#147 Seven Doors(無数の選択肢)

 詮無き感傷と当て所無き感情を幾つも刻んだ惑える精神を引き摺って―――みっともない傷だらけの代償に僕が掴んだもの。

 器の小さいズタボロの右腕と拙いギタープレイによって長きに渡って磨き上げた左手を伴って、僕は生来より変わらない不恰好な想いを繋ぐ。


 今より過去から現在へと―――脈々と無慈悲に続くどうしようもない世界線の上で―――自尊心を封じた自意識を通して、ロゼッタストーンに刻む程では無い個人的な出来事を…努めて客観的な事実を口にする。


「改めて…きちんと明確に言うならば、文豪たる新山ニイヤマ一幸イッコウは…僕の親しき隣人たる君達姉妹の父親は―――君達美人姉妹を…いや、もっと厳密に言うならば、君の母親を含めた家族を裏切っていない」


 彼の辿った変遷や変移、諸々の経過はどうあれ、結果的には紛れも無く、


「彼自身と彩乃アヤノさんから取れてるし、僕自身もそうであると感じるし判断している―――いや…ひょっとしたら根拠無くそう祈ってるし、主観的に信じてるのかも知れない」


 語尾に行くに連れて頼り無く、加速度的にしぼんでいく語気の強弱が、僕の言葉を裏付ける自信の無さを顕現している。


 それはそうさ。


 確かに当人とその家族から、かつて起こった過去と経過なんかは聞いた。

 だけど、その開示された全てが策謀の為に予め用意された、外交の為のハリボテまみれの嘘っぱちだとしたら?


 根本的に部外者であり、その場を過ごしていない僕に、今更真偽ソレを量る術は無い。

 冷たい感触とひりりとした空気が気候と合わさって背中に貼り付く。無視だ。敢えてね。


「だからさ、君の観測いけんを聞かせてよ…。考えを教えて欲しい。そして摺り合せて過去に、一歩でも近付こう。明日へ進む為に過去トラウマをきちんと検分しよう」

「え、ええ…え、ええぇ?」


 鼻息荒く息巻いて、議長の真似事を始めた僕と狂乱から多少回帰した上で何となく流される雰囲気のある恋人。

 諸々な意味で些か心配にならなくもないけれど、まあそれは後回しで追々の…次回以降の外伝的なアナザーエピソードで構わないだろう。


 僕達が論ずるべきは過去を踏まえたこれからの話だ。次回以降の未来を創成する為のイニシエーション。


 大きく息を吐きだして、無為に格好をつけたりつけなかったり。


「つーかさ、君がどう思おうとも僕的には実際問題―――君の父親で僕の義父(仮)である文豪の醜聞の是非だか正誤はどうでもいいから。本当に、マジで。心の底から」


 ただ僕は、君の心で固まるを解消できればそれでいい。


「だからさ、そんなの抜きにして話そうよ。僕の知る全てと君の全てをさ。他でもない君の為に。そう思うと、結構気が楽じゃないか? 何の責も無い。彩夏アヤカ自分きみ自身の為に行動するだけ―――それは、すごく自然な事だろ?」

「いや、でも…」

「まあ、むしろ僕としては君が、そうしてくれないと数日分の苦労が徒労に終わる訳だけど、そんなの全然気にすることないよ」

「なにそれズルい…アラタくんだけが傷付くだけの結果を私は容認出来る訳ない―――貴方はそんなの知ってる癖に」


 相対する詐欺師に近い偽悪者に対して苦い顔で吐き捨てる彼女に感応した僕の口内に広がる苦い記憶と仄暗い感情。

 でもきっと、それらが罪悪感を端にしているならば、僕は結構善良な人間にカテゴライズ出来る。苦々しさを含んだ顔は妹によく似ているなあという感想もきっと世界には許されたものだろう。


 けれど、君の言うを予め知っておける様な気配りや配慮が出来る人間ならば…。

 更に言えば、度を超えて善良で高潔な人間性を持った精神的に美しい人物で有ればさ――もっと僕の人生はイージーでエンジョイフルで――きっと、今の僕よりもずっとカラフルでハッピーだったはずだから。


 けれどそれは叶わぬ夢で。

 僕はどう足掻いても僕から逃げられない。

 

 そう無慈悲に無感情に諦めて、適当にカテゴライズして、レッテル的に結論付けてしまえば、多少なりともラクになる。


 そんな心理に辿り着いた僕は気の抜けた表情で、口元を探求者たる余裕を持ってユルめたと思う。


「色々遠回りして、廻り道をした僕達だけど―――そろそろ交わりたいと思うんだ。色々とね」


 短い言葉の中に含む所が多過ぎて、失笑に緩んだ口元が更にだるんだるんになりそうだが決死に堪えた。流石にこれ以上、持って生まれた間抜け面が弛緩するのはどうかと思うから。


