていて、それで……、」


 薄氷みたいに割れやすい、極めて繊細な表情が隠して含んだもの。

 それを予想する間もなく彼女は素早く言葉を継いで、混沌のままに感情を深く吐き出した。


「きっと、私にとってどうしても認めたくないもの。でも、それは貴方によって開かれて、明らかになった」

「そりゃまあ…そうなんだけ……ど? あれ?」

「全てが白日の下に晒されて、弱い心を丸裸にされて―――どう思ったか、一体私が何を感じたか」


 もう本当に。

 どうしようもなく気分よ。


「こんな自分が狂しいほどに惨めで、堪らなく恥ずかしくて、喩え様のない程に情けなくて。加えて卑しい上に呆れる位に愚かでもう―――本当に、今すぐ死にたい。消えたい」


 いつになく――と言える程に彼女の知っているわけでもないれけど――それでも、これでも聞いたこと無い冷たい畦蹴る様に切り裂く声。

 

 それが彼女の保っている本音で心根ならば…色んな人を傷付けて不愉快にさせて、過去を刳りながら積み上げてきた頼り無い塔はもう既に―――


「あっ…マジで…。いや、そんな……僕は、僕に。いや僕にっ! そんなつもりは――」


 一周遅れで急速に回り始める頭の中はネガティヴ方向に振り切った絶望的な意見が本流になりつつあり、清流とはかけ離れた明度のそこから生み出された言葉は何とも曖昧模糊で正鵠を射ない。

 それとは対象的に混乱の渦の中心に立っていた新山彩夏の口ぶりは段々と一言ずつにその精度を高めていく。


「…私も薄々気付いていた。父にも何か事情があるのかも知れない。彩乃ちゃんも何か考えがあるのかもしれない。だけど、それを全部見ないふりをして、聞こえないふりをした」


 一つ残らず無かった事にした。


「にも関わらず、そんな長年の葛藤と確執を貴方は詳らかにした。ともすれば、呆気無いほどにあっさりと。全てを綺麗に無理なく繋いで見せた」

「いやっ…それは―――確かに! 結果的にはそうかも知れないけど…そうじゃなくて。言いたいのはそういう話じゃ無くて…」


 冷たい芯が一直線に通った声とは対照的に震えるだけの僕の声。

 それは最早会話とは程遠い、醜い感情の応酬で、きっと対話とは真逆のベクトルを暗く持った泥の掛け合いだ。


「君は……。アラタくんはさ、所詮――貴方がどう言い繕っても、紛れもなく人間だから…きっと到底分からないと思うけれど、多分全然理解出来ないかも知れないけれど、それは私にとっては…致命的だよ」

「ま、ま…あァ、なんだ。あ…くそ、その、まっ…マジで……。いや、その。僕は! あっ、あのさあ。違う、違うんだ。何だよ。あの、その…僕はっっ―――!!」


 拒絶の為の無慈悲な氷の城を構築する様な声色と雰囲気に呑まれ、まともな反論や反証が出来無い。

 浮かぶのは幼稚な疑問符。声に出るのは浅い息。なんで、どうして?


 何がどうなってこんな状況になってんだよ。

 僕は彼女の為に、彼女を解放する為に行動を起こしたハズなのに。


 その果てが現在の現状イマだってのかよ!


「でもね…」

「えっ?」


 色を抜いた髪を掻き毟りながら後悔し俯く僕は彼女の否定で顔を上げる。

 横には天を仰いで自嘲の笑みを端に寄せた彼女。


「貴方はただの切っ掛けなだけで、多分私の中には昔から、こういう私がいたの―――いや、いないのかな? どうだろう、わからない…。どちらにしても、それはきっと空虚で虚構な私」


 不意に喉が鳴る。無意識に唾液を呑み込んだのだと後から気付く。それは僕が位置するはずの現在という瞬間から明確に遅れて来ている証。


 それこそ切っ掛け。

 その言葉を境に彼女の表情の質が変化する。

 鏡には泣き顔。醜く歪んだ心の色。


 大きな声で吹き出す内面ホンネ


「でも駄目だっ! そんな私は何も無い。そこまでして貰って…ここまで貴方にして貰って空っぽの器から何も出て来ない」


 そんな事はない。大丈夫。君のせいじゃないから安心して。

 取り乱し憔悴する女性に囁く常套句はせいぜいこの位か?


 頭の中でニヒルな自分が「あまりに安っぽいな」と苦言を呈した功罪で、良くも悪くも直接口には出さなかったと思う。


 故に出来る事は、僕に取れた採択は狂乱する恋人を眺めるだけ。内なる自分を確かな理性で獣のように発散する彼女を見守るだけ。

 情けないにも程があるが、採るべき択が余りにも絶無過ぎるから。


「しかも、その挙句、愛してもらっても私には何も出来ない。私には何も返せない…」


 自己批判する批評家の目から零れ落ちるのは大粒の涙。

 それは先程までとは温度の違うものに見えて、性質がまるっきり違うものみたいに思える。


 そのおかげでやっと僕が伝えるべき言葉が見つかった。ようやく君に言える。気付いてなかったのが、今更感があってちょっとばかりアレだけど。


 けれど、伝わるまで何度でも言おう。君が理解するまで伝えよう。


「何で私はこうなのっ! どうして与えてもらってばかりで…いつも、いつもっ、いっつもっ!!」


 伝え聞いて斜め読んだ彼女の人生を振り返っても与えられてばかりだとは思えない。生きるだけで誰にも与えない、何をも与えられない人間なんている訳が無い。


 幼稚な僕はそう信じているけれど、それも彼女の言う所の”持っている”人間の傲慢な理屈、その範疇なのだろうか?

