#89 TOUCH YOU(君に触れて)

「まあ、猛獣ウルフでも良いでしょう? 今更ですし…繰り返すようですが、むしろ理屈ばっかりで薄汚れた人間よりも自然体で、よっぽど美しい姿勢であると思いますよ?」


 彩乃アヤノさんから謎のフォローが入り、僕の自嘲と自傷に満ちたエゴイスティックな苦悩は敢え無く脇に置かれた。

 そして、その途中で『ウルフ』なんてワードを普通に使う自分に気付いて、一人静かに絶望を深くした。


「それで…そう、父の話でしたね。アラタさんが脱線ばかりするので危うく本当に忘れる所でした」

「今回ばかりは僕のせいじゃないだろ。僕以外でも恐らくこうなるよ」


 目の前に座る国際的な評価を受ける文豪の娘(好きな女の妹でもある)に細やかな反論。流石に今度ばかりは僕を責めるのは酷ってもんだ。何ならマジで真面目な面しか披露してないまであるくらいだ。


「それで父が全力でお願いした結果、公式的には交換留学生的な扱いで短期の転校を果たしたのです。これが『手段』…」

「それはまあ…学校教育の闇を感じるね」


 それが正直で率直な感想。

 僕がギターに夢中になっている間、まさか所属機関を舞台にそんなダーティでアダルトな取引が為されていたとは露も知らなかった。


 有名人や金持ち、権力者は色々お得だよなと社会の歪さを嘆く暇も無く彩乃さんの開示は荒波の様に激しく暇無く、そして滞り無い。


「私からすれば『理由』の方も味気無い…よくあることですよ。姉は今より更に夢見がちで、阿呆だっただけです」


 笑顔で告げたその言葉の温度は極寒よりも冷たく、何よりも重い。

 さながら雪みたいだと思った。見た目よりも冷たくて、想像するよりずっと重い。


 それは想い人の妹の根幹に触れる感情だと思うが、僕にそれを追する必然は無い。昔話の地蔵の様に固まり、次を待つ。


「はてさて…閉じた箱庭セカイで下卑た闘いに明け暮れていた姉が、分かりやすく心地の良い闘争から抜け出した理由は何でしょうか? 自身の変化? それとも偉大な父親の不義理?」


 跳ねて遊ぶ様な言葉の色に僕は声も出せずに沈黙を貫く。

 ただ見えない言葉を細い指先の上で弄ぶ様子をただ眺める。

 見かねた彼女は呆れるように溜め息を先に置いてから、結論を述べた。


「解答は簡単。事前に申し上げた通り、キーワードは『二次性徴』ですが、セクシャルな呼び水として機能していた姉の身体付きが有象無象の異性の下卑た関心を集め始めた頃――姉は今よりずっと前向きで…今以上に愚かだっただけのことのです」

「えっ…と。つまり、どういうこと?」


 言わんとすることが良く分からない。

 それは僕の理解力に問題があるのか、彼女の伝達力に起因するものなのか?


 恐らくは両方正解だ。

 彼女は敢えて迂遠で遠回りな言葉を選び、僕は何も知らないからだ。


「セックスアピールの強まった姉は外界に出る事に拒否反応を覚える様になりました。軽度の症状ですがね。しかし、同時に女の園にも嫌気が差しつつあったのです。そして現在よりも幼き勇猛と幼稚な愚かさを携えた姉は――外界に飛び込む事で、自身の症状が改善されると信じたのです」


 それは殊更嘲る様な口調では無い。

 にも関わらず端々から滲むのものは何だ? 何がそんなにも妹を駆り立てる?


 新山彩乃の持つ姉への感情はともかくとして、なるほど…あらましは理解した。


 つまり、幼き新山彩夏は新天地にて自身の成長を望んだわけだ。男が苦手になりつつあるが、自分の世界は同姓ばかりで治るものも治らない。ついでに女子社会のどろどろにもうんざりしたから共学を欲した。そういう過去なのだろう。


「そうして前述の手段を用いて僕達の学校に転校した。最寄りでは無く、その隣の中学校を選んだのは配慮なのかな?」

「さあ…今となっては議論するだけ無駄でしょう…どっちにしたって上手く行かなったでしょうしね」


 上手く行かなった…。

 そして彼女の最終学歴は結局元いた女の園。とどのつまり、それは―――


「彼女はどの位…どれくらいの期間を母校ウチで過ごしたんだ?」


 ここまでの情報が指し示すのは彼女の遍歴。そしてぼんやり浮かび上がる彼女の姿。ビロードの厚さは大分弱まって輪郭が見え始めた。


「約三ヶ月。土日祝日がありますので、実際に登校したのは五十日超といった所ですね」

「五十日…。たったの……」


 それだけの時間で彼女は更に症状を深めて、同性ばかりの棘にまみれた檻に帰って行ったのか。僕が気付く間もなく。それこそ霧か霞の様に姿を消した。


「理由は大して説明するまでもありませんよね? 中学三年の男子と転校生であるグラマラスな姉…想像出来ない方が間抜けとしか言えません」

「ああ…それは、もう…。明らかに駄目だよ」


 思春期真っ盛りの年頃の男子の目に彼女がどう映るかなんて火を見るより明らかで、誰も責めることなど出来ないことだけど…。


 それを想像していなかった彼女の気持ちを考えると痛ましい。

 誰も彼もが悪意なんか無いのに被害者だけが明確に存在する多数派の圧力。全く…嫌になるよ。


「結果として姉は傷と不信感をより深く確かなものへと悪化させて、同性の世界に舞い戻っていくのです。そしてそこからは貴方も多少ご存知なのでは?」


 波打つ茶髪を揺らした女子大生の物言いは余りにも冷徹で事務的だ。

 僕はそうはなれないよ。


「軽く…触りだけ。何か色々あるんだね、女性って。そんな感じ」


 策謀と陰謀を駆使して誰かを蹴落とし上に立つ。

 同調する今日の中で機会を狙い、明日の自分の地位を確立していく――ゼロサムゲームとは程遠いファジィな闘争に塗れた学校生活。彼女の体験した一端を思い出すだけで人間不信になりそうだ。


「それって、共学でも同じなのかな…」


 不意に飛び出した僕の思い付き。

 僕の知らない所で同じクラスの女子も、そんな互いの尊厳と今後の人生を皿に載せた闇のゲームに興じていたのだろうか?


 僕同様共学に通っていたと聞いた新山彩乃を一瞥。組んだ両手に顎を乗せた女子はにっこりと笑みを貼り付けて言った。


「ご存知ないですか? 女子中高生にとって、クラスの女子の半分は敵だということを」


 何やら同性の敵が平均よりも多そうなモテカワガールが余りにも事も無げに言ってのけるので僕も普通に質問をぶつけた。


「じゃあ残りの半分は? 反対に味方なの?」


 余りにも呑気な質問に彼女は首を横に振る。そして「厳密には正解ではありません」と続け、


「その時点では敵対していないというのが正しいです」


 再び絶対零度の微笑みで締めた。

 ギターばかりに気を取られていた自身の過去と比較して、何とも言えない虚無感に襲われる。

 僕が音楽と戯れていた頃に同年代の女子は駆け引きを磨いていたのだ。人間的な部分で絶望的な差を感じる。


 そして、その頃発生した断絶に似た差は今も埋まっていない気がして。一層気分を盛り下げた。

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