「彩夏。君が僕と同じ気持ちなら―――少なからず想いを同じくしていて、共有してくれるつもりが有るのなら聞いて欲しい。それが僕の、率直かつ素直な願いだよ…」


 加えて言えば、願いの先にあるのは甘くて素敵なものであればいいのにと思う。

 が、その一言は飲み込んだ。現状の僕にそんな夢物語を口にする資格は無いから。

 含んだその絵空事は本当にまだ未確定の青写真で、声に出してしまえば呆気無く崩れてしまう程に脆弱で頼り無いから。


「…という訳で、どうしようか? 僕は他人ひとに何かを強要するのは好きじゃないから君が決めてくれ。判断それに従うよ」


 言いたい事だけを言いたい放題ばら撒いた僕は大きく息を吐きだして、吸う。可否の決済を問い、目蓋を降ろしてから体内の酸素を循環させる。


 この鈍い頭が少しでもマシに動くように深く長く…やがて、その後に繋がる。


 物音に目を開けた僕の前には赤と白のショート缶―――米国由来の国民的炭酸飲料(アルコール入り)が二本…記憶の底の残滓によると、以前この部屋で鍋をした時の残りだろう。


 あの時は望む叶わぬ志半ばの敗残兵として惨めに出ていく事になったが、今日はどうかな?

 我が身に振り降りるかどうかも分からない二秒先の未来の事はまるっきり不明瞭だが、どうせ去るにしてもさっぱり清々しい気持ちと共に有りたいものだね。


「それで…? そろそろ選択ハラは決まったかな?」


 右の掌をかざして身振り手振りでピルスナーの摂取を辞退してから再び彼女に問う。

 隣に座る女性の内側から漏れ出す感情が霧になって見えればいいのに。そうしたら僕みたいなゴミカスでも、もっとマシに生きられるのにな。


 どうしようもない自嘲を打ち消す発泡音。景気の良いあぶくを立てる缶に唇を付ける恋人の姿は何処か退廃めいた色気を放っていて、無遠慮な視線を奪われる。


「…ったぁ…」


 一瞬、喉を鳴らして聞き取れぬ言葉を吐いた。明確な音は伝わらずとも、意図は届くよ。


 そんな心情から、またしても少し頬が緩んだらしい。

 それが隣の女性に伝播して、そこから多少なりとも怒気を含んだ物言いが横槍が入る。


「何? 何かおかしい?」

「いや…何も。続けてどうぞ」


 可愛らしく頬を紅く染めてそっぽを向く彼女に対して、小粋なジョークを交えて返せれば良いのだけど、ここで無駄に虚勢を張って格好付けれ無いのが僕である。

 

 慣れた様子でスマートに「いや、君の横顔に見惚れて」なんて台詞を自然な感じで吹き替えみたいにいい声で発する事が出来れば良いのになぁ…本当に。


 僕はバンドのシンガーとしてそれなりに声を作って再び問う。移ろう荷重によってソファが鈍く軋む音がその魁だ。


「もう一度…きちんと聞かせて欲しい。しっかりと君の言葉ではっきりと」


 その答えは遠慮がちに―――けれど、明確に意志と芯を感じさせる声色で。

 僕が何らかの特殊能力を持たずとも新山彩夏の決意が滲んでいる事が見て取れた。


「わ、私もそろそろ、進みたい。アラタくんの様に。君との関係が前進したように。前に…!」


 パチンと音が鳴った気がした。

 それは気の所為かも知れないけれど、きっと彼女の歩くレールが切り替わった音だと思った。


 重たい前髪の後ろに覗いた青い月が揺らめく事無く、深々と光を放っていたから。

 それは多分、これからの根拠になり得る希望の光だ。

 

 正しく清い審判は決して誰に対しても優しいだけのものでは無いし、誰かにとって痛みを伴うものかも知れないけれど、きっと同時に救いになる存在だと思う。


 矮小で無信心な僕個人としては、それらを引っ繰り返すみたいな冗談みたいに降って湧くミラクルに期待しているけれど、同時に僕に限ってそれは無いだろうとも実感している。


 僕にとって奇跡なんてものは夢物語の遙か先に位置する蜃気楼で出来たガンダーラみたいに曖昧な理想郷だけれど。

 ただその結末が君にとって、幸多からん終着駅になれば良い…そして欲を言うならば、僕達にとって最適な楽園であればいいのにと。


 頭の片隅で恥知らずの厚顔無恥で驚天動地な願い事を一つ、揺らがぬ旗に見立てて心中にこっそりと立てた。

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