 もし仮に僕がのならば、人生において――それこそ我が親愛なる幼馴染の様に――もっと異性にモテたと思うが、それとこれとは別の話なのかな?


 とは思うものの、彼女にそれを問うても詮無き事で、何よりも現状に即さない無用な僕だけの若きウェルテル。


「特に貴方にはかけがえのないものを貰ったのに。ハンマーヘッズは屍同然だった私に生きる理由を与えてくれたのに…」


 だったら僕も君から貰ったよ。全く以て気が合うね。同調率が半端なくて、もはや共依存のウロヴォロスだ。もっと早く出逢いたかったよマジで。心の底から。


 やっぱり『運命』は君の中にあった。


 今尚怨嗟と恥辱の声で自分を辱め貶める彼女はこれ以上見てられない。理論では無い感情の鎧を纏った僕の行動は短絡的でエモーショナルだ。


 彼女の肩に両手を回してくるっと半回転。ソファの上に座らせてこちらを向かせてから普通にガバっと抱き締めた。力いっぱいに優しく。気持ちが少しでも伝わる様に熱を込めて。


「あるよ。君は与えられてばかりじゃない。立派に何かを誰かに与えてる」

「えっ…? いや、ちょっと…えっ??」


 感情と状況の振れ幅の大きさが彩夏に少しばかりの平常をエンチャント。

 混乱してる時に予想外の行動を取れば逆に落ち着くという―――つまりはマイナス×マイナスはプラスになる数学的なメソッドだ…中学生並みの作戦が上手く行って良かったぜ……。


 阿呆な思考と考察を悟られない様に真剣な顔を作り――いや実際これ以上無い位に真剣で、未だ嘗て無い程にクソ真面目なんだけど――テンパってんのか?

 ぐちゃぐちゃした機能不全のジャムを抱えて僕は彼女に顔を近付ける。慣れないキスするためじゃない。


 無線の壊れた宇宙飛行士がその思いをヘルメット越しの振動で伝えるみたいにおでこを直接合わせて静かに口にする。

 真っ直ぐに目を見て、言葉と心を最短ルートで君に届けようと意思を込める。


「僕は君に愛を貰った。君のお陰で愛を見つけた。今迄…本当に長い間。どれだけ探しても見つからなかったのにさ」


 恥ずかしげもなく他者の歌った有名な歌を借りれば、鞄の中から始まって手の届く範囲は全部探したけれど見つからなかったものをアッサリと君は示したって事。

 求めて止まない他者からの愛情で僕の空虚を埋めてくれた。多分ドーナツの穴を埋めるのは誰かの愛情なんだよ。


 気を抜けばすぐさま吐き捨てる様な口調になる。自嘲の渦に囚われた彩夏の前でそういうのは好ましく無い…堪えられるか?


「僕が今までどんなに行動しても、返ってくるのは微々たるもの。音楽だって僕に与えてくれたのはちょっとしたお金と身に余る名声と…前みたいに――行動を縛るだけの有名税くらいだ」


 つらつら身の上を口にしてたら悲しくなってきた。

 こうして振り返って見れば、順調な風に見える。彼女の言う通り。


 けれど、その中で僕は藻掻いていた。

 音楽を続けて、数え切れない位声を張り上げて。

 その中で僕はいつまでも何処までも探していた。混じり気の無い真実の愛を。本物の恋を。


 代替の無いたった一つを求めて二十数年を彷徨った。


「だから君は唯一だ。君しか僕に愛をくれなかった。僕に愛してるの意味を教えられるのは君だけだ」


 それだけで僕は君の存在を全肯定出来る。

 そんなことだけで僕は君の価値を信じる事が出来る。


「って、酷いよね…。これって結局、徹頭徹尾全部…まるっと僕の都合だ」


 短い言葉を下手糞に接ぎながら苦笑い。我ながら、なんてクソみたいな言い草だ。これで他人が説得出来るならネゴシエーターの時給は二十円位だろう。


 世界で働く交渉人に敬意と哀悼の念を捧げて僕は目の前の女性、その長く厚い前髪をかきあげて眼と眼を合わせる。伏せがちな蒼い鏡に不器用な男が殊の外真っ直ぐに写ったので空気を読まずに喉の奥で少し笑う。


 忙しなく挙動する瞳の外側で淡く陽炎の様な薄紅を引いた顔を視界いっぱいに収めてから、僕は結論。


「屍だった彩夏に生きる希望と幼稚な愛情。加えるのは過去の過失の精算。引く事の羞恥と絶望を与えた――僕は、君からしか絶対の聖杯アイを受け取れない。その役は君以外には不可能だ」


 それでものであればこの話はここでオシマイ。敢え無く終着で呆気無く幕切れである。

 僕の盃を満たすものは永遠に現れないだけだ。うんそれだけ、ああ孤独死は嫌だなぁ…。


「僕は何者にも何物をも強制しない。これはあくまで僕の本意エゴであって君にとっては道標の一つ。新山彩夏、選ぶのはあくまで――どうしたって君自身だ」


 僕のカードはこれで全部。

 予定していた展開からはかなりズレてきてしまったが、今にして思えば楽観的で客観性を欠いた希望的な観測だった気もする。もう分かんないけどさ。


 それでも変容していない事実は主導権は依然として彼女の小さな掌に握られているという事実。

 どうあがいても覆せない現実を前に僕は、彼女の選択をただ見守るだけだ。


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