#117 Fluorite(蛍石)

 客の入りを店主に知らせる用途でしかない錆びた鐘の音が、まるで死刑執行を告げる無慈悲なブザーの様に乾いて聞こえた。いや聞こえなかった。流石に盛り過ぎた。そこまでドラスティックでドラマチックな音色では無かったよ。

 ぶっちゃけ、誇張ありありで劇的にし過ぎて本音とはかけ離れたコメントである。


「おや、今日は珍しく男前じゃなくてかわいこちゃんを連れているね」

「うおっ?」


 原因不明の軽い錯乱に陥った僕はマダムの放った軽口を受け取れずに反射で奇声を発する。きめえ。態度を改めて、えへんとした返答。


「まあね、日進月歩で目まぐるしく成長しているからさ」


 適当で意味不明な供述である気がしなくも無いが思考はそこで止まる。


 というのも、上着の袖口を連れの女性が物理的にくいっと可愛らしく引っ張ったからだ。

 それはそれとして、ちょいとお嬢さん、些か心臓に悪いし心不全の可能性がありますので勘弁して貰えませんかね?


 女性経験が少なめの成人男性が持つリアクションはどこ吹く風、細い指先で意思を示す感じ、耳を貸せと言う事らしい。なんとも気は進まないが大人しく従う。


「あの、こちらの婦人はお店の人…ですよね? 私は何とお呼びすれば…?」

「あえ、ああ…僕達は『マダム』って呼んでるけど、本名は知らない」

「なるほど、了解しました。ありがとうございますっ」


 その後、マダムの元に駆け寄り何やら盛んに話しているが、それどころではない。

 だって僕的にはボソボソと声を潜めてささやく様な異性の口調に対して、グッと諸々を堪えた自分を褒め称えたいからね。


 僕が惨めな自画自賛を繰り返している内に会話は終わったらしく「行きましょう」と彩乃さんに手を引かれる。

 あれぇ? どちらかと言えば僕のホームだというのに情けない。


「マダムと何を話していたの?」


 破れかぶれな心境で吐き捨てる様に尋ねた。

 対照的に、対面に座る彼女は余裕綽々。


「ただ単に店内の諸々の撮影許可と――写真それをSNSに載せて良いかって話です」

「ああ…なるほどね。納得」


 女子とかオトナ女子とか、そういう括りの人達は総じての好きだもんな。

 最近良く見るよ。カフェや甘味処は疎か、ラーメン屋なんかでもスマホを構えて一億総カメラウーマンになってる光景。フォトジェニックはタピオカの夢を見るのかって感じ。


「ってことで、ホラ! アラタさん、ピース」

「あえ?」


 想定外の声に思わず顔を向ける。その先には彼女のスマートフォンのレンズがあって──インカメを通して液晶画面に写る男女二人の姿が見えた。 


 妨害する間も無く、彼女がタップ。鳴るのは無慈悲で無機質なシャッター音。続いて呑気な肉声による感想。


「お? 流石はミュージシャン、存外撮影カメラ慣れしてますね。突然の事にも関わらずナイスな表情です」

「絶対ウソだろそれ」

「所でこの写真、アップしていいですか?」


 こと簡単に訊ねるものだから、危うく承認しそうになる。

 即座に拒否の言葉を挙げたが、すったもんだの問答の挙句、僕の顔にはボカシを入れることを条件に許可をした。いいか、マジで! いいのか?

 信じられる要素とかはまあまあ希薄だけど、それでも何とか信じるぞ?


「それで、オススメのメニューは何ですか?」


 スマホをポチポチいじりながらの難問提出。

 あぁ…個人の手の及ばない電子の海に僕の写真が流出して行く。ネガティブは文言が添えられてないと良いけど……。


「オススメねぇ…彩乃アヤノさんが何を食べたいかによるかな? 苦手な食べ物とかある?」

「苦手なものを注文する気ですか!?」

「なにその地獄な発想? 流石にそこまで陰険なことしないよ…多分」


 何だよその発想普通に怖いわ。陰湿にも程がある。

 恐怖におののきながらも幾つか言葉を交わしてメニューの方向性を探る。どうやらアルコールもイケるクチらしい。


「じゃあ注文通してくるから暫しお待ちを」

「はい、お願いしますね」


 店に入って数分のはずだが、不意に監視の手を逃れて一人になったことで疲れが押し寄せた。


 思えば僕は女子と食事をする度こんな感じで疲弊していくな。その内老けるんじゃないだろうか?

 ひょっとしたらそうやって老けて、歳を重ねて行くことで魅力溢れる『大人のオトコ』に近付いて行くのだろうか?

 

 ならばこの疲弊にも価値があるし、少しだけ素敵な物に思えるね。


 多分、大体気の所為だろうけど。

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