#149 Marine snow(幻想世界)

「さて、ようやく……。本当にようやく君に全てを伝えられる段になった訳だけど、ここで最終確認的な注釈を一つしておきたいんだ」


 キメるべき局面で決められない系バンドマンであることを自称する僕は、鈍色に光る指輪を差し込んだ右手の人差し指を立てて、みっともない予防線を再度追加して投下する。


 ようやっと最終局面まで来た癖に、我ながら本当に女々しくて卑しい。


「これから話すのは君達の父親の過去であり、渦中の容疑者本人から聞いた過去。それと君の妹であり、当事者の一人である新山ニイヤマ彩乃アヤノから聞いた幼き影の記憶。それらを組み合わせて補完しつつどうにか組み上げたもので、絶対的な客観性を持った事実では無い」


 そう。そんな言葉のアヤみたいな事柄こそが唯一つの肝で要で、合わせて肝要なのだ。うん、なんだか故事成語みたいでイケてるし、これならイケる気がする。


 もう既に終わった出来事を干上がった記憶の井戸から掘り出して、現在から無理矢理接着剤で組み合わせた――論理によって過去に限り無く近いと推論付けた虚構なのだ。間違っても完璧な正解では無い。


 むしろ精緻に創り出した分だけ現実とは乖離している可能性だって十分に考えられる。それを絶対的な正解として誇らしげに彼女に開示し、押し付けることは僕の中の小さな矜持が許さなかった。


 故に何度も確認をとって誤解を埋めていく。フェアに思考して貰う為の下準備をおっかなびっくり行っていく。


「えっと、その…つまり? あの――馬鹿でごめんなさい。つまり、どういう…こと?」

「おっと、こちらこそごめん。言い回しが無駄に面倒で」


 どんな場面でも彼女に自分を下げるような言葉は吐いて欲しくないのし、卑下するみたいな態度はとって欲しく無いのが自分勝手な本音だけど…。

 然しながら、彼女の心底申し訳無さそうな装いと会話から察するに、そもそもの注釈が要らぬお節介であった事は明白で、骨折り損のくたびれ儲けどころか――何と言うか、普通に損だったかなと思い間違える。


 僕の軽薄な心身及び微妙な空気をリセットする意味を含めた意味深な溜め息を一つ置いてから、気まずい場を繋ぐ。


「つまり、全ては過去だから。既に起こってしまった事だから。推理小説みたいに百パーセント真実では無いこと。それを念頭に置いて欲しいということ」

「うん。そうだよね。大丈夫」


 両手を決意に小さく握り締める仕草が可愛くて、思わず顔が綻ぶけれど。

 実際問題結構笑い事では無いんだよな。


 僕は未だ普通に疑ってる部分だってある。眼の前の愛しい女性の家族が、家族ぐるみで僕達を謀っている可能性はどうやったって捨て切れない。

 とは言うものの、そうすることで得られるメリットも分からないでもないから、仮に全てが文豪と聡明な義妹の策謀だとしても僕はきっと乗ったことだろう。だってそれは――君の為の方策に違い無いのだから。


 それは僕にとって本当に望むべく事柄だから。


「しつこい位に嫌って程繰り返すけれど、真実を決めるのは彩夏…君自身だ。君に内在する宇宙の真実を定められるのは君以外に無いのだからさ」

「うん、大丈夫…本当に。分かってるから」


 彼女が深呼吸と共に吐き出した短い言葉を了承と受け取り、僕は聞いたばかりの話をさも自身の経験の様に語って聞かせる運命を数奇だと感じながらも言葉を紡ぐ。


「英語被れの僕としては文法的に、ズバッと結論から先に口にしたいと思う。準備はいいかい?」


 ごくりと細い喉が動いたのが見えた。

 その白い首筋に噛み付くことの出来る日は来るのだろうか? 所有権を主張するマークを刻む事が出来るのか? 来て欲しいなぁ…そんな瞬間が。


旧川フルカワ好恵ヨシエ――本名、新山一幸の不義理未遂。その発端は君の母親にあるんだ」

「そんなの分かってるよ。お母さんが病気になって、それで…あの人は考えられる限り最低なタイミングでお母さんを――私達、家族を裏切った」

「それすらも錯誤で君の認知の誤りの一つだとしたら?」

「えっ?」

 

 弾かれたピンボールみたいな速度で顔を上げた恋人を見て、僕はようやく安心と確信を得る事が出来た。


 きちんと話を聞いて貰えそうで何よりだ。

 彼女にとって一番くだらない結末は、全てから心を閉ざして一切合切を拒絶したまま終わってしまうことだから。


 そして何よりも、仮にも恋人としてそれなりに信用を勝ち得ているみたいで、彼氏としての立場もあった事実が嬉しいよ。


 空っぽの器に多少なりとも充足感が注がれたことが僕の足を精神的に前に進める。


「つまり浮気という背信を提案したのは他ならぬ君達の母親で、新山一幸の妻自身なんだ。彼女がそれを夫に教唆したんだ」


 それが物語の全てであり、愛しい人の誤解の全部。

 裏切ったのでは無く、むしろ家族に対して誠実であった男女の矛盾に満ちた思考形態が事件の底にはある。


「病床の身で彼女は言ったそうだ。『私の事を思うなら、家族の為を思うのならば』と、」


―――私の他に女を作ってくれ。


 苦渋と嗚咽の滲んだ笑みを悲壮の器に浮かべながら、そう告げたそうだ。

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