#143 Reason of War(闘争の理由)

 さて、と言う訳で!

 僕は…はいっ!

 語り部たる僕はですね、ええっと、僕には勿体無い位に最高の恋人である新山ニイヤマ彩夏アヤカ女史のお宅の前まで来ました。おうおうパフパフイエーイ、パチパチ……。


 いやぁ、何につけてもココに来るのは数日ぶりで―――僕としてはまあ、その何ですか…先日恋人に肉体交渉を迫ってから素気無く拒否されて以来の来訪と言う事になりますねぇ…記憶に新しいにも程がある過去の失態に、流石にちょっとくじけそうにもなる。カサブタになるのは未だ先のことになりそうなんだ。


「にしてもさあ…昨日は彼女の実家にお邪魔して――今日は一人暮らしの娘の家かよ。おいおい僕…幾ら何でも新山家の界隈一帯に入り浸り過ぎだろ」


 後は次女の彩乃さんの住む家を訪れれば新山宅をフルコンプだぜ! その際は景品としてビジネスクラスで行くハワイ五泊七日の旅とか贈られないかなぁ…。別に副賞でも全然可なんだけど。


 はてさて、それは捨て置いて…客観視して半ストーカーの如き自らの行動を誤魔化す為に分不相応な懸賞品を幻想オアシスの如く思い浮かべるが、益体が無さ過ぎて無益そのものなので途中で投げ捨てた。


 とは言え、通算何度目かになる恋人宅への来訪は童貞ぼく的にはそれなりに緊張を伴うものであり、そんな果てしなき妄言を浮かべなければ耐え切れない代物なのかも知れないね。経験不足って怖い。


 うだうだうねうね、ぐるぐるくねくねと陰鬱な妄想や最悪の想像をいくらか排出したが、如何せん一向に収まる気配が無い。長年の生活で止む無く獲得した悪癖はそう安々とは改善されない。


 なのでそれらの余計な荷物と共にやぶれかぶれで電話を掛けた。出てくれると良いのだけど…。


『もしもし、アラタくん? あれ? もしかして、もう家に着いちゃった?』


 アナログだかデジタルだか、ド文系の僕には判別の付かない電波とかいう謎の周波を介して聞こえるのは少し弾んだ声。世界で一番愛しい女性の声。


 はたして数時間後、僕がする話を聞いた後もその声は今みたいに高揚した張りを保っていられるのだろうか?

 これから僕のやろうとしてることは単なる自己満足じゃないのか?


 内面の浅瀬で幾度と無く繰り返した自問自答が不意に口をついて外界に出ないように留意して、ソツなき言葉を探す。


「ああ…、うん。もう君の家の前まで来ちゃったんだけど…まだ帰宅途中だった?」

『うん。今最寄りで降りたから、すぐ着くとは思うけど』

「おっけー、了解。あっ…あと無理して、無理に急がなくて良いから、十全に気を付けて」


 電話口から漏れて聞こえる荒い呼気から察するに、彼女は大きな胸を揺らしながら走っているのかも知れないが、そこまでして貰わなくてもいい。

 煌めく汗を流して懸命に走る彼女とそれに同調して弾む胸部とか…正直めっちゃ見たいけれど、それは別に今日のことじゃなくて良い。またいずれ…ね?


 下卑た煩悩と高尚な使命との間で揺れる童貞の心――さながら本能バーサス理性の様相を呈してはいるが、その実…有する核はどっちも同じものだ。


 結局、言ってしまえばこれは全部僕のやりたいことエゴイズムなんだよね。


 結局の所、僕に出来る事なんてそれ位の事なのかも知れない。そう心中の誰かは冷笑する。

 作曲活動にしろ人間活動にしろ、出来るのはみっともなく現在の自分を押し付けるだけ――善的な身勝手を許容してくれる優しい誰かがいて初めて、幸運にも僕の存在が世界に許される。


 そうであるならば、僕は個人だけでは存在出来ない弱者ってことになるよね。まあ、況やその通りであるのは必然としても。まあ何でも良いし、なんだっていいことなんだよな。


「ごめん、アラタくんっ! 遅れて、本当に。寒かったでしょう?」


 透き通った空気の向こう側、地平線の彼方から僕を認識してくれる女性がいれば、そんな哲学的かつ認識的な浅いレゾン・デートルなど些事に思えるからさ。


 これが世間に氾濫する恋愛脳ならば――それはそれで、そう悪く無いとは思うけれど――かつての信念や思考を唾棄して身を包む一時いっときの快楽へ常に浸ることへの漠然とした恐怖感みたいなものも同居する。


 甘い幸福が反転して、喪う恐怖に変換される地獄を味わうみたいな未来世界なんて豆腐メンタルの僕に耐えられるだろうか?


「不意に崩れる足元に気を付けて…ね…」


 未だ到達し得ぬ未知の領域である異性の住居を不確かながら確かめる様に大地を慎重に踏み締めて、僕の方からも彼女に一歩近付いた